第24話:最低なのよ、私は……
元々、小春の夢もこの旅館を手伝う事だった。
なので、旅館に関わる仕事に就くこと自体は嫌ではなかった。
「ただ、私が女将になるとは思ってなかったわけで」
「気持ちの整理が追い付かない?」
「ですね。まだお姉ちゃんのようにはいきません」
「……旅館の女将さんって思ってるよりも大変そう」
「はい。私も修行の身ですけど、正直、かなり大変です」
まだ中学生の彼女はやりたいことも多いはずだ。
気持ちの切り替えすらもできていない。
だけど、周囲は待ってくれない。
いろいろなものを彼女に押し付けて背負わせようとする。
それに応えようと懸命な小春だが、中々にうまくいかないのが現状だった。
「沙羅ちゃんは何をしているの?」
「自分にできる範囲で手伝ってはくれていますよ」
「そっかぁ」
夢と現実。
どんなに仕事をやりたくても、身体がついてこなくては何もできない。
それが彼女の心の辛さだとしみじみと思い知る。
「お姉ちゃんなりに旅館に関わりたくて、事務作業とかしてたりするんです。さっきも何かパソコンで作業をしていました」
「……どんな形でも好きな事に関わっていたい、沙羅ちゃんの本心なのかもね」
「そうだと思います。姉は一途な人ですから」
やがて、旅館の奥の部屋にはいることに。
心春の言う通り、パソコンに向かう沙羅の姿があった。
「心春? 貴方、お母さんの言う通り、ちゃんと女将修行を……」
「お姉ちゃんに会いたいって人を連れてきたよ」
「え? 嘘……朝陽?」
驚いた顔をして見せる沙羅。
昨日の今日でここまで来るとは思わなかったんだろう。
「どうして、朝陽が?」
「沙羅ちゃんと話がしたくて来ました」
「……私、もう二度と会いたくないって言ったわよね?」
明確な拒絶。
グサッと突き刺さる言葉に心がズキズキと痛い。
――で、でも、今日は傷ついてでも前へと進むと決意した。
ダメな朝陽でも本気モード、やる時はやります。
「案内してくれてありがとう、心春ちゃん」
「いえ、頑張ってください。ねぇ、お姉ちゃん、せっかく友達が来てくれたんだから仲良くしてあげて……大事な親友なんでしょう?」
「貴方には関係のない事よ、心春。さっさとお母さんに教わってきなさい」
「はーい。女将修行、頑張ってきます」
心春ちゃんは朝陽にもう一度、目配せをしてから部屋を去っていく。
「可愛い子だね。将来の女将さん候補だって」
「この旅館の存続のためにはあの子を頼る事しかできない。ホントは別にやりたいこともあったでしょうに。それを無理やりまげて、押し付けてしまう形になったわ」
誰かが跡を継がないとこの旅館が廃れてしまう。
それを妹へ押し付けた事の心苦しさを沙羅は痛切に感じている。
パソコン作業の手を止めて、彼女は朝陽と向き合う。
親友の瞳が真っ直ぐ朝陽を見つめてる。
「朝陽。なぜ、ここに来たの?」
「沙羅ちゃんに会いに来ました」
「私が貴方にどんな言葉をぶつけたか、忘れたわけではないのでしょう?」
「うん。辛かった。泣いちゃいました」
「それなのに、なぜ――?」
「話がしたかったからだよ。ちゃんとお互いの想いをぶつけ合いたくて来たの」
逃げない、逃げたくない。
例え、心に痛みを伴うことだとしても。
ちゃんと本気でぶつかり合わなきゃ、分かり合えない事もあるのだから――。
旅館の中庭は落ち着いた雰囲気の日本庭園だ。
こんなに広くて綺麗なお庭は大和家の本家でも見られない。
中庭の方へ移動したふたりは縁側に座る。
「綺麗な中庭だね」
池に泳ぐ鯉の姿を間近で見られる。
綺麗な模様の鯉たちに「可愛い」と朝陽は笑う。
「この村もいろいろと見て回ったの。子供の頃に来たときは違う。山道とかすぐに迷っちゃうし。皆の後をついっていってただけの記憶じゃダメだね」
さっきもこの旅館に来るまでに迷子になったとは言えない。
知らないことだらけで発見も多い。
この数日でずいぶんと気持ち的に楽しめている。
