第108話:難しいな、人間関係って


 無事にふたりが和解した。

 それを結衣は喜んで歓迎する。


「お兄ちゃんたち、ちゃんとお話できてよかった」


 ホッとした結衣が帰り際、見送ってくれていた。

 淡雪はまだ少しだけ時間が欲しいと部屋に残って、そこで別れた。

 けじめをつけたとはいえ、猛達の間にはまだ消えてなくならない思いがある。

 いつかそれが過去の事になって、笑いあえる日が来ることを望む。


「結衣ちゃんのおかげかな」

「お姉ちゃんも大変だろうけどね。好きだった人が兄だなったなんて。心の整理つけるのは難しいかも、だけど。きっとお姉ちゃんなら大丈夫だよね」


 笑顔を浮かべる彼女に猛も頷いておく。

 時間が解決してくれることもあると信じたい。


「……それにしても、この家って本当に広いよなぁ」


 旧家とはいえ、迷子になりそうなほどの広さがある。

 こうして案内を頼まなければ玄関にもたどり着けそうにない。


「古いだけだよ? 部屋も無駄に多いだけで実際に使おうとすると問題もあったり。むしろ、使わないのに部屋の維持をするだけ大変って感じ?」

「これ、聞いていいのか分からないんだけどさ。どうして、須藤家って女尊男卑なんだ?そんなに男を憎む理由ってあるのかな。普通じゃないよね」

「時代錯誤も良い所だよね。須藤家にそんなしきたりがなければ、お兄ちゃんはずっと私のお兄ちゃんだったわけだし」


 容易な問題ではないと聞くのを避け続けてきた話題だ。

 結衣は理由を説明してくれる。


「しょうもない理由だよ? 男の子は災いしか生まないから、だって」

「災い?」

「うん。もうずっと何代も前の昔話なんだけど、須藤家の男の当主が莫大な借金を背負ったうえに、愛人と一緒に夜逃げしちゃったの。その後、残された奥さんと子供達が頑張って須藤家を立て直したんだ。その頃から女性の発言力が強い家になったみたい」


 その後、時代を経ていく毎に、須藤家は事業を成功させ、より大きくなっていく。

 だが、男が当主であると必ずと言っていいほど事業が窮地を迎えたり、浪費癖や女問題を抱える事が多く、その度に女性が窮地を救った。

 それ繰り返すうちに、次第に一族内に男卑の風潮がより大きくなっていく。

 やはり、根の深い問題だったのだ。

 

「結局、今の須藤家一族がお金持ちなのは女性のおかげってわけ。むしろ、良い所なしの男性陣の発言力はほぼなくなって、そのうち、男の子自体が一族では嫌悪されるようなっちゃったんだって」

「……なんてこった。ご先祖たちのせいかよ」

「うん。お兄ちゃんにとっては、ひどいとばっちりだね。可哀想だ」


 お金持ちならではの問題も絡んで複雑だった。

 当時は女性たちもそれだけの苦労もかけられてきたんだろう。


「積み重ねてきた歴史の中で、須藤家にとって男は災いの対象でしかなくなったわけだ。そのうち、男の存在そのものを否定するようになった、と」

「時代についていってない。お祖母ちゃんもそこに寛容にならないと」

「いや、どうだろうな。他人から聞けばそんな程度かよ、と思う事も知れないけども、当事者にとっては笑いごとでもなかったんだろう」


 須藤家が窮地を迎える度に立て直してきたのは女性たちである。

 気持ちを考えれば、いつしかこんな極端な事になったのも理解できなくはない。


「言葉で言うほど簡単な問題じゃないってことだよ」


 もちろん、罪のない子供にまでそれを押し付けるのは異常だが。


「……お兄ちゃんって変だね」


 ばっさりと結衣は膨れっ面で猛を否定する。


「えー。変って言わないでよ」

「だってさ、普通はここは怒って良い所だよ? そんなつまらない風習のせいで人生変えられたんだぁ、ってもっと怒ってもいいと思うの」


 身振り手振りで、うぎゃーと怒る仕草をしてみせる。

 ……ちょっと可愛い。


「お兄ちゃんだって、赤ちゃんだった時にひどい目に合ってるんだからね!」

「事情は理解できることもあるって話だよ」

「……お兄ちゃん。怒る前に諦めてる気がする。我慢してない?」


 怒る前に諦めて我慢する。

 

――どうだろうな。怒ることがあんまりないのは事実だけどさ。


 あいにくと、猛自身、そういう感情が薄いのも事実だ。


「大丈夫だよ。俺だって怒る時は怒るさ」

「ホントに? 例えば?」

「例えば、今日の朝、撫子から散々、『雨が降るから傘を持って行った方がいいですよ』と言われたのに、結局、傘を忘れてしまった時に『何やってるんだよ、俺は』って自分自身に怒った」

「具体例が具体過ぎる上に、怒り方が小さいよ!? しかも、自分に怒ってるし」


 彼女は「お兄ちゃん、ストレスたまってない?」と心配されてしまう。


「あれだよ、ストレスとか我慢したら将来、髪の毛さんがさよならするからね?」

「……それは嫌な将来だ」

「たまには怒った方がいいよ?」

「気を付けましょう」

「でも、お兄ちゃんが皆に人気な理由は分かったかも」


 ストレスをため過ぎないようにはしてるつもりだ。

 ようやく、長い廊下を終え玄関が近づいてくる。

 だけど、そこにはひとりの男性の姿があったんだ。


「げっ。お、お父さん?」

「ただいま、結衣」

 

