第71話:私は見ているだけで満足だから


「兄さん。私との関係は恋人でいいんですよね?」


 猛の腕の中に抱かれながら、撫子が問う。

 最近は家に帰るとべったりとしてることが多い。

 些細な事かもしれないが、触れ合うことに幸せを感じている。


「……んー。どうだろう?」

「あら、曖昧な返事です。ダメですよ、そこはちゃんと認めてくれないと」

「兄妹? 恋人? どっちだ?」

「恋人同士ですよ。今さら、もう兄妹の関係には戻るつもりはありません」


 はっきりと言う撫子に押され気味。


――ここは認めなければいけないところかな。


 しかし、グレーゾーンを進みたい彼にとっては微妙な問題である。

 

「兄さんは私の事が好きだって言いました」

「はい、それは認めます」

「好き同士の相手を恋人と呼ぶ、世間一般的なものです。兄妹でも恋人なんです」

「……どうだろうか」

「兄さんっ。素直さを見せて、認めてください。逃げないでくださいよ」


 膨れっ面の撫子に押され気味だ。

 気恥ずかしさはあるが覚悟もある。

 恋人として、付き合っていくのならば、撫子を不安にさせるつもりはない。


「わ、分かったよ。恋人だな、うん」

「それでいいんです。自信を持ってください」

「好きな気持ちに偽りはない。俺の傍にいてほしい」

「……ぁっ。兄さんはずるいんです。いきなり、そういうことを言うんですから」


 照れくさそうに撫子は顔を赤らめる。

 こんなこと、彼女にしか言わない。

 つかの間の幸せを満喫するふたりだった。

 

 

 

 

 数日後、5時間目の化学の授業は化学室に移動する。

 その途中、階段の踊り場で荷物を抱えた女子生徒とすれ違う。

 女の子が持つには重そうな機材を運んでいる。


「椎名さん?」

「あっ、猛さんじゃないですか」

「どうしたの、それ?」

「先生に頼まれて持っていってる途中です。押し付けられちゃって」


 クラスメイトの椎名眞子|(しいな まこ)。

 ロリ顔フェイスが可愛らしい女子だ。

 目立つ方ではないがクラスでも隠れファンが多くいる。

 “ピュア子”という愛称をつけられるくらいに、純粋な子という印象だ。


「しょうがない。俺が持ってあげるよ」

「ホントですか。ありがとうございます」

「それほど重くはないが、女の子には大変だろう」


 代わりに持ってあげると眞子は嬉しそうに笑う。

 その笑みだけでも代わってあげたかいがあった。

 

「それにしても、先生も女子に押し付けるってひどいな?」

「いえ、授業のプリントを忘れたとかで職員室に戻ってしまったんです」

「そこで通りがかった椎名さんに、ってこと? 運が悪いね」

「あはは……私、そういう所が要領よくないんですよね」


 苦笑い気味にちろっと舌を出す仕草が可愛らしい。

 

――さすがピュア子。あざとさがない天然さが可愛らしい。


 何げない可愛い仕草が男の子に人気なのだろう。

 荷物を持ちながら、彼女の横を歩く。


「大和さんはすごく優しいですよね」

「そう?」

「誰に対してもすごく穏やかですし、優しく対応できて素晴らしいです」

 

――撫子にも言われたっけ。優しいっていうのは人を思いやれることだって。


 特別に何かをしているつもりはない。


「相手が困っていたら助けるって言うのは普通じゃない?」

「それを自然にできる大和さんって素敵です」

「あ、あはは……ありがとう」


 真正面から褒められるとなぜか照れる。


――女子から褒められるのっていいですよね。


 今や罵詈雑言の方が多い彼には真子の甘い言葉は心を癒してくれる。

 

「可愛い女の子に甘えられるのって好きだな」

「ふふっ。そんなことを言ってもいいんですか? 大和さんって女子から人気ですから皆さんに甘えられてしまいますよ」

「今の俺は女子から評価低いから。心配ご無用……言っていて悲しいね」


 自虐ネタに自嘲する。

 だけど、椎名さんは「そんなことないです」と否定してくれる。


「確かに大和さんには誤解を招く噂はあります。でも、ただの噂でしょう? 可愛い妹さんがいて、多少仲がいいだけならば自然と噂もなくなりますよ」

「皆が皆、椎名さんみたいに思ってくれたらいいんだけどね」


 現実はそうじゃないのが辛い所だ。


「実際に妹さんに手を出してはいないんでしょう?」

「その純粋な顔で見ないで。疑われると泣きたくなるから」

「……ただの仲のいい兄妹ならば、何も問題はありません」

「だ、だよねぇ」

「私も大和さんみたいなお兄さんがいたらきっとブラコンになりますよ」

 

 そして、猛自身も、この関係を否定をできなくなってしまった。

 

――ごめん、シスコン兄貴ならまだいいけども、妹を女として愛してしまった。


 もう戻れない。

 この秘密の関係を誰かに知られるわけにはいかない。


――これが世界を敵に回すって事なんだな。

 

