第17話:浮気の説明なんて聞きたくない

 

 撫子は猛のたった一言に翻弄されていた。

 須藤淡雪、学園でも人気の人だと聞く。

  

――兄さんと須藤先輩の間に一体何があったのか、気になる。

 

 それは猛に尋ねたある質問から生まれた疑惑。

 

『それでは、質問を変えましょう。兄さん、須藤先輩の事が好きでしたか? 』

 

 あの質問で彼は何も答えてはくれなかった。

 むしろ、動揺して見せたことが何よりもショックだった。


――むしろ、あれじゃ疑ってくれと言わんばかり。


 不安が募り、気分が悪い。

 そんな撫子を心配してくれたのか。


「ふぃ、いいお湯だぁ」


 お湯をすくいながらご満悦の様子の雅。

 本日のお湯はバラの香りがするピンク色のお湯だ。


「入浴剤を変えてみたんです。いい色ですね」

「薔薇の匂いがすごくいいわ」

「ふふっ。本物のバラの花を浮かばせてみたいです」

「いいねぇ。今度、そうしちゃおっか」


 今日は珍しく姉妹そろって一緒のお風呂だ。


「たまにはこういう風にお風呂に入るもいいわねぇ」

「昔は3人で入ってましたよ」

「……今は普通に拒否られます。姉はとても悲しいわ」

「それは思春期という悪魔の仕業です。滅べばいいのに」


 普通の姉弟ならば当然の反応である。


――姉さんにも気を使わせてしまっているなぁ。


 落ち込んでいる撫子を気遣ってのことだろう。

 優しい姉はいつもそうやって見守ってくれているのだ。

 湯船につかる雅は不安そうな彼女に問う。


「撫子、どうしちゃった? 悩みがあるのなら聞くよ」

「……真実を知りたいと思っていたのに、聞きたくないと思う矛盾した気持ちをかかえています。探求者としては失格かもしれません」

「嫌な予感が現実味を帯びたら、及び腰になるのも普通じゃない?」

「かもしれません。難しいものです」

「それが人の感情ってものでしょう」


 猛と淡雪が交際してたかもしれない。

 ただの噂か、それとも真実か。

 すぐ近くまで答えはでそうなのに。


――その最後の扉の鍵を開きたくない。


 臆病者の自分がいるのだ。

 真実を知りたくないと、怖くなってしまう。

 

「私は逃げてしまいました。追及の手をやめ、これ以上、聞きたくなくて逃げるなんてこれまでなかったのに。私らしくありません」


 もしも、彼が過去に撫子以外の相手を好きだと思っていたならば。


――私はきっとその心の痛みに耐えられない。

 

 だからこその不安。

 彼女が表情を曇らせている理由だ。


「兄さん……」

「撫子はホントに猛を愛してるのね」

「当然です。大好きですから」


 髪を洗いながら、撫子は猛を思う。


――真実を知ることがこんなにも怖い事なんて。


 もしも、裏切っていたとしたら許せそうにない。

 その時はどうにかしてしまう自分を止められそうにない。


「兄さんが他の女性と恋に落ちてたら……」

「間違いなく我が家は崩壊の危機を迎えるわねぇ?」

「いえ、ここで疑うのは失礼なこと……兄さんを信じましょう」


 それで裏切られたら、と考えてはいけない。

 不安は自分の感情を乱すもの。

 余計なことを考えて、オウンゴールすら引き起こす。

 それではダメなのだ。

 

「愛ってさ、信じることでしょ。相手を信じるのも愛なんじゃない?」

「姉さんの言う通りですね」

「猛だって撫子を想ってるんだから、あの子を信じてあげよ」


 ぎゅっと撫子は自分の手を握り締めて。


「はい、それが愛というもののならば」

「それでよし。ところで、撫子。ずいぶんと成長してきたんじゃない?」

「はい? あ、あの、姉さん。いきなり何を……」

「たまには姉妹のスキンシップ。えいっ」

「や、やめてください。そこは……んっ」

 

 じゃれ合う姉妹。

 不安は胸の内に抱え込んでいてはいけない。

 その不安は自らを傷つけるだけでしかないものだから。

 雅が気にしてくれているおかげで少しだけ自信を取りもどせた撫子だった。

 

 

 

 

 と、考え直したはずなのだが。


「兄さんが浮気するタイプの人間だとは思いたくありません」

「……あの、撫子。人前でそういう発言はやめてくれない? 」

 

 お昼を一緒に食べているときにわざと牽制するような発言をぶつける。

 

「人前だからこそですよ。兄さんって、他人の目をずいぶんと気にしてますから、効果的だと思っています。噂されるのが嫌いですもの」

「分かってやってるならひどいぞ」

「それくらいしないと真実を口にはしてくれないでしょう?」

「……だから、付き合ってないから。浮気でも何でもないから。そこは信じてくれ」

「でも、それに準ずる行為はされていたんでしょう?」

 

 そういうと彼は黙り込んでしまう。

 嘘や言い訳を並べ立てるわけでもなく、ただ沈黙する。

 

――兄さんは私に嘘をつかない。


 すぐに嘘を見抜かれると分かっているからこそ、こういう態度をとる。

 

「その沈黙が私を傷つけているんですよ、兄さん」

「どう説明したらいいのか悩んでいるんだけどなぁ」

「真実を話してくれてもいいですよ。私も覚悟はできています」

「もう少し時間をください」

「いつまで待ったら教えてくれるんですかぁ?」

 

 頭を抱える彼に頬を膨らませて拗ねた。

 

