第80話:お兄ちゃんって存在に憧れない?

 

 ステージにあがる結衣は最後まで自分の全力を出し切って踊り終えた。

 ダンスパフォーマンスに魅了されて、時間があっという間に感じられる。

 集まっていた観客からの惜しみのない拍手に包まれた。


「結衣ちゃん、サイコー♪」

「大好きだよっ」

「やっぱり、あの子いいよなぁ」

「ホント、見てるとこっちまで元気になれる」


 賞賛の声に照れくさそうに結衣は満足そうに笑う。


「ありがとー♪ みんな、また見に来てね」


 次のダンスチームにステージを交代するために、下りてくる。

 メンバーの子たちに何かを話してから、彼女はこちらにやってきた。


「ここじゃ話もできないから、向こうに行こうよ」


 少し離れたベンチに3人で座ることにした。

 次のダンスチームがダンスを初めて再び公園内が騒がしくなる。


「暑いねぇ。汗かいちゃった。家に帰ってシャワー浴びたい」


 タオルで汗をぬぐう彼女にそっとペットボトルを手渡す。


「どうぞ、結衣ちゃん」


 ひんやりとした炭酸飲料に彼女は嬉しそうに、


「うわぁ、ありがとう。お兄ちゃんの心遣いが私の幸せ」

「……ただの甘えたい症候群でしょ」

「そんなことないよ、お姉ちゃん」


 ゴクゴクと喉を潤すようにジュースを飲みながら、


「お兄ちゃんは本当に良い人だよ。お姉ちゃんが好きになったのも分かる。ホント、別れたのは惜しかったね」

「放っておいて」

「素っ気ない態度。おやぁ、今も未練アリとか?」

「ノーコメントで。貴方に話す必要はないもの」


 未だに猛と淡雪が元恋人同士だと思ってるようだ。

 

――真実を話してもいいけど、このままにしておこう。


 当時の二人の関係を説明するのは難しい。

 誤解されても問題はないので、何も言わないでおく。


「んー。疲れた時の炭酸は最高」

「落ち着いた?」

「うん。ホント、お兄ちゃんには感謝。……お姉ちゃん、見てくれたよね?」


 真っすぐに、結衣は向かいあって告げる。

 その視線をそらさず、淡雪も言葉を発した。


「えぇ。見させてもらったわ。貴方があんなに踊れたなんて思わなかった」

「ずっと頑張ってきたんだよ。皆から認められるようにもなってきたし」


 初めから何でもできる子なんていない。

 努力して頑張って、それでも続けられる子だけがあのステージの上に立てる。


「最近、同じ趣味の友達が学校でもできたんだ」

「……人見知りのくせに」

「今の学校は全然好きじゃなかったんだけど、ようやく少しずつ友達もでき始めた」

「そう。よかったわね」

「うん。自分でも変わり始めてるって分かる。お姉ちゃん。ダンスだけは今までと違う、本気でやってるの。真面目に頑張ってるの」


 頼み込むように、頭を下げながら言い放つ。


「だから……お願い、本気で向き合いあわせてください」


 やりたいことのために、余計なことをしたくない。

 それは確かに我がままだ。

 我がままを突き通す、その覚悟も必要になる。


――その本気度を淡雪さんはどれだけ受け止めてあげられるか、だな。


 いつもの我が侭だと一蹴するのか。

 それとも、夢を追う姿に共感してあげられるのか。

 彼女の下す判断は……。

 淡雪は小さく「ふぅ」とため息をつく。


「……好きでもないことを嫌々と続けても意味はないわ」

「え? そ、それじゃ?」

「ただし、最低限の事は須藤家の女の子として身につけなさい。夏休み限定よ。その分は後でしっかりとやるって約束して。それが条件よ」


 認めてくれた。

 その瞬間に結衣の表情にも笑みがこぼれる。


「やった! ありがとう、お姉ちゃん♪」

「だ、抱きつくんじゃないの。暑いでしょ」

「えへへ。ありがとー」


 勢い余って妹に抱きつかれて、気恥ずかしさと暑苦しさに困惑する。


「暑いから離れて、普通に苦しい」

「愛してるよ、お姉ちゃん」

「はいはい。これだけ見せられて、許さないって言うほど、頭は固くないつもり。貴方の真剣さも感じ取れたし。何より……」


 彼女の視線は結衣を応援していた観客の方へと向けられる。


「貴方を待ってくれてるファンがいる。人の期待に応えられる、そんな姿を見たら反対する気もなくなったわ」

「ファンは支えてくれるから、大事なのですよ」

「貴方は自分のしたいことをしてるだけなのにね」

「……ん、褒められてる?」

「自分のしたいように、やりたいようにしてるだけでも、自分の意思を貫き通す事って大切なの。それを今日は感じることができたわ」


 彼女は「だからと言って遊んでばかりも迷惑だけど」と釘もさす。

 

