第109話:世の中、何かが間違えている気がします


 ある程度、怒られる覚悟をして家に帰ったのだが。


「まったく冗談じゃありませんよ。心臓に悪い冗談です。兄さんから浮気を告白された時は、思わず手が出そうになりました」

「……いや、もう出してますよね、撫子さん?」

 

 怒られたのは別の理由だった。

 

――すでに頬に一発、痛いのをもらっております。


 家に帰ってから猛は撫子に事の詳細を説明した。

 須藤家の因縁も含めて、あの家で起きたことをすべて。

 包み隠さず、淡雪とキスをした事実も隠さずに話した結果がこれだ。


――話すたびに撫子さんの顔色が不機嫌になるのが怖かった。


 弁解の余地なしと判断されて、有無を言わさずのお仕置きだった。


「双子の実妹にキスをしてしまったなんて正直に言われても、許せません」


 不満そうに唇を尖らせて「妹にキスは犯罪ですよ、犯罪!」と拗ねる。

 自業自得とはいえ、痛む頬を押さえながら、


「撫子とは兄妹関係の時に何度もしてましたが?」

「私は良いんですよ。まだ言い訳をするのは反省が足りていないのでしょうか?」


 ぶんぶんと猛は首を横に振って「ごめんなさい」と謝る。

 彼女は小さく嘆息してから、


「けじめはちゃんとつけましたか?」

「……互いに恋愛感情を終わらせた、かな」


 一度きりのキスは胸の中にある恋心を消し去るもの。

 最初で最後、これで終わりだ。


「実妹とキスとかありえないです。兄さんは誰にでもキスするから許せません」

「……そんなつもりはないけど」

「今日は私、キスしません。同じ日にふたりの女の子とキスしないでください」


 彼女はぷいっとふてくされる。

 ご機嫌ななめの彼女は嫌みっぽい口調で、

 

「先輩と肉体関係を持つ前に実の兄妹だと分かってよかったですね」

「……そんな恐ろしい事を真顔で言わないでくれ」

「どうでしょう? 兄さんの事ですから、私との関係がうまくいかなければ彼女に乗り換えていたのも容易に想像できますよ。最悪の場合は昼ドラルートもありえたかと」

「知らないことって怖いな。でも、俺は何があっても撫子以外を愛せるとは思えないけど。義妹だと知らなくても、恋人として歩み始めたじゃないか」


 本気の恋愛感情を猛は淡雪に抱いてたわけではない。

 そうなりかけていたのは否定しないけど。


「それにしても、須藤家に行くなんて勇気がありますね。お母様としてもそれは望んでいないのでは? 兄さんにとってはあの場所は禁断の場所でしょう」

「現実から目を背けるのは簡単だ。だけど、分かり合えていけるのならそれはそれでいいと思ったんだ。俺はもう運命に負けたりしない」


 記憶ない頃からの呪縛からの解放。

 志乃や実の父親と話せたのはすごくよかった。

 

「いつか機会があれば、お祖母さんとも話をしてみたいものだ」


 何もできなかった昔とは違うのだ。

 人は関係を変えていけるものだと信じて。


「兄さんはお人よしと言うか、ただのおバカさんだと私は思います」

「ひどい言い草だな」

「人を憎む感情が欠如してるんです。人間、怒らないとストレスたまりますよ」


 くしくも、結衣と同じ台詞を言われてしまった。


「俺は誰かを憎んで生きるより、たくさんの人を愛していきたいだけさ」

「兄さんのその性格は本命の女の子を泣かします。まさかのハーレム宣言なんて」

「してないから!? 愛するの意味が違う」

「たくさんの女の子を愛していきたい。それが兄さんの本音のような気がします」


 誤解を招く言い方をしてしまったせいで、顔が怖い。

 

「まぁ、兄さんらしくていいですけど」

「どういう意味かしら」

「いつまでも甘っちょろい兄さんでいてください」

「甘っちょろいって……ひどいっす」


 言い方が刺々しくて苦笑いしかできない。


「貴方は誰にでも優しい人です。誰かを憎んだり、嫌ったり、疑う事もない非常に純粋な人間です。貴方の綺麗な心が汚れないことを私は望んでいます」


 撫子はそんな風に笑っていた。


「綺麗な心、ね? 男の褒め言葉ではないような」

「いいえ、誰よりも純粋な貴方だから私はここまで好きになったんですよ。ずっと変わらないでいて欲しいものです」

 

