第72話:色に出でにけり、わが恋は
撫子には苦手な相手、いや、もはや“天敵”と呼ぶべき相手がいる。
放課後、図書室に本を借りに来ると、あまり会いたくない相手と遭遇した。
欲しい本を探していると、声をかけられたのだ。
「こんにちは、撫子さん。何か探してる本でもあるのかしら」
「……須藤先輩?」
「どうも。私、図書委員なの。何かあったら手伝うわよ」
「意外な感じです。本がお好きなんですか」
「えぇ、個人的にも本は好きだからよく利用してるわ」
苦手ではあるが、逃げ出すわけにもいかず。
探していた本の場所を彼女に尋ねた。
国語の授業で使う調べものをするためにここにきた。
「古典系の課題だったわね」
「はい。パソコンで調べる人も多いそうですが、私はああいうのは不得意でして」
「今時の子は簡単に検索したら、はい、終わりだもの。図書室も寂しくなるわけだわ。紙媒体なんかで、自分で調べてこその課題なのにね」
「まったくですよ」
「コピー&ペーストで楽するのは自分のためにもならないもの」
嘆きつつも本を探すのを手伝ってもらう。
「えっと、この課題を調べるのはこの辺の本が参考になると思う」
古典の参考資料。
今回は百人一首の中で自分の好みの歌を探して調べるという課題だ。
図書室の棚に並ぶ本をひとつ片手に取ると尋ねる。
「百人一首の本、コーナーができるほどに本がありますね」
「最近、この手の本が増えてきてるわ」
「こんなにも種類があるとは思いませんでした」
「課題にするだけのことはあるでしょ」
本棚には思ってた以上に百人一首に関係する本が並んでいる。
関連書物に目を通しながら、淡雪は説明する。
「百人一首、競技かるたが少女漫画の影響で流行してるでしょ」
「映画にもなったものですよね?」
「うん。そのせいか、この手の本が人気があるみたいで、まとめてみたのよ」
「昔の人々の恋の歌ですか」
撫子好みの歌がある。
「色に出でにけり、わが恋は」
昔から知っている、百人一首のひとつ。
しのぶれど、平兼盛が詠ったものである。
「なるほど。しのぶれどの一節ね。しのぶれど、私も好きよ」
「小学生の頃から好きでした」
「授業で、かるたとか遊んだものね。思い出すわ」
「意味を調べて、すごく素敵だと思ったんです」
――しのぶれど、色に出でにけり、わが恋は、ものや思ふと、人に問ふまで。
心に秘めて想いを隠しても、顔の表情に出てしまっているようだ。
『恋をしているのか』、と他人から言われるほどに。
そんな意味の和歌だった。
昔も今も、好きと言う思いに違いはさほどない。
「須藤先輩には恋をしたことがありますか?」
「あるみたい。自覚をしたことはなかったのに」
「自覚していなかったんですか?」
「それが恋なんだって人に言われて初めて気づいた。私は恋をしていたんだって」
――無自覚の初恋、その相手はまさか……?
困惑する撫子の視線を受けて、彼女はお得意の微笑を浮かべながら、
「撫子さんは分かりやすいわ。お兄ちゃんが大好きでしょ」
「……私のブラコンは今さらでしょう。隠していませんよ」
「えぇ。隠していない。貴方の想いが本物だっていうこともね」
真顔で見つめてくる彼女。
本物だというのは、兄妹関係であるという事を含めている。
――この人、私と兄さんの関係に気づいてる?
疑惑を抱かれるのはよろしくない。
どこで自分たちの関係を邪魔されるか分かったものではない。
「前に猛クンに尋ねたことがあるの。貴方には好きな人がいるんでしょうって」
「兄さんは何と答えたんですか?」
薄ら笑みを浮かべる唇から囁かれた言葉。
「……いるよ、と一言だけ肯定していたわ。相手は誰なのかしらね?」
「さぁ? 気になることではあります」
撫子は内心、揺さぶらされている。
――兄さんは過去に私を好きだと須藤さんに認めていた?
