第54話:私の寛容さが試されているようです
「恋乙女ちゃんと会ってみてどうだった?」
家に帰り、夕食を食べる際に撫子に尋ねてみる。
この第一印象が妹の場合は大事なのだ。
ここで敵対視されると猛の精神衛生的に非常に辛いものがある。
「思っていたよりも良い人そうですね」
「……ホッ。それはよかった」
「ただし、幼馴染と言う距離感には私の寛容さが試されているようです」
「寛容さ?」
「年下なのに、たっくん呼びですか」
撫子に睨まれて猛はおびえた犬のように「きゅーん」と鳴きそうだった。
――そんなところに食いつかれるとは思わなかった。
不機嫌な妹を敵に回すことだけは避けたい。
「幼馴染として仲がいいだけですヨ?」
「……兄さん。何事も節度と言うものがあります。一線を超えないようにお願いしますね? もちろん、分かっているでしょうけども言っておきます」
「きょ、今日のスープは変わった感じだな」
わざとらしく視線をそらして、手作りの冷たいスープを飲む。
口に広がるポタージュに似た味。
「美味しいな、これ。なんていうスープ?」
「ヴィシソワーズ。じゃがいもを使ったフランス料理の冷製スープですね」
「聞いたことはあるかも」
「これからの暑い季節にぴったりです。兄さんが好きそうだったので作ってみました」
「これ、すごく気に入った。作るのも大変だったんじゃない?」
「少しの手間はかかりますが、意外と簡単に作れるものですよ。兄さんのために料理を作るのは大好きです。いつもおいしく食べてもらえますから」
実際に撫子の料理の腕はかなりのものだ。
中学の頃からこんな風に手作りの料理を作ってくれている。
「ホント、料理も上手になったよな」
「ありがとうございます。作ってあげた相手に美味しいと言ってもらえるのが作り手にとって何よりの幸せなんですよ」
「それは何より」
「今回は『ヴィシー風冷製クリームスープ~妹からの愛をこめて~』とか名前を付けてみました。どうです?」
「一気に高級フランス料理の品風な名前になった。愛が込められてるのは別として」
「あら、愛情は大切ですよ。これが憎しみをこめて、となったらどうします?」
『ヴィシー風冷製クリームスープ~妹からの憎しみをこめて~』
――こわっ、マジで怖いからごめんなさい!?
何が入ってるか分からないから普通に怖い。
「あ、愛でよかった、うん。愛情は大切ですね」
「そうでしょう。うふふっ」
彼も大満足の冷製スープを飲みほした。
「兄さんは私のことをちゃんと愛してくれるんですか?」
「愛してますよ。妹として」
「言葉にしてくれないと伝わりません。兄さん、私のことが好きですか」
「好きだよ。もうずっと前から好きだから。その気持ち、変わってない」
「……今のセリフをもう一度お願いします。今度は携帯で録音しておきますから」
「勘弁してくれ。言うまでもなく、妹としてだからね?」
「そんなものは見解の相違にすぎません」
「俺を社会的に殺すのだけはやめてください」
猛はまだ人生をあきらめたくはない。
撫子に本気を出されれば、あっけなく首を取られる。
「兄さんの愛を確認して、私はまた明日も頑張ろうという気持ちになれます」
可愛い妹を裏切りたくないものだと、改めて感じさせられた。
「そうでした。兄さん、言い忘れていました」
一緒にお風呂に入ってるときに思い出したかのように撫子は言う。
「何を?」
「夏休みになれば、旅行に行きましょう。お父様と電話した時に、そういう話になったんです。お父様も数日だけならお休みが取れるそうなので家族旅行で温泉旅行にでもどうですか? プランは今、私が考えています」
「へぇ、温泉旅行か。いいね」
両親そろっての旅行なんて全然機会がない。
湯船につかりながら、撫子の方に視線を向けると、
「ぐふっ!?」
普段ならばタオル着用の撫子が全裸で体を洗っていた。
いつもなら声をかけてくれるので、視線をそらしているのだけど。
泡だらけの綺麗な白い肌の背中があらわになる。
「な、撫子、いつものように体を洗うときは一声かけてくれ」
慌てて視線をそらすが、撫子は隠そうともせず。
「ふふふっ。兄さんの油断をついてみました」
「やめーい」
「兄さんは一緒にお風呂に入っても欲情してくれないのが唯一の不満です」
妹相手に欲情してたら、本物の犯罪者になってしまう。
ただでさえ、魅惑的な体なので兄を刺激しないでもらいたい。
――俺を刺激しないで。いろんな意味でアウトになっちゃう。
常日頃から理性との戦いを強いられているのだ。
「約束事を守らないのなら、もう一緒にお風呂は入りません」
「えー」
「家族といえども、ルールは必要なんだから。分かったか」
「……私は兄さんに成長したこの身体を隅々まで見せたいんです」
「魅せなくていいです」
妹の力強い意気込みに猛は視線をそらして対応する。
「私はいずれ兄さんの妻になります。一線を越える覚悟は小2の時にできてます」
「早すぎだろ!? いや、突っ込むべきところはそこだけじゃないし」
