最終章:私が世界で一番愛しているのは猛クンよ
夏休みを前にして、猛と淡雪は優子に会っていた。
あの事件以来、会うのは久しぶりのことだった。
猛の家に招かれて、淡雪はリビングのソファーに座っていた。
「……以上が須藤家で先日話し合ったことだよ、母さん」
先日での須藤家での出来事を猛の口から母の優子に説明する。
猛のおかげで、須藤家は長年の負の呪縛から解き放たれた。
「俺としては須藤家とは一定の距離を保ちながら、仲良くやっていけたらと考えている。母さんにとっては複雑なんだろうけどさ」
「そう。私としてはあの家にはもう関わって欲しくはなかったのだけど、それが猛の決めた事なら貴方の意思を尊重するわ。いい方向に向かってよかったわね」
優子にとって、辛い経験をした須藤家の出来事は複雑な想いだ。
時間が解決してくれた、と言うのは聞こえがいいけども、あの日々の出来事が消えてなくなったわけではない。
苦い顔をする彼女に、淡雪は須藤家の人間として申し訳なさを感じてしまう。
「それで、淡雪と猛は兄妹の関係を受け入れたと思っていいのかしら?」
「最初はいろいろと悩んだけど、兄妹って関係に慣れてきたかな」
「友人として、私達が付き合っていく方法もあった思うわ。だけど、双子なんだもの。どうしても”赤の他人“にはなれなかった」
どんなに仲のいい関係でも友人は他人だ。
淡雪と彼は双子の兄妹なのだから、ありのままの現実を受け入れる。
これから先の長い人生。
淡雪達の関係の“交差点”がここだっただけのこと。
「猛クンは私のお兄ちゃんで、私は彼の妹。この事実と向き合う事に決めたの」
「……淡雪」
「まだ時間がかかるでしょうけどね。この事でお母さんには心配をかけちゃった」
「子供が母親の心配なんてしなくていいの。貴方達の幸せが私の幸せなんだから」
優子が淡雪を軽く抱きしめる。
どこかで誰かが言ってた台詞にそっくりだ。
「どうしたの、淡雪?」
思わず口元に笑みが浮かんでしまった。
「猛クンはお母さんの子供だなぁって思っただけ。性格がすごく似てるわよね」
彼の優しく穏やかな性格はよく似ている。
「そう言う淡雪は見た目が母さんにそっくりじゃないか」
「そうね。心は猛クンに、容姿は私に似てる。私達はお母さんと血の繋がった子供なんだって感じられる」
「そんな風に言ってもらえると母としては嬉しいものね。だって、自分の可愛い子供が似ている事に嬉しくないはずがないもの」
淡雪はそっと自分の茶髪を撫でた。
双子の子供達に受け継がれているモノ。
撫子にはマザコン扱いされるけども、やっぱり淡雪は母が大好きだ。
同じ髪色、そっくりと他人から言われる容姿。
大好きな母と一緒の姿である事が、淡雪と彼女の血縁関係を証明してくれている。
和やかに話をしながら淡雪はある話題をふった。
「ねぇ、実はお母さんに話していなかったことがひとつだけあるの」
「……話していなかったこと?」
不思議そうに彼女は小首を傾げる。
これは彼女にとっては衝撃を与える事実だ。
「私にはずっと前から好きな人がいたんだよ」
「それってもしかして、年上の先輩の話?」
「……先輩?」
猛は「誰?」と不思議そうな顔をしているけど淡雪はあえて何も言わない。
知らなくて当然だ。
彼のいない場所で淡雪が優子に話していたことだ。
「と言っても、お母さんは私がその人を好きだって気持ちに気づいてたよね」
「えぇ。貴方が何度か話してくれたわよね。素敵な先輩がいるって」
「そうだよ。その人のお話です」
その初恋の相手が誰なのか、優子はまだ知らない。
真実を告げる時が来た。
淡雪は彼の事を語り始める。
「その人の事が私は好きなんだ。大好き、どうしようもなく好き」
「素直に認めるんだ。どんな出会いだったの?」
「初めて会った時、私を助けてくれたんだ。私に彼は優しく手を差し伸べてくれた。だけど、私はその手を一度は振り払ってしまった」