 玄関に靴をそろえてあがってきた男性。

 初めて顔を見た印象はどことなく、猛に似てるなというものだった。

 親子だと言われたら、確かにそうかもしれないと頷いてしまうほどに。


「……」


 彼らはドキッとしながら、身構えてしまう。

 勝手に須藤家に上がったことがバレるのは非常によろしくない。


「そちらの男の子は?」

「え、えっと……お姉ちゃんのお友達です、ごめんなさいっ。お祖母ちゃんがいないから、こっそりと連れてきたの。も、もうしないから」


 結衣ちゃんが話を合わせてと目で合図してくる。

 ここは彼女に任せよう。


「ほら、お姉ちゃんが元気なかったから」

「彼女が不登校だと聞いてお話をしてただけです。勝手にお邪魔してすみません」


 緊張感が走るが、彼は「そうか」と短く言うだけで、責めることはなかった。

 

――見逃してくれたのかな。


 娘の元気のなさには気になっていたようだ。


「帰るなら早く帰った方がいい。天気が崩れてきているよ」

「あ、はい。そうします。それじゃ結衣ちゃん」

「う、うん。バイバイ」


 と、上手いこと逃げようとしていたのだが。

 彼の横をすれ違いざまに言葉をかけられる。


「……淡雪と同い年という事はもう14年ぶりか。ずいぶんと大きくなったな」


 そんな言葉を口にする彼に「え?」と声を上げる。

 思わず振り返るが、彼は振り返りもせず背を向けたままで、


「不思議なものだな。一目見れば誰か分かるなんて……」


 気づかれていた。

 猛が彼に対して何かを感じたように、彼も何かしらの物を感じ取った。

 双方の事情がゆえに、結衣は何も言えずに黙り込んでしまう。


「すでに事情は淡雪から聞いている。ふたりが双子だという事も知っているのだろ」

「えぇ。何も知らずに友人関係を続けていた相手が妹だという事を知らされたのには少なからず、驚きましたよ」

「今さら、私が何かを言う立場にないのは分かっている。幼い実の子を助けられず、見放すことしかできなかった。どんな事情があれ、兄妹の仲を引き裂いたのは私だ」


 猛はこの家から古いしきたりのために冷遇され、結果としては追い出された。

 そして、淡雪ともこの年になるまで出会うことはなかった。

 そのことを憎んでも、本当ならばいいんだろうけど。


「仕方のないことだったんでしょう。大人の事情があったんだから。貴方も、母さんも、そう望んでいたわけではないはずだ、と俺は勝手に想像しています」


 どうしようもない事と言うのはあるものだ。

 見えない権力、呪いのように縛られた古き風習。

 誰もが望んだままに生きる事は難しい。


「……俺たちはこうして再び巡り合いました。友人としての関係を築き、今は新しい関係に変わろうとしています。いつか、貴方とも堂々とお話がしてみたいですね。できれば、お祖母さんとも。そんな日が来ることを願っています」


 猛の言葉に彼は何も言葉を返さなかった。

 返せなかったと言う方が正しいかもしれない。

 その背中は少しだけ震えているように見えた。


「生きていれば、いつかは話し合う事も分かり合えることもできるはずです」


 猛は「またいつか」と再会の言葉を投げかけたのだった。

 人が分かり合えるには時間がかかる。

 すぐに答えを求めても、出ない答えの方が多い。

 須藤家を出た猛は自分の手が震えている事に気づく。


「乗り越えることの大変さ、か。どんな過去でも消えやしない。俺が須藤家で生まれたと言う事実もな」

 

 彼らにとって猛の存在は過去でしかないだろう。

 須藤家に生まれて追い出した男の子。

 そのいつかはもう来ないかもしれない。

 だけど。


「難しいな、人間関係って」


 素直に言えたらよかった。


「……初めて父である貴方の顔を見て嬉しかったよ、って」


 それを言えないのは、猛もまだこの事実を心の中で整理しきれていなかった。

 猛には彼の家族がいる。

 須藤家の人間だった過去があり。

 今は大和家の人間であり、頼れる姉と可愛い妹という兄妹もいる。

 道を別れて、人生を歩んできた。


――この道が少しだけ同じものになれたら嬉しい。


 だが、それは無理に重ねるべきものではない。

 彼らには彼らの事情があり、猛には猛の事情もある。

 

――俺にも時間は必要なんだ長い、長い時間が……。

 

 いつか、本当に分かり合いたい。


「時間はかかってもいいさ、人生はまだまだ長い」


 今にも雨の降りそうなどんよりとした雲を見上げる。

 肌で感じる、雨の気配――。


「本当に雨が降りそうだ。傘もないんだし、さっさと帰ろう」


 今朝、あれだけ撫子に言われたのに、傘を持ってくるのを忘れた。


「……びしょ濡れで帰ったら撫子に怒られるな、ははっ」


 頬を膨らませて怒る撫子の姿を想像してしまう。

 思わず笑いながら、足早に家に帰る事にした。

 

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