 猛に寄り添う彼女と、静かな夜の時間を過ごしていく。


「頭を撫でてください」

「キスはしてはいけないと?」

「ダメです。今日はしません。ぷいっ」

「じゃ、抱きしめるのは?」

「それは許可します。どうぞ、ぎゅってしてくだ……いえ、ちょい待ち」


 くんくんと彼女は彼の衣服についた匂いをかぐ。


「兄さんから女性の匂いがします」

「……気のせいやで」

「いいえ。これはもしかしたら、事後? 失意の須藤先輩と関係を……」

「違います!?」


 不機嫌な撫子は「洗濯するので服を脱いでください」と叱る。

 結局、その日は彼女に触れさせてもらえなかった猛であった。




 

 数日後、猛達の新しい日常が始まろうとしていた。

 

「……カレーには必ずマヨネーズをかける兄さん?」

「またその呼び名が復活した!?」


 学食で昼食を取っていると、撫子が怪訝そうな目で彼を見る。

 本日はカツカレーにしてみたのだ、もちろんマヨトッピングで。


「そんな親の仇を見るような目で見ないで」

「またですか。兄さんのせいでマヨネーズが嫌いになりそうです」


 げんなりとした様子の撫子。


「それはもったいない。ほら、サラダにマヨをかけて」

「私は和風ドレッシング派ですから。近づけないでください」


 レディースセットのサラダを手で死守する撫子だった。

 こんな風に撫子と会話をしていても、いつもの平穏な日々が戻ったせいで、


「うがぁ……あのふたり、またイチャついてるよ。ちくしょー」

「恋人同士なら当然じゃない?」

「いいよなぁ、羨ましい」

「兄妹じゃなくて、恋人なんだもんねぇ。やりたい放題だわ」

「元からあんな風だった気もするけどね。愛を貫くってすごいな」


 周囲からは生暖かい視線を向けられていた。

 義妹だと知ってからは、あれだけ騒がれていたのが嘘のようだ。


「あら、猛クンもカレーなんだ?」


 猛達に声をかけてきたのは淡雪だった。

 あれから無事に学校へ復帰した。

 言いふらす事でもないので、まだ猛達が兄妹である事は周囲に説明していない。


「あいてる隣に座ってもいいかしら?」

「もちろん。淡雪もカレーか。俺と同じで今日はカレーの気分だった?」

「そうね。ふふっ、双子だから波長もあうのかも」


 穏やかな微笑みを浮かべる彼女に対して、


「なぁ!? マヨトッピング……貴方もですか」


 顔をひきつらせて撫子が唖然としていた。

 彼女のカレーにも当然のように円を描くようにマヨがかけられている。


「ほら見ろ、淡雪だってマヨトッピングだ。カレーにはこれが合うんだよ」

「美味しいわよね。見た目が少し悪いけども、味がマイルドになるもの」


 淡雪の言葉に「このふたり、悪魔ですね」と嫌悪感まるだしでドン引きする。


「ホント、そういう所が似た者兄妹ですね。双子そろって、マヨカレー。お母さんが泣いてますよ」

「……お母さんもこれが好きよ?」

「世の中、何かが間違えている気がします。うぅ……」


 ともあれ、食事を楽しみながら淡雪は言う。


「いろいろと考えてみたわ。兄妹という関係についてもね」

「……結論はでた?」

「少しまだ時間はかかりそう。だけど、私が貴方を必要として、大切に感じる心は本物よ。友達でもなく、妹としての立場にはまだ気持ちがついていってはいないけども」


 本当の意味で兄妹になれるのはまだまだ時間はかかりそうだ。

 そんな猛達に対して撫子は呆れた声で、


「こっそり裏切っておいて、よく言いますよ。兄さん、その人を信じてはいけません。彼女は貴方を裏切った女だという事もお忘れなく」

「ん? 撫子さん、何を言ってるのか聞こえなかったわ」

「ひっ……何でもないです。こっち見ないでください」


 びくっとして彼女から視線をそらすと、カニクリームコロッケを食べる。

 撫子の彼女への苦手意識も改善する気配はないようだ。


「ところで、いつのまにか兄さんが先輩を呼び捨てにしてますね」

「妹だからな」

「……なるほど。そういう区切りのつけ方もありますか」


 淡雪の方も「私も呼び方を変えようかしら」と提案。


「ねぇ、私は猛クンを『お兄ちゃん』と呼ぶべきかしら?」