初めてのきっかけは迷子になった少女の物語。
小さな子供の大冒険、迷子になった淡雪を猛が助けてくれた。
そんな彼らは運命の再会を果たす。
「二度目に会った時、私は彼に興味を抱いてたの。彼はどんな人なんだろう。性格は? 好きなものは? 気づけば、彼の事が知りたくなっていた」
「……恋に浮かれる淡雪は可愛かったわよ」
「うん。会うたびに、彼の事を知るたびに、私は恋心に悩まされてた。お母さんにはよくからかわれたよね。でも、本当に楽しかったの」
猛との純粋な恋愛に溺れていた時期を思い出す。
それはかけがえのない思い出の日々。
「恋の始まりは相手への興味なんだって。私の友達が言っていた」
「そうね。好意を持つと言う事は相手に関心がなければ始まらないものだもの」
「……好きになってしまったら、人って恋に溺れちゃうものなんだって。私は身をもって実感したわ。ホント恋心は人を惑わせる」
そんな淡雪の告白に、母は穏やかな口調で微笑む。
「淡雪は恋を覚えて表情が柔らかく豊かになったと思う。素敵な恋をしてるのね?」
「恋心に気づいてからは恋に焦がれて、幸せな日々を過ごしてるわ」
「いいことじゃない。やっぱり、恋愛って言うのは女の子を成長させるものだもの」
この笑みは初恋に浮かれる娘の成長を純粋に喜んでいるもの。
それを淡雪は次の台詞で裏切ることになる。
「ぜひ、お母さんにその人を紹介したいのよ」
「私も会ってみたいわ。だって、淡雪の初恋の人だもの。どんな先輩かしら?」
「うん。あのね、驚かないで聞いて。その人は今、貴方の目の前にいるの」
「……目の前に? ん?」
優子は淡雪が何を言ってるのかを理解してしていなかった。
理解できないのも当然だろう。
――ごめんね。ずっと先輩という架空の人物を想像していたはずだから。
だから、もっと分かりやすく言わなくてはいけない。
「――私の初恋の相手は大和猛クンなの。ずっと前から好きだった」
これが偽りのない真実。
愛娘からの衝撃の告白。
「え、えー!?」
優子は開いた口がふさがらず、放心状態になる。
同じく、ソファーから転げ落ちそうになる猛。
爆弾発言にあからさまに抗議の視線を向けてくる。
「ごめんなさい。お母さん。私は貴方にだけは嘘をつきたくないの」
だから、正直に話しておく。
「私の好きな人は猛クンよ」
「う、嘘でしょ?」
「兄妹だと知らずに、ずっと甘えて、頼りにしてきたの。高校に入学してから、彼に興味を持って近づいて、気づいたらもう手遅れるになるくらい大好きになってしまっていた。初恋に溺れてた」
思えばこの1年半の時間は長いようで短かった。
人を想うことで心が満たされて、時間の感覚なんてなくなってしまっていた。
「……淡雪と猛が恋愛関係?」
「恋人ごっこもしたわ。何度もデートを重ねて、思い出を作って……だからこそ、兄妹だって知った時はショックだった。いろんな感情が溢れだしてしまうくらいに」
「……あ、淡雪? 冗談よねぇ? 私はそう言う冗談は好きじゃなくて」
「ホントだよ。これが私と彼の間にあった秘密の関係。お母さんは私の相手を勝手に先輩だと思い込んでいたらから何も言わなかったけどね」
突然知った真実に慌てふためく優子は、何を言えばいいのか分からないようだ。
深いため息とともに顔を青ざめさせながら、
「せ、整理させて。つまり淡雪と猛が恋人ごっこをして、ラブラブだったわけ?」
「そうよ。知らずに愛し合ってしまったの。運命って怖いものね」
「いや、違うでしょ。さらっとそこで嘘をつくのはやめようよ、淡雪」
猛が必死に否定するので淡雪はちょっと苛立つ。
「私達がラブラブだったのは事実でしょ」
「一部は事実だけど、ラブラブって表現はどうかと思うんだ」
