第16話:これ以上、私に関わらないで!

 

 ひとりぼっちの沙羅に朝陽は恐る恐る声をかけた。

 

「あ、あの……沙羅ちゃん」

「朝陽」


 小さな声で朝陽の名前を呼ぶ。

 彼女はこちらに振り返ると、何とも言えない表情をして見せた。

 

――どうして、そんな顔をするの。あの明るい笑顔はどこに行っちゃったの?


 原因がその怪我をした足だと言う事は分かってる。

 大好きな彼女から笑顔を奪ってしまった。


「……事故にあったんでしょ。弥子ちゃんから聞いたよ」


 小川のせせらぎが聞こえるだけの静けさ。

 お互いに何と話し合えばいいのかも分からない。


「こんな杖がなければ、満足に自分の足も歩けなくなったわ」


 杖を携えて、寂しそうな口調で告げる。


「無様な姿を朝陽には見られたくなかった」

「……無様だなんて思ってないよ」

「自分ひとりじゃ満足に生活もできないのに? 誰かの助けがなければ、生きていくのにも大変なのに? これを無様と言わずになんというの」


 自虐する彼女の辛辣な表情。

 足を怪我して、不自由な生活を強いられて。

 ずっとつらい思いをし続けていたに違いない。

 

――そんな彼女に私なんかが、どう言葉をかけられるの?


 言葉が見つからない、まさにその表現が合う。


「家族に迷惑かけて、夢も無くして。何の意味もない人生を送り続けてる」

「そんなことないよ」

「朝陽には私の気持ちなんて分からない」


 何年も会いに来なかった。

 連絡すらも取ってこなかった。

 皆、普通に成長して大人になっているのだと勝手に思い込んで。

 朝陽は親友がこんな風になっている事を知らずにいた事を恥じる。


「……ごめんね。ずっと会いに来なくて」


 かける言葉が見つからないまま、うつむいてしまう。


「会いに来なくてくれてよかった。できれば、ずっと」

「え?」


 それは、彼女の漏らした本音――。


「だって、朝陽の記憶の中にいる私は元気に走り回るのが好きな女の子のままでいて欲しかった。こんな風に歩くことさえ満足にできない姿に変えて欲しくなかった」


 朝陽の中での沙羅は明るく元気で走るのが好きな女の子。

 ずっとそんな彼女の事が記憶に残り続けていたのに。

 

「もう来ないで。帰って」


 明確な拒絶に朝陽は言葉が浮かばない。


「いやだよ」


 ただ、このまま終わりたくない。

 何も話さず、想いを伝えられないままじゃいられない。

 その気持ちだけが支配していた。

 

「こんな形で再会なんてしたくなかったんだもん」


 この村に来たのは、こんな喧嘩のような形の再会をしたかったわけじゃなくて。

 もっと、皆とお互いの成長を喜べるような。

 そんな普通の再会だったはずなのに。

 

「朝陽には、私の気持ちなんて分かるわけがない」


 思い描いていた再会とはまるで違う現実の厳しさ。


「分からないけど。でも、それでも」

「……いい加減にしてっ!」

「沙羅ちゃん?」

「もうやめてよっ! 朝陽の顔を見てると昔を思い出すのよ」


 声を荒げる沙羅の表情。

 苦しそうで、悲しそうで。

 怒りに似た、悲しみの表情だった。


「これ以上、昔を思い出したくない。過去なんて消してしまいたい」

「そんなこと言わないで。昔の沙羅ちゃんなら――」

「たった夏休みにしか会いに来ない人間に私の何が分かるって言うの!」


 朝陽は本当にバカだと思う。


「私のこと、何も知らないくせに。何もわからないくせに」


 六年間も会いに来なかった。

 それなのに友達気取りで、人の心に平気で踏み込もうとして。


「私がどれだけ苦しいか、アンタには分からないでしょ!」


 朝陽の身体をその弱々しい手で突き放す。

 こんなつらい表情をさせてしまったのは、朝陽だ。


「これ以上、私に関わらないで!」


 叫ぶ沙羅は苦しみ、もがいて、痛みに耐え続けている。


――私ってホントにどうしようもない、バカだ――。


 安易に心に触れようとした、その罪を知る。


「ごめんなさい」


 そう謝るのが精いっぱいで、朝陽はまた何もできず。

 彼女は何か言いたそうな顔をしたまま。

 立ち去るのを見届けることしかできなかった。


「……沙羅ちゃん」


 今の朝陽には彼女に同情する事はできても、気持ちの共感まではできていない。

 辛い想いをして、苦しい体験をしてきたはず。

 友達と言うのなら、朝陽に何ができるんだろう。

 

