第5話:撫子にもその自覚はあったのか


 

 世界は何でも思い通りにならない。

 うまくいかないからこそ、面白いのかもしれない。

 試練を乗り越えた後の方がきっと大きな幸せが待っているはずだから。

 

『猛は撫子の事をどう思っている?』


 と、聞いたら彼はきっと『可愛い妹』と答える。

 逆に『撫子が猛をどう思ってるの?』と、聞かれたら間違いなくこう答える。

 

「兄さんはこの世界で最も愛する人であり、一生傍にいたい人です」

「……うん、ありがと」

 

 夕食後に淹れたコーヒーのカップを片手に彼は淡々とそう答えた。

 コーヒーはブラック派、砂糖もミルクも入れない主義だ。

 大人に憧れた時期に真似したのが始まりだが、今ではすっかりと癖になっていた。


「信じていませんね。本当にそう思ってるんですよ?」

「はいはい、撫子の気持ちは嬉しいよ」

「人の気持ちを簡単に流さないでください」

 

 彼の浮かべる笑顔が撫子は一番好きだ。


――兄さんはいつだって優しい笑顔を見せてくれるもの。


 その笑顔に撫子はいつだって甘えている。

 

「本当に喜んでくれていますか?」

「……もちろん。嬉しくてしょうがない。愛されてますね、俺」

「では、私が用意している結婚届にサインをしてもらえます?」

「それはいきなりすぎて無理だ!」


 真剣度は撫子の方が上だった。

 彼女は本物の結婚届を彼の前に提出する。


「私のサインはもうしてありますので」

「本物を用意しないでください」

「結婚届を役所でもらう時には私も緊張したものです」

「……なんて子だ。そもそも、兄妹は結婚できないだろ」

 

 結婚届を突き返しながら猛はそう答えた。

 撫子の愛に応えてくれない。

 さらっと流される雰囲気もどうかと思う。

 

「妹がこんなにも愛をこめて告白しているのに」

「家族愛程度で十分だからね」

「ちなみに異母兄妹ならば結婚できる国はあります。海外逃亡します?」

「……俺たちは異母兄妹でもないでしょうが」

「それはどうでしょうか。私たちが血のつながった兄妹という証拠もないですよ」

「なんでそこを疑うのさ」


 この話題を口にすると、いつも彼は尻込みしてしまう。

 彼の真面目さと優しさゆえにと分かっていても。


「兄さん、もっと私の愛に応えてください」

「できる範囲でならやってますよ」

「例え、兄妹でも愛さえあれば乗り越えれるものってあると思うんです」


 本気の撫子としてはやり場のない不満も感じてしまうのだ。

 彼はコーヒーのカップをテーブルの上に置くと、

 

「撫子に愛でついていける気がしない」

「に、兄さん……私の事が嫌いになったんですか!?」

 

 ショックすぎる彼の一言に心の奥底から、胸を締め付けられる思いがした。

 ズキズキと痛む胸を押さえながら撫子は彼に詰め寄る。

 

「兄さんは妹の純愛を弄ぶだけ弄んでポイ捨てするんですか? 飲み終わった空き缶のように捨てちゃうんですか?」

「しないよ? 俺はそこまで外道じゃないし」

「ひ、ひどいです、あんまりですっ。ぐすっ」

「違うって。そう言う意味じゃない。しかも、ずいぶん嫌な奴だな、それは……」

 

 ウソ泣きでも泣き真似をすると猛は困った表情をしてみせる。

 

「別に変な意味で言ったわけじゃないよ」

「だったら、どういう意味ですか?」


 詰め寄ると彼はさらに困り顔をしたまま、


「撫子の事は好きだよ。妹としてね」

「兄さん、私に納得できるようにちゃんと説明をしてください。そうじゃなければ、私は……私は兄さんに対して“武力”を持って行動する用意があります」

「ぶ、武力行使!? まさかの戦争危機?」


 焦りながら「落ち着いて。兄妹は仲良くすべきだと思うんだ」と言い訳する。

 彼女の本気を知っているだけに、うかつに武力行使されると恐ろしい。


「だったら、そんな寂しい事を言わないでください。私、泣きますよ? 」

 

 肩にもたれるように撫子はすがりつく。

 

「他に好きな人ができたんですか? 私の事はもういらない子扱いなんですか?」

「……まるで俺が浮気した彼氏みたいな言い方はどうかと思うんだけども」

「兄さんの愛を独り占めしたいだけです」

「俺が言いたいのはさ、撫子みたいにはなれないってこと。性格もそうだけど、どこかでいつもブレーキかけちゃうタイプだし」

 

 撫子の頭をポンポンと撫でて子供に言いきかすように、

 

「時には撫子みたいに自分に素直になって生きてみたいと思っただけだ」

「またです、兄さんは世間体ばかり気にしすぎなんです」

「……いや、普通に世間体は気にするでしょ」

 

 彼の悪い所と言えば、真面目すぎるところだ。

 そこがいいとも言えるけども、真面目な自制心は愛の妨げになることもある。

 

「いいじゃないですか? 考えて下さいよ。この年齢で一緒にお風呂に入ってる兄妹がどこにいますか? 私達の関係を普通なんて思ってもらわれたらこちらも困ります。こんな関係が普通なワケがないじゃないですか」

