第7部:水鏡に映る夏空
プロローグ:私の人生、分岐点に突入中です
幼い頃にとある田舎町を夏休みになると訪れていた。
別荘があって、家族そろって二週間ほど滞在した。
普段の都会の生活から離れて、自然と触れ合える田舎町。
そこで知り合ったお友達と会うのが楽しみだった。
しかし、人の成長と共に心も離れてしまうのか。
中学生になる頃にはもうその別荘に行くこともなくなり。
いつしかあの田舎町の事を忘れかけていた。
大和朝陽(やまと あさひ)は二週間前に無事に高校を卒業した。
春の穏やかな気候が心地よい、そんなある晴れた春の日のこと。
長い髪、まるっとした瞳の可愛らしい少女はリビングの椅子に座っていた。
「大和朝陽さん。高校卒業後の進路の予定は?」
「大学進学の予定です」
「……なるほど。それで、受けた大学入試の試験結果は?」
「ぜ、全滅でした。すべり止めさえも受かりませんでした」
言葉を詰まらせながら、目の前で怒りの表情を浮かべる女性と向き合う。
大和乙姫(やまと おとひめ)。
ひとつ年上で一流大学に通う自慢の姉だった。
「――くぉら、このおバカ妹がっ!」
室内に響き渡る大声。
朝陽は真正面から彼女に睨まれていた。
美人ではあるが、性格は正直言って恐ろしいの一言である。
「ひゃんっ。耳元で怒鳴らないでよ」
「怒鳴りたくもなるわ」
「なんでだよぉ」
「アンタの成績でそもそも進学希望だったのが大きな間違い。分数もろくにできないダメ娘のくせに。生意気に進学希望なんてするな」
そもそも、大学進学を選択肢に選んだことを否定する。
「り、理数系じゃなくて文系の大学でした」
「国語や英語の成績が抜群にいいわけでもないくせに?」
「……試験になれば自分の実力以上の結果を出せると信じたんだよ」
朝陽の適当な答えに彼女はさらに怒りを見せる。
「その考え方が甘いのよ! その上、それでも落ちるってどういう事?」
「ご、ごめんなさい」
受験失敗、大学生になれませんでした。
高校卒業と同時に大学浪人決定の悲しいお知らせ。
受けた大学試験はことごとく全滅。
実家にて、朝陽はその事で姉に叱られている最中だった。
「まぁまぁ、その辺でいいじゃない。朝陽ちゃんだって、今は傷心してるんだから」
朝陽を慰めてくれるのは大好きな母親だ。
ポンポンっと朝陽の肩を叩いて、励ましてくれる。
「朝陽ちゃん。残念だったわねぇ」
「お母さんがそんなに甘やかせるからこの子はダメなのよ」
「ダメじゃないもんっ」
意地悪ばかり言う姉に朝陽は膨れっ面をして見せる。
――あんまり可愛い妹をダメ扱いしないでほしい。
姉妹仲は悪くないものの、性格の不一致のせいでよく怒られる。
「そもそも、このバカ妹の大学進学なんて夢を見させたのが大きな間違い」
「今の時代は大学なんてバカでも入れるってテレビで言ってました」
「ホントのバカは入れません! アンタは大バカね」
「ひどいっ。こっちだって試験に落ちてショックを受けてるのに」
あまりにもキツイ言葉で責められるので、朝陽は母の方を向いて、
「普段の三割増しでお姉ちゃんの暴言がひどいよ、ママ」
「そうねぇ。乙姫ってば生理の日と重なってるのかもねぇ」
「重なってたらこの程度で済むか!」
「きゃんっ。お、お尻を叩かないで」
「朝陽、アンタは今自分の立ち位置が分かってるの? 進路もなくなった。人生、お先真っ暗。自分の人生をどうするか考えてる?」
おっとりした母親と違い、自分にも他人も厳しい姉である。
――でも、素敵な彼氏もいるようで、ラブラブなんだよね。
一流大学に通い、恋人までいる。
たった、一つ年が違うだけで朝陽と大違いの人生だ。
「お姉ちゃんみたいに一流大学は諦めて、せめて底辺でも大学生になれると信じてたんだよ? 春からは大学生になれるって思ってたんだ」
「アンタの成績で大学を目指す方がおかしいの。夢見過ぎでしょ」
姉に呆れられてしまうありさま。
「私だって好きで試験全滅したわけじゃないのに」
「はぁ、こんな事じゃ大和家の親戚に笑われるじゃない」
「そんなことないやい」
「聞けば、従妹の撫子も兄の猛同様に良い所の私学の高校に合格したって聞いたわ。それに比べてうちの出来の悪い妹は……」
朝陽の方を見てがっかりとした表情を浮かべる。
そんな顔をされても困る。
「わ、私だって、やればできたんだよ。今回はダメだっただけで」
「うるさいっ。とにかく、これからどうするか考えて」
「え、えっと、とりあえずは……」
「言っておくけど、大学浪人なんて無駄な努力はやめなさいよ? 浪人して、予備校通いなんてしても時間もお金も無駄だから」
「無駄って言わないでよ!? 私の実力を過小評価して、ひどくない?」
「……学年の下から数えた方がいい成績でよく言えたものね、バカ妹!」
昔から成績は下の上程度。
赤点だけはかろうじて避け続けた高校生活でした。
無難に就職を選んでいた方がまだよかったかもしれない。
「お姉ちゃんの言う事も分かるよ。分かった、私も自分の身の振り方を考える」
「へぇ、何かやりたいことでも? さっさと就職でもするとか?」
「私、結婚します。パパに誰か素敵な人でも見つけてもらって……」
