第24話 大手門


 本丸御殿を出、クランクだらけの城道を下りてしばらく進むと、多くの侍が出入りする城門が見えてきた。


「こちらが大手門です」


 石垣と土塁の二重の防御壁のあいだに造られた門。

 その前にたどりついたおれたちは、そこで足を止め、いかつい門を見上げた。


「ここが?」


 城の正面玄関にあたる大手門。

 その先につづくのは、堀にかかる土橋。


 その点は二十一世紀の江戸城址と同じだが、元和元年の大手門は前世の記憶にあるそれとは決定的にちがっていた。



 ――たしか、ここは大手三ノ門が……



 この時代の大手門は、後年のそれとくらべて、かなり手前にあったのだ。

 

 そういえば、来る途中に通ってきた五つの外枡形が連続する複雑に折れ曲がった城道も、二十一世紀の江戸城址あっちのとはちがっていたが、確実にこっちのほうが城内に侵入しにくい。


 あっちの江戸城は、平和な時代――万治度に設計された図面を踏襲して建てられた、完全に宮殿化したもの。防御性より居住性を優先した【御殿】だ。


 逆にいえば、こんな堅牢な要塞が必要なほど、徳川政権はまだ盤石じゃないのだろう。



「さあ、まいりましょう」


 完全に呆けているおれの背をそっと押し、郭外へといざなう三十郎。



 橋を渡った先にあったのは、どこまでもつづく大名屋敷街。


 あっちでは、このあたりは三ノ丸エリア――まだ内郭だったはず。


 ということは、このころの城域は、後世の江戸城にくらべると、かなりせまかったようだ。



「めずらしゅうございますか?」


 あまりにボーっとしていたせいか、三十郎が声をかけてきた。


「はじめて……見た」


 国松の記憶にも、この風景はない。


 たぶん数少ない外出時も、御殿から直接駕籠に乗せられていたので、こうして全景を見まわすことはなかったからだろう。


「これからは、毎日見られますよ」


 三十郎は微笑をふくんだ目でおれを見下ろし、


「国千代さまに下賜されるお屋敷は、おそらく、あのうちのどれかを収公したものになるでしょう」


 そう言って、建ちならぶ屋敷群を示した。


「収公?」


「はい。江戸のほとんどはご公儀のもの。大名たちは徳川から借りた土地の上に屋敷を建てているのです。

 ですから、公方さまがひとことお命じになられれば、どの大名もすみやかに屋敷を明け渡さねばなりません」


 なるほど。


 でも、まだ新しい屋敷もあるのに、そんなのを取り上げたら恨まれないか?


 この時代のやつらって、すぐ暴力に訴えてくるから心配だな。

 


「すこし歩きましょう」


 三十郎は、ぼんやり立ちつくすおれをうながし、堀沿いを歩きだす。


 そのとき、おれは三十郎が行きかう侍たちの視線からおれを隠すように立ち位置を変えたのに気づいた。


「国千代さまは、ご自分が置かれているお立場がよくわかっておられないようですね」


 周囲に視線を走らせた三十郎は、なじるようにささやいた。

 

「立場?」


「まったく、ヘンなところでは聡いのに」


 苦笑をうかべる青年の言葉に、妙に胸がざわめく。


「どういう意味だ?」


「先ほど、あなたさまは『収公によって、恨まれたら困る』などとお考えになったのではありませぬか?」


 貼りつけたような笑顔で図星をつかれ、足が止まる。


「な、なぜ?」


 こいつ、他人ひとの心が読めるのか?


「ふふっ、そんなことでおびえるくらいなら、なにゆえその御歳で独立などなさいました?」


 あたたかい陽光をあびているのに、つめたい汗が噴きだす。


「いくら松平姓を名乗り、微禄に甘んじようと、あなたさまが徳川宗家嫡出男児であるという事実は変わりませぬ。その高貴な御子をみなが放っておくとお思いでしたか?」


「な、なんだと?」


 けっして大柄ではないのに、いまはもう視界のすべてが三十郎でいっぱいになっている。


 その男が覆いかぶさるように、おれを堀端に追いつめる。


「おやおや、困りましたね。このていどのことは想定なさったうえで、独立したものとばかり思っておりましたが」


「想定?」


 三十郎の影にすっぽり覆われ、全身が震えはじめる。


「そうではありませぬか? 豊臣が滅び、徳川が覇権をにぎったとはいえ、各大名はスキあらば己が徳川に成り代わらんと虎視眈々とねらっております。

 そのようなときに、将軍家直系であり、織田と浅井の血を引く年端もいかぬ男児が、野に下ったのです。

 よからぬ野心をもつものなら、あなたを旗印にして乱を起こし、天下を盗ろうとたくらむでしょう。

 また、関ケ原で徳川に苦杯をなめさせられた大名の中には、ひそかにあなたを害し、憂さを晴らそうとする輩もいるやもしれませぬ。

 それとも、竹千代君をうため、不満分子を糾合せんと、あえて御宗家を出られたのですか?」


「まさか!」


 おれを傀儡にして、天下をねらう? 

 徳川に負けた恨みをおれにぶつける?

 あげくのはてには、おれが独立したのは、謀反を起こす軍勢を集めるため!?


 ウソだろう?

 持っていたわずかな力――将軍位継承権の証『徳川』姓――すら手放した、たった十歳のガキに、なんでそんな疑いを?

 

「そんなこともおわかりではなかったのですか? ははは、やはりお育ちがいい方はノンキでいらっしゃる」


 至近ではじける嘲笑。


「清廉だと主張なさりたくば、まことのことをおっしゃられよ。

 なにゆえ、徳川の姓を捨てられた? 

 いかなる目的で、竹千代君に近づこうとなされる?

 ほかのものはだませても、私には通用いたしませぬ」


 しずかな語り口調なのに、まるで大声で怒鳴られているように鼓膜がジンジン痛む。


「なんなら、罪をでっちあげて尋問しても――「し、死にたくなかったんだっ!」


「死にたくない? 『毒殺を恐れて近習に』という、あの陳腐な言いわけなら結構です。真のねらいはなんですか?」


 たたみこむように詰問され、おれはすでに涙目。


「たしかに、毒殺自体は口実だ……でも、死にたくないというのは本当だ!」


「それだけでは納得できませんね」


 こ、怖い……チビりそう。  

  

「豊臣が滅亡してわかったんだ。秀頼や、豊太閤に処分された秀次は、さっさと権力を手放さなかったから殺されたのだと」

 

 無言のまま、先をうながす三十郎。 


「母上は、なぜか兄上を疎まれておられる。もしこのまま宗家あそこにいたら、いずれ周囲は二派にわかれて争うだろう。

 だが、おれは将軍位など望んでいない!

 なのに、まわりが勝手に権力闘争をはじめたら、おれの意志などおかまいなしだ。

 そして、その行きつく先は、一国を背負う重圧に耐えつづける絶望的未来か、兄上からの粛清しかないじゃないか!

 だから、おれは、早々に舞台から降りたいと思ったんだ!」


 暗黒の微笑みにガクブルしている間に、気づいたら吐かされていた。 

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