第56話:本気で私を倒そうと企んでいるのね



 共感力が強い猛の性格。

 彼がこの先も同じように傷つくことがないように。

 淡雪達は彼に何がしてあげられるのか。

 それを一緒に考えていきたい、と提案したのだが。


「……嫌です」

「ここで拒否るなんて最悪。協調性がないと世の中、上手く付き合えないわよ」

「私は本気で貴方が嫌いです。嫌いな人とは仲良くできるわけがないです」

「あー。ホントに嫌われてるのね、私、ものすごく悲しいわ」


 淡雪はため息をついてオーバーリアクション気味に両手を握りしめながら、


「寂しいことを言わないで。私は貴方のお姉ちゃんでもあるのよ」

「……は? 何をいきなり。義理の姉気取りはやめてください。私は兄さんの義妹ですが、貴方とは姉妹ではありません。一切関係のない赤の他人です」

「はっきりと言われると寂しい」


 彼女は諦めず、手を差し出して握手を求める。


「そう言わずに仲良くしましょう。はい、握手」

「いーやーです。嫌だって言ってます。空気読めないんですか、ていっ」


 手をはたかられてしまい、完全に拒絶されてしまった。


「ぐすっ、ひどいわ。猛クンに言いつけてやる」

「……い、言いつけるって子供ですか。貴方は私を子ども扱いしますが、人の事を言えないと思うことが時々、あります」


 呆れながら淡雪に「仲良くなんてできません」と呟く。


「大体、どうして貴方と仲良くしなきゃいけないんですか。貴方は敵です。いつか倒すべき相手です。そんな人と手を組むなんて真似は……」

「でも、貴方は猛クンの大切な人。そして私も双子の妹として大切に思われている。そんなふたりが仲違いしてる現状が良いことだと思う?」

「うぐっ。兄さんを困らせているのは理解してますけど」


 毎回、互いに言い争いをしてしまい、関係ないことで彼を傷つけている。

 たまに誤爆気味なのは、それはそれで同情しかできない。


「彼が共感力の強い子だと言うのは分かってくれたわよね」

「それなりに」

「場の雰囲気にも気を遣うわ。今の状況が彼にいいとでも?」

「言いたいことは分かりました。私と貴方の険悪な雰囲気が悪影響を与えると?」


 険悪な雰囲気は彼の心を不安にさせる。

 その不安を取り除いてあげることが、できることじゃないか。


「猛クンの共感力を今すぐどうにかする方法はないわ。だけど、私達ならば彼を救ってあげることはできるはず。彼の心を穏やかに過ごせるようにしてあげること。そのためには私達は和解して仲良くするのが必要じゃない?」

「兄さんのために、ですか」

「どう? 悪い話ではないでしょう?」


 淡雪の言葉に彼女は色々と複雑な心境を抱いているようだ。

 

――この子は一途な子だ。だからこそ、分かり合えるはず。


 世界を敵に回しても、と言うだけあって、彼の事だけを常に考えている。


「ちょっとだけ譲歩します。兄さんの前だけでは、仲のいいふりをしましょう。ですが、私は貴方を許したわけではありません。敵である認識も変えませんから」

「えー。素直じゃない、可愛くない」

「貴方に可愛いと思われる必要はないです」


 しれっとした態度で言われる。

 とはいえ、提案に乗ってくれたのはいい傾向だ。

 いつまでも険悪なムードのままでいるのは疲れてしまう。


「それじゃ、仲直りの握手をしましょう。シェイクハンドは和解の証よ」

「嫌ですっ」

「……ホント、つれない子だわ」


 ノリが悪いので、肩をすくめて拗ねる淡雪だった。





 学校を出た時には空が真っ暗だった。

 黒っぽい曇の空、これは雨が近いかもしれない。


「途中までは一緒に帰りましょう、撫子さん」

「須藤先輩って意外に強引な人ですよね」

「そう? あと、その須藤先輩って言うのはやめない?」

「はい?」

「どうせなら名前で呼んでくれてもいいわよ」

「名前で呼ぶ理由が全くありません、須藤先輩」


 彼女と仲を深めたい淡雪には名前でぜひとも呼んでほしい。


「そうねぇ。名前で呼んでくれたら、猛クンも喜んでくれるかも」

「何でもかんでも兄さんの名前を出すのはやめてください。ずるい人です」

「……何度でも言うけど、私は貴方が気に入ってるの。仲良くしましょう」


 少しずつでいいので撫子と仲を深めたい。


「あら、雨かしら?」

 

