第111話:名前に込めたのはお母さんの想いよ
「お、おぅ……毎度のことながらひどいめにあった」
車から降りた猛はぐったりとしていた。
地面に足がつくとホッとする。
「生きてるって素晴らしい」
そんな些細なことに幸せを感じられる。
「撫子は大丈夫か?」
「大丈夫ですよ。私は結構、楽しんでました」
「あれを絶叫マシンか何かと思うな。リアルで命がかかってる」
「ふふふっ。この私は怖いものが苦手なのに大好きな子なんです」
「……ホント、ふたりともひどい言い草ねぇ。猛も免許取ったら私と同じような運転をするものよ。誰だって最初はこんなものなの」
絶対に運転センスの問題だと思うのは猛だけだろうか。
「もう少し派手なら兄さんが抱き付いてくれたりして、吊り橋効果も期待できるんですけどね。その辺が残念です」
「残念がらないで。平穏無事が何よりさ」
姉の運転ほど怖いものはないと身に染みて感じさせられた。
「で、目的地についたわけだが」
本日の目的地、彼らがやってきたのは郊外の霊園だった。
ここには大和家のお墓がある。
「……お母さん、撫子と猛を連れてきたわよ」
今日は撫子の実母、華恋の月命日だった。
「姉さんはずっと月命日に来ていたんですよね?」
「まぁね。出来る限りは来てたよ。忘れちゃいけないことだもの」
「……私は知りませんでした」
「それについては謝罪しかできないなぁ」
ここには何度もきたけども、撫子の実母が眠っているとは聞いていなかった。
大和華恋。
病気のために、二十代前半と言う若さで亡くなった。
そして、その存在は大和家の間では猛達にだけ隠され続けていた。
「母さんのこと、撫子にはずっと伝えずに来たでしょ」
「私達の関係を守るためと聞きました」
「俺たちが義理の兄妹であると言う事を秘密するためにだろ?」
「須藤家で猛がいろいろとされてたって言う話を聞いてね。悩んで出した答えが大和華恋という女性の隠ぺいだった。ひどいことをしてる自覚はあったわ。撫子に実母の存在を知らせずに来たこともね」
大和猛は大和家の長男である。
そう思い込ませるために。
あえて両親が再婚した事は誰も猛達に告げずに来たのだ。
さらに、彼を守るために大和家は親戚一同が協力してくれた。
「大和家の人間って皆、優しい人が多いよな。感謝してもしきれない」
「だったら、その恩は将来、大和家を継いで返してあげて」
「長女の姉をさしおいて?」
「私は安心してお嫁に行きます。……出会いがないけど、彼氏もいないけど」
寂しそうに嘆く姉だった。
彼氏くらい早く作って欲しいと弟からも願っている。
「華恋お母様」
撫子はお墓を前に手を合わせる。
「ここには何度も来ましたが、私はずっと彼女の存在を知りませんでした。写真を見せてもらいましたが、綺麗な人でしたね」
「……どんな人だったんだ?」
「んー。病弱だけど、すごく気の強い人だった。私も病院で入院してる彼女によく怒られたもの。そう言う意味では撫子に似てるかな」
撫子は「私に?」と自分の胸に手を当てる。
「そうそう。気が強くて、凛としている所がそっくりよ」
「あの、私は世間的にお淑やかで大人しい子のイメージで通しているんですが」
「猫かぶりすぎ。猛のためなら家族相手ですら戦争ができる強い子じゃない。気が強くて、毒舌な所がよく似ていると私は思う」
「うぅ、褒められてませんよ。気が強いって言うのはやめてください。良いイメージがないので。兄さんに嫌われてしまいます」
だが、撫子の心の強さはきっと母親譲りのものなんだろう。
『病気になんて負けるものかぁ。私の人生はこれからも続くのよ』
病室でもそんな風に言える強い人だったらしい。
『いい、雅? 運命になんてお母さんは負けないわ。誰にも負けない』
どんなに辛くても、運命に抗い続けて。
最後まで他人に弱さを見せなかった人だった、と雅は笑って言った。
手を合わせるだけの撫子は静かに呟く。
「……ごめんなさい、お母様」
「謝るのは私達であって、撫子が謝る事じゃない。娘の幸せを願う人だった。結果的に貴方達が幸せになれたんだもの。許してくれるわよ」
いろんな複雑な想いがある。
こうしてお墓参りに来たのは撫子がつけたかった“けじめ”のためだ。
「お母様が好きな百合の花を持ってきました」
「昔から好きな花だったの。私も覚えてる。病室にはいつも百合の花が飾られてたわ」
「私も好きですよ。この花を見ていると心が落ち着くんです」
白い百合の花を花筒にいれる。
綺麗に咲き誇る花を眺めながら、雅は言うのだ。
「大和撫子……。貴方の撫子の名前って華恋お母さんがつけたの」
「そう聞いています」
「大和撫子、花の如く咲き誇れ。貴方の名前に込めたのはお母さんの想いよ」
美しい花のような少女に成長した撫子を見たら、きっと華恋も喜ぶだろう。
「正直、撫子を妊娠した時はもう先がないって分かっていた時期なの。だから、家族もびっくりしてさぁ。でも、お母さんは無理してでも生みたいって頑張った」
「……私のために」
そっと撫子が猛の手をつかんでくる。
「どうせ命が尽きるなら、新しい命に繋げたいって。あの人らしいわ」
華恋は撫子を生んでから一年後に亡くなっている。
未来ある娘の誕生に、自分の人生をかけたのだ。
「最後まで笑顔で逝きました。すごい人だったわよ」
「お母様は素敵な人だったんですね」
「そもそも、お父さんとは親戚同士なの。幼馴染で、高校卒業して結婚。私が生まれましたと言う時点で、すごくない?」
「……昔から病弱だったんでしょう」
「そう。先がないのを分かっていたからこそ、無茶もできる」
「自分の運命に抗い続けてた末に。私の存在がお母様の生きた証と言うわけですか」
「そういうこと。だから、貴方が幸せに笑ってくれることがお母さんの幸せだと思うの。これからも笑顔でいてね。私も可愛い妹の笑顔は好きよ」
「ありがとうございます。お母様のおかげで私は素敵な人に出会えました」
そっと瞳をつむる撫子の瞳に端には涙が見え隠れする。
同じように瞳をつむりながら手を合わせた。
「この霊園は静かですね」
「……夏前なのに良い風が吹くわ」
線香の煙が夏空へと消えていく。
木漏れ日とそよ風を感じることのできる静かな場所。
彼らはしばらくの間、想いを馳せて時間を過ごしていた。
「当り前のように今、私はこの世界に生きています」
「でも、その当たり前をくれたのは今はいない人だよ」
「はい。だからこそ、もっと時間を大切に生きていきたいと思いました」
人が生きると言う事。
愛すると言う事。
人生は思い通りにいかないこともたくさんあって。
だけど、いろんな思いや願いを抱えて生きていく。
猛達もいずれは、結婚して子供が生まれて。
親たちと同じように、様々な決断を経て、人生を作り上げていくんだろう。
「兄さん。前に言ってましたよね」
「なにを?」
「自分は知らないところでいろんな人に愛されて生きているんだって。そのことを自覚しろって。私もその言葉を実感しました」
「人から愛されることって自覚しにくいもの。けれど、それを自覚できた時、ひとつ成長できると思うんだ」
「……はいっ」
可愛く微笑む少女の横顔を見つめる。
「兄さんの愛もちゃんと感じてますよ。愛されすぎて幸せですっ」
そんな恋人の手を握りしめながら、夏の到来を肌で感じていた――。
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