第122話:優しいお兄ちゃんは大好きよ

 

 夏休みまであとわずか。

 猛と淡雪は掃除当番だったので、中庭の掃除中だった。

 夏の日差しが暑くなり、少し動いただけでも肌に汗がにじんでくる。

 日焼けさせるわけにもいかない、と淡雪は日陰の方の掃除を任せた。


「こうしていると、猛クンと親しくなったきっかけを思い出すわ」

「何だっけ?」

「あら、このお兄ちゃん。私との思い出を忘れているみたいね」


 淡雪がふくれっ面をするので猛は記憶を引っ張り出してくる。


「えっと……あれ? 何だったかな」


 とはいえ、すぐに思出せるわけもなく。


「思い出せない? 薄情者のお兄ちゃん?」


 そう言われても、淡雪と過ごした日常はずいぶんと自然なものだった。

 今さらアレが思い出と言われてもピンと来ない程に多くの経験を共にしてきた。

 彼女はホウキを片手に不満そうな表情を浮かべる。


「答えは、高校に入ってから桜並木の一緒に掃除したのよ」

「あぁ、そうだった。うん、思い出しました。仲良くなったきっかけだな」


 そういうこともあったなぁ。

 あれがきっかけで猛達は親しく話をするようになったんだ。


「ひどい人ね。私達のいわば、最初の出会いを忘れるなんて」

「そんな事、よく覚えてるよな」

「……何かつれないわ。男の人ってどうしてこうも思いでを大切にしないんだろう」

「悲しそうに言われると俺も傷つく」

「大いに傷ついて。私はとても悲しいもの」


 掃除をしながら、猛はしみじみと、


「女の子って記念日を大切にするよねぇ」

「男の子って記念日を雑に扱うわよね」

「うぐっ。ただ、猛だって淡雪と過ごした日々を忘れてるわけではないから」


 兄妹ではなく、友達として過ごしてきた日常。

 それは確かな思い出としてある。


「例えば、あれからすぐに恋人ごっこを始めた事とか」

「はぐっ!?」

「お忘れではない?」

「忘れてはいませんよ」


 ふたりが兄妹でありながら恋人ごっこをしていた件は優子の耳に入っている。

 そのせいでひどい目にも合わされた。


「どれだけ俺が説教を受けたか」

「そうなの?」

「しかも、婚約者を作るとかある意味、撫子との関係も危機的状況だから」


 淡雪の暴露のおかげで猛も被害をこうむったのである。


「それは猛クンの問題もの。私は知りません」


 ツンっと拗ねる淡雪は関係ない事だと否定されてしまった。

 