「私の身体は今日という日のために磨いてきたんです」
「今日?」
「そうです、今日です。兄さんにこの身を抱いてもらうためにっ!」
「……」
「ひゃんっ!?」
猛は無言で冷たいシャワーを撫子に浴びせかける。
びくっと体を反応させて彼女は驚いてみせた。
「お、兄さん、いきなりはやめてくださいって言ってます。ひどいじゃないですか」
「……撫子。レッドカードは退場だよ?」
本気で彼に襲い掛かってきた場合、抵抗できるとも思えない。
――もしも、一線超えちゃったら人生終了のお知らせ。それだけはやだ。
可愛い妹にはずっと猛の妹であり続けてもらいたい。
我慢強さが必須の忍耐力を試されている。
「兄さんが怒ってます。ぐすっ」
「泣き真似をしないで。精神的に来るから」
「そこまで怒らないでもいいじゃないですか。私は兄さんが好きなだけなんです」
猛は「妹として撫子は大好きだよ」と告げてからお風呂を出た。
彼女もすぐに追いかけるように、お風呂を出る。
着替えを終わり、冷蔵庫をあけようとすると、
「待ってください。兄さん。お話があります」
「……服はちゃんと着てるか。よし、パジャマ姿で安心だ。話を聞こう」
「もうっ。望むのなら下着姿でも……」
「望んでおりませんので」
「つれないお人。そういう真面目さも好きですけど」
これでまだ半裸とかなら猛は全力で逃亡していたであろう。
ヘタレと言われようと、守るべきものを守りたいのだ。
――成長期に入ってからの妹の成長具合がよすぎるんです。
お風呂上がりの炭酸飲料を飲もうとすると撫子は「カ●ピスがいいです」と猛の分までコップに入れて持ってくる。
ジュースで喉を潤しながら、撫子は謝罪する。
「今回はやりすぎました。すみません」
「分かってもらえればいいよ」
「ハレンチでもなければ、兄さんを怒らせたかったわけではないんです。ただ、兄さんは私を女として意識してくれないのが悪いんです」
「それがダメなやつでしょう」
「もっと、ドキッとするとかないんですか」
「……ドキドキは常にしてるよ」
「だったら、そのリビドーを解放してください。私は兄さんの愛を受け入れます」
愛の欲望を解放しろと言われても困るだけ。
そんなに簡単に自分に素直になれたら、今日の関係はなかった。
「私は兄さんに妹としてたっぷりと愛されています」
「俺も可愛がってきたつもりだよ」
「はい。その愛はもう十分に幼い頃から感じ、与えられてきたことに感謝しています。ですが、それではもう満足できないんです」
ふいに、撫子がうっとりとした表情で、猛に迫る。
「……兄さん。兄と妹としての関係を卒業しましょう。今がその時です」
「ごめん、無理」
「家族のこと、世間体、ご自身の立場、あらゆることが障害となり、私との愛を貫く勇気が未だに持てないのも仕方ないことではあります」
「分かってくれてるのなら、顔を近づけるのおやめなさい」
「でも、兄さんも勇気ある一歩を踏み出してみてはどうですか?」
異性として愛していることを前提に話をされている。
――そりゃ、好きは好きだけどさ。素直になんてなれませんよ。
自分が素直になることで、家族を傷つけてしまうのだけは避けたい。
彼女は猛に抱き付いて身体を触れ合わせる。
「兄さん」
「なんだ、今日は……いつもと違うな?」
「今日は甘えたいんです。兄さんは他の女性にばかり興味を抱いて、私から離れてしまうんじゃないかって思ってしまいました」
「そんなことないのに」
「いいえ。それはとても怖くて、悲しいことです。想像もしたくないことです」
甘えてくるのは不安な証拠でもあったようだ。
「……須藤先輩、コトメさん。最近だけでも、兄さんの傍には綺麗な人が多いじゃないですか。兄さんはカッコいいですし、人気もある方ですから当然と言えば当然かもしれませんが、私は危機感を覚えています」
「誰とも付き合ってないけどね」
「兄さんの愛は私だけのものです。誰にも譲るつもりもなければ渡す気もありません」
「……な、撫子、抱きつきすぎです」
むぎゅっと抱きしめられてしまう。
「私は兄さんを愛しています。この気持ちは本物です」
「……それは嬉しいけどさ」
「兄さん。そろそろ、私を安心させてください」
彼女がこちらを見上げる。
その瞳はほんの少しの涙で潤んでいる。
「もうすぐ夏休みですね」
「それが?」
「……兄さんと過ごす今年の夏は特別なものにしましょう」
「特別なもの、ね?」
「えぇ。今年の夏までに勝負を決めます。私なしではいられないような、そんな関係にして見せますから。兄さん、私とラブラブな日常を送りましょう」
自信満々に言う撫子に猛は何も言えずにただ困惑するしかない。
「普通の夏を送りたいんだけどなぁ」
そうはさせてくれないようで。
大和撫子、暴走気味。
暴走して嫌な結末にならないことを切に祈るしかなかった。
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