第25話:もう一度、友達を始めよう



 少女は叫ぶことしかできない。

 どうしようもない現実に、苦しいだけの世界に。

 大好きだった親友にさえ罵倒してしまう自分自身が情けなくて。


「私は、貴方に会いたくなかった。こんな恥ずかしい姿を見せたくなかった!」

「恥ずかしくなんてないよ。沙羅ちゃんは私にとって――」


 その言葉を続ける前に、彼女は朝陽の手にあるブレスレットを奪い取る。


「こんなものを持ってこないで。もうあの頃の私には戻れないんだからっ」

「そんなことないよ」

「私は朝陽の憧れてくれる瞳が好きだった。姉のように慕ってくれる。お姉ちゃんのように振舞えることが好きだった」


 それは沙羅の本音。

 妹のように可愛がっていた朝陽との再会。

 それは彼女の心を震えさせていた。


「惨めな私の姿を見せたくなかった。もう私は貴方の憧れになれない――」


 朝陽が妹的存在である事を望むように。

 彼女もまた姉的存在である事を望んでいた。

 彼女達の関係は、姉妹のような繋がりのあるようなものだったから。


「私達はもう友達なんかじゃないっ!」


 彼女は思いっきりブレスレットを宙に放り投げた。


――な、ナンデスト!?


 さすがに予想外の行動に朝陽は唖然とする。

 投げられて、弧を描くように、ゆっくりと池の中へと落ちる。


「きゃーっ。えー、放り投げた!?」

「……っ……」

「ひどいっ。この冷たい池に放り投げなくてもいいじゃない!」


 大事なものなのに、鯉のエサのように扱われるとショックだ。

 

「そんなものを食べちゃ鯉さんが死んじゃいます」


 そういう問題ではなかったが、つい出た言葉がそれだった。


「こ、こうでもしないと朝陽は私を嫌いになれないでしょう」

「こんなことされても、嫌いになんてなれませんっ!」

「えっ……」


 朝陽の声に驚く彼女は「何を言って」と逆に戸惑う。

 嫌われたいと思ってわざとこんな真似をしたんだろう。

 

――でも、残念……今日の私はいろんな意味で傷つく覚悟を決めてるんです。


 覚悟がなければここには来ていない。

 朝陽はすぐさまお財布と携帯電話だけ庭の端に置いて、


「ていっ」


 勢いよく池の中に飛び込んだ。


「あ、朝陽!?」


 さすがに沙羅も驚いて「やめなさいっ」と叫んだ。

 水の深さは膝程度だけど、まだまだ春先。

 その水温は低く、朝陽は思わず「冷たっ!?」と叫んでしまう。


「うぅ、冷たいし、どこにあるか分からないし」


 朝陽が動くと水面に波紋が広がり、鯉が慌てて逃げ去っていく。

 

――鯉さん、突然お邪魔してごめんね。


 鯉に謝罪しながら池の中に手を突っ込んで探す。


「朝陽っ。貴方、何をしてるのっ」


 彼女が呼びかける声も無視した。

 ブレスレットを放り込まれた場所を目指す。

 服が水に濡れて冷たい。

 池の底に沈んだものは簡単には見つからず苦戦する。


「まだ春先とはいえ、こんな真似をしたら風邪をひいてしまうわ」

「それでも、あれは大事なものだから」

「もうやめてっ。あんなオモチャの何が大切だっていうのよ!」


 確かに子供の作ったオモチャ程度のアクセサリーかもしれない。


「アレをくれた時に沙羅ちゃんが言ってくれた言葉を覚えてる?」


 けれど、あれに込められた想いは安物なんかじゃない。


「沙羅ちゃんは『これは友達の証だから。私達は親友だよ』って言ってくれた」

「――ッ」


 それがとても嬉しくて、その日は寝るまでつけていた事を覚えている。


「親友。その言葉を人生で初めて言ってくれたのが沙羅ちゃんなんだ」

「それは……」


 朝陽は冷たい水をかきわけてブレスレットを探す。

 

――うぅ、足元が超寒いんですけど……。


 水に濡れる手もかじかんで、指先がすごく痛い。

 