「まともに包丁を持って料理ができるようになってから言えっ!」
びしっと朝陽の頭に姉からの一撃。
ジーンと痛みが頭に響く。
「ふぇーん。お姉ちゃんが殴った」
「これ以上怒らせないで。料理下手なくせによく結婚の二文字が言えたものね」
「わ、私って見た目は可愛いと思うんだ。ほら、学校でも『大和朝陽ってバカっぽいけど、胸は大きくて可愛いよな』って男子によく言われたし」
ただ、一度も告白とかされたことはなかった。
そもそも、男子とお話をしたのは高校生活で三回くらいしかない。
可愛いだけじゃ素敵な彼氏はできない世の中です。
「……はぁ」
「思いっきり、呆れられた!?」
「料理も掃除も洗濯さえも満足にできない奴が結婚したいとかふざけたことを言うな。アンタねぇ、本気でどうしたいわけ?」
「今、全力で考えてます」
「嘘つけ。どうせ、バカなアンタのことだもの。何も考えず、両親にすがりついていくんでしょ。何も昔から変わらないんだから」
「うぐっ、そ、それは……」
姉に言われた言葉はきっと正しい。
彼女が頼るのはいつだって優しい両親だ。
「分かった。私、アイドルになる!」
「アイドル舐めるな、社会舐めすぎ。このまま引きこもって人生のロスタイムを迎えるのがオチね。くだらないことをするな」
まくしたてるように言い放つ姉は嘆きながら、
「はぁ、どうしよ……実妹がどうしようもなくバカで泣きそう」
「本気で悲しまないで、お姉ちゃん。私も泣きそうになる」
リビングのソファーにもたれかかり、彼女は怒り疲れた様子だった。
「アンタ、今が人生の分岐点だって理解してる?」
「ん? 分岐点って何ですか?」
「……」
乙姫は無言で朝陽の髪を引っ張ってくる。
地味に痛かった。
「い、いひゃいっ。ぼ、暴力はやめて」
「あのねぇ、分岐って言うのは分かれ道の事だよ、バカ妹?」
「分かれ道。お、オッケー、理解しました」
「アンタは大学受験に失敗して人生の分岐点に立ってるの。ここからの選択肢ひとつでアンタの人生は決まるわけ。分かる、お嬢ちゃん?」
「は、はい。もう髪を引っ張るのはやめてくだひゃい」
朝陽の長い髪から彼女は手を離す。
周囲を見渡すと先ほどまでいた母親の姿がない。
「あれ? ママがいつのまにかいなくなってる」
「お父さんに報告するって出ていったわ。ホント、どうしようもないわねぇ」
「お姉ちゃんみたいに成績よかったら、こんな苦労もしなかったのにね」
「他人事みたいに言うな。もうダメだ、こいつ」
乙姫は一転真面目な顔をする。
「何もすることなくて引きこもる。人生で一番大事な若い頃の時間を無駄にするような真似だけはやめなさい」
「が、頑張ってアイドルでも目指すよ? 日本の朝代表、大和朝陽だよ―」
可愛く横ピースで決めポーズ。
昔、好きだったアイドルの決めポーズをよく真似していた。
「あっ、兄さん? 私だけど。貴方のダメな方の妹が大学受験に落ちて、どこにも行き場もないの。どうしたらいいのかな」
朝陽を無視して、乙姫は兄に電話をかけていた。
二歳上の兄はお医者さんを目指してる大学生。
父親が病院経営をやっていることもあり、朝陽は結構なお嬢様だったりする。
「兄さん。呆れて言葉もでないって。どうしようもない。家族会議が必要だわ」
「ぐすっ。そんないい方しなくても。そうだ、私、看護師さんでも目指してみようかな。将来はパパの病院で働くの。それがいいや」
「無理。絶対に注射を間違えるから。医療ミスでお父さんの病院を潰す真似はやめて。裁判沙汰になると本気で困るからやめてください。お願いします」
「真面目な顔をしてお願いまでされると私はすごく悲しい!」
何をしたらいいのか。
何をしたいのか。
夢も希望も何も見つけられない、今の朝陽の現状。
――ぐぬぬ。私の人生、分岐点に突入中です。
うなだれる彼女を乙姫は「どうしようもない」と手厳しい言葉を続ける。
「満足な努力もせず、何も考えもせず。そりゃ、受験も落ちるわ」
「……い、一応、努力くらいはしてたんだよ?」
「努力が足りない。必死さも足りない。ダメ妹は本当にダメね」
「う、うぇーん。お姉ちゃんは失意の妹に厳しすぎ!」
涙目の朝陽はこれ以上責められるのが嫌なので逃げることにする。
これ以上、小言を続けられても精神的にへこむだけだ。
「あっ、こら。朝陽、どこに行くの!?」
「お姉ちゃんなんて大嫌いだぁ。わ、私、家出するもんっ」
「……あ、そう。好きにすれば? どうせ夕食までに帰ってくるんだろうし」
「ひ、引き止めてさえもくれない。わ、私の本気をみせるんだから」
姉の「どうせ適当に出かけて帰ってくる」と言う目に悔しさをにじます。
「う、うぅ。本気で家出してやるんだから!」
「はいはい。お財布は持った? ハンカチは?」
「うにゃー。お子様扱いしすぎだし!」
悔しい朝陽はうなだれながら、勢いで家出を決意する。
行き場もなく、考えもなしにトボトボと家を出ていくのだった。
大和朝陽、18歳。
人生の迷い子になってしまっていた――。
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