第10話 天下人


「そうです。秀頼さまは天下人どころか、ただの一将にもなりえぬフヌケにございます」


「こ、この無礼ものめが!」


 ブチ切れたネーチャンがつかみかかってきた。


「やめぬか!」


 上座から飛んできたオヤジが、おれたちを引き離す。


「子どものくせに、なにがわかる!」


 髪を振り乱したネーチャンは般若の形相でわめきつづける。


 となりの兄貴はそれを見て、いまにもぶっ倒れそうな顔色。


「では、お聞きいたしますが、昨年末および今夏の大坂の役において、秀頼さまは一度でも陣頭に立たれましたか?」


「それは……」


 ネーチャンは悔しそうにくちびるをかみ、目をそらす。


「ならば、わが徳川は? 征夷大将軍たる父上のみならず、齢七十を超えた大御所さま(家康)までもが銃弾飛び交う戦場に身を置き、自らの手で勝利をつかまれました。

 かたや、秀頼さまは一度も出馬することなく終わられた……己の城が攻められているというのに。

 これをフヌケといわずして、なんと言うのです!?」


 一気に言いきり、視線を竹千代に向ける。


「でございますよね、兄上?」


「あ、ああ」


 おれのフリに兄貴は呆然としながらもうなずく。


 ここは一歩まちがうと、オヤジにおもねっておれが点数かせぎをしていると取られかねない。

 そうなると、また兄貴の憎悪をかきたてるおそれがある。

 だから、強引にこいつも話に引きこみ、おれだけ突出しないよう、うまく立ち回る必要があるのだ。


 ということで、めでたく兄貴の同意も得られたので、さらなる追撃開始。


「そもそも、徳川は豊臣を滅ぼすつもりなどなかったのです。

 関ケ原での勝利により大御所さまは征夷大将軍に任じられ、敗れた豊臣は六十五万石を領する一大名となりました。

 それで満足しておればよいものを、己の立ち位置も自覚せず、『徳川にあずけた政権が秀頼さま成年のあかつきには、ふたたび豊臣のもとに戻ってくる』などという幻想を抱くとは……どれほどめでたい頭をしているのでしょう?」


「「「…………」」」


 あれ? 

 シーンとなっちゃった。


 でも、まちがったことは言ってないはずだ。


 

 徳川秀忠といえば、関ケ原で大遅刻という大チョンボかました話や、今回の大坂の陣でも家康ジッチャンともども総大将本陣に豊臣家重臣・大野治房の決死の突入くらって、かなりヤバかったとか……とかく軍事面では残念なイメージがつきまとう。


 しかし、昭和三十三年に将軍家墓所改葬にともない遺骨調査をしたとき、秀忠は筋肉質でよく鍛えられたいい体をしていたと判明した。

 また、体のあちこちに銃創があったことから、徳川御曹司でありながら、自ら陣頭に立って指揮をするタイプだったのではないかといわれている。


 秀忠が生まれたのは、長兄・信康が自刃した年(1579年)。

 オヤジの実質的初陣は、あの大遅刻の原因となった上田城攻めで、十五で戦場に立ってからずっと戦いづめだったジッチャンに比べると、出陣回数は格段に少なかった。

 それなのに、身体中傷だらけだとしたら、どの戦場でもつねに第一線で戦っていたということになる。


 それにくらべ秀頼は……。


 なにしろ、豊臣にしろ徳川にしろ、どちらも軍事政権。


 豊臣秀吉が、本来特定の家の者(摂関家)しかなれない関白――朝廷内トップ――の位を得たのは、やつが当時国内一の武力を持っており、それをちらつかせて認めさせたからにほかならない。

 

 たしかに、オヤジには軍事的才能はないかもしれない。

 だが、、兵の背にかくれることなく、常に危険な戦場に身をさらしてきた。


 それこそが、武家の棟梁たるものの絶対条件――武家の頂点に立つ者は、自ら戦場で己の力を見せつけて従わせる必要があるのだ。


 なのに、兵の背どころか、城から一歩も出なかった臆病者秀頼が、どうして労せずして天下をゆずられると思えたんだ?


 お花畑にもほどがあるだろ?

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