「私、地元の方でもずっと友達が少なくて、親友なんて呼べる子がいなかったの」

「え? 朝陽が?」

「甘えたがりだけど、友達付き合いが下手だったから。高校の時もお昼ごはんはいつもひとりで寂しがったなぁ。ぼっち飯の常連でした」


 親や姉にも面倒をかけてしまうこんなダメな性格だ。

 中学はまだしも、高校デビューに失敗して、友達の輪にも入れず。

 ずるずると誰かと親しくなることもできずにいた。

 友達と呼べる相手はごくわずかな学校生活を送っていた日々――。


「でも、そんな私にも昔はちゃんと親友がいたんだって事実は大切な思い出として、心の支えみたいなものだったんだよ」


 人は一人じゃ寂しいから、誰かと親しくなりたいと思うもの。

 些細な話すらできない。

 友達がいない日々は、想像よりも辛いものだった。


「ごめんね、沙羅ちゃん。ずっと大変で苦しかったでしょう。辛い時に傍にいてあげられなくて。多分、愚痴とか言いたい事とかたくさんあったはずなのに、苦しい想いを共感してあげることとか全然できなくてごめんなさい」

「私は同情されたいわけじゃない」

「うん。親友だから、分かり合いたかっただけ。想いを知りたかっただけ」


 少しでいいから力になりたかった。


「そうしなかったのは私のせいだ。中学に入って、疎遠気味になりかけた時に、それでも会いに行こうとしなかった。私のせいだよ」


 彼女の表情が曇り、「違う、朝陽が悪いんじゃない」と小さく呟いた。

 成長と共に、この田舎の村には足を運ばなくなった。

 大切な友達がいたのに、会わないでもいいと心のどこかで思ってしまった。

 そうしたら、もう戻れなくて。

 今みたいに心の距離が開いた。


「私がバカでした。親友なのにごめんなさい」

「やめて、謝らないで。朝陽が悪いわけじゃない。普通はそういうものでしょ」

「だけど、友達失格だよね? これじゃ親友なんて呼べるわけない。それなのに、数年経ったら何くわない顔で現れて、友達面されたら沙羅ちゃんだって怒るよ」


 自分が辛い時に支えてくれない友達の何が友達なのか。


「友達って言うのは、繋がりあう絆を共有するものでしょう」


 楽しい時も苦しい時も一緒にいて、想いを分かち合う存在でありたい。

 朝陽がそうして欲しいから、相手にもそうしてあげたいと思う。


「……そう言う意味では、私は友達じゃなかったんだ」


 キラッと水面が光るので朝陽は慌てて近づくとようやくブレスレットを発見する。


「見つけたっ。えへへ、よかったぁ」


 冷たい水の中から取り出したブレスレット。

 無事、また朝陽の元に戻ってきてよかった。

 彼女はそれを腕に着けて、彼女に微笑みかける。


「ねぇ、沙羅ちゃん。だからね、私達、もう一度友達になりませんか?」


 沙羅にありったけの想いを伝える。


「大好きだから。もっと一緒にいたいから……友達になって欲しい」


 再び、彼女に近づいて手を差し出した。


「今度は、辛い時には一緒に泣いてあげられるように。楽しい時には笑ってあげられるように。繋がりのある関係でいたいんです」


 その言葉に彼女は静かに俯いた。


「沙羅ちゃん?」

「……ホント、朝陽は優しい子。昔から変わらない」

「そんなことないよ? 世間的にはダメな子扱いされてます」

「ダメな子なんて言わないで。貴方らしくて、とても純粋な想いを持った素敵な子だもの。私が無くしたモノを貴方は今も持ってる」


 沙羅がそっと朝陽の手を取ると、


「手が冷たいわ」

「地味にかなり冷たい思いをしました。へくちゅっ」

「……ごめんなさい。できもしないことをしようとした、私のせいだわ」


 彼女はそのまま朝陽を抱きしめて来る。

 それは小さな頃と同じように、朝陽を包み込んでくれる優しい温もり。


「できもしないこと?」

「貴方に嫌われるなんて、初めから無理だったのにね。大好きな朝陽に嫌われる事なんてできなかった。嫌いになんてなりたくなかった」


 遠回りして、でも、また近づいて。

 朝陽達の関係は再び、友達に戻る。


「ごめん……うっ、ぁっ……ひっく、朝陽……」


 静かに涙を零す沙羅を朝陽も強く抱きしめる。

 辛い時に人は涙を流すけど、嬉しい時にだって涙は流れるものだから。

 彼女の流す涙を受け止めるように傍にい続ける。


「うぅっ、ぇっ……」


 嗚咽を漏らす親友。

 よしよしと朝陽はなだめながら、


「ねぇ、沙羅ちゃん。もう一度、友達を始めよう」


 ただのお友達ではなくて、親友になるために。

 何が必要なのかをお互いに分かり合ったから。


「今度こそ、お互いを絆で繋げ合う“親友”になろうね――」


 沙羅は静かに頷いて答えたのだった――。

 

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