「自分で言っちゃった!?」

「ありますよ? 羞恥心すらも捨てているのは愛ゆえです」

「……撫子にもその自覚はあったのか」

 

 当然、普通ではない自覚はある。

 それでも好きなこの気持ちは止められない。

 

「――兄さんを私だけのものにしたい、この気持ちを抑える事なんて無理なんです」

 

 自分に正直に生きている彼女らしさ。

 

――たった一度の人生だもの。後悔するようなことだけはしたくない。

 

 その信条が揺らぐことはない。


「世間体ばかり気にしてもしょうがないってことですよ」

「それが大事なんだとまずは考えてよ」

「兄さん。自分に素直になって下さい。私、知っているんですよ?」

 

 胸に抱きつきながら撫子は彼に囁いた。

 

「兄さんが黒髪フェチだということをです」

「――っ!?」

「部屋にある特殊な性癖の写真集をこの前、掃除をして見つけてしまいました。どれも胸が大きくて、黒髪の女性ばかり。私もずっと黒髪ですから兄さんの好みに最も近い存在ですね。嬉しいです」

「本気で泣きそう。妹よ、兄の部屋は掃除しないでいいから。お願いします」

 

 ショックを受けてがっくりとうなだれる彼に微笑んで見せた。

 

「貴方の秘密をいくつも知っていると言う事を常に忘れないでくださいね?」

 

 それがトドメとなり、彼は顔をひきつらせながら、


「……はい」

「兄さんは私の“愛”から逃れることなどできないとさっさと諦めてください」


 そんなやり取りをしていると、家の玄関が開く音がする。

 

「ただいまー」


 リビングにやってきたのはふたりの姉である大和雅(やまと みやび)だった。

 大学3年生、撫子と5歳違いの20歳。

 誰にでも気さくで、嫌みのない性格をしている。

 

「おかえりなさい、雅姉さん」

「ただいま。二人はいつも一緒で仲がいいわね」

「当然です。私たちの愛情は深い絆で結ばれているんですから」

「いいね。その愛は揺らがないのが素敵」

 

 雅は多忙で家を留守にしている両親にかわって、面倒をみてくれる。

 それに何よりも撫子の気持ちを理解して応援してくれているのだ。

 撫子にとっても、理解者である姉の存在は大きい。


「姉ちゃん。大学生になったんだから一人暮らしをしたいとか思わない?」

「え? それは私に家から出て行ってという最終通告?」

「ち、違うって」

「だって、私は一人じゃ寂しくて生きてけないもん。撫子や猛と離れたくない。それ以上に、キミたちを二人っきりにさせちゃまずい気もする」


 雅は姉としてふたりにきっちりと理解させるように、


「せめて、二十歳になるまでは子供は我慢しなさい」

「いろんな意味で問題発言だからな、それ!」

「なんで? ま、まさかもうすでに、私に隠れてエロいことをしてるの?」

「してません。変な疑惑を抱かないで」

「……お風呂は一緒にいってるのに。たまには私と入る?」


 答えづらすぎて、ノーコメントを貫く猛だった。


「撫子はホントに猛が大好きね。アンタたち、もうくっついちゃいなさいよ」

「それは姉のセリフじゃないよなぁ」

「姉さん、もうくっついてますよ」

「撫子さん、嘘をつくのはやめましょう。姉ちゃんも応援しないで」

「だって、私は撫子の味方だもの。妹の恋を応援するのがお姉ちゃんでしょう」

 

 彼女はそう言って撫子に微笑む。

 健全ではないかもしれないのに、この気持ちを理解してくれている。

 誰よりも信頼できる、家族の中でもよき理解者だった。

 

「さすが、雅姉さん。私の愛を理解してくれて感謝しています」

「いろんな愛の形がある世の中だもの。幸せになれるのなら、それもいいんじゃない」

「そうですよ。というわけで、兄さん。私と結ばれて幸せな家庭を作りましょう」

「いやいや、そういう簡単な問題ではないから。姉ちゃんも発言には気を付けてくれ」

 

 姉弟の仲がよくて、いつもこんな風に楽しく暮らしている。


「そうだ。お腹がすいてるんだけど、ご飯の準備はできてる?」

「えぇ。すぐに温めなおします」

「ありがと。今日は何かなぁ?」

「マーボー豆腐です。お豆腐がとっても安かったんですよ」

「甘口だよね? 私は辛いのがダメなのぉ」

「当然です。辛口は私も苦手ですので」

「マーボーは辛い方がいいのに」

「兄さんだけですよ。我が家は基本的に何でも甘口派の家族ですもの」


 その言葉に彼は「少数派は辛いや」と嘆いた。


「猛は何でも一味唐辛子をかけるよね。アイスとかにもかけ出しそう」

「さすがにそれはないですよ」


 大切な人たちに囲まれて、幸せな毎日を送れていた。

これ以上の幸せを望むのは望みすぎなのかもしれないけども。


――もっと幸せになりたい、というのは我が侭かな。


 猛に恋をしてから撫子の人生は大きく変わっていた。

 この恋する気持ちは抑えられなくて。

 暴走してしまうこともあるが、全力で彼を愛し続ける撫子だった――。

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