純粋に彼の想いが嬉しい。
それと同時に不安も抱かされてしまう。
すでに自分達の思いを知られていることに。
「猛クンの想い人が報われない恋の相手じゃないといいのにね」
「……どうでしょうか。報われないとも限らないのでは?」
「そうだといいわね。だって、悲恋は寂しいもの」
わざとこういう事を言うから、やはりこの人は性格が悪い。
――彼女にだけは兄さんとの関係を知られないようにしないと……。
改めてそう感じさせられた撫子だった。
本来の目的を果たすために、本を手にする。
――これだけ借りてさっさと帰りたい。
そのついでに、帰る前に気になっていたことを聞いておいた。
「須藤先輩。以前に迷子になった記憶はありますか?」
「子供の頃に迷子くらい誰にでも経験はあるでしょう」
「その経験の中で、男の子に助けられた経験は?」
「あったかもしれないわね。えぇ、一度くらいは」
にっこりと笑って、他の感情は表に出さない。
――この人が嫌な感じだと最初から思っていた理由が分かった気がする。
この笑顔が嫌いなのだ。
淡雪の浮かべる笑顔は、普通の微笑みではない。
まるで微笑の仮面をつけているような、嘘っぽさすら感じさせられる。
それを普通の人には悟らせないのが彼女の怖いところだ。
「助けられた男の子を覚えていますか?」
「どうだったかしら。普通は一度会った子の顔まで覚えてないものよ。それも子供の時ならなおさら。覚えてる方が難しいわ」
「……そうですか。変なことを聞きました」
全ての感情を覆い隠して本性を見せないようにしている。
――仮面を身に着けて、自分の感情を制御できる。手強い人です。
表情からまるで何も読み取れないのが気持ち悪い。
「ふふっ。色に出でにけり。撫子さんは顔に出やすいタイプね」
「私は素直なだけですが?」
「残念だけど、貴方は私を嫌いな様子。そっか、私、嫌われちゃってるか」
肩をすくめる仕草をして嘆く。
当然だ、貴方の事は信頼できないもの。
「でも、私は撫子さんのこと、嫌いじゃないわよ」
「どうでしょう」
「だって、人を好きになるのも嫌いになるのも、きっかけひとつ。私は貴方を嫌いになる理由がないもの。それは本当よ?」
――私には十分すぎるほどありますけどね。
すぐにもその言葉を返したかったが、黙っておくことにする。
「……人間って些細な事で相手を好きにもなるし、嫌いにもなるわ」
「人間は単純ですから」
「えぇ。例えば、信頼が崩れた時、とか。一途な思いが強ければ、強いほどに。信じたものが崩れ去るのは一瞬だから怖い」
好意が悪意に変わる瞬間。
どんなに相手が好きでも、浮気されて愛が冷めることもある。
人を好きになるのも、人を嫌いになるのも。
それは直感的であったり、嫌な思いをしたり、好意を抱く瞬間だったり。
すべてはきっかけ、理由がないと始まらない。
「……先輩は兄さんのことをどう思っています?」
「好きか、嫌いか。どちらだと思う?」
彼女は過去になぜか猛を嫌っている。
言いよどむ撫子に淡雪は肩をすくめて苦笑気味に言った。
「これは難しい質問よ」
「簡単じゃないですか。好きか嫌いかの二択です」
「いいえ。私が好きと言っても、嫌いと言っても、貴方に嫌われるのは間違いないんだもの。私は貴方となら仲良くしたいのに」
「残念ですが……須藤先輩。はっきりと言えば私は貴方が嫌いです」
彼女は寂しそうに「知ってるわ」と答えた。
撫子が淡雪に対して、明確に敵意を向けたのはこれが初めてかもしれない。
感情的になることもなく、静かに淡雪は穏やかな表情を浮かべて、
「撫子さんにとっては猛クンに近づく女の子が全て敵に見えてしまうんでしょ」
「そうして生きてきました。敵ばかりの人生です」
「ふふっ。もう少し楽に生きなさい。敵を作ってばかりじゃ人生つまらないわ」
「……私はただ兄さんが人生のすべてなだけです」
これまでも、これからも。
その価値観はずっと変わることがない。
「敵を作ってばかりの生き方を優しい彼は認めてる?」
「……」
「貴方のそういう所、猛クンはずっと気にしてるわ」
嫌なところをついてこられた。
――人が苦手とするところをピンポイトで狙うなんて。
彼女に弱点があるとすれば対人関係だ。
どこまでも猛の存在しか彼女には価値がない。
そのため犠牲にしてきたものは数知れず。
――それでいい。私は兄さん以外には何も必要ない。
幼い頃から人と人とのコミュニティ、人間関係作りは不得意とする。
だからこそ、淡雪の真っすぐな言葉が撫子の胸に突き刺さる。
――私を説教するような言い方は兄さんによく似ている。
それゆえの不快感。
――私はこの人が苦手だ。
自分とは全く違う価値観を押し付けてくるから。
「よ、余計なお世話です。私がどんな性格でも関係ないでしょ」
「いいえ。それは違うわ。撫子さん。貴方は変わるべきなの」
雰囲気が似てるだけに、猛自身に言われているような気がして。
心に突き刺さった言葉が抜けなかった。
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