第6話 兄弟


「……ひどい……」


 両眼からあふれる涙が頬をぬらす。


「ひどい?」

「そのひどいことを、竹千代さまはされたのですよ?」

「国松さまをひいきになされる御台さまに!」


 まわりにいる小姓たちが口々に攻め立てる。


「……ちがう……」


 痛いくらいの敵意に顔をふせれば、白い指のあいだから、黒い粘性の物質が押し出されていた。

 知らず知らずのうちにまんじゅうを握りつぶしたらしい。


 ――ちがう――


 竹千代や小姓たちは、おれがなじられて泣いていると思っているようだが、そうではない。


 心が痛かった。


 実母に毒を盛られた竹千代に妙にシンクロし、胸の奥がズキズキうずいて、しかたなかった。




 じつは、おれにも兄がいた。


 あっちの世界……つまり前世でも。


 前世の兄は、竹千代とはちがって優秀なやつだった――いやになるくらい。


 そして、おれは国松とはちがい、なにをやらせても不器用でどんくさかった。


 そう、こことは真逆だったのだ。



 二卵性双生児のアニキは六歳のとき、国立の難関付属小に合格し、小学校~高校までその一貫校に通った。


 一方おれは、地元の小中学校を鳴かず飛ばずな成績で過ごし、高校もかろうじて中堅校といえるくらいの微妙なところに滑りこんだ。


 おれたちの学校は、なぜかいつも運動会が同じ日にぶつかり、両親は当然のようにアニキの方に足を運んだ。


 だって、そうだろう?


 かたや、インターハイ出場の俊足ランナーで、運動会では常に花形。

 徒競走も楽々一着で、対抗リレーでは毎回アンカーをつとめ、逆転勝利。


 もう一方は二度見するほどの鈍足で、出場するのは騎馬戦の馬、大玉送り、ムカデ競争、綱引き……どこにいるのか探すのが難しいレベルのモブ。


 どっちに行きたいかなんて聞くまでもない。


 それでも、おれは…………寂しかった……寂しかったんだ。


 自分がダメだから来てもらえないのだと頭では理解していても……トラックの外の人垣の中に、いるはずのない両親あの人たちの姿を探し、予想どおりの現実をつきつけられて落ちこんで……。


 努力しても兄のようになれない自分が悪いんだと割り切ったつもりでも、おれと同じくらいダメダメなやつが両親どころかじいさんばあさん、はては伯父叔母従兄弟たちに囲まれて笑っているのを目撃しては胸をえぐられ……。


 だけど……うちの両親はこんな不出来なおれを排除しようとはしなかった。


 日本の最高学府に現役合格したアニキと、必死にがんばっても中の上がいいところで、本命の試験日にインフルエンザにかかって結局滑り止めのFラン大学にしか入れなかったおれに向けるまなざしが天と地ほどちがっていても、危害をくわえるまで憎まれはしなかった。


 内定式から帰ってきたスーツ姿のアニキと、ひとつの内定も取れずに帰宅した冴えないリクルートスタイルのおれにかける「おかえり」のトーンがまったく別ものでも、いちおう愛しているフリくらいはしてくれた。



 でも、竹千代は……。



「おやめください」


 つぶれたまんじゅうを口元に運ぶ手を、三十郎がつかんだ。


「竹千代君も本当に食べさせるおつもりなどございませぬ。ただ、お気に入りの小姓を害されましたゆえ、すこし意趣がえしをなさっただけにございます。さようなものをお口になさいますな」


 青年は意外にもやさしい声音でそう制した。


「いや、いいのだ」


 言うが早いか、つかまれていない方の手で新しいまんじゅうを取り、一気に口に押しこむ。


「国松さま!」


 愕然とする三十郎を振り払い、グチャグチャになった手でまたひとつつかみ、口に入れる。


「おやめください! ひとつでもひどい腹痛を起こしたのです! そんなに食べては、お命にかかわります!」


「やめろ、国松! もうよい!」


 上座の兄貴も焦ったような声をあげる。


「馳走、かたじけのうございまする」


 いいんだ。


 これでいいんだ。


 きっと竹千代あんたは、国松おれが生まれて以来、ずっとこんな目に遭ってきたんだろう?

 

 おまえは全然悪くないのに、勝手にランクづけされて、疎んじられて……。

 

 だったら、せめておまえの中の鬱屈が晴れるよう、母親あいつが愛しているこの体を痛めつけてやろう。

 

 溺愛している国松おれが自分の毒まんじゅうで苦しめば、あいつも自分がなにをしたか、わかるはずだ。

 

 そうすれば、竹千代あんたの長年の痛みもすこしは緩和されるだろう。



「もうよいと申したであろうが!」


 つかんだまんじゅうが兄貴によってたたき落とされる。


 涙目で見上げた蒼白の顔は、いつも以上にブサイクだった。




 


 

 

 


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