第18話:お兄ちゃんって呼んでみたりして
淡雪が加わり、少し気まずい食事の最中。
――彼を知り己を知れば百戦殆うからず、とも言いますし。
何事も情報を知ることは大事だ。
特に撫子にとって淡雪の存在はまだそれほど深く知らない。
これはいいタイミングと状況なのではないか。
――情報戦を制するためには、まず相手を知ることが必要。
何も知らなければ対処法すらも思いつかない。
苦手意識を抱きつつも、淡雪に積極的に話しかけることにした。
「先輩の名前ですが」
「ん? 私がどうかした?」
「いえ、淡雪という先輩の名前は言葉の響きが綺麗ですね」
「ありがとう。淡雪って名前は私も好きなの」
淡雪、それは春に降る雪のこと。
すぐに溶けて消えてしまう儚い白雪。
白い肌をしている彼女にはとても似合う名前だと思った。
「もしかして、お誕生日が春生まれなんですか?」
「4月生まれよ。この前、誕生日を迎えて皆よりも早く17歳になったわ。私が生まれた日に珍しく雪が降ったから親がそう名付けそうなの」
「それで淡雪ですか、素敵なお名前です」
「貴方もそうでしょう。大和撫子。つけてくれた親御さんはすごいわ」
「……いい意味でも悪い意味でも、ですが」
一度聞いたら、忘れられない。
そんな名前をもらったことには感謝している。
「へぇ、淡雪さんも4月生まれだったんだな」
「そういえば……兄さんも4月生まれですよね」
猛は「そうだよ」と答える。
「あら、そうなの? 猛クンはいつ生まれ? 」
「俺は4月4日だよ」
「惜しい。私は4月5日なの。そっか、一日違い。そんなに近かったのね」
彼女は思わせぶりな口調で猛に向かって、
「そっかぁ。猛クンの方が私よりも誕生日が早かったんだ」
「一日違いですが」
「それじゃ、お兄ちゃんって呼んでみたりして」
「お兄ちゃん……良い響きだ」
そう言われてドキッとしている。
そもそも、彼は美人相手に弱い。
――他人に照れくさそうなそんな顔を私に見せないで。
撫子の中でもやっとした感情が暴れだす。
これでは妹として立場がなくなくなってしまう。
危機感を抱いたので釘を刺す。
「兄さん。妹は私だけで十分でしょう。他の女の子に浮気しないでください」
「あらら。妹属性は彼女だけのものみたい」
「他の誰にもあげません」
――妹的存在を私以外に求めないで。
ガラスよりも繊細で傷つきやすい恋する妹心を大切にして欲しい。
「ふふっ。噂以上に撫子さんに愛されてるじゃない、猛クン」
「そう言われると返す言葉に困るんですけど?」
「……兄妹は仲良くするのが一番よ。愛されて幸せね」
そう言うと、彼の肩を軽く触れる。
自然体の仲の良さを見せつけるように、
「私も猛クンみたいなお兄ちゃんがいれば、よかったのに」
「須藤先輩は兄妹がいないんですか?」
「妹がひとりいるわ。でも、私は甘えられる相手が欲しいタイプだから、兄か姉が欲しかった。あっ、でも、兄はいたらダメね」
ふとしたことで彼女は言葉を濁してしまう。
「兄がいたらダメってどういうことです?」
「んー。私の家の事情が絡んでるだけ」
「須藤家って旧家だからしきたりとありそうだな」
「まぁね。私の家はいわゆる、女尊男卑の激しい家柄なのよ。旧家なんだけども、昔からそういう独特の文化がある家なの」
「なんと……今時、そんなのが残ってる家があるのか」
「うん。うちの場合は古くから男に対しての扱いがよくないの。そのせいで、お父さんとか、苦労が絶えないわ。可哀想だもの」
古い慣習と言うものが残ってる家もある。
ただ、旧家で“男尊女卑”ではなく“女尊男卑”と言うのは珍しい。
その家の事情があるのだろう、と撫子は推測する。
「私がつい猛クンを頼りに甘えてしまうのって、お兄ちゃんに憧れてるからかもね」
「……皆から好かれて人気の淡雪さんに頼られるのは嬉しいよ」
「そう? そう言ってくれるのは私もすごく嬉しいわ」
にこやかなふたりに私は唖然とする。
――何だろう、この間に入り込めない雰囲気は……?
