第58話:ホント、しょうがないなぁ



 場所を変えて、改めてやってきたのは、猛の家の近くの公園だった。

 ここは初めて彼と出会った場所だ。

 当時、迷子になって困って泣きそうになった淡雪を猛が助けてくれた。


「私にとってここは、猛クンと初めて会った場所だわ。もちろん、実家で会っていた可能性は否定しないけども、記憶にある限りと言う意味では最初の記憶」

「迷子になっていた淡雪先輩を見つけたと言う話ですね」

「そうよ。猛クンは迷子の私を助けてくれたの。思い返せば運命の出会いだった」


 不安だった淡雪の手を握ってくれた時の事は今でも覚えている。

 優しく声をかけてくれた、あの小さな男の子の手を……。


「ここは私が兄さんに何度も告白した場所でもありますよ。覚えてますか?」

「もうすっかりと夏だな。夕方だっていうのに蒸し暑い」

「……無視ですか、ここでスルーしますか。兄さんのいけず」


 あえて何も言わないのが猛だった。

 撫子は唇を尖らせながら「照れ屋さんですね」と可愛く拗ねた。

 

――思い出の場所って言うのは人それぞれだもの。


 公園には子供たちが夕焼けの中を走り回っていた。

 少し蝉の鳴き声がうるさいが、夏らしさを感じられるから許す。

 公園を照らす夕焼け。

 淡雪達はベンチに座りながら公園を眺める。


「それでは先ほどの続きです。兄さんの性格についてですが、感情の共感力が強くて、他人の痛みも自分の事のように感じてしまいます。ですが、他人の痛みをそこまで感じる必要はないんですよ。それよりも自分を大事にしてください」

「……猛クンは自分自身よりも、人を優先しすぎるわ。もっと自分に優しくなって。そうして、自分の気持ちを大切にしてあげて」


 人間とは本来、エゴイストなもの。

 彼には自分のことしか考えられない人間になってほしいわけじゃない。

 ただ人並みに、もっと自己中心的になってもいい。

 淡雪達の想いを受けて猛は静かに語った。


「別に俺はキミたちが思うほどに他人中心な人間じゃないよ」

「……自己中心でもないでしょう」

「ホントに自分に無理までして我慢とかしてないから。これは本当だ」


 困った顔をする彼はベンチにもたれながら、


「でも、キミたちの言う通りかもしれない。俺は他人の顔色を伺うことばかりだ。無自覚に相手の機嫌や空気を読んだりしてるところもある」


 それは猛が自覚した自分の性格の問題点。

 

――我慢ばかりしないで自分を大切に思って欲しい。


 それこそが彼への救済になると淡雪は考えていた。


「俺は人から嫌われたくないと思う気持ちが強い。嫌われることが怖いんだ」

「我慢することが習慣になってしまった理由はやはり、須藤家がした仕打ちのせいかしら? 貴方に対して心の傷を作ってしまった」

「うーん。あれは子供過ぎて影響があったのかよく分からないや」


 心の奥底には傷はあるはずだけど、それが直接的な原因ではないらしい。

 では、他に何か原因となることが過去にあったのか。

 すると撫子は思い出したように、


「私、分かっちゃいました」

「なにが?」

「兄さんはずっと私の事が好きなのに素直になれずにいましたよね。愛しているのに、兄妹であるがゆえに我慢させてしまっていました」

「は? 何のこと?」


 彼女はついに真実を解き明かす。


「ほら、中学生時代の話ですよ。それまで兄さんはすごく自由な人だったのに。私に愛を囁き、口説くことも平気でしていました。あの時代のことです」

「……古い話を蒸し返さないで。ダメージがキツイ」

「あー、ラブポエマー大和! 聞いたことがあるわ」

「や、やーめーてー。淡雪まで俺の古傷をえぐらないで!?」


 頭を抱えて過去に苦しむ彼を見ながら淡雪はある噂を思い出していた。

 当時、実妹だと思っていたはずの撫子を口説き続けていた過去。

 

――ラブポエマー大和の伝説、私の耳にも届いています。


 大和猛の黒歴史は消えない。


「何でも猛クンには“ラブポエマー大和”と呼ばれた黒歴史があったらしいわ」

「本当に黒歴史なので、闇に葬ったままでいてください」

「私には素敵な想い出の日々ですよ」

「喜んでるのは撫子だけだよ。俺は忘れたい……」


 涙目だった。

 彼が昔から撫子を好きだった話は聞いている。

 平気で妹を口説いたり、愛する素振りを見せていたシスコンの黄金時代。

 不愉快だと思う気持ちはあっても、あえて口には出さないのは淡雪の優しさだ。


「なるほど。我慢する事を覚えたのは私のせいなんですね。私への想いを我慢するために。それが兄さんの性格に悪影響を与えてしまったなんて」

「……いや、違いますよ?」

「大丈夫ですよ。私の想いが成就した以上、もう我慢なんてしなくてもいいんです。どんな愛もリビドーも思いのままに受け入れてあげますからね」


 撫子が表情をうっとりとさせて猛に迫る。


「確かに、中学くらいの俺は撫子を口説くくらい平気に愛情表現をしてました。そこは認めます。でも、別にあれで我慢を覚えたわけじゃない」

「違うんですか? いや、そうでしょう。そうにしておきましょう」

「シスコンでこの性格になったとしたら、淡雪からも見放されるよ」

 