「私、兄さんの口から浮気の説明なんて聞きたくないんですけど」

「浮気の説明じゃないから!?」

「違うんですか?」

「違います。ほら、皆が見てる。やめてください。マジで好感度が低下中だ」

 

 周囲からの好奇な視線に耐えられないと顔をそむける。

 すぐさま彼らも反応を示す。

 

「なぁに、大和が浮気だと? またかよ」

「撫子ちゃんだけじゃなくて、他の子にも手を出しているのか?」

「あの野郎。許せない行為だな。いずれ天誅せねばならぬ」

「……男の子って彼女がいても平気で浮気をするよね」

「あるある。彼も男の子ってことじゃないの?」

「えー、イメージが崩れるわぁ」

「私も。猛さんだけは一途なタイプだと信じてたのに……」

 

 ひそひそと噂話をされて「やめてくれぇ」と嘆いた。

 そんな風に食事をしながら、会話をしていると、一人の女性が近づいてくる。

 

「ねぇ。空いている隣の席に座ってもいいかしら?」

「あっ、どうぞ……って、淡雪さん?」

 

 その名前には撫子はハッとして顔をあげた。


「ありがと。今日はいつもよりも人が多くて。助かったわ、猛クン」


 隣の席にやってきた女子こそ、噂の相手、須藤淡雪だった。


――やはり、私が前にすれ違った美人な先輩が須藤だったんだ。


 予想通り、と警戒する撫子をよそに、トレイをテーブルに置くと、

 

「初めまして。貴方が猛クンの妹さんでしょ?」

「……はい、大和撫子です」

「私は須藤淡雪。猛クンのクラスメイトよ」


 美しき茶髪の少女、淡雪は落ち着いた雰囲気を持っている。

 一般の同世代の女子のようにキャンキャンと騒がしいこともない。


「クラスメイトですか」

「去年も同じクラスで今年も同じなのよ。ふふっ」

「それは、よかったですね」

「貴方の事は噂で聞いたけども、ふふっ、本当に可愛らしい子ね」


 淡雪はマジマジと撫子のことを見つめてくる。


――値踏みされてる感があるのは気のせい?


 その視線にどこか居心地の悪さのようなものを感じる。

 単純に自分が意識をしすぎなのだと分かっている。

 それでも、意識というのはしてしまうとやめられないものだ。


「これはかなりの美人んだわ。猛クンがシスコンになっちゃうわけだ」

「……あの、淡雪さん? 言い方に気を付けてもらいたい」

「そう? これじゃ仕方ない。数々のシスコン発言も納得しちゃうわ」

 

 すかさず「シスコン発言はしてません」と否定する。

 

「淡雪さん。今日は友達と食事じゃないのか?」

「そうしたかったんだけどねぇ」

「美織さんは? 今日は何か事情でも?」

「あいにくと美織を男子にとられちゃいまして。また彼女、告白されてるみたい」

「あの子もモテるからなぁ。美人さんだからしょうがない」

「そうね。告白されても誰とも付き合わないのが美織なのだけども。ひとりで食事は味気ないでしょう。猛君の顔を見かけたからお邪魔させてもらったわ」

「そういう事か。ひとりで食べるのは確かに寂しいよな。どうぞ、俺たちでよければ食事に付き合うよ」

 

 淡雪と仲の良さそうな姿を撫子に見せる。

 自然体に接するふたりに彼女は不満そうに、

 

「……ずいぶんと二人は仲がよさそうですね」

「そうね。仲はいいと思うわ。私が唯一、信頼できる男の子だもの」

「へぇ。まぁ、兄さんは他人を裏切るような真似はしませんからね。当然でしょう」

 

 微笑で誤魔化すけども、内心は大いに動揺していた。

 

――仲がいい噂が本当だったなんて!?


 この人が猛が好きかもしれない女の人だと思うと平常心ではいられない。

 そうなると、私にとっては相当に手強い相手かもしれない。

 

 でも、どうしてなんだろう? 

 いつもの危機感とはまた違う。

 彼女に対して不思議な気持ちを抱いていた。


――どこかで私は彼女と会った気がする?


 彼女の事をずっと前から知っているような不思議な感覚がある。

 

「……私と須藤先輩って昔、どこかで会いましたか?」

「あらあら。兄妹って似てるのね」

「え? どういう意味でしょう?」

「猛クンにも昔、同じことを言われたわ。私は撫子さんと直接会うのは、初めてのはず。そんなに私は誰かと似ているのかしら?」

 

 淡雪はそう微笑みながら答える。

 初対面のはずなのに、そうではないとどこか違和感を覚えるのはなぜなのか。


「んー。俺も感じたんだけどさ。淡雪さんの持ってる雰囲気はどこか懐かしさを感じるってことかな。初対面の気がしなかったんだ」

「昔のお知り合いに私は似てたのかしら?」

「そうかもしれないね。それとも覚えてないだけでホントに会ってたのかも?」

「くすっ。そうだとしたら、この出会いはただの出会いではなく運命の出会いという事かもしれない。そちらの方が面白そうだわ」

 

 穏やかに笑う淡雪だった。


――人柄の良さそうな雰囲気がとても兄さんにもよく似ている。


 それだけではないとも思う。

 やはり、何か過去に接点でもあったのではないか。

 

――なのに。それを思い出せそうにもないけども。


 なぜならば、昔の撫子は大人しすぎて物陰に隠れてしまうような子だった。


――私の場合、誰と知り合いとか言われても思い出せるはずもない。


 まさに自業自得だ。

 人と関わることを拒否し続けてきた。

 自分の弱々しかった頃の性格を恨む、撫子であった――。


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