第60話:運命に負けないで

 

 夢を見ている。

 時々、夢を見ているときに人は夢だと自覚するときがある。

 これは夢だから、と何となく夢を見てるときに分かる。


――俺は今、夢を見ている。


 小さな部屋で、真っ暗な室内に不安になる。

 身動きしようにも、動くことはできない。

 なぜなら猛はまだ本当に小さな子供の姿をしていた。


「まだ子供なのに、可哀想……自由さえ与えてあげられないなんて」


 外から声が聞こえた。

 

――誰だろう?


 扉越しに聞こえたのは優しい女の人の声だった。


「あの子が何をしたって言うんですか、先輩。ただ、――ってだけで」


 もうひとり、声が聞こえる。


「あの子に罪なんてないのは誰でもわかっているのよ。それでも、仕方ないわ」


 女の人の声が頭に響く。


「運命には逆らえない。これが決まりなのだから」

「可哀想すぎると思いませんか」

「私達がどうこうしてあげられるものじゃないのよ」

「でも、あまりにもひどいじゃないですか」

「何度も言わせないで。分かってるでしょう」

「……抗えない運命。そんなものをこんな小さな子に背負わせるなんて」


 悲痛な叫びに似た辛辣な声。


「運命ね。あんな子供にこんな仕打ちをする運命って何なのって私も思うわ」

「……先輩たちが何もしてあげなれないっていうのなら、私がしてもいいですか」

「貴方、何をするつもり?」


 優しい声の人が呟いた一言が猛の耳に残り続ける。


「先輩。私にあの子のお世話をさせてください」

「それは専属になるってこと?」

「はい。私がやります」

「……辛いわよ。あの子の運命に関わるって、大変なことだもの。私でも無理。他のお手伝いの子だって無理でしょう」

「それでも、私は……あの子のために何かしてあげたいんです」


 光が欲しい。

 誰でも良い。

 この狭くて暗い場所に光を――。


「……ぁっ」


 扉がゆっくりと開く。

 求めていた光があふれだす。


「もう大丈夫だよ? 怖かったね」


 そっと猛を抱き上げてくれる優しい温もり。


「ふふっ。運命に負けないで。キミの名前は――なんだから」


 彼女は猛に光をくれたんだ。

 その女の人は――。





 ――。

 目が覚めた。

 時計を見るとまだ6時半過ぎ。

 寝起きは良い方だが、その日は気持ち悪さを感じた。


「ん……夢か?」

 