撫子が思わずアウェー感すら抱くなんて。
――もしかしたら、ふたりは本当に付き合ってたんじゃないかって。
本当にそんなことさえ感じてしまう。
撫子と猛の関係も他人から見たらこんな風なのかもしれない。
それと同じ雰囲気を作れる相手がいるとは思いもしていなかったけど。
――須藤先輩はかなり手ごわい恋敵だ。侮ってはいけない相手だわ。
この瞬間に撫子は彼女をこの学校で唯一、“敵”とみなした。
他の誰よりも注意深く警戒が必要な相手である、と。
食事を終えて須藤先輩とも別れたあと。
撫子は人気のない場所へと猛を連れ込んでいた。
「こんなところでどうした、撫子。部室棟なんかに連れてきてどうした?」
「……兄さんの浮気者。私は今、怒っていますよ」
「うぐっ。言いたいことは理解した。えっと……」
「言い訳は聞きません。兄さんが私一筋だと信じていた心を傷つけられました」
「それはそれでどうかと」
「つーんっ。須藤先輩、美人ですものねぇ?」
噂以上の仲の良さにがっかりしていた。
まさかあれほどの親密さとは想像外だったのだ。
心のどこかで油断と慢心があったのは否定できない。
「私がいない方が兄さんも楽しい青春を送れていたという事でしょうか」
「い、いや、そんなことはないぞ」
「須藤先輩といちゃいちゃしたいとか? 私、邪魔してます?」
「そんな風には思ってないってば」
厳しい口調の撫子の追及に彼は首を横に振りながら、
「淡雪さんとは仲のいい友人なだけだから。それは本当だ」
「では、兄さんと須藤先輩との間に何があったって言うんですか?」
「ごめん。それは簡単には説明できないんだ」
そんな事ばかり言われても納得できるはずがない。
――知りたくない。でも、知らなければいけない。
覚悟を決めた撫子は猛の制服の襟首を軽くつかんで脅す。
「兄さんが私を裏切るというのなら、私は写真の準備をしなくてはいけません。悲しいですが、その選択も考えます」
「ちょ、ちょっと待って。それはまさか例の……?」
「私の子供の頃の写真はとても可愛らしいものですよ。ですが、そんな写真を持っていたらどうでしょうか?」
妹とはいえ、幼女の裸写真など持っていたら変態でしかない。
「今の時代は厳しいものです。ロリコン扱いされた人が生きるのはとても辛いですよ」
「な、なにを……」
「人生のドロップアウトはふとしたことから始まるのです。昨日までは平凡な人生でしたが、とあるきっかけで犯罪者に。よくあることです」
さっと顔色を変える兄さんが慌てふためく。
「待ってくれ、撫子。俺を犯罪者にしないで」
「私が本気だということを思い知らせてあげますよ」
「やめよう。まだ俺は社会的に死にたくない。残りの人生を穏便に過ごしたい」
「私を裏切るつもりなら、私は本気で貴方の人生を潰します」
はっきりと明言されてしまい、
「つ、潰される!? 本気で俺の人生を詰ませる気だ、撫子は……」
「大丈夫です。兄さんが周囲の信頼や期待を失い、軽蔑されて後ろ指をさされるような人生を歩んでいても、私だけはずっと傍にいますから」
「何が大丈夫なのか、さっぱり分からない」
「私の事だけを兄さんは愛してくれていればいいんです」
「平穏な人生を歩ませて……シスコン&ロリコンで変態扱いされるのは嫌すぎる」
深くうなだれる彼は私をそっと抱き寄せると、
「はぁ、撫子に負けました」
「ようやく降参してくれましたか?」
「分かったよ、真実を話す。……今日の夜でもいいかな」
「分かりました。ちゃんとお話してくださいね」
ふたりの間にどんなことがあったのかを知りたい。
そうでなければ、彼女にどんな態度をして立ち向かえばいいのか。
それさえ分からないのだから――。
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