第3部:世界の終わりで待っている
第70話:私はただ我が儘なんですよ
猛たちは超えてはいけない一線を越えた。
悩んで、苦しんで、それでも答えはひとつしかでなくて。
『俺は撫子の事が好きなんだ』
妹としてではなく、ひとりの女の子として。
――大和撫子を女の子として意識し始めたのはいつくらいだったのか。
異性の対象としては見てはいけない相手。
――それなのに、自分ではどうしようもないくらいに好きになっていた。
もしかしたら、撫子は実妹じゃないかもしれない。
そんなわずかな可能性が猛の心を揺れ動かした。
抑えられなくなって氾濫した想いは止められない。
心のままに、素直になるきっかけだった。
『兄さん。私は兄さんが本当の兄でもいいんです』
『え?』
『実の兄であろうと、血の繋がりがなかろうと、私が兄さんを愛してることに変わりはないのですから。この想いだけは何も変わらないんです』
何も変わらない、と言い切れるほどに猛はきっぱりと線引きできるわけではない。
他人の目は気にするし、家族を傷つけたくもない。
――けれど、自分が好きになった想いに嘘をつき続けることはもうしない。
ちゃんと自分の想いに向き合おう。
そう、覚悟を決めたのだから――。
「たまには屋上に来るのもいいものだな」
「……初夏の日差しが私には辛いのですが」
「そういうなって。日蔭に入っていれば、大丈夫だろう」
学校の屋上で撫子と二人で食事をしていた。
購買で買ったサンドイッチを食べながら、
「この前、撫子と一緒に初めて食べたアボカドのサンドイッチは美味かった」
「はい。エビアボカドの組み合わせは最高でした」
「でもさ、あのアボカドって見た目の色からは想像できない味がするよな。苦味なんて全然ないし、かといって甘くもない。不思議な味だ」
「いわゆる、油の味ですよね。通称、森のバターとも呼ばれます。あの野菜ともフルーツとも思えない味ですが、他の食材によく合います」
「マヨネーズにもよく合うからな」
その発言にはギラッと視線を向けられて「マヨはいりませんよ」と牽制される。
カレー&マヨ事件以来、マヨネーズは家で冷蔵庫の片隅に追いやられていた。
――ごめんよ、マヨネーズ。キミは何も悪くないのに。
その不遇さを嘆きながらも、何もしてやれないことを悔いる。
「と、とにかく、ホント、食べてみないと分からないって奴だよな」
「そうですね。見た目から想像できない味というのは面白いものです」
「見た目で敬遠していたが、食べてみると美味しいものっていうのはある」
「何事も食べず嫌いはダメってことです。はい、兄さん。飲み物をどうぞ」
「ありがとう」
パックのグレープジュースを受け取り飲む。
周囲を見渡すが、猛達以外に利用している生徒の姿はない。
「この屋上には人がいませんね」
「春の時期はそれなりにいるけどな」
「さすがに夏場は遠慮される場所ですか」
「少し暑くなってくると、中庭とかの方が食事しやすいからそっちに行くらしい」
「今はふたりっきりの時間を満喫できて何よりです」
撫子がもたれかかってくるのを受け止める。
心地よさを感じながら猛は彼女の髪を撫でる。
「撫子は甘えたがりだな」
「兄さんは甘えてくる女の子は嫌いですか?」
「まさか。男は単純だから、女の子に甘えられると嬉しいよ」
「……須藤先輩相手にも優しいようですからね」
何気に釘を刺されてしまい、猛は笑って誤魔化した。
――深くは追及しないでくださいませ。
彼女を甘やかせてしまうのは、仕方ないことなのだ。
「兄さんに愛されて、私は今、本当に幸せなんですよ」
「……俺もだよ」
撫子に告白するまでに彼はずっと考えていた。
妹相手に恋愛するなんて、この世の中では禁じられた恋だ。
現実はドラマの世界のように、うまくいくはずもない。
それでも、自分に素直になれと雅は言った。
――素直な気持ちになる。それは簡単なようで難しい。
特にいろいろと気にしてしまう猛には難しくて。
だけど、少しずつでも、やっていかないと始まらない。
「撫子は強い子だと改めて思うよ」
「私がですか?」
「自分の心のままに。思ったように行動できるじゃないか」
「ふふっ。違いますね。強いのではなく、私はただ我が儘なんですよ」
彼女は微笑みを浮かべながら、
「我が儘なんです。欲しいと思ったものはどうしても手にしたいと思います」
「……我が儘って撫子が?」
「はい。それに、私は兄さんみたいに優しくないんです」
「十分に優しい子だと思うけど」
猛の言葉に彼女は首を横に振って否定する。
「いいえ。優しいというのは相手を思いやれる心の事です。私は自分勝手ですから、平気で人も傷つけます。愛のためなら大事な家族でさえも、傷つけるでしょう」
「……撫子」
「あいにくと、自分以外のことはどうでもいい、自己中心的ですから」
心のどこかで割り切らなければ、彼女みたいに決断できない。
その自己中心的な考え方ゆえに、撫子はブレることがないのだ。
時には躊躇するときもあるだろう。
だが、彼女はためらわない。
自分の幸せのためには最短で突き進むだけだ。
「我が儘で自分勝手な私を軽蔑しますか?」
「いや。撫子を軽蔑なんてするものか」
「そう言ってもらえると救われます。私、こういう自分、好きではありませんから」
彼女なりに思う事はあるようだ。
そういう自己分析ができている部分が彼女の強さでもある。
――そうか。撫子は誰かを傷つける覚悟をもって、恋愛をしているんだな。
真似できるものではないが、その強さと意思があってこそだ。
そうでなければ禁じられた恋の仲にはなれるはずもない。
「兄さんが私を愛してくれる。ようやく素直になってくれて本当に嬉しく思います」
「時間はかかったけどね」
「仕方ありません。優しい人はその性格ゆえに決断力も遅いんですよ」
「それは遠まわしにヘタレだと言われてますか」
悪戯っぽい表情で「どうでしょう?」と笑われてしまう。
「そこは否定しておいて欲しかったな」
「ですが、兄さんはちゃんと決断してくれましたから」
「遅すぎてごめんなさい」
「いえいえ、ちゃんと私の望みを叶えてくれました」
「……待たせた分は行動で返すので許してくれる?」
撫子を強引に引き寄せるとそのまま唇を奪った。
「んっ、ちゅっ……んー」
嫌がらずにキスを受け入れる撫子。
唇を離すと顔を赤らめて、自分の唇を指で押さえる。
「に、兄さんは素直になると意外とキス魔ですね。照れますよ」
「男だったってことかな。自制心と理性が試されてる」
「……なるほど。でも、嫌いじゃないですよ。兄さんのそういうところ」
学校の屋上、誰かに見られるかもしれないという緊張感。
それはどこか刺激的さえ思える。
「好きって認めてしまうとずいぶんすっきりしたよ」
「誰しも、思い悩むことから解放されると楽になります」
「あぁ。ホントに、心が楽になった」
猛は撫子が好きだ。
その気持ちだけに素直になって生きてみるだけで世界は変わる。
「くすっ。では、このまま秘められた関係を楽しみましょう」
今度は撫子から猛を求めてくるので、それにキスで応える。
――この先に辛いことが待っているかもしれない。
不安がないわけではないが、猛は今、手に入れた幸せに酔っていた。
その幸せが長続きしないことを心のどこかで気づきながらも。
突き進んだこの道の先に、希望はあるのだろうか――。
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