第57話:そのシスコンを治しましょう


 

 撫子との和解こそが、まず猛にとっていい影響を与えるはず。

 淡雪達にしかできないことがあるはずだから。

 豪雨の夜の出来事は淡雪たちの絆を深めてくれた気がした。

 翌日、学校に登校してきた淡雪が目にしたのは、


「……大和さん、シスコンは治らないものじゃないんですよ」

「真顔で言われるときついっす。でも、治せる自信がない」

「諦めてはいけません! 貴方が学校中で悪者扱いされているのは人間性のせいではありません。悪いのは全部、シスコンのせいです!」


 眞子から真剣な顔で説得される猛の姿があった。

 教室の片隅で、彼は気まずそうな顔をしている。

 

――何かしら、あれは?


 面白そうなので遠目に眺めてみる。


「そのシスコンを治しましょう。勇気をもって最初の一歩を踏み出しましょう」

「どっちにしろ、俺の評価が改善されるわけでは……」

「大丈夫です。大和さんは世間で言われているような悪人じゃありません」


 彼の手を握りしめて眞子は励ます。

 今にも抱き付かれそうなほどに身体が近い。

 女子の好感度が下がっている中で、眞子は彼の数少ない女子の支持者だ。


「何事も手遅れになる前に早く治すのがいいんですよ。シスコンも同じです」

「……そーですね」

「治療に時間がかかるでしょうが、諦めないで頑張りましょう」


 彼女の凄い所はこれが嫌味でもなんでもなく本音だということ。

 猛の横顔が「今にも消えたい」と泣きそうに見えるのは気のせいだろうか。

 多分、気のせいではない。


「まっとうな恋愛こそが貴方を本当に幸せにできると思うんです」

「は、はい」

「そうすれば正当な評価も取り戻せますよ。悪人扱いされるなんて辛すぎます。大和さんはやればできる子、素敵な男の子だという評価をぜひとも取り戻しましょう!」

「……努力します。はい」

 

 どこか遠くを見るような瞳をして弱々しく彼は言った。

 眞子は過去に想いが暴走こそしたけど、基本的には良い子なのだ。

 彼女の善意を利用した淡雪の悪意には未だに心が痛む。

 あの事件の後、仲直りした彼女は未だ健気に猛に対して説得している。

 さすがのピュア子相手には彼も強くは出られず。

 彼女からの説得を終えたあと、彼はぐったりとしていた。


「あらあら。朝から大変ね?」

「いろいろとあったけど、椎名さんとしては俺の心配をしてくれてるらしい」

「ところで、シスコンって治せるものかしら?  効果的な特効薬ってあるの?」


 あるとするのならば、妹以外に興味を抱くことくらいしか思いつかないわ。


「淡雪まで俺をイジメないでくれ。椎名さんから真面目に言われて泣きそう」

「あの子、良い子よね。可愛い彼女に抱き付かれて鼻の下を伸ばしていたわ」

「してません」


 それどころではなかった、と彼は嘆き悲しむ。

 同級生から「シスコンをやめよう」と真顔で諭されたら気持ちも分かる。

 肩を落として力なく彼は小声で、


「もうやだ。俺は消えてしまいたい」

「そんなに落ち込まなくてもいいじゃない」

「真っ直ぐで純粋な瞳をした子に言われると、本当に辛いんだ」


 彼の評価を心配してくれている人がいる。

 それだけでも喜ぶべき所だ。


「でも、シスコンを治されると私が悲しくなるからやめてね」

「ぐふっ。妹にとどめを刺されるとは思わなかったよ」

「安心して。撫子さんと違って、私は甘える時には人目を気にしてるつもり」

「……そう願ってるよ」


 その後、彼は朝の一時間目まで机に寝そべり起き上がらなかった。





 いつも通りの授業が終わり、淡雪は猛を連れて駅前のカフェに誘っていた。

 クラスメイトから新作が出たという話を聞いたのだ。

 同じように学校帰りの女子高生で店内は賑わう。


「ここの新作のパフェが食べたかったの。猛クンは何にする?」

「俺はフルーツタルトかな。えっと……撫子は何にする?」


 そして、今日は彼女も一緒にきている。


「お兄ちゃんのおごりだ。ふたりとも遠慮なく食べてください」

「ありがとうございます、兄さん。甘えさせてもらいますね」


 淡雪と撫子の対立を恐れてか、気を遣ってくれているようだ。

 