「……お兄ちゃん、その響きは素晴らしい」

「兄さんっ! 浮かれてはいけません、甘い顔をし過ぎです」

「あら、いいじゃない。お兄ちゃん。私は撫子さんと違って血の繋がりのある妹だもの。貴方の方こそ、いい加減に兄さんではなく名前で呼んだら?」

「恋人ですが名前で呼ぶには勇気がいります」


 ちょっと照れくさそうにする撫子だが、その気持ちは分からなくもない。

 こちらもこちらで、時間をかけて恋人の関係を築いているのだ。


「ですが、須藤先輩がお兄ちゃんと呼ぶのは認められません」

「……これは撫子さんに認めてもらう問題かしら?」

「当然です!」

「それじゃ、兄さんで」

「それは私の専用です! 取らないでください。他の人には絶対に認めません」

「だったら、おにぃ? お兄様? 兄上? あっ、おにいたん、とか?」


 撫子は顔を真っ赤にしながら「どれもダメです。最後は子供ですか」と反抗する。

 すっかり淡雪に翻弄されている彼女だった。

 わざとらしく肩をすくめながら、


「あれもダメ、これもダメ。撫子さんは我がままだわ」

「誰のせいですか、誰の……」


 つい淡雪相手にムキになってしまう。

 

――このふたり、相性がよろしくないようです。

 

 分かっていたけど、仲良くできないようで。


「こうなったら、猛クンに決めてもらいましょう。私はどう呼べばいい?」

「……それじゃ、おにいたん(はぁと)」

「なぜ、そこを選んだんですかっ!? 変態なんですか!」

「い、いや、大人っぽい淡雪とのギャップを楽しみたくて、つい」

「変態ですか、変態なんですね!」


 結局、撫子の猛抗議にあい、呼び名は今後の課題として先延ばしになった。

 食事を終えてから、淡雪は撫子に穏やかな表情を浮かべて、


「あまり姉をいじめないで。私が猛クンの妹という事は撫子さんも私の妹なのよ」

「……こんなお姉さん、認めたくありません。腹黒くて怖いだけです」

「あら、いやだわ。私、黒雪姫じゃないのに」

「黒雪姫……あなたにピッタリですよ」


 嫌味っぽく言いながら牽制するように、


「次に兄さんを裏切る真似をしたら許しません」

「それは反省してる。自分の気持ちの向き合い方にもね」

「貴方は不器用そうですもの」

「自覚してるわ」


 素直になるのが苦手な淡雪らしい。


「ねぇ、撫子さん。妹である貴方は常々、こう言ってたわ。愛さえあれば、妹でも恋人になれるって」

「……は?」

「つまり、実妹の私でも猛クンを想う気持ちは自由って事よね?」


 自分の唇に人差し指を当てて意味ありげに言った。


「な、何を言ってるんですか!?」

「だって、撫子さんがが自分で口癖のように言ってたじゃない。私もそうしてみようかしら。自分には素直になりたいタイプなのよ」

「ダメですよ。あのですね、世間的に兄と妹の恋愛関係は非難されるべきものです。兄妹の恋愛が美化されるのは漫画の世界だけですよ」

「そのセリフ、少し前の撫子さんにお返ししてあげるわ」

「返していりません。やめなさい」

「愛は止められないの」


 余裕の笑みを見せる淡雪に翻弄される撫子。


「私は猛クンいわく、甘えるのが下手らしいわ。だから、妹として甘えていきたい。甘える事で自分を変えていきたいのよ」

「変える意味が違います」

「それくらいは認めてもらえるでしょう?」

「あからさまで露骨すぎなんですよ!? 物事には程度と限度があります」


 がるる、と噛みつきそうな勢いで撫子は、


「兄さんに恋心を抱くのは禁止です。法律的にもダメですから!」

「ふふっ。撫子さんはからかいがいのある可愛い子だわ」

「ぐすっ、黒雪姫の姉にいじめられてます。毒りんごでもプレゼントされそうです」


 言いように遊ばれてしまうありさま。


――何だかんだでこのふたりも相性がいいんじゃないか?


 見ていて何だか笑いがこみあげてくる。


「あははっ」

「……ぐぬぬ。兄さんも笑ってないで何か言ってくださいっ」


 案外、この新しい関係もうまくいきそうじゃないか。

 笑顔の妹たちを見つめながら猛はそう思えた――。


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