 確かに、それが理由なら淡雪も彼を見放すかもね。


「大丈夫、シスコンは最先端医療で治せる時代がきてるらしいわ」

「きてないよ!?」

「でも、シスコンが原因だったなんて考えもしなかった。つまらないの」

「……あの、これが正解だなんて結論づけるのはやめて?」


 理由の一つなのかもしれない、と思うとため息が出る。

 多分、きっかけはこれに違いない。


「兄さんの心に秘めたる恋心、私にはしっかり伝わっていましたよ」

「猛クンが妹に恋をした事で周囲に迷惑をかけるかもしれない、と他人の顔色を伺うようになった。でも、大事な家族も裏切れない。板挟みになる複雑な気持ちがあったんでしょう。それが貴方の今の性格を形成したと言う事ね」

「……違うんです。そうじゃなくて、はぁ」


 夕焼け空に視線を向けて嘆く彼だった。

 

――同情はしてあげません。私もショックな真実だったもの。

 

 淡雪はふくれっ面をして見せる。


「そっかぁ、これだったとは……盲点だったわ。撫子さんへの屈折した愛が猛クンの性格に影響を与えたと言う事でいいかしら」

「屈折なんてしてません。兄さんの愛は一途で真っ直ぐな純愛ですよ、うふふ」

「妹への恋心を抑えるために、と思った事が最初のきっかけと言う悲しい結論だわ。真実っていつも残酷なものなのね。解き明かせば悲しみしか残らない」

「……もう勘弁してください」


 崩れ落ちる彼にとどめを刺してしまった。

 さて、彼の性格がそうなってしまった原因は家庭環境と言う事が分かった。

 夕方の公園はいつしか子供たちも帰ってしまい、淡雪達だけになっていた。


「きっかけは何にしても、今は色々と我慢して、相手を思いやりすぎる事に変わりはない。猛クン、貴方が幸せになるためにはその性格を何とかするしかないの」


 呆れつつも本題はちゃんと考えてあげないとね。


「私は猛クンに幸せになってほしいのよ。貴方は人の弱さや痛みを受け止めすぎる。それが負担となってるんじゃないの?」

「兄さんは弱音や愚痴をあまり吐きませんからね。自分の中で我慢してしまいます」

「あー、シスコンが原因で苦悩する人間関係の愚痴はよく聞くけども、それは自業自得だわ。私達が言ってるのはそう言う愚痴とかではなくて」

「泣きたくなるから説明しないでいいです。えっと、自分の中にストレスを抱え込むな、って言いたいんだろ。そう言うのを発散するのが苦手なんだよ」


 他人に優しすぎる人間はストレス過多になりやすい。

 ストレスを溜め続ければいつか爆発するしかない。


「兄さん。生き方を変えるのは難しいです。それでも、少しずつでも変えていきましょう。淡雪先輩も貴方を心配してくれています。そんな彼女に私も共感したんです」


 撫子がそっと猛に寄り添う。

 負けじと対抗するように淡雪も彼の横に寄り添って見せる。


「……兄さんは私の物ですよ、淡雪先輩」

「ふふっ。それは私の台詞だわ」


 言い争いこそしないものの、お互いに譲れない。

 想いで負けたくない気持ちまでなくなったわけじゃない。

 何も知らない人から見ればどうだろう。

 可愛い子達に抱き付かれてリア充めと不快に思われる光景に違いない。


「……あの、2人に抱き付かれると嬉しい反面、暑いんですが」

「気にせずに。ねぇ、猛クン。もっと楽な生き方をしてみない? 自分に優しく、自分の心のままに生きること。それが大切だと私は思ってるわ」

「……撫子。淡雪。ふたりが俺を心配してくれてるのは嬉しいよ。我慢し続けないようにもする。でもさ、俺は今、何も困ってなんていないんだよな」


 現状で彼が自分の性格で困った様子はないと言う。


「須藤家の一件で貴方だけが救われてない、と思ってるのは私だけ?」

「救われる、か。どうなんだろうね」

「心を救う。貴方は我慢ばかりして、苦労を自分で背負い込んでるわ」

「どうかな。例えば親が離婚したり、家族が新しくできたり、悲しい出来事、良い出来事とか様々な出来事があってこその人生だろう」


 人生は人それぞれ。

 一生苦労しないで生きていく人もいれば、苦労ばかりの人生を歩む人もいる。

 猛は過去に苦しんだのだから、現在は幸せにならなきゃいけない。


