第59話:……大きくなられましたね

 

 追及を続ける志乃はさらに表情を曇らせる。


「……本当に貴方は何も知らないんですね?」

「何をですか?」

「こんなこともあるなんて。偶然? それとも……」

「あ、あのー?」

 

 猛の質問に彼女は答えてくれない。

 思案しながら、静かに彼の目を見つめてくる。

 まっすぐに。


――目をそらしてはいけない気がする。


 逃げずにその瞳と向き合う。


――志乃さんか。不思議な感じがする人だ。


 淡雪たちが信頼を寄せるだけあって、真面目な家政婦なのだろう。

 いざという時は、猛を容赦なく排除するかもしれない。

 やがて、志乃は首を横に振り、冷静な声で、


「とにかく、この家にはもう来ないでください。それが貴方のためですから」

「こんな機会がなければお誘いもしてくれませんよ」

「二度目はないと思っておいてください」


 強烈に怖いと噂の祖母がいない日じゃないと来る気もない。


「……本当に、貴方のためなんです」


 志乃の言葉にはただの警告以上のものを感じ取れる。

 

――俺のことも心配してくれている?


 どこか彼女の言葉には突き放すような冷たさを感じない。

 言葉通りの意味ではない、何か特別なものさえ感じられる気がした。


――いや、どうだろうか、それは自信ないけどさ。


 そのままお互いに黙り込んでしまう。


――やばいな、志乃さんに警戒されてるんじゃないか。


 きっと誤解もあるだろう。

 どう説明しても、猛の立場が変わりそうもない。

 この沈黙が辛くて、何とか立ち去れないかと思っていると、


「淡雪お嬢様は男性が苦手な方です」

「そうらしいですね。昔はダメだったとか」

「小さな頃、お嬢様はある男の子に深く心を傷つけられたと泣いていました」

「何かあったんですか」

「詳しいことは話してくれませんでしたが、その日以来、男性不信だと思い込んでいました。実際、仲良くされる男子もいませんでしたから」


 なんとなく、猛は彼女と初めて会った時のことを思い出していた。


『男の子って苦手なイメージがあったけども、大和クンは違うのね』


 単純に苦手なだけと思っていた。


――過去に男性不信になるほどの事があったとしたら?


 苦手意識以上の何かが彼女の心の奥底にあるのかもしれない。

 幼い男の子は何をするか分からない。

 些細な事でも、傷つく子は傷つくものだから。


「なのに、お嬢様と仲のいい男性の友人がいるなんて驚きました」

「数少ない男子の友人だという自負はありますよ」

「本当の友人ですか? 恋人ということは?」

「あ、ありません。ただのフレンドです」

「それにしても、こんな偶然があるなんて……」


 志乃はようやく、猛から視線をそらす。

 蛇に睨まれていたような硬直から解放される。


「偶然って……?」


 彼女に尋ねようとするが、そのまま彼女は猛の横を通り過ぎていく。

 

――教えるつもりはないってことですか。


 どうやら、猛は嫌われてしまってるようだ。

 

――誤解は解いておきたいんだけどなぁ。


 そう思いながら愛想笑いで誤魔化すしかない。

 だけど。

 すれ違いざまに彼女の囁いた言葉に驚いた。


「……っ……」


 思わず、「え?」と彼女の方を振り返る。

 けども、志乃はそのまま足早に立ち去っていく。


「今、何て言われた?」


 呆然と立ち尽くすしかできない。

 猛は目を瞬かせて、戸惑う。


「どういうことなんだ、志乃さん?」


 聞こえた言葉が本当だったのかどうか分からない。

 けれども、彼女は小さな声で言ったのだ。


『――大きくなられましたね』

 

 志乃がそう囁いたときに見せた一瞬の表情。

 思いやりに満ちた優しい顔だった。


――なんだろう。あの優しい笑みは?


 先ほどまで厳しい顔をしていたのに、最後の最後で見せた優しい表情。

 その横顔を猛はなぜか懐かしささえ感じた。


「志乃さん。もしかして、過去に会っている?」


 ただの聞き間違えで、猛の記憶違いかもしれない。


――俺が淡雪さんに、既視感を抱いてる理由。


 過去に二人が会っていたとしたら、志乃とも会っていたのかもしれない。


「謎が深まるばかりです。どちらしても、教えてくれそうにないや」


 もうすでにいなくなった彼女に確認することはできなかった。





 そのあと、淡雪の部屋に戻った猛に待っていた光景は、


「や、やめて。パンツが見えちゃう、それはダメ~っ」

「……私の秘密を知ったからには無事に部屋から出れると思わないで」


 低い声で妹のお尻を叩く淡雪がいた。

 

――おー。なんていうか、姉妹喧嘩中?


