第23話 改名
「これなるは、本日より小姓見習いとなる国松あらため、松平国千代である」
前もって届けられた
「「「国……千代?」」」
おればかりか、両脇にずらりと居並ぶ近習たちも一様に首をかしげる。
どうやら家臣にも、
「昨日はおまえのとりなしにより、父上と親しくお言葉を交わすことができた。よって、その礼として、わが名の一部を与える」
兄貴は妙に機嫌がいい……コワイくらいに。
昨日は、あの後おれだけ先に退出し、ふたりでなにかコソコソ話し合っていたので、この改名は十中八九、オヤジの発案によるものだろう。
超ボンヤリな兄貴がこんなこと、絶対思いつくわけがない。
――――でも、なにもいま、わざわざ改名なんて。
どうせ、あと数年後にはおれも元服をむかえる。
そうなれば、いやでも真名=
とはいえ、諱は『忌み名』とも表されるように、その人の本質に近い名前だから、他人が気やすく口にしていいものではなく、公的文書や特別な場合にしか使われない。
だとすると、これは出仕に際しての源氏名的呼称か?
だったら、国千代なんてガキっぽいのではなく、『彦左衛門』とか『又右衛門』とかシブくて強そうな名前にしてほしかったが、これはまちがいなくオヤジの指示によるものだろう。
兄貴から『千代』の字を賜った新入りをいじめるツワモノなんてそうそういない――ってことだ。
ああ……過保護なオヤジの愛が重い。
「ありがたき幸せ」
いろいろ不満な点はあるが、いちおう謝意を示すと、
「三十郎」
ゴキゲンな兄貴は、傍らの近習に目を向けた。
「国千代のことは、そなたに任せる。頼んだぞ」
「はっ」
そのやりとりを最後に、今朝のミーティングは散会となった。
「こちらが台所となります」
現在おれは、仕事上関連がある場所をあちこち案内されつつ、勤務内容についての説明を受けている。
「では、つぎは奥勤めのものが使う出入り口を」
三十郎はそう言って左手――東方向に向かう。
家臣になったばかりのおれは、拝領屋敷の手配がつきしだい、いままでの居室から引っ越すことになっている。
そうなれば、城外からの通勤となるので、ルートの確認は大事だ。
「このまま大手門まで行ってみましょう。あまり外に出られることもなかったでしょう?」
役人用通用口につくと、下足番が二人分の草履を出してきた。
用意されたものを見、思わずとなりの男を見上げる。
そこにはなぜかおれの草履が。
将軍ファミリーだったおれは、当然ながらこの職員専用玄関を利用したことはない。
だから、こんなところにおれの草履があるはずがないのだが……?
「昨日、装束を持って行ったついでに、国千代さまの履物をこちらに預けておきました」
サラっとそう返され、面食らう。
つまり、この男は兄貴に命じられる以前に、自分がおれの指導係になると予想し、今日の段取りを考えていたということか?
「…………」
見かけの柔和さにだまされそうになるが、こいつは危険だ。
こんなやつに常時張りつかれたら、ちょっとヤバいかもしれない。
「どうなさいました、国千代さま?」
怜悧そうな瞳でのぞきこむ青年。
年は二十歳前後。
目を引くような造形ではないものの、嫌味のないすっきりとした面差し。
中肉中背の体つきは、戦場を駆けまわるより、
「……いや」
内心の動揺をかくすため、そっと視線をそらす。
「それにしても、あなたさまもずいぶんと寡欲なことで」
焦るおれのようすなど気にもとめない風情で、のんびり話しかけてくる。
だが、なにげない雑談を装いながら、男が全知覚をフル稼働させ、おれの一挙手一投足を観察しているのを感じる。
「なんのことだ?」
「そうではありませぬか。あなたは御三男とはいえ嫡出。はじめて一家を立てるなら、二十万石くらいはいただけたはず。そして、いずれは五十万石ほどの大守に収まることもできたでしょうに」
たしかに、オヤジが最初に内示してきたのは二十四万石。
将軍実子が独立する際には、それがふつうの待遇なのだ。
例の三人の叔父たちは、さほど身分の高くない側室の子だが、まだ十代だというのに、すでに二十五~五十万石を拝領している。
それにくらべ、おれは、北近江を領した浅井長政の娘で、織田信長の姪でもあるお江の子。
そんな高貴なガキが、とくになにかしでかしたわけでもないのに、一万石以下だなんて、どうみても不自然すぎる。
だから探っているのか、おれの真意を。
おれがなんの目的で微禄に甘んじ、自分の主に近づこうとしているのかを。
つい最近までボンヤリな兄をバカにしていた傲慢な弟が、いきなり志願して臣従するなんて、なにかよからぬことをたくらんでいると疑っているのだろう。
家禄の件を知っているなら、志望動機についても話が伝わっているはずだが、
(……相当の切れ者だ……)
なにしろ、兄貴の近習たちは、後年そのほとんどが幕閣となる。
つまり、オヤジは将来を見すえて、優秀なガキどもを兄貴の傍に配しているのだ。
粛清回避のため、未来の老中候補たちに取り入ろうと近づいてはみたものの、少しでも不審な言動をとったら、即座に敵認定される!
「な、なにを申す? なんの功績もない十歳の子どもが、いきなり九千九百九十九石だぞ? 充分強欲ではないか?」
「ふふふ、なにもさように警戒なさらずとも……。今日よりあなたさまもそれがしも、竹千代君にお仕えするもの同士。隔意なく語り合いましょうぞ」
おれの不安を的確に読み取ったらしい男は、うさんくさい笑みをうかべつつ、枯葉の舞う坂道をゆっくり下っていった。
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