「遊んだ分はしっかりと挽回しなさい」

「はーい」

「よかったね、結衣ちゃん」

「うんっ。お兄ちゃんもありがとう。お姉ちゃんがこんな風に私を認めてくれたのって、絶対、お兄ちゃんのおかげだよ」


 懐いてくる子犬のようにすり寄ってくる。

 

――俺が何をしたという事もないんだけどな。


 ただ、2人を向き合わせた、それだけだ。

 それでも、彼女たちが分かり合えたのは猛も嬉しい。

 可愛らしい姿に彼は結衣の頭を撫でながら、


「結衣ちゃんのまっすぐな想いが通じてよかったね」

「うんっ。夏が楽しみ~」

「はぁ……私はお祖母様を説得しなきゃいけないことに憂鬱だわ」

「お姉ちゃんが認めてくれたらお祖母ちゃんだって許してくれるって」

「簡単に言わないで」

「だって、この間もそうだったじゃん。お姉ちゃんが決めたことに、お祖母ちゃんは意見は言っても、反対しなかったでしょう?」


 楽観的な結衣と正反対に、淡雪は「……」と何か言いたげな表情を見せる。


「淡雪さん?」

「……お祖母様の発言力が低下しているのは事実よ」

「え?」

「実のところ、私の方の意見を優先してくださっているの。何か物事を決める時も、昔のようにとても厳しい姿を見せる事も少なくなってきたわ」

「それは須藤家の中での次期後継者的な意味あいで?」

「えぇ。その分、私が頑張らなくてはいけないことにもなるけど」


 須藤家の重責。

 祖母に代わって、後継者の淡雪が須藤家の中心になっていくということだ。

 それを重荷に感じているのだろう。


「ほら、難しい顔しないでよ。お姉ちゃんも笑顔、笑顔」

「貴方はホント、気楽ね。その能天気さが羨ましいわ」

「……褒めてないよね? 私、能天気じゃないもんっ」


 唇を尖らせて可愛く拗ねる。

 彼女は結衣ちゃんの言葉を無視するようにして、


「猛クン、今日はこの妹の我がままに付き合ってくれてありがとう」

「いいよ。俺も力になれて嬉しかった」

「やっぱり、貴方は頼りになる特別な人だわ」


 口元に手を当てて、淡雪が微笑する。

 そんな姿に結衣は珍しいものを見たという感じで、


「お姉ちゃんって、お兄ちゃんの前じゃ素直だねぇ」

「……イジメるわよ、結衣」

「はっ。ち、違うよ。変な意味じゃなくて。なんていうのかな」

「んー、自然体?」

「そう、そんな感じがするの。ありのままの自分でいられる感じ」

「また変なことを言い出すわ」

「私がお兄ちゃんに対して抱いてる気持ちと同じかも」


 猛も彼女達と触れ合える時間は純粋に楽しい。

 美少女たちに囲まれて、いい気分にならない男子はいない。

 ただし、撫子に知られてしまえば、叱責されてお仕置きコースだ。

 

「お兄ちゃんって、優しいだけじゃなくて、何でも受け止めてくれる気がする。そういう所がお姉ちゃんも気に入ってるんでしょ」

「……さぁ、どうでしょう」


 はぐらかせる彼女に結衣ちゃんは、


「お兄ちゃんは私達のお兄ちゃんだね」

「また意味の分からないことを言い出して」

「えー。そうかな? お兄ちゃんって存在に憧れない?」

「憧れません」

「嘘だぁ。いつも傍にいてくれて、甘えられて、頼りになって。私がそうなように、きっとお姉ちゃんだって……ひゃんっ」


 結衣の口をむにっと手で淡雪はつまみながら、


「そんなにお兄ちゃんがいいのなら、猛クンの妹になっちゃいなさい」

「え? いいの?」

「猛クン、この子を引き取って。我がままで、自分勝手だけど、甘やかせ癖のある貴方には合いそう。お似合いだと思うわ」

「よーし。お兄ちゃん、私が妹になってあげるね」

「いや、俺には撫子がいるから。妹は一人で十分だよ」

「一人で満足? いえ、貴方には2、3人くらい妹が必要でしょ。シスコンだもの」

「言い方がひどいっす」


 そんなやり取りをしながらも、穏やかな時間は過ぎていく。


「あー、お腹もすいてきた」

「結衣は無邪気な子供、そのものね」

「いいじゃん。お姉ちゃん、家に帰ったらまたホットケーキを作ってよ」

「……はいはい。しょうがないわね」


 仲のいい姉妹の姿に猛は安心する。


――この子たちが仲良くなれてよかった。


 姉妹の絆を確認しあえて、問題が解決できてよかった。

 そんな心、穏やかな気持ちになっていた。





 だが、しかし――。


「――兄さん、大事な話があります」

 

 そんな穏やかな気持ちは一瞬で失われる。


「お母様と対決する日がついに来たようですよ」


 家に帰るや否や、撫子が真面目な顔をして猛に告げるまでは……。


――マジかよ。ここで嵐、再びか。


 撫子の宣戦布告。

 大和家にとびっきりの暴風が吹き荒れる。

 夏を前に“嵐”が再びやってくる――。

 

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