第6話:兄妹仲が良すぎる事を心配させないで
新学期が始まってから、2週間が過ぎた頃。
その日の朝、制服に着替えて学校に行く準備をしていると、
「おはよう、猛」
キッチンには珍しく母、優子(ゆうこ)の姿があった。
家に帰ってきているのに気付いていなかった。
中学生の頃から両親は多忙で留守気味な事が多い。
「朝ご飯の用意ができているわ」
「ありがとう。いつの間に帰ってきたんだ?」
「昨日の夜遅くよ。こちらの方へ来る用事があってね。今日にはもう戻らないといけないの。ゆっくりしていられなくて、いつもごめんなさい」
「大丈夫だよ。こっちは問題なし」
「何か私に用事があるのなら今のうちに言っておいて」
父親の仕事が大変なのは分かっている。
普通の家族の形ではないかもしれないけども、放置されているわけではない。
両親にはちゃんと家族として愛されているし、そこに不満は抱いたことはない。
猛はテーブル席に座り、朝ごはんを食べ始める。
「撫子はまだ起きてこないのか」
彼女は朝が弱い方だ。
しばらく起きて来なかったら部屋に起こしに行こう。
「……ねぇ、猛。聞いてもいいかしら?」
「改まって何さ? あ、醤油を取ってくれる?」
「はい、どうぞ。単刀直入に聞くけどもいい?」
優子はいぶかしげな表情を浮かべている。
「前から感じていたんだけど、貴方達は兄妹仲が良すぎない?」
「え? 普通に仲は良いけど?」
「ただの仲の良さならいいの。質の問題よ」
どうやら、妙な誤解されている様子。
猛は別に何でもなかったのだと説明をする。
「昔からじゃん。俺と撫子の関係。兄妹仲が良いのはさ」
「あれを普通だと思ってるのは間違いだからね?」
どうしてこんなにも母は危機感を抱いているのか。
「世の中の兄妹は恋人繋ぎで手を握りあったり、週末にデートを重ねたりしないの。親の私が本気で貴方達の関係を疑っている状態なのも異常なのよ」
「そこまではっきりと言われるのは辛い」
呆れた顔で彼女は猛を注意する。
「兄妹で仲が悪いのも困るけども、仲が良すぎるのもどうかと思うの」
「ふ、普通だけどなぁ? 俺たち、怪しくないよ?」
彼は卵焼きを食べながら優子の説教を受ける。
前々からどうにも、親は猛達の関係を危ない意味で疑ってるのだ。
「正直、あの子と変な関係じゃないわよね?」
「変な関係って?」
「……恋愛関係」
率直過ぎる母の言葉に猛はむせた。
――どんな疑惑が向けられているんだ。
優子からの疑惑。
それはとてもまずいことであり、気を付けなくてはいけないことだ。
「げ、げほっ。な、何を言ってるんだよ、そんなことはない」
「……」
「その無言の視線はやめて!? ホントに何でもありません」
「改めて、猛の気持ちを聞いておきたいわ。貴方は撫子と恋愛したいの?」
「どんな質問だ!? 妹と恋愛したいと母親に言う兄は社会的にダメだろう」
「……そのつもりはないと信じてもいいの?」
「今のところは信じてもらうしかないよ」
自分の気持ちを見抜かれないように嘘をつく。
――そりゃ、撫子の事は好きだけどさ。
まさに優子の危惧通りなのだが、この状況で認められるはずもなく。
「撫子とは兄妹なんだからさ」
決まり文句になりつつある言葉。
この言葉をつぶやくたびに猛の心は痛む。
――これで母さんが安心してくれたのかは分からないけども。
嘘をついて誤魔化すのは嫌いだ。
「とにかく、貴方には節度のある兄妹の付き合いをしてもらわないと困るの。いい?」
「分かってる。何も心配なんてしないでいい」
「言いたくはないけども、これ以上、兄妹仲を疑うような関係だったら私も手段を選ばないわ。いろんな想像をしてしまう、兄妹仲が良すぎる事を心配させないで」
何やら物騒な物言い、対抗手段でも考えてあると言いたげな様子。
優子は「その時には猛に覚悟してもらうから」と静かに告げる。
何を考えてるのか分からないが、何らかの企みがあるようだ。
「兄と妹、健全な関係で仲良しなら何も言わない。だけども、撫子は完全に貴方を恋愛対象として見てるもの。猛、貴方が最後の砦。自分を見失わないで。お願いよ」
親に兄妹の関係でそこまで言われる猛たちはすごい。
家族の憂い、頭の片隅に入れておく事にした。
撫子との学校への登校途中。
猛は優子からの牽制を妹に伝えていた。
「なるほど。お母様は私と兄さんが恋愛関係である事に気づいてしまったのですね」
「捏造しない。恋愛関係ではなく、ただの仲のよすぎる兄妹なだけだ」
「それは兄さんと私の“認識”の違いでしょう。私は兄さんの恋人のつもりです」
平然と兄の恋人を自称する妹、それが大和撫子である。
「私と兄さんの関係を引き裂こうとするのだとしたら、例え、お母様であろうと私は敵視します。私の恋の邪魔をする人間は誰であろうと許せません」
「あのー、何をなさるおつもり?」
「本意ではありませんが、全面戦争も辞さない覚悟です」