 それはしばらくした分岐路で、淡雪達が別れようとした時だった。

 ポツポツと降り始めた雨。

 一瞬にして、その雨は雨粒の大きい豪雨へと変貌する。

 いわゆるゲリラ豪雨。

 突然の雨に濡れながら淡雪達は雨の中を走る。

 ここからだと淡雪の家の方が近いために撫子も家に招いた。

 さすがにこの状況だと彼女も断らなかった。


「……はぁ、ひどい雨だったわ。ずいぶんと濡れてしまったわね」


 家に帰った時には制服は濡れてしまっていた。


「こんな形で先輩の家に来るなんて……くしゅんっ」

「大丈夫、撫子さん? 風邪をひくといけない。お風呂を沸かすわ」

「……すみません。くしゅんっ」


 何度もくしゃみをする彼女が可愛く思えた。

 淡雪達は思わぬハプニングで距離を縮めることになる。






「ふぅ。初夏とはいえ、身体を冷やすと寒いわね。お湯が温かくて気持ちいい」


 すっかりと冷え切った身体を温めるのはやはりお風呂が一番いい。


「そう思わない、撫子さん?」

「……いえ、全然。なぜ、私が先輩と一緒のお風呂に」

「雨の悪戯。意外と面白いこともあるものね。ふふっ」


 撫子の方を見るとお風呂の隅っこで縮こまっていた。

 彼女と入浴するなんて思わなかった。

 せっかくの機会だ、ゆっくりと話をしてみたい。


「……撫子さんって肌が白くてびっくりだわ」


 白い肌に黒くて綺麗な長い髪、お湯に濡れると色っぽさが増す。

 和風美人、ここに現れる……同性でも見惚れてしまう。


「綺麗な黒い髪。濡れる髪は艶っぽい。あと、スタイルは可愛らしい」

「それは余計な一言です。誰が可愛いスタイルですか!」

「ん? 私と比べてみる?」

「……とても悔しい想いをするのでやめておきます。不戦敗でいいです」


 珍しく、戦う前から勝負を諦める撫子だった。

 

――大丈夫よ、胸元の周りはこれからの成長が十分に期待できる。


 遺伝的にちょっと期待薄な結衣と違っていいじゃない、と内心思った。

 大和撫子、名前通りの美少女っぷりを改めて感じた。


「……先輩は胸ばかりが大きいですね」

「お母さんにそっくりでしょ。ふふふっ。最近、また成長してるみたいよ」

「へ、へぇ、そうなんですか……くっ」


 顔を引きつらせて不満気に彼女は自分の胸元をタオルで隠した。

 こういう素直な反応は可愛いらしい。


「そんなにジロジロとこっちを見ないでください」

「恥ずかしがらなくてもいいじゃない。女同士なんだから」

「貴方と一緒だと、お母様と一緒にお風呂に入ってる気分になるんです。容姿が似てるからでしょうね。……遠い昔を思い出しました」


 淡雪には優子と一緒にお風呂に入った記憶は子供の頃以外にない。


「羨ましいわ。どれくらいまで一緒に入っていたの?」

「……母とですか? 小学生に入るまでくらいです。その後はずっと姉さんと兄さんの3人で入ることが多かったですよ。そして今では兄さんとふたりだけで入ってます」

「ドヤ顔しないで。そんなに昔からずっとなんて、筋金入りのブラコンねぇ」

「今は恋人同士ですっ!」


 彼女が暴れるのでお湯が波紋を立てる。

 家族そろって一緒にお風呂に入ったりするのは仲がいい証拠だ。

 猛は良い家族に巡り合い、過ごしてきたんだということが分かる。

 

――乙女心としては猛に対して不快感があるわ、あのシスコンさんめ。


 よその家庭事情にまで口出しはしたくないが、言わずにはいられない。


「ホント、彼は良い家族に恵まれたのね。そこだけは感謝する」

「貴方に感謝されることではありません。兄さんは私達の家族なんですから」

「それもそうね」


 淡雪は身体をお湯につけながら、ゆっくりと伸びをする。

 撫子もこのお風呂は気に入ったのか。


「広いお風呂です。これだけ広いとのんびりとできますよ」

「須藤家の自慢のお風呂だもの。うちでは家族で入ることはないわ。たまに妹が乱入してくるくらいかしら。そして、追い出すのが常の流れね」

「先輩は妹さんとは仲がよろしくないようです」

「……うちの姉妹仲があまりよくないのは確かよ。これでも猛クンが間に入ってくれて少しは改善しつつあるけども。それでも、まだまだね」


 結衣の甘えたがりの性格に付き合う気力がまずない。

 姉妹仲が極めて悪い方ではないけど、良い方でもないのは事実だ。

 