――こういう気の使わせ方がよろしくない。


 そのために淡雪達は和解したのだ。

 彼女はメニュー表を眺めながら、淡雪に言った。


「そうですねぇ。私はこのお店は初めてですから。先輩のおすすめは?」

「私としては新作かな。ここのパフェシリーズは外れがないから」

「なるほど。では、その言葉を信じて、淡雪先輩と同じものにします」

「良いチョイスね。マンゴーとメロンが入ってるんだって。美味しそうだわ」


 ふたりとも新作のパフェにする。

 今回の新作はかなり評判がよくて、気になっていたのだ。

 淡雪達が注文を終えると猛が不思議そうな顔で、


「……おふたりさん、何かありました?」

「え?  どうしてでしょう、兄さん」

「いや、昨日までの撫子ならば、例え好物でも淡雪と一緒のメニューは頼まなかっただろうし。いつのまにか名前で呼び合ってるからさ」


――こうもあっさりと変化に気づかれるとは……。


 前日までが戦闘モードだったのでしょうがないかもしれない。


「兄さんの気のせいです」

「い、いやいや、気のせいで済むレベルじゃないからね?」

「やだなぁ、兄さん。私がそんな険悪な雰囲気になるような真似をしてきましたか?」

「……お兄ちゃんの胃が痛くなるほどにはしてきたよ」

「ご迷惑をおかけしています」


 妹同士の争いの板挟みにあう兄の苦労が目に見えた。


「冗談ですよ。確かに、少しは私達の関係が改善しているのは事実です」

「貴方に迷惑をかけてばかりじゃ悪いもの」


 昨夜の出来事が影響をしているのは間違いない。

 だけど、お互い露骨に仲好さそうに演じてるつもりもない。

 自然体でこのありさま、淡雪達は思いの外、仲良くなれてるのかもしれない。

 撫子もそう感じていたのか。


「大丈夫ですよ、兄さん。戦争はしません。現在、私達は休戦協定を結んでいます。兄さんの前では言い争うことはやめました」

「マジで? 仲直りしてくれたのか?」

「はい。それで兄さんを苦しめるのが分かっていますからね」

「あと、ご心配なく。やる時は貴方の知らない所でやってるから」

「ですね。見えないところでは火花を散らしてます」


 顔をひきつらせた猛は「そっち方が怖いんですけど」と呟く。

 

――大丈夫よ、その可能性はしばらくはなさそうだもの。


 淡雪達の関係が穏やかなのは良いことだ。


「よかった。ふたりが仲良くしてくれて。お兄ちゃんの心配の種がひとつなくなったよ。気まずい思いをしなくて済むのは素晴らしい」


 ホッと安堵の表情を浮かべる。

 

――少しはお兄ちゃんを安心させてあげられたかしら? 


 それぞれの注文品がやってきて、淡雪達は食事をしながら、


「どう、撫子さん? ここのお店のパフェのお味は?」

「くどくない甘さですね。フルーツもいい味でとても美味しいです」

「よかったわ。猛クンもタルトは美味しい?」

「そうだな。この味なら男でも十分に食べられる。甘さもちょうどいいよ」


 満足してくれたようで何よりだ。

 淡雪も新作パフェの味には大満足。

 たっぷりの生クリームにマンゴーの甘さが引き立つ。


「それで、おふたりさん。キミたちが仲良くなれたのはどうしてかな?」

「……猛クン」

「気になるじゃないか。どんなことがあれば仲良くなれたのかなって」


 彼の思いやりや優しさ、場の空気を読む鋭敏さ。

 エンパシーの強さが見え隠れする。

 

――撫子さんと昨日、話をしたことを彼に伝えるべきかしら?


 淡雪は撫子の顔を見ると「生クリームでもついてますか?」と素で返される。

 

「……違います」


――この子って勘のいい時と悪い時があるわ。


 天然なので責められず。

 淡雪は独自の判断で、彼にあの話をしてみることにした。


「貴方のそういう所を救いたいから、かな」

「え?」

「猛クン。貴方は自分の性格をどう感じている? 人に対して、貴方は怒りを抱けないわよね。どんなことをされても許してしまう」


 本題に入った淡雪に「そうかな」と自分の事なのに、どこか他人事のようだ。


「……違わない?」

「争いを好んでいないのは事実だよ。人間関係に亀裂が入るのならば、それを避けたいと思ってしまう。それは別に悪いことじゃ……」

「須藤家のこともそうだった。貴方は須藤家がした過ちを許してしまった。それによってお祖母様は救われたわ。お父様も、近い内に食事の席でもとりたいって前向きに思ってる。ありがとう、感謝している。でもね」