 秘密を守るために嘘をついて、誤魔化して。

 欺き続けなければ大切なものは何も守れない。


――もう普通には生きていけない。

 

 愛情の代償はあまりにも猛には辛いものだった。

 化学室につくと、そのまま荷物を机の上においた。

 自分の班の席につくと淡雪が彼をジト目で見つめながら、


「優しいんだぁ、猛クンは」

「……見てました?」

「見てました。ああいう、さりげない優しさアピールが猛クンのファンを増やすのね。そして、重度のシスコンで幻滅する、と」

「し、シスコンは関係ないと思うんだ」


 容赦ない言葉に凹みながらも、


「困ってる子は助けたい、それだけのことだろ」

「誰にでも優しい猛クンは不特定多数の女の子に好かれてるわ」

「それは嬉しいね」

「でも、その優しさは時に人を傷つける事もある」

「めっちゃ意味深。ないよね? 変な事、ないよね?」


 淡雪が猛に不安をあおってくる。


「冗談よ。私も猛クンに優しくされたい」

「してるつもりだよ。友人としての範囲なら」

「……猛クンの優しさは、誰にでも優しいから特別感がないのよねぇ」


 真面目な顔をされて言われてしまうと言葉に詰まる猛だった。


「が、がっかりされると辛いものが」

「あのね、猛クン。女子って特別なものに弱いものよ」

「特別感? どういうものだろうか」

「ほら、私だけに優しい、とか。そういうのにときめくもの。なのに、誰でにも優しさを振りまかれてると、その好意に勘違いするだけじゃない」

「そんなつもりは……」

「ないんでしょうね。優しさのディスカウントもしすぎじゃ、新鮮味がないの」


 淡雪は「だから、猛クンは悪い男の子なんだよ」と囁く。


「それに、勘違いだけならまだいい方かな」

「意味深に言わないで。何かあるとでも?」

「ほら、人の想いって時に暴走するから気を付けた方がいいわ」

「なるほど。善処します」


 人の感情は単純ではなく複雑で、難しいものだ。


――制御不能なこともある、か。


 時に自分でも思いもしない行動にでてしまう、人の感情の怖い一面。

 そんなことを不気味に示唆する淡雪だった。





 ……。

 化学室についた椎名眞子はクラスメイトに囲まれていた。


「見てたよ、ピュア子。猛さんと一緒にいたじゃん。何を話してたの?」

「まさかのお近づき?急接近しちゃったとか?」

「ち、違うから。そういうんじゃなくて、ただの親切。荷物を持ってくれただけだよ」

 

 微笑する椎名は満更でもなさそうな顔をしながら、


「でも、大和さんって優しいよね」

「んー。思いやりのある人だと言う印象はあるけど」

「シスコンだからなぁ。ないわぁ。私、前に憧れてた時期あるけど、今は無理。彼のファンも激減したっぽいし、今は眞子くらいじゃない?」

「ピュア子は一途だもんねぇ」


 そんな風にクラスメイトにからかわれて、顔を赤らめる。

 

「や、やめてよぉ。もうっ……からかわないで」

「実際の所はどうなの? ねぇ、ピュア子は告白とかする気はないの?」

「そうだよ。大人しい眞子となら、あの大和君とも相性がいいと思う」

「……そうかな? でも、いいんだ。私、付き合いたいわけじゃないんだ」


 以前から椎名眞子は猛に対して好意を抱いてた。

 誰に対しても壁を作らず、異性としても親しげに話せる。

 そんな彼の気さくさに惹かれる女子も多い。

 そして、シスコンの実態を知り、興味がなくなる女子も同じ数だけいる。


「付き合いたいわけじゃない? 変なの?」

「……私は見ているだけで満足だから。私じゃ、釣り合わないし諦めてるの」

「なんで? 諦めるなんてもったいない」

「いいんだよ。ほら、それに、彼にはお似合いの人がいるじゃない」


 眞子の視線の向こう側、楽しそうに談笑する猛と淡雪の姿があった。

 仲睦まじそうに雑談するふたり。

 クラスでの日常の1つとなっている。


「あー。須藤さんかぁ。元カノって噂はホントっぽいよね?」

「まだ切れてなかったりするのかな」

「確かにあれはお似合いすぎ。本当に仲がいいふたりだわ」

「特別すぎて、近寄れない。自分たちの世界があるものね」

「それに、ふたりって性格的によく似てるじゃん」

「なるほど、同じ雰囲気の者同士、惹かれたのかな」

「まさに美男美女。あのレベルが付き合うと凡人レベルは悲しくなるよねぇ」


 眞子もそれに頷くと誰にも聞こえない小さな声で、


「――だから私は見てるだけでいいんだよ。それだけで幸せだから」


 諦めているがゆえの純粋な少女の抱える“淡い想い”。


「……好きな人を見てるだけ幸せ。他に何も望んでないもの」


 今や数少ない、猛に憧れる少女の存在。

 その純粋ゆえの想いが暴走するなんて誰も想像すらしていなかった。

 

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