第三話 『痛覚』

 

 最近になって自覚したのだけれど、僕にはどうやら『痛覚』が欠落している様だ。

 僕が通っているのはごく普通の公立高校なのだけど、やはり人は自分と違うものを認められず、弱者を甚振る。


 天音と唯一離れる場所、男子トイレでは他の生徒から日常的に腹を殴られた。毎回思うが、この人達は暇なのだろうか。

 隙を見てはちょっかいを出してくるし、その理由が下らない。


「いつも天音さんに守られて恥ずかしくねぇのか? 落ちこぼれらしく泣いて謝れよ」

「…………」

 こんな時、無言を貫く様にしている。こう言う輩は反論すれば逆上するし、自分の正当性を主張するだけで分かり合う事は出来ないからだ。


 でも、水を掛けられるのだけは勘弁して欲しい。補聴器は高額なので、壊れた際に家の関係者から文句を言われるのが面倒臭いしね。

 雨竜家にとっては、はした金であろうが『欠陥品」である僕には使う金は無駄でしかないと、実の姉に言われた事がある。


 実際その通りかもしれないと、自分自身で納得してしまったのだからしょうがない。

 僕は天音がいないと、まともに校舎内すら歩けないのだから。


 不良、ーーと呼んで良いのかわからないが、顔も知らないこの人達も計算している。顔を殴れば目立ち、問題になるかもしれないから、見え辛い場所のみを狙うのだ。


「ハハッ! ちょっとは抵抗するか、呻き声位上げて見せろよ!」

「…………」

 それは無理だろう。先程から幾ら腹を殴られても、痛くないのだから。唾液を吐き出して苦しそうにうずくまれば、満足するのかな。


 ーーうん、そろそろ良いだろう。


「天音が心配する。もう勘弁して下さい」

「……チッ! 本当にお前生きてるのかよ。気に食わないぜ!」

 舌打ちしながら生徒達が離れて行くのを感じた。僕は埃を払い、何事も無かったかの様に教室に戻る。


「随分長かったけど、お腹でも壊してるの?」

「ううん。ちょっとトイレが混雑していただけだよ」

 嘘を吐いているけれど、きっと天音には全部バレているんだろうな。僕は盲目の為、制服の汚れを全て落とす事は出来ない。


 ほんの少しの解れから、彼女は全てを理解してしまうんだろう。時に母の様に、時に姉の様に、時に得体の知れない化け物と、対峙している様に感じさせる存在。

 今もそうだ。

 声色は至って平静を装っているが、僕には分かる。


 ーー彼女が激情を押し殺している事に。教室が静まり返っているのはきっとそのせいだろう、と。


「天音、落ち着いて? 他の生徒が驚いているんじゃないかな?」

「……えぇ。もう大丈夫よ」

 肩口から触れている体温が少し下がった。まだ熱くなっている節があるけれど、これなら先程僕に暴行を働いていた連中を心配する必要は無いだろう。


「帰りに美味しいものを食べていこうか!」

「どうせ私に味見させて、家で作らせるんでしょう? 最近体重がやばいのにぃ〜!」

「そう言えばさっき、天音の噂話を聞いたよ。僕は見えないけど、容姿が綺麗だって女子生徒が見惚れてる様に思えたかな」

「……知らない人に褒められても、嬉しくないわよ」

「ん? 僕は嬉しかったけどね」

「〜〜〜〜ッ⁉︎」

 おや、一気に体温が上昇したなぁ。天音のこういう分かりやすい所は、凄く好ましい。


 僕の体は、色々イビツだ。

 でも、感情や精神は至って普通の男だと思っている。


「うん、今日も幸せだね」

 この時の僕は知らなかった。幸福が崩れ去り、世界が闇に染まるのにかかる時間は、ほんの数秒で事足りるのだという事に。

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