「うわぁ……」


 淡雪でも怒ることはあるらしい。

 あまり見たことのない光景に猛は唖然としてしまう。

 スカートがめくりあがり、結衣の下着が見え隠れする。

 思わず、手で顔を覆ってしまいたくなる。

 

――見たくないよ、こんな淡雪さんの姿は……。


 音を立てて、これまでの淡雪のイメージが崩れていきそうだ。

 ハッと猛に気づいた結衣は助けを求める。


「や、大和さん、助けて~。お姉ちゃんにお仕置きされてるの」

「みれば分かるよ。何をしたの?」

「……やっぱり、お姉ちゃんは隠し事をしてたんだ」

「隠し事? 何を見つけたの?」

「秘密を見つけて、あっ、やめて。痛い、地味に叩かれると痛いんだよ。ひゃんっ」


 お尻を叩かれてちょっぴり涙目である。

 結衣はさすがにまずいと思ったのか「ごめんなさい」と平謝りだ。


「あれだけ言って聞かない貴方が悪いのよ」

「す、すみません。調子乗りました、お許しくださいませ」

「ダメよ。怖い想いをしたいんでしょう?」

「ひ、ひっ!? や、やだぁ。もう離してぇ」


 普段の落ち着いた淡雪さんの姿はそこにない。


「ま、まぁまぁ。落ち着こうよ、淡雪さん」

「……猛クン。その子をかばうの?」

「今の淡雪さんの姿をあまり見たくない」


――正直、ショックもあります。


 普段の温厚さが消えてしまうのは悲しい。

 それに気づいたのか、淡雪さんも冷静さを取り戻す。


「……失礼。恥ずかしい所を見せてしまったわ」

「お姉ちゃんと妹が思いの外、仲がいいのを見られた気がする」

「そういうものじゃないわよ」


 恥ずかしそうに、顔を赤らめて猛から目をそらした。

 彼女の秘密にも興味があるが同様の事をされると怖い。


――女の子の秘密は聞かない方がいいね。


 深く追及しないのが生き残る道だった。

 折檻から解放された結衣ちゃんは猛の後ろに隠れてしまう。


「はぅ、大和さんっ。お姉ちゃんが怖いよぉ」

「よしよし。結衣ちゃんもあんまり淡雪さんを怒らせないように」

「だって、お姉ちゃんの秘密が……い、言わないから睨まないで」


 おびえる子ウサギのような光景に猛は思わず微笑をする。

 

――小さな頃の撫子みたいで可愛らしい。


 頭を撫でてあげると嬉しそうに微笑む。


「えへへっ」


 その微笑はどこか淡雪に似ており、姉妹なのだと思わさせた。


「大和さんは優しいねぇ」

「猛クン。あんまり、その子を甘やかさないで」

「お姉ちゃんは私に厳しすぎると思うの。私、もっと甘やかされて育ちたい」

「……十分、甘えてるでしょ」


 姉としての優しさと厳しさ。

 何だかんだ言っても、この姉妹には絆があっていい。


「でも、こういうのもいいなぁ。大和さんのこと、お兄ちゃんって呼んでもいい?」

「別にいいけど」

「私、男の人に甘える事なんてなかったからすごく憧れたんだぁ。お兄ちゃん♪」


 撫子以外から「お兄ちゃん」なんて呼ばれることなんてなかったからすごく新鮮だ。

 妹にバレたらすごく怒られそうだけども。

 にっこりと笑う結衣ちゃんにつられて猛も笑う。


「……ダメだわ。妹系に弱いダメな男の子だったのを忘れてた」

「ち、違いますよ?」

「はいはい。可愛い妹ができてよかったわねぇ?」


 言い訳する猛の横で呆れた顔をする淡雪がため息をついていた。

 

 

 

 

 そろそろ帰ることにして、玄関まで淡雪が見送ってくれる。

 

「あんまり結衣を甘やかしちゃダメなのよ。この子すぐに人に甘えるから」

「あの年頃の子って年上に対して憧れとか抱くものじゃないか」

「そういうものかしら。私には覚えがないわ」

「結衣ちゃん、可愛いからさ。男って生き物は女の子に甘えてもらいたがるものなんだ。それに、そういう所は淡雪さんにも似てる」

 

 彼は「淡雪さんも結構甘えたがりじゃないか」と意地悪く囁いた。

 甘え方が下手だけど、甘えたい年頃の女の子。

 淡雪の隠された一面を猛だけは知っている。


「そ、そんなことないわよ……ホントよ?」


 頬を赤らめて戸惑う彼女。


「自惚れでなければ、俺は淡雪さんに甘えてもらってると思うけど?」

「……うぅ。もうっ、そこでそう言う? 猛クンは意地悪ね。えぇ、そうですよ。甘えてますよ、猛クンだけにはね」

「心を許してくれているのは嬉しいよ。俺も男ですから」

「この人、ずるい人だ……でも、嫌いになれない」


 淡雪が軽く髪を撫でると結衣と同じような顔をして笑う。

 穏やかな時間を過ごせた須藤家でのひと時。

 だけども、猛にとってそれは不思議な体験をする日々の始まり。


『……大きくなられましたね』


 あの志乃の一言が猛にある夢を見せる事になる――。

 

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