第3話 想定内、しかし予想外でもある出会い
一方、奥の部屋に真紀と入るなり、裕美はほくそ笑んでいた。
「いい気味だわ。混乱している筈だし、今更、当たって砕ける度胸があるかしらね」
そんな彼女を、真紀が不思議そうに見やった。
「先輩? 今、何か仰いました?」
「ううん、独り言よ。それより、悪かったわね。急に専属を頼む事になって」
パイプ椅子を勧めながら裕美が詫びると、真紀は真顔で首を振った。
「大丈夫です。ちょうど先月末で、専属担当が解除されていましたから、暫く内勤と臨時応援だけでしたし」
「ああ……、そう言えば菅沼さん、あの我が儘奥様に付いていたのよね」
「はい。人を便利な荷物持ち程度にしか思っていなくて、いい加減うんざりしていましたので。冗談抜きで両手に荷物を持っていたら、何かあった時に咄嗟に反応できないのに」
ここで初めて、僅かに怒りの表情を見せた真紀を見て、裕美が肩を竦めた。
「全くだわ。それを訴えて、解除して貰ったんでしょう?」
「丸一日、他の方に記録を取って貰って、部長の判断を仰ぎました」
「当然よ。それにそんな人間を、わざわざ金を払ってまで狙う奴は居ないでしょうしね」
そこで向かい合って座った裕美は、真顔になって事務的に話を進めた。
「それではあなたのこれからの任務内容になるけど、基本は北郷氏の勤務に合わせて、ここに八時半まで出向いて彼を迎えに行き、二十時まで詰めた後、彼を自宅まで送って終了よ」
「頂いた資料では、彼の自宅の場所はここの上層階でしたね?」
「ええ。このマンションは丸ごと、北郷議員が所有しているから」
「それは楽ですね」
彼女の口調には明らかな嫌みが含まれていたが、裕美はそれはスルーした。
「一階と二階は北議員が事務所と会議室、資材置き場や倉庫として使っているけど、三階以上の居住スペースに上がるエレベーター前には管理人室があって、二十四時間常駐しているわ」
「警備するには、なかなか結構な環境ですね」
そこで裕美の話が一区切り付いたのを察して、真紀が尋ねた。
「ところで、飯島さんも岸田さんも単独で勤務を? 交代要員は付かなかったんですか?」
その疑問に、裕美は鼻で笑いながら答える。
「お坊ちゃまは、見慣れない人間が入れ替わり立ち替わり周囲に居ると、落ち着かないタチだそうよ。深窓育ちは、神経が繊細らしいわね」
「……結構なご身分ですね」
「それから彼は私設秘書だから、議員会館とかに常駐では無くて、主に地元対応になるわね。だから永田町辺りへの行き来は、滅多にないわ」
「助かります。神奈川とは言っても、都に隣接した地域で。朝晩の移動が、比較的楽ですから」
微妙に顔を顰めながら、真紀が応じると、そんな彼女の顔を裕美が凝視した。
「…………」
「何か?」
その視線を感じた真紀が尋ねたが、真紀は真顔で首を振る。
「いえ、何でもないわ。今日からのスケジュールを確認してから、主だった事務所スタッフに紹介するから」
「お願いします」
それから二人は細かい情報の確認を済ませてから、他の部屋に詰めているスタッフの所に出向き、顔合わせを済ませた。
「失礼します」
「どうぞ」
再び二人で健介達が使用している部屋に戻ってから、裕美は神妙に頭を下げた。
「引き継ぎが終了しましたので、私は失礼させて頂きます。何かあれば、菅沼に申し付けて下さい」
「分かりました。短い間でしたが、ご苦労様でした」
「それでは私はこれから少し、事務所の内外の点検をして参りますので、席を外します」
「あの!」
裕美と同様に、ファイル片手に部屋を出て行こうとした真紀を、思わずと言った感じで健介が呼び止めた。それに真紀だけが足を止め、訝し気な表情で振り向く。
「何でしょう? 北郷さんは今日は一日、事務所に居るスケジュールだったと思いますが、これから他に移動するご予定でもありましたか?」
「いや、それは無いが……」
「それでは少々、席を外します」
素っ気なく一礼して真紀が部屋を出て行くと、どんよりした空気を纏わせている健介を鬱陶しそうに見やった宗則が、暫くしてから嫌々ながら立ち上がって部屋を出て行った。そして彼が廊下を歩いて真紀の姿を探してみると、彼女はエントランスで手にしたファイルと周囲を交互に見回しながら、防犯上のチェックを行っている所だった。
「カメラの位置は資料通りね。そうなると、死角はこの辺りになるけど……、この範囲なら、向こうのカメラの撮影範囲に入るから……」
「佐藤さん」
最初宗則は、彼女の死角になる壁の陰から、ギリギリ聞こえる位の大きさの声で呼びかけてみた。しかし真紀はそれが聞こえなかったのか、変わらず視線を動かしながらチェックを続ける。
「うん。十分、対応可能か。後は、これの管理状況の確認かな……。それと想定される侵入ルートはこれだから、押さえておく場所としては……」
「佐藤さん?」
さっきは声が小さかったかと、今度は普通に聞こえる位の声量で呼びかけてみた宗則だったが、真紀は変わらず無反応だった。
「それから、スタッフと業者の出入りと、郵便宅配物のチェックの場合に使う、スペースの確保を」
「佐藤さん!」
ここで更に声を大きくして呼びかけた宗則に、真紀は漸く反応し、渋面になって向き直った。
「五月蠅いですね。それに、さっきから私の名前を間違えて覚えて、三回も呼んでいらしたんですか? 私の名前は、菅沼なんですが?」
「聞こえていたんですか?」
驚いたように返した彼に、真紀は呆れ顔で言い返す。
「当然です。誰に向かって声をかけているのかと思いながら、聞き流していましたが。一応あなたの同僚の護衛担当ですので、名前位は正確に覚えて頂きたいですね。覚える頭が無いのなら、それはそれで構いませんので、『護衛さん』でも『公社さん』でも、お好きな様に呼んで下さい。それで事足りますから。それでは二階のチェックに向かいますので、失礼します」
「おい! 俺の話はまだ終わっては!」
そしてあっさり自分を無視して、階段で真紀が二階に上がっていくのを見送ってから、宗則は腹立たし気に部屋に戻った。
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