「あの件は本当に俺も納得した結末だよ。どんな形であれ、お祖母さんと分かり合えた。だから、もう気にしないで良いんだ。俺が納得してるんだからさ」

「そこで納得しちゃうのが私達には心配の種なのよ」

「ごめんな、でも、過去は過去だ。これは我慢とかじゃなくて、俺の本音さ」


 猛は淡雪の髪をそっと撫でた。


「淡雪、俺はもうとっくに救われてるよ」

「ホントに?」

「うん。辛かったこともあった、悲しいこともあった。でも、ちゃんと救われてるから安心してくれ」


 どんな過去も人生のひとつ。

 取り戻せない過去をいつまでも悔やみ続けるよりも未来を変えていきたい。

 もっと祖母や実父と話がしたいと言うのが彼の本音だった。


「あと、もうひとつ。俺は今がすごく幸せなんだ」

「……幸せ?」

「愛しい恋人がいて、可愛い妹がいてくれる。こんな満たされた時間は人生で一番いい時間だと言ってもいい。こんな風に満たされるなんてつい最近まで思わなかった」


 たった数ヶ月の間に、多くの出来事を経た。

 淡雪達の運命が動き出したこの数ヶ月の日々は特別なものだった。


「撫子が実妹じゃないと分かって、長年の想いが果たせた。恋人になれた。ずっと友達と思ってた淡雪が、俺の双子の妹だった。挙句の果てに妹たちの仲がよろしくなくて困らせられたり。ははっ、人生って驚きの連続だな」


 彼はそう笑いながら、彼女たちの手を取った。

 隣り合う淡雪達を抱きしめるようにして、


「そして、そんなふたりが俺のためを思って仲直りしてくれた。俺の心配までしてくれて、何が不満だって言うんだ。最高にハッピーな時間を過ごせてるよ」

「……それが猛クンの幸せ?」

「あぁ。大事な人と過ごせる時間こそが幸せなんだ」


 こういう人だった。

 淡雪が恋焦がれて、愛している男の人は……。


「――俺は今、誰よりも幸せものだよ」


 満面の笑みで彼はそう答えたのだった。

 こっちが色々と考えてるのに。

 たった一言で答えを出してしまうんだから、ずるい人だ。


「ホント、しょうがないなぁ」

「……えぇ。しょうがない人です」

「こういう性格だと分かっているのに、好きになったんだもの」

「はい。そういう所が好きなんですよ」


 淡雪と撫子は同じ気持ちを抱いたらしい。

 愛して、愛されて。

 幸せを与えて、与えられて。

 この人生と言う時間の流れをいかに幸せに過ごせるか。


「仕方ないから私が傍にずっといてあげますよ、兄さん」

「そうね。私達が傍にいてあげないと猛クンは幸せになれないんだもの」

「困った人ですよ。こんなに可愛い恋人がいるのに、妹まで望むなんて」

「それが猛クンでしょう。だって、シスコンさんだもの」


 撫子と顔を見合わせて、ふたりして微苦笑した。


――しょうがない人だなぁ、私達のお兄ちゃんは……。


 人間は簡単に生き方なんて変えられないもの。

 ならば、淡雪達が見守り続けてあげるしかないじゃない。


「兄さんは欲張りさんですから。手に入るものは全部手に入れたい人なんです」

「……そうね。ホント欲張りな人だわ。ずるい人」


 彼の幸せが淡雪達と共にいる事ならば、そうしよう。

 この不器用な男の子を救う唯一の方法を見つけた。


「猛クンにはもう我慢なんてさせてあげない。心に抱え込ませない」

「もっと、もっと幸せな気持ちにさせてあげますよ、兄さん」

「それが私達なりに考えた貴方を救うということかな」


 寄り添う身体に身を委ねる。

 幸せであることを自覚できる日常。

 それを続けることが淡雪達にできる彼を幸せにできる方法だもの。


「ふたりとも、俺に素敵な日常を与えてくれてありがとう」

「お礼を言うのは私の方ですよ」

「私達の世界を変えてくれているのは猛クンなのよ。責任をとってもらわなくちゃ」


 手を繋ぎ、3人は初夏を感じさせる夕日を見た。

 淡雪達が出会ってからここまで来るのに遠回りもしたけど、後悔はない。


「これからもたくさん、楽しい想いをさせてあげるわ」


 多くの期待に溢れた未来が淡雪達の目の前に広がっているのだから――。

 

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