「子供の頃に見た景色と大人になってから見る景色って違うよね」
「……モノの感じ方とか違うからでしょう」
「昔と違うことが多くてびっくり。でもね、一番変わったのは皆との距離かな」
すっかりと離れてしまったことが寂しい。
――それが大人になるって事かもしれない。
子供の頃のようには誰もがいられない。
それを“成長”と呼ぶには寂しくて。
「……朝陽」
「しょうがない。だって六年も経ってるんだし、皆だって大人だもん」
朝陽が皆と会わなかった時間が彼女達の距離感そのもの。
「六年ぶりの再会です。ホントはもっと皆と仲良くなれるって思ってたけど、甘かったなぁ。私、甘々でした。ホントダメな子です」
「……」
沙羅は何か言いたそうだけど何も言わない。
杖を握る手がわずかに震えているように見えた。
「私、これから先の夢もなく目標もない。どうしようか悩んでいる最中なの。そんな時、これを見つけて。懐かしくて皆に会いに来たんだ」
彼女が沙羅に見せたのは彼女からもらったブレスレット。
それを見た瞬間に表情ひどく曇る。
「それは……?」
「昔、沙羅ちゃんからもらったものだよ」
これを見つけなかったら、またこの村に来たいとは思わなかったかもしれない。
朝陽達を再会させてくれた思い出の品。
お揃いのブレスレットを彼女はまだ持っているのか。
「やめて。やめてよ、そんなものを見せないで」
相変わらずの拒絶反応。
彼女にとって過去を思い出させるものはNGだ。
「沙羅ちゃんは昔の記憶を思い出したくないって言った。長年会いに来なかった私には沙羅ちゃんの気持ちが分からないって……」
事故にあってからのリハビリの日々は相当に辛く困難なものだったはず。
そんな目に会っていた事さえ、朝陽は何も知らずにいた。
「あの楽しかった日々を忘れてなかったことにしたいって思ってしまうまでに、昔のことを嫌いになっちゃった沙羅ちゃんの気持ちは私には分からない」
過去を思い出すと言う事は、元気だった頃の自分も思い出すと言うこと。
将来は旅館の女将になりたかったと言う夢を抱いていたり。
大好きな男の子と交際して楽しい日々を過ごしていたり。
毎日のようにグラウンドを走り、陸上部で汗を流していた。
そんな日々を思い出すのは、何もできなくなった彼女には辛さや悔しさでしかない。
当たり前のことが当たり前ではなくなった。
それだけ心を痛めて、ふさぎ込んでしまう彼女の気持ちは痛いほどに伝わってくる。
「……弥子ちゃんから聞いたよ。リハビリを続ければ、生活には支障のない程度までに回復する見込みがあるんだって。でも、大好きだった走ることはもうできない」
「日常生活に支障のない範囲って言うまでに、あとどれだけ苦しい思いをすればいいと思う? 今ですら、家族に迷惑をかけてばかりいて。ずっと苦しいままなのに」
憎々しく彼女は自分の足を見つめていた。
杖を突かなくては満足に歩けず、リハビリは辛く大変な思いを続けている。
精神を擦り減らせて、終わりの見えない現実と向き合うことの辛さ。
想像することすら朝陽にはできなかった。
「リハビリって簡単に言うけど、魔法じゃないの。すぐによくなるわけじゃない。諦めた方が楽になれる想いをして、ようやく一歩を踏み出せるの」
悲痛な表情を浮かべながら沙羅は叫ぶ。
「こんな辛い思いをどうして私がしなくちゃいけないの」
「……そうだね」
「あとどれだけ続ければいいの。先の見えない不安に駆られて、周囲に当たり散らす事しかできない惨めな自分が恥ずかしい。最低なのよ、私は……」
心が折れる思いを何度も経て、彼女はこんなにも疲れて果てている。
朝陽の顔を見たくない。
そう言ったのは、今の自分を見られたくなかったからだ。
「……沙羅ちゃん」
そこにはあの頃の優しいお姉ちゃんとしての彼女の面影はなく。
苦悩と悲しみに暮れる、二歳年上の女の人の姿だった――。
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