第十二話 『牢獄』

 

「……歩け」

「僕の目が見えないのは知ってるだろ? 手錠くらい引いて欲しいな」

 車から降ろされた僕は、特に乱暴をされるわけでも無く『本邸』に案内された。嗅ぎ慣れた庭園の匂いと、足裏から伝わる歩き慣れた道が教えてくれる。

 それに、この事態を引き起こした人物から容易に想像出来た。


 ーー天火テンカ姉さん。昔から憎悪を向けるあの人に、幼い僕は何をしたのだろう。


「ねぇ、嵐兄が無事なのか先に証明してくれない?」

「……我々にその権限は与えられていない。全てを決めるのは彼の方だ」

「そっか。それならしょうがないね」

 前方、後方、両脇、更には少し離れた位置に、死角を失くす為の人員を配置されている。


(やっぱり隙は無いな。両脇の二人を倒した時点でまた薬を撃ち込まれて終わりだ)

 昔から僕には麻酔薬は聞き辛い。先程の薬ももう効果は切れて、四肢の感覚はしっかりとしていた。


 邸宅内に入ると、思った通り地下へと連れて行かれる。かつて拷問を受けた牢があの人ソウカのお気に入りだからだ。


「相変わらず、ここは血の臭いが充満してて不快だよ」

「……黙って来い」

 気温が下がっているわけでは無いのに、地下だからかここは酷く寒い。でも昔とは違って嫌な記憶が蘇りそうになると、天音の温もりをより思い出せて耐えられる気がした。


 ーーガシャンッ! カチャカチャッ!

 四肢を拘束された途端、自分でも驚く程に何故か苛立ちが募る。


(そうか……思っていた以上に、僕は姉さんが嫌いだったんだな……)

 穏やかな夜を重ねる内に、僕は和らいでいたんだ。そして、癒されていた。


(うん。やっぱり僕は天音が好きだ。次に無事会えたら、絶対告白しよう!)

 不思議と笑みが溢れる。鏡がなくてもきっと今の自分は良い顔をしてる筈だ。


 血生臭い空間、錆びた鉄の臭い。手入れもされていないであろう石の床壁。全てが不快だと感じる事態で、改めて彼女アマネを想えた。


「今日も幸せ……かな?」

「お前は、こんな所でも笑える男に成長していたのか」

「ーーーーえっ⁉︎」

 ふと呟かれた一言に、身体が一瞬硬直した。聞き慣れた声。でも、絶対に『こんな所』で聞く筈の無い声だ。


「う、嘘だろ? まさか……父さん?」

「……久しいな天理。ここ数年は天音に世話を任せていたのに、よくぞ声だけで我だと分かったな」

「そ、そんな、事が、聞きたいんじゃ無いってば! 何でこんな所にいるんだよ! まさか父さんがこんな事を企んだのか⁉︎」

 心臓がバクバクと音を立てて早まっている。喉元がひりつくように苦しい。泣きたい訳じゃ無いのに、目頭が熱くなるのを感じた。


 ーー違う。そう、頭では分かってる。


「天理、お前は聡い子だ。もう答えは出ているのだろう? 我を憎む気持ちは理解しているが、冷静に状況を判断せよ」

「……父さんも捕まってるんだね。でも、一体何でこんな事になってるんだよ! 双火姉さんがわざわざ父さんと僕を会わせる様に計らう訳がない!」

 冷静にと言われても、正直頭の中がグチャグチャだった。一度だけ強く後頭部を壁に打ち付けてみたけど、全然頭は冷えない。


双火ソウカか……覚えておけ天理。この世界において一番恐ろしいのは『武』では無く『智』に長けた者だ。双火は所詮『財』に長けた者でしか無いのだ」

「それって、滅びた御三家の象徴じゃないか」

「ほう? 幼い頃に聞かせただけなのに良く覚えていたな」

「……父さんが僕を寝かしつける前に聞かせてくれた貴重な記憶だからね。本当に……貴重過ぎて忘れられなかっただけさ」

 正確にはそれ以外の記憶が無い。愛情も無く、僕に接する父は冷酷で、冷淡で、冷徹で、せめて威厳があるのだと思う様にして生きてきたのだから。


「そうか……他の記憶は全て消してしまったのだから致し方あるまいな。これでも『桃太郎』や、『猿蟹合戦』などの童話を読み聞かせた事もあったのだぞ?」

「ーーえっ?」

「そんな中でも、天理は何故か『鬼』が出てくる話を好んでいてな。幼いながら主人公よりも応援していたよ」

「嘘だ……そんなの嘘だ……僕にそんな記憶は……無い」

 ガンガンとハンマーで殴られている様に頭が痛い。ーーそう、これは間違いなく『痛み』だ。

 痛覚が欠損していると思っていたのに、ハッキリと感じ取れる。


(ダメだ。これ以上聞くなって、何かが僕に告げてる。ダメだ、ダメなのに……)


「天理、我が息子よ。これが『最後』になるかもしれない。『智』が動き出した以上、お前はもう安寧の日々へは帰れないだろう。だからこそ聞かせよう。雨竜家の『真実』を」

「はぁっ、はぁっ、はあぁっ、嫌、だ……痛い痛いいいいい〜〜!!」

「その痛みこそ、我と天音のかけた呪縛だ。堪えよ」

 頭を抱えながら痛みに堪えていたその時、一瞬だけ記憶がフラッシュバックした。


『もう! これ以上料理の味見をさせられたら、太っちゃうってばぁ〜!!』

『だって天音の料理が美味しいから、しょうがないじゃないかぁ〜!』

『あははっ! 今日は中華だよ、責任とって美味しく食べてね?』

『勿論さ! 僕は今日も幸せだね!』

『えぇ、こんな時がいつまでもーー』

 ーーパキイィィィィィィィン!!

 痛みが戻ると同時に、天音アマネと過ごした穏やかな日常の記憶。その一部が弾ける様に割れて、壊れて、薄れて、消失した。どうしようもなく、抗う事さえ出来ない喪失感が襲う。


「…………」

 無言のまま脱力し、呆然と俯く僕へ『雨竜政宗』は重苦しい『真実』を語り掛けた。

 それは、聞きたくなかった雨竜家の『闇』そのものだ。


 ーーねぇ、父さん。時間を巻き戻せるのなら、僕はやっぱりそんな真実は知りたく無かったよ。

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