「デートや恋人繋ぎをしました。キスもしました。それでラブラブではないと言えるのかしら? 私達が愛し合ってた事を素直に認めましょうよ」
「や、やめて!? 親の前で生々しいことを赤裸々に語らないで!?」
優子の悲痛な叫び声。
聞きたくないと耳をふさいでしまう。
淡雪達は兄妹だと知らずに恋に落ちて、恋愛関係であった過去があるのは変わらない。
「双子の兄妹なんて知らなかったままだったら、私達どうなってたのかな」
「恐ろしいことを想像させないで。今、ものすごく後悔しているわ。貴方達の関係をなぜもっと早く公表しなかったのか」
「……それはそれで、猛クンと撫子さんの関係にも大きく影響してたでしょうね」
「うぅ、猛と撫子の関係に気を取られ過ぎていた。まさかこっちまでなんて……」
大いに後悔、そして嘆き。
「どうして、私の子供たちは兄妹同士で恋愛なんてしてしまうの」
がっくりとうなだれて後悔する優子に淡雪は言う。
「大丈夫よ、お母さん。兄妹の恋愛なんて世の中にはいくらでもあるわ」
「ほとんどがフィクションです!? 現実世界ではありません」
「日本はなぜか兄妹同士の恋愛を美化したがる文化があるの。不思議よね」
「貴方が言っちゃダメでしょ! ……淡雪、これだけは確認させて」
優子は震えるような小さな声で、確認をとる。
「下世話だけど肉体関係だけはないわよね? ないと言って、お願いだから」
「……結局、そこまでの関係にはならなかったわ。個人的には残念だけども」
「よ、よかったぁ……はぁ」
淡雪の言葉に心底安心した顔を見せる母だった。
涙目だったので淡雪も意地悪し過ぎたかなと反省。
母を傷つけるのだけは淡雪の本意ではない。
「でも、猛クンと撫子さんの関係は一線を越えてるみたい」
「たーけーるっ! どういうこと!?」
「は? あ、いや、あの……え?」
「既に超える所を超えて、手を出しちゃってるらしいわ」
なんて冗談で言ってみたりする。
さらっと暴露すると猛の襟首を母は掴みながら、
「ちょっと、猛。お母さんの目を見なさい。まさか撫子に手を出してないわよね」
「あ、あのそれは、ですね……えー、いたい、痛い。襟首を掴まないで」
襟首を掴まれてぐいぐいとされてしまう。
これくらいの意地悪は淡雪には許される。
「はっきりと言いなさい。撫子に手を出したの、してないの? どっち!?」
「……ごめんなさい」
「「て、手を出しちゃってるの!?」」
まさかの衝撃発言に淡雪と母は声がハモる。
――冗談で言ったのに!?
そこまで関係が進展したのは予想外だった。
「うわぁ。ついに妹に手を出しちゃいましたか、このシスコンさんは!」
淡雪も怒りに震えて彼を責めたてる。
「だ、出してないよ!? そう言う意味で謝ったのではなくて!」
「手遅れだったのね。猛が我慢できず撫子を襲ってしまっていたなんて」
「違いますっ。ホントだから! そんな白い目で見ないで、母さん!?」
リビングに猛の見苦しい言い訳が悲しく響くのだった。
とんだ騒ぎにはなかったが、無事に話は終了。
大和家から出た淡雪を猛が見送ってくれる。
すっかりと夕暮れの時間帯になっていた。
「今日は良い時間を過ごせたわ。お母さんも私たちの事をしょうがなかったと認めてくれたもの。関係自体がまだ未遂だから許してくれたみたい」
「……許したと言うか、後半は泣きそうでしたが」
「兄妹の関係を隠し続けた事を後悔しても遅いのに」
「多分、本気で泣いてますよ、アレ」
淡雪が猛を好きになったこと。
事情を何も知らなかったからと言う理由でひとまず納得してもらえた。
ただ、『これ以上の関係の進展だけは本気でやめて』とお願いされてしまった。
涙目になるほど物凄くショックを与えてしまったのは可哀想だった。
「その逆で、俺と撫子の関係は全力で阻止すると言われたんですけど」
「それは貴方達の問題だから私は知らない。このあとが楽しみね?」