 淡雪は一呼吸おいてから、彼に想いをぶつけた。


「――それでは、あまりにも貴方が辛すぎるでしょう?」

「辛い?」

「どんなことでも猛クンは我慢してしまう。自分の気持ちを押さえてでも、相手を優先してしまう。その優しさはいずれ、貴方自身を傷つけることになるわ」


 いつか取り返しのつかない心の傷を抱えるんじゃないか。

 淡雪達が危惧しているのはそういうことだ。

 ふむっと考えこみながら猛はフォークを片手にタルトを食べる。


「……似たようなことを結衣ちゃんにも言われたっけ。我慢しすぎているように見えるかもしれないけど、そんなことないよ」

「あります」

「撫子や淡雪が心配してくれるのは嬉しい。でも、俺は自分に無理なんてしないよ。やりたいことをやっている。怒りたくはないから怒らない。許したいと思えたから許す。そこに難しい理由なんてない。ただ、それだけさ」


 困った顔をしながら場を和ませようと、


「ほら、淡雪。これ美味しいから食べてごらん。あーん」


 淡雪にタルトを一口食べさせようとする。

 

「そんなものでは誤魔化されないわ。……あーん。うん、美味しい」


 でも、向けられた好意はちゃんと受け取る。

 間接キスしちゃった、とちょっとだけ心が浮かれそうになる。

 

「ハッ、違う違う、こんな風に流されちゃダメなのに」

「あ、心配せずとも撫子も……」


 だけど、撫子だけは流されない。


「兄さん。そうやって誤魔化すのはやめてください。淡雪先輩の言う通りです。兄さんの性格はいずれ破滅を迎えるものです」


 真顔の彼女の瞳は猛だけを見ていた。


「嫌な事があっても我慢するのは時に必要な事でしょう。ですが、人間というのは我慢し続けることに耐えられるほど、強くはできていません。いつか壊れてしまいます」

「撫子までそう言うか」

「人に優しく、誰にでも思いやりを持つ。兄さんは素晴らしい人です。愛すべき人です。でも、自分をもっと大切にしてください」


 どんな時でも他人を優先、自分の事は後回し。

 他人中心に物事を考えてしまう。


「須藤家の事でもそうだった。貴方は怒るべきだった。ひどい虐待をされて、両親から離されて育ったことに文句の一つもなく、家の事情だったから仕方ないと理解さえしている。普通の人は怒って、文句を言うものよ」

「あの時期は志乃さんが俺の母親代わりになって育ててくれた。その時間が俺の現実だ。怒ることなんてない。俺はちゃんと愛されていた」

「そういうことじゃなくて!」

「そう言う事なんだよ、淡雪」


 彼は彼なりに考えて行動している。


「須藤家のことで、辛かったのは俺だけじゃない。家族の皆が苦しい想いをして、誰もが幸せになりたかった。それができなかった過去があるのに、俺一人が怒りをぶちまけて、人に当たっても意味なんてないだろ」


 猛が許すのは、相手の感情を共感して事情もちゃんと理解できるから。

 怒りをぶつけるべき相手は須藤家の人間ではないと分かっている。

 それが淡雪から見れば、諦めているように理解が良すぎる。


「俺ひとりが我慢して誰もが幸せになれるのならば、我慢なんていくらでもする。それが当然のことだよ。違うかな?」

「……猛クン」

「確かに俺は自分を大切にできていないのかもしれない。自己中心的にはなれない、そういう人間なのかもしれない。それが悪いことなのか?」


 ようやく引き出せた、彼の本音。

 撫子は静かに首を横に振りながら否定した。


「兄さんは間違えています。自己中心的ではないことが、正しいとは限りません。自己中心な人間は見苦しいですが、それが人間らしさでもあります」

「猛クン。自分を大切にできない人間が他人を大切になんてできるはずがないのよ。貴方の考え方は正しいけども、間違いでもある。それを知ってほしいわ」

 

 他人の心を理解して想いすぎる。

 それは彼の強さであり、弱さでもある。

 猛には自分にも優しくなってもらいたい。

 淡雪達が彼の心を救ってあげなくてはいけない――。

 

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