――あの子と仲良くしたくないわけではない。


 嫌いではなくても、仲良くする距離感が未だに掴めていないのだ。


「私には実姉がいますが彼女とは仲がいいです。相談したいことがあれば自然にできる関係です。姉さんが包み込んでくれるような包容力がある方だからですけど」

「……包容力か。私にもそんなものがあれば、結衣と仲良くなれたのかしら」

「姉妹仲が不仲であるのは自分のせいだと?」


 湯気に包まれる湯船。

 隣り合う彼女に淡雪は思わず本音を漏らした。


「――そうね。あの子との距離があるのは私のせいだわ」


 お風呂場に小さく囁いたはずの言葉は大きく響いた。

 半分だけの血の繋がりのある妹、不仲の理由はそれだけではない。


「昔から自由に生きているあの子が羨ましくて、私はあの子が苦手だった。ルールも守らず、甘えに甘えまくってる。それを周囲から許されてる事も含めて……」

「結衣さんが羨ましくて、ああなりたいと思っていた。でも、なれるはずがないから苦手になった。嫉妬する気持ち。先輩は不器用ですね」

「……昔から思い込みが激しい方だと言う自覚はある」


 こうと決めたら曲げられない、そんな真っ直ぐすぎる自分の性格。

 結衣とはまるで違うから衝突もするし、嫌悪感も抱いたりしてしまう。

 でも、可愛いと思っている本心があるのも事実だった。


「貴方にも兄さんが必要だったのかもしれません」

「……え?」

「私にとっての兄さんは優しく甘えさせてくれるだけではありません。時には厳しく叱りつける、そういう人です。彼がいいと思うもの、悪いと思うもの。私にとっての善悪は兄さんが基準です。だから、私は我がままな子供にならずにすみました」


 全てを彼に合わせる撫子らしい。

 

――あと、今でも十分に我が儘な子供だなと思うのは私だけ?


 猛がいなければ、結衣並に生意気で我が儘な少女になっていたということ。


「ですが、貴方にも兄さんのような存在はきっと必要だったんでしょう」

「そうかしら」


 彼女はお湯の温もりを感じながら水面を撫でる。

 

「……先輩は生真面目で融通が利かなくて、すごく頭の固い人です。子供時代から自分に厳しくて、甘える事を知らずに生きてきたからでしょうね」

「ひどい言い方だけどその通り。その反動か。今、甘えに甘えてダメになってる」

「学内でも噂になっていますよ」


 ここ数日の淡雪の堕落っぷりは自分でも振り返りたくない。

 兄と言う存在に猛が変わっただけで、結衣のように甘えまくりだ。


「それは良い変化だとも言えます。須藤先輩は甘えるのが苦手なだけです。だからこそ、誰であろうと甘やかせてしまう、兄さんのような存在には弱いんです」

「私の事をよく見てるわ」

「貴方の弱点を調べているうちに感じた事です。まだまだ色々と調べ中ですよ」


 薄ら笑いを浮かべる彼女。

 

――あら、やだ、この子……ちょっと怖い。


 油断も隙も無かった。


「弱点って……本気で私を倒そうと企んでいるのね」

「当然です」

「私も負けるつもりはないけど」

「こう言っては何ですが、子供であるうちに兄さんと貴方が兄妹であることを知ることができたのはよかったのかもしれません」

「知るきっかけは最悪だったわ」

「貴方にとっては人生初の失恋になりましたからね、うふふ」

「人生で一番の失意だったことを笑わないでくれるかな」


 やはり、この子は意地が悪いと思う。


「でも、こうして須藤家とも分かり合い、恋愛とは違うとはいえ、新しい形で兄さんと付き合い始めているじゃないですか。大人になってからだとこうはいきません」

「……撫子さんの言う通りなのかもしれない。これが良いタイミングだった。将来の私はそう思っているのかもしれないわ。今は失恋の方が辛くてそこまで思えないけど」


 このタイミングだからこそ、淡雪達はいろいろとうまくいったこともある。

 人の縁って不思議なもの、だから面白くもある。

 その後、撫子の姉が家まで迎えに来てくれて、帰ることになった。

 

「今日はお世話になりました。その、えっと……“淡雪先輩”」


 彼女が恥ずかしそうに淡雪を名前で呼んでくれたのが嬉しかった。

 どうやら、互いに本音で話し合った事で、少しだけは認めてくれたみたいだ。

 ほんの少しでも縮まった距離感。


――猛クンのために一緒に頑張ろうね、撫子さん。

 

 そして、姉妹の共同戦線が始まる――。

 

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