――唇を尖らせる仕草がちょっと可愛い。


 この子も時々、小悪魔っぽい仕草をするから困る。


「桜並木の夏になると毛虫の巣窟と化すから苦手だわ」

「小さな実を踏んで潰したり、毛虫に襲われたり。桜って春以外だと厄介な木だよな」


 一年のうち、わずかな時間しか必要とされないのも悲しいものだ。

 なんとか掃除は終了、あとは片付けるだけだった。


「話は変わるけど、うちの妹が一昨日から熱を出してね」

「結衣ちゃんが?」

「早くも夏風邪。季節の変わり目。お腹出してクーラー全開で寝てたみたい」


 容易に想像できてしまうあたりが結衣らしい。


「大丈夫だったのか?」

「今朝は咳をしていたけど、熱は下がり気味のよう。ただ、念のために数日は休ませるから、少し早い夏休み突入ということになるでしょうね」

「結衣ちゃん、早く元気になってもらいたいな」


 夏風邪とはいえ油断はできない。

 季節の変わり目こそ要注意が必要だ。


「本人はダンスを踊りたいから早く治すって珍しく主治医の言う事を聞いてるわ」

「あはは、結衣ちゃんらしい」

「私が『注射でも打ってさっさと治してあげて』と言ったら半泣きだったけど」

「あー。結衣ちゃんへの扱いがひどい所もいつも通りだな」

「そう?」

「もっと妹には優しくしてあげてよ、お姉ちゃん」


 淡雪にとっての結衣の姉妹関係も変わりなかった。


「私、優しいつもりなのになぁ」

「……ですね。結衣ちゃんには今度、差し入れでもしてあげようかな」

「そうやって、結衣ばかり甘やかせて」

「こっちの拗ねてる妹の事も忘れてないよ。これからスイーツでも食べに行く? この前、ミルフィーユが美味しいお店を見つけたんだ」


 彼女のご機嫌伺いも当然のようにしておく。


「ふふっ。優しいお兄ちゃんは大好きよ」

「淡雪も意外と甘いスイーツは大好きなんだよな」

「和菓子ばかり食べていると、洋菓子に憧れるもの。それだけは結衣と同じ気持ちだわ。私の好物は水羊羹ではなく、ガトーショコラなの」


 茶髪を風になびかせて、彼女はにこやかな笑みを見せた。


「それじゃ、連れて行ってもらいましょう。案内してよね、お兄ちゃん?」

「お任せを」


 機嫌のいい淡雪を連れてスイーツのお店へ。

 しばらくの間、楽しい兄妹の時間を過ごしたのだった。






 家に帰ると撫子がソファーに座って、携帯電話を触っている。


「おかえりなさい、兄さん」

「撫子が最近、自分の携帯をいじる姿をよく見るぞ」

「えぇ、今までの私はこの携帯電話と言うものを持ってはいても、満足に機能を使いこなせていませんでしたからね」


 昔から電子機器が苦手で、携帯電話は電話くらいしか使用できなかった。


「恋乙女さんに教わりながら、最近、使いこなせるように努力している所です」

「なるほどな。恋乙女ちゃんと友達になれてよかったよ」

「えぇ。いろいろと彼女にはお世話になりっぱなしです」

 

 恋乙女の指導で、少しずつ慣れてきている。

 現在はメール機能だけでなく、SNSの部類にも挑戦しているようだ。

 少しずつとはいえ、ずいぶんな成長である。


「ふふふ。兄さん、知っていましたか」

「何を?」

「最近の携帯にはカメラ機能が搭載されているんですよ?」

「もうずっと前からついてたよ!?」


 何という今更感だろうか。

 デジカメには劣るが良いカメラが標準的についている。

 もう十数年前からついている機能だ。


「そうでしたか。私、恋乙女さんに自撮りを教えてもらい、挑戦中なんです」

「女の子はよく自撮り好きだよね。撫子は可愛いからいいけどさ」


 自分の写真をそんなにとって何が楽しいのか猛にはよく分からない。

 どれだけ自分が好きなんだよ、と思わず言いたくなる。


「あら、男の人だって自撮りしてますよ?」

「それこそ意味不明。野郎が自分の携帯に自分の写真を残してどうするのやら」

「SNSに投稿したり、と写真もよく使われているようです」

「イン●タ映えとかよく言ってるもんな」

「写真は思い出を残せるものです。兄さんとの思い出を形に残したいのでこれからは写真も撮るようにしましょう」


 早速、猛との写真を撮り始める撫子だった。

 

――本人が楽しそうだからいいか。


 彼女がしたいようにさせてあげる。


「そう言えば、兄さん。私に秘密を隠していますね」

「は?」

「おや、身に覚えがありませんか?」

「いや、そう言われても今回は特に秘密という秘密はないぞ」


 毎度のことながら、このやり取りは心臓に悪い。


――俺、何をしちゃった?

 

 心当たりがないと言うと彼女は不機嫌そうに、


「……今の世の中、便利なものです。私も携帯の機能を少しずつですが使いこなせるようになりました。だからですね」


 彼女は携帯電話を猛の方へと見せつける。


「こういう情報にも気軽に触れられるようになったんですよ」


 それは、誰かのSNSのページ。

 猛と淡雪が一緒にスイーツを食べていた光景が写った写真が掲載されていた。


『学内の美形兄妹と評判の淡雪先輩と猛先輩のツーショットを目撃!』

『スイーツを食べさせ合ったりして、超ラブラブ』

『このふたり、ホントに双子の兄妹なの?』


 というコメント付きで、複数の目撃談あり。

 悪いタイミングで、ミルフィーユを食べさせ合ってるシーンの写真だ。


――あっ、やべぇ。俺の人生、終わったかも。


 今の世の中ってこういう情報が簡単に流されるから恐ろしい。


――撫子さんにとって、都合のいい情報ツールを手に入れてしまった。


 携帯を使いこなせるようになったことは猛にとってはある意味で不運。

 己の警戒心のなさを後悔しつつ。

 撫子が不機嫌になるであろうことを想像してゾッとするしかなかった。

 

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