第5話 確執


「……まんじゅう……?」


 三十郎に先導されて、これまで一度も来たことのない兄の居室に通されたおれは、目の前に出されたものを見て首をかしげた。


『めずらしい菓子が手に入ったので、弟にもふるまってやりたい』


 三十郎はたしかそう言ったはずだ。


 だが、そこにあるのは、なんの変哲もないふつうのまんじゅう。

 

 ふつうと違っているとしたら、乗っている器が見るからに高価そうな金蒔絵の高杯ということくらいだろう。


 金粉がちりばめられた漆黒の中に、金の鶴と銀の亀が乱舞する高い足つきの食器。

 それに、もっさりした黒いまんじゅうがうず高く積まれているさまはシュールですらある。


「まんじゅうはきらいか?」


 まんじゅうをガン見していたおれは、その声で我に返った。


 視線を上座に転じると、兄貴と小姓とおぼしき数人の青少年たちが、なぜか表情をこわばらせておれをにらんでいる。


「いえ、きらいではございませぬが……」


「そのまんじゅうは、先刻、御台さまから竹千代君にと届けられたものにございます」


 そう説明する三十郎は、おれのななめ後方に控えている。


「母上が兄上に?」


「そうだ。めずらしいだろう? あの母上が私に菓子をくれるなど」


 竹千代はそのブサイクな顔をゆがめ、突き放すような口調で告げた。


(ああ、なるほど)


『めずらしい』とは、そういう意味か?


「なれど……」

 

 兄貴の目に剣呑な光が増す。


「毒見をした小姓が、食した直後から腹痛を訴え、ずっと厠にこもりきりになっている。ははは、なんともめずらしい菓子ではないか?」


「腹痛を!?」


 う、うそだろう?


 それはつまり……。


「腹を下したのが、竹千代君が一番かわいがっておられる小姓でして……」


 背後の解説者が追加情報を提供してくれた。


「好物ならば、好きなだけ食せ。なんなら、すべて持ち帰り、そなたの近習らにもくれてやるといい」


「あ、兄上……」


 前方の主従から怒りのこもった吹雪ブリザードがたたきつけられる。

 

 座敷ここに通されるとき、おれの小姓たちはみなその手前で止められたので、おれの周囲に味方はいない。まさに四面楚歌状態だ。


 全員からハンパない敵意をむけられ、体が震えはじめる。


「どうした、なぜ手を出さぬ?」


 するどいまなざしが、心を射抜く。


「ああ、そうか……三十郎!」


「はっ」


「国松は遠慮しているようだ。おまえが取ってやれ」


「はっ」


 おれの横をすり抜けた小姓は、おれの手を取って、それを置いた。


「…………」


 周囲の視線に耐え切れず、渡された菓子を凝視する。



 ――こんなことが……――



 まんじゅうを包む手に熱いしずくがこぼれる。



 ――実の親子なのに――



 なぜ……だ?



 思わず上げた目線の先にいるガキは、国松おれの二才年上の兄。

 だから、いま数え年十二才、満年齢なら十か十一。

 でも、最初にこいつを見たとき、八、九才くらいにしか見えなかった。


 聞くところによると、家光は生来病弱だったという。

 そのせいか食も細く、乳母のお福はすこしでも多く食べてくれるよう、毎食いろいろ工夫をこらした。

 その一例が、青菜を炊き込んだ菜飯や赤飯、麦飯、粟飯など七種類のごはん――七色飯なないろめしだ。 

 お福の懸命のサポートで、虚弱な竹千代も徐々に健康になっていったようだが、数歳下に見えるほど体が小さいのは、やはりいまだに弱いのだろう。


 なのに……。


 もともと丈夫ではない子どもが、いくら毒ではないといえ、異物入りのまんじゅうを食べたら、どうなる?


 小姓は身の回りの世話をするだけでなく身辺警護もするから、頑健な少年が選ばれる。

 そんな子でもトイレにこもりきりになるほど毒性の強いものを、体の弱い子どもが食べたら?


 ヘタをしたら、死ぬことだってあるんじゃないか?


 実母があたえた毒まんじゅうで、命を落とすことだって……。




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