 夢なんて毎日みるものだ。

 いつも見るから夢なんて覚えちゃいない。

 けれど、その日の夢は何だか、複雑な気分にさせられた。

 ズキッとするように頭が痛い。


「風邪か? 季節の変わり目だからな」


 頭を軽く押さえながら、猛は顔を洗おうと、部屋を出た。

 そのうち、体調も戻るだろうと安易に思っていた。

 その判断はどうやら誤りだったようで。


「大丈夫ですか、兄さん? 顔色がよくありませんよ?」


 学校に行っても、体調不良は続いていた。

 そんな猛に撫子はそっと額に手を当てる。


「熱があるわけでもなさそうです。風邪ではないみたいですね」

「変な夢を見たらしくてな。今日は寝つきが悪かったらしい」

「夢ですか? どんな夢です?」

「さぁ? 夢は夢だから。覚えてないよ」


 さっぱりと覚えていないのに、気持ち悪さだけが残る。

 何とも言えない夢見心地の悪さ。


「怖い夢や悪い夢を見た後は、確かに気分が悪くなるものです」

「撫子も似たような経験がある?」

「ありますよ。夢の中で、兄さんが浮気をした夢です」

「……えっ」

「現実の兄さんなら振り向きもしないような女の子とくっつく夢です。あれは悪夢でした。夢から覚めたあと、泣きそうになりました」


 撫子が不満そうに「夢ですけど、兄さんが浮気するなんて」と呟く。

 夢の話でショックを受けないでほしい。


「あの、俺は浮気してませんから。あんまり、そこを責めないでね」


 撫子からいわれもない罪を咎められると、心が痛む。


「でも、人は不安になるんですよ。夢は人を幸せにも不安にもさせます」

「夢をなめちゃいけないぞ、っと」

「逆に不安なときに悪夢を見る事もあるそうです。兄さん、何か気になる事があったら言ってください。言葉にすれば悩みが解決することもあります」


 不安と言われても思い当たることはない。

 悩みと言うほどの悩みもない。


「思い当たることがないんだよな」

「不安も悩みもない素敵な人生なんですね。うふふ」

「いえ、人間関係に悩みはありました。最近、周囲がとても冷たくて……」

「そうだ、今日は一緒に眠りましょう。私の傍なら安心できるはずですよ」


 思いっきりスルーされてしまった。

 撫子の提案に猛は「そうだな」と頷いて答える。

 いつもと違う反応に撫子は嬉しそうに、


「あら、珍しい。兄さんがそう言ってくれるなんて」

「……他意はないです」

「ふふっ。妹の添い寝が兄さんを安心させてあげますよ。いえ、安心以上のものを与えられると思います。兄さん、覚悟してくださいね?」

「やっぱり、一人で寝るからいいや」

「な、なんでですかぁ」


 悪夢より、妹に対して身の危険を感じた猛だった。

 それから数日経っても、夢に悩まされていく。

 目には見えない何か黒い影が覆うようで気持ち悪い。

 毎日のように繰り返される悪夢。

 この夢は猛に何を思い出させようとさせているんだろうか?

 

 

 

 

 数日後のことだった。


「お兄ちゃん♪」

 

 その明るい声に振り向くと、


「結衣ちゃん。学校の帰りかい?」

 

 学校の帰り際、繁華街へ続く道沿いで結衣ちゃんと出会った。

 中学校の制服姿の彼女を見るのは初めてだ。


「うん。今日はこれからダンスの練習なんだ。お兄ちゃんは?」

「俺は買い出しだよ。撫子に頼まれてさ」

 

 重いものがメインだったので、今日は猛ひとりだ。

 撫子にはそのまま帰ってもらい、夕食作りをお願いしている。


「お母さんは普段はいないんだっけ?」

「そうだよ。まぁ、慣れたらどうってこともないけどね」


 撫子や雅には大変な思いをさせてしまってるだろう。

 炊事家事を得意としてくれることもあり、猛はとても助かっている。


「いいなぁ。私も早くあの家から出たい」

「そんなに須藤家って苦痛?」

「んー。お嬢様っていうのが苦痛かな?」

「そうなのかい?」

「世間でいろんな目で見られるからねぇ。事情知らない人から見れば、楽していい暮らししているような嫉妬されるし。嫌になるぅ」


 げんなりとして肩をすくめて言う。


「同級生とかマジで最悪。私、かなりクラスでも浮いてるの。友達がいないわけじゃないけど、信頼できる人は少ないもん。嫌だよねぇ」

「結衣ちゃんの性格なら友達が多そうだけど?」

「……無難にお嬢様学校にでも通えば苦労しないんだけど、試験に落ちちゃって普通の中学校に通ってるんだ。思ってた以上に馴染めてないの、しくしく」


 悲しそうに呟く彼女。

 確かに人は暮らしの豊かな人間に対して嫉妬や羨望をすることもある。

 今時は良い所のお嬢様だから、ちやほやされるってわけでもないらしい。


「お嬢様も大変なんだな。淡雪さんは皆から一目置かれてるって感じだけど」

「お姉ちゃんみたいにうまく立ち回れないのです。私、お嬢様スペック低いもん」

「淡雪さんの場合は気品もあるし、お嬢様って言うのは雰囲気で分かるな」

「でしょ。私なんてまず、お嬢様の雰囲気がないから。お姉ちゃんには敵わない」


 シュンっと拗ねる彼女を猛は励ます。

 髪を撫でてあげると「お兄ちゃんの優しさが好き」と笑ってくれる。


「だから、ダンスを踊ってるときが一番楽しい。先輩たちはそういうの全然なくて、私をひとりの仲間として扱ってくれるからね」

「仲間か。いい先輩たちでよかったね」

「今日も練習だよ。いつか私がメインで踊りたいの。それが今の私の夢なんだ」


 小さな目標でも、前向きに頑張ってる。

 結衣を応援したくなる気持ちがわいてくる。


「よしっ、頑張ってる結衣ちゃんにジュースの差し入れだ」

「ホントに? いつもありがとー、お兄ちゃん」


 素直に甘えてくれる年下の女の子。

 淡雪には甘やかせるなと言われていても、ついつい結衣を可愛がりたくなる。


「応援してるから頑張ってね、結衣ちゃん」

「また見に来てね、お兄ちゃん。私、頑張るから」

「あぁ。今度は撫子を誘って見に行くよ。淡雪さんも誘ってみようか?」

「うっ。お、お姉ちゃんはいいよ。恥ずかしいし、怒られるのも嫌だから」


 結衣ちゃんは甘えたがりではあるけども、思っていた以上に頑張り屋だ。

 ちゃんとした夢を持って、その夢を達成しようと努力している。

 何事も夢をもって、頑張れる子は素敵だと思う。

 

――いつか、そういうものを彼女の同級生たちにも通じればいいな。


 そうすれば、きっと自然に仲良くなれる気がした。

 

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