――過去を消したい、私に会いたくないって彼女は言った。


 それはあの頃の輝いてた日々を思い出すのがとても辛いからだ。

 自由に走り回っていた頃。

 何ひとつ、取り戻せないのを痛感させられる。


「――おい、お嬢。ボーっとしてるな、川に落ちるぞ」


 朝陽の頭を軽く小突いた男の声に振り向くと緋色がそこにいた。


「緋色? どうして」

「朝の営業がひと段落ついたから散歩してたんだよ」


 ちょうどお店が一息ついたので休憩中。

 そこでたまたま朝陽達が喧嘩している所に出くわしたらしい。

 小川を眺めながら緋色はため息がちに、


「ったく、朝から何をやりやってるんだか。アイツには関わるなっての」

「沙羅ちゃん、怒らせちゃった」

「今のアイツは誰にでもああだって。俺達、幼馴染でもダメだった」

「皆ともああいう感じなんだ」

「距離置いて、自分から嫌われて。孤独のままでいたがるんだ」

「そんなの、本心じゃないに決まってる」


 朝陽は「お前がアイツの本心の何を知ってるんだ」と緋色に問われる。

 彼にとって何気なくいつもの悪態ついて言った台詞だったんだろうけど。


「……そうだよね。何も知らないよね」


 今の朝陽はナイフで傷つけられたように心が痛む。

 そう言われてしまうと、彼女の事を何も知らないのかもしれない。

 子供の頃の夏休みの間、一緒にいただけの朝陽では、過ごした年月が違うから。

 緋色たちに知らないことが分かるはずもなかった。


「お嬢?」

「私がここに来たのは、皆に会いたかった。ただ、それだけだったんだ」


 誰かを傷つけたかったわけじゃない。

 大学受験に失敗して、これから先どう生きていくかを考えられずにいた。


――気楽な気持ちで、自分探しの旅のはずだったのに。


 そんな現状から少しでも打破したいから。

 過去を振り返るように懐かしい友達に会いに来た。

 だけど、皆もそれぞれ事情を抱えて生きていた。

 朝陽が知らなかっただけで、悩み苦しんで。

 

「会いに来ちゃ、ダメだったのかな」


 自然と頬を伝う涙の粒。

 いつしか自然と涙が溢れだす。


「迷惑かけたかったわけじゃないのに。ぐすっ」


 誰かを傷つける真似をしたくて、こんな所にきたんじゃない。


「おいおい、泣くなよ。子供じゃないんだからさぁ」

「ひっく、うぅっ……」

「ったく、これだからお嬢は変わらないんだよな」


 緋色がふいに朝陽の頭をクシャッと撫でる。

 

「緋色?」

「悪い事は言わない。これ以上、傷つく前に帰れよ」

「いやだ」

「泣きながら言うセリフか」

「だって、帰りたくない。今のままじゃ、帰れない」


 何もなかったことにすることなんてできない。

 朝陽は緋色の腕にぎゅっと抱き付いて、


「うぅっ、ぁあっ……」


 ぽろぽろと涙をこぼす朝陽に彼は困った顔をするだけだった。

 この数日、色々と我慢していた感情が溢れだす。


「マジ泣きか。ガキが無駄に我慢しやがって……」

「ふぇーん」

「昔と変わらねぇよ、お嬢。俺をこうやって困らせる所とかさ」


 苦笑いしながらも、朝陽を突き放す事もなく。


「はぁ。面倒くせぇ。泣きやめよ、お子様」

「ぐすっ、えぐっ……うぅっ……」

「……お嬢に泣かれると、俺はどうすればいいか分からなくなるぜ」


 緋色はそのまま朝陽が泣き止むまで傍にいてくれたのだった。

 大切な友達に想いが届かなくて、それが悔しくて。

 どうすれば、この想いが届くのか。

 今の朝陽には分からなかったんだ――。

 

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