「い、いやいや、親子対決はやめておこうよ。平和大事、平穏無事」
「……悲しいですが、歴史を見ても、親と子は常に戦う宿命にあるものですよ」
「宿命!? 待て、落ち着いてくれ。撫子、親子の確執を望んでません」
今の撫子ならやりかねないので、猛は妹の暴走を止める。
そんな事になったら、娘を溺愛してる親父も大変だ。
家族崩壊は避けたいし、仲良くいられるのが一番だと思う。
「兄さんさえいれば、私は他になにもいりません」
「撫子は一途だなぁ」
「そうですよ。だから、この想いの責任を持って、兄さんは私と結婚して下さい」
「……その件に関してはノーコメントで」
「もうっ。そこは快諾してくれるのが兄さんなのに」
妹に朝から求婚される兄である。
そして、それを拒絶するにしても強く否定できない甘い兄がこの猛だ。
学校に到着すると、撫子は「そうでした」と思い出したように、
「今日は職員室によりますから、ここでお別れです。お昼に会いましょう、兄さん」
撫子の後姿を見送ると、修斗に声をかけられる。
ちょうど登校してきたのか、恋人も一緒に連れて歩いていた。
「おはよう、大和。なんだ、撫子ちゃんの後ろ姿に見惚れてるのか?」
「……してないよ。相手は妹だってば」
「あれだけ可愛い妹なら、気になるのも当然ってか。入学早々、撫子ちゃんはかなりの人気があるようだ。噂も多いぞ」
撫子は文句なしの美少女だから人気が出るのも当然だろう。
中学時代もそうだった。
「ん? おっ、あちらにも人気のある女の子の登場だ」
修斗の視線の先には人が集まっている。
「おはよー、須藤さん」
「おはよう。今日も暖かくて過ごしやすいけども、桜が散ってしまったのは寂しいわ」
人々の中心にいるのは穏やかな微笑みを浮かべる美少女。
大人びた容姿、実年齢よりも年上を思わせる落ち着いた雰囲気。
長い髪がそよ風になびき、彼女は自分の髪をそっと手で押さえる。
「相変わらずの人気だよな。須藤さん」
「皆に囲まれても優しい笑顔を忘れない。あの対応力が彼女の人気のひとつだ」
薄茶の髪色をした美少女の名前は須藤淡雪(すどう あわゆき)。
淡雪という名前の如く、真っ白な肌のよく似合う美少女だ。
人当たりのいい性格からか、男女問わずに人気が高い。
「この学校にはそれなりのお嬢様は何人かいるけどさ。須藤家って言えば別格で、かなりのお嬢様なのに、それを鼻にかけない所が人気なんだ」
「そうだな。気さくな人だから話をしても面白いよ」
淡雪さんは去年に続いて同じクラスメイトだ。
個人的にはちょっとした事もあり、友人と呼べる間柄でもある。
彼女はこちらに気づくと軽く手を挙げて、
「猛クン、おはよう」
「おはよう。淡雪さん」
「さっき、妹さんと仲良く歩いているのを見たわ」
にこやかにほほ笑む。
「声をかけてくれてもよかったのに」
「邪魔しちゃ悪いじゃない。貴方達は本当に仲がよくて、まるで恋人みたいね」
「そうやって、からかわないで欲しいな」
「からかってないわよ。本当にそう見えたんだもの」
彼女の微笑みは一瞬で相手を虜にする魅力がある。
本当に素敵な笑顔を見せる子だ。
「恋をしている女の子って可愛く見えるわ。きっと恋をしているのね。羨ましい」
淡雪さんは「私も恋をしてみたい」と小さな声で呟いた。
その横顔がどこか寂しそうで、猛はその理由も知っていた。
彼女は恋をしたくても、それができない事情があるのだ。
「また猛クンと同じクラスでよかったわ。私が信頼できる男の子は貴方だけだもの」
「それは光栄。淡雪さんに信頼されているようで何よりだよ」
「ふふっ。これからも頼りにさせてもらうわ」
甘い声で耳元に囁かれたら大抵の男は籠絡しそうになる。
――俺だって、その笑みに魅了されてる男の一人かもしれない。
落ちない男子はいないほどの魅力的な少女なのは間違いない。
「俺の力になれることなら力になるよ。友人としてさ」
「そう言ってくれると嬉しい。……それじゃ、また教室で」
彼女と別れると、背後で修斗がため息がちに呟いた。
「美少女に頼られてデレデレしてるんじゃない。撫子ちゃんに言うぞ」
「デレデレなんてしてないよ。あと、撫子には秘密でお願いします」
「……大和があの須藤さんと“お友達”っていうのが解せない」
人気の彼女と親しい付き合いをしている男子は少ない。
それゆえに、他の男子から睨まれることもあるわけで。
「彼女はモテるからな。下心なしで本当に信頼できる相手が限られているだけだろ」
「その信頼されている相手が大和だっていう理由は?」
「……日頃の行いかなぁ、と」
「運がいいだけで信頼されるなら、大和が羨ましいよ。さすがは彼女の“元恋人”だな」
修斗の言葉に猛は曖昧な笑みで誤魔化して何も言わなかった。
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