「頭が痛い問題だよ。撫子が帰ってきたら我が家が家族間戦争に突入だ」
「いいじゃない。本気でぶつからなくちゃ物事は前に進まないものよ」
兄妹の恋愛を認めない、優子はやる気十分だった。
相手が撫子なら、さぞや壮絶な戦いになることだろう。
『ふたりの事は絶対に認めませんっ』
これから修羅場を迎えるせいか、頭を抱えるしかない彼だった。
「迂闊に誤解を招く発言をした猛クンが悪いわ」
「してないから。淡雪の陰謀だから!」
「……あら、そんなことはしてないわよ?」
淡雪は小さく舌を出して、悪戯っぽく笑った。
――本当はもう一線を超えちゃってるかもしれないけどね。
そこまでの現実を知りたくもないので、あえて追求しなかった。
「それにしても、どうして恋愛のことお母さんに? 言わなくてもいいのにさ」
「お母さんにだけは隠し事をしたくなかっただけ。それに……」
「それに?」
淡雪はぎゅっと猛に抱き付きついた。
ときめきが身体全身を包み込み、胸が高鳴る。
そして、淡雪は甘く囁いた。
「猛クンを好きになったのは必然だったのよ。大好きなお母さんの子供だもの、魅力的な人に決まってる。私が彼女を大好きなように、同じように好きになっただけのことよ」
「ホント、淡雪は母さんが好きなんだな」
「当然よ。世界で二番目に好きな人だもの」
淡雪がはっきりとした口調で言うと、彼は「ん?」と小さな声をあげる。
「あれ? 前は世界で一番じゃなかった?」
「ふふっ。それを私の口から言わせたいんだ? んー」
淡雪はそっと背伸びをする。
何をされるのか理解していない無防備な猛。
あまりにも隙がありすぎて、ついその唇を淡雪は奪ってしまった。
「……んぅっ」
夏の夕焼け空の下で触れ合う唇と唇――。
まさに油断大敵。
恋する乙女の前で隙を見せた方が悪いんだよ。
「なっ、あ、淡雪!?」
突然の事で彼は顔を赤くさせて照れてしまう。
淡雪はキスしたばかりの自分の唇を指先で撫でながら、
「くすっ。実妹の唇を奪うなんて悪いお兄ちゃんだね。双子の妹にキスしちゃうなんていけないんだぁ」
「こ、これは淡雪の方からしてきたんであって……ん」
何か反論しようとする彼の唇を人差し指でふさいで見せる。
「反論なんて許してあげないわ」
意地悪っぽく「撫子さんに言いつけてやる」と言ってあげた。
諦めたはずの恋心。
なのにこんなにも心がときめくなんて。
やっぱり、淡雪はまだ彼に恋をしている――。
「私が世界で一番愛しているのは猛クンよ。覚えておいてね」
これから先もきっと素敵な日常が続くはず。
だって、好きな人と歩んでいく時間だもの。
素敵なものに決まってるじゃない。
「妹に恋をさせてしまった責任はしっかりと取ってよね、お兄ちゃん♪」
淡雪の中で初恋はまだ続いていく。
大好きな人が淡雪の傍にい続けてくれる限り、この想いは消えないもの――。
【 第6部、完 】
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第7部:予告編
三月初旬。撫子の従姉、大和朝陽は高校を卒業した。
落ちこぼれでダメな子と評される彼女は自分を見つめなおす。
幼い頃、夏休みになると訪れていた別荘地がある小さな村。
そこで知り合った友人達との絆を思い出す。
いざ、懐かしき土地へ。友達との再会をしようと旅に出るが……。
そこで待っていたのは思わぬ現実。
初恋の幼馴染、緋色。初めての親友、華凛。
朝陽が望んだ再会とは程遠く、成長した彼らは彼女を拒絶する。
離れていた距離と時間。繋がりあっていたはずの絆すらも失わせて――。
もう一度、あの頃の関係を取り戻すために朝陽は奮闘する。
【第7部:水鏡に映る夏空】
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