第24話 黒歴史の黒幕

「ふざけるな! どうして調査費用だけで四千万近く請求されないといけないんだ! 口止め料にしても法外だぞ!?」

「生憎と、口止め料としてだけでは無くて、我が社への迷惑料も含んでおります」

「何?」

 うっすらと笑いながら金田が口にした内容に、田辺が怪訝な顔になった。そこでさり気なく寺島が会話に加わる。


「実は健介氏はこの何年かの間、あちこちの興信所にうちを探らせていて、正直目障りでうざかったんです。とは言っても、直接働きかけてこなければ、こちらとしては何もする気は無かったのですが」

「何ですって? どうして健介さんが、ここを敵に回す様な事を……」

(はい? あいつがどうして公社を探らせてたの?)

 呆然と田辺が呟いたのと同時に、真紀も首を傾げたが、寺島は楽しげに話を続けた。


「おや、お分かりになりませんか? あなたにも関係がある事なのですが」

「どういう事ですか?」

(何? 今の寺島さんの、思わせぶりな視線)

 益々訝しげな表情になった田辺から、チラッと自分に視線を投げてきた寺島に、真紀の不審度は高まったが、彼は淡々と話を進めた。


「七年程前になりますか……。議員の最初の夫人が生んだ長男が、勤め先の銀行を辞めて地方に移住して農業を始めたのですよね? 議員に反対されたお嬢さんと結婚して」

 その話題が出た途端、田辺の顔が苦虫を噛み潰したかの様な物に変化する。


「ああ、確かに。それが?」

「彼を後継者に考えていた議員は、当然激怒して彼を勘当。しかし手元にいる、三番目の愛人上がりの妻が生んだ三男は、箸にも棒にもかからない無能者」

「おい、貴様!」

「黙っていろと言っただろうが!!」

 床に転がったまま思わず声を荒げた克己を田辺は一喝したが、寺島は微塵も気にせず話を続けた。


「それで急遽、離婚した二番目の妻が女手一つで育てた、国立大法学部卒の次男に白羽の矢が立ったと。……まあここまでは良しとして、あなた達には少々困った事情があった。自分達母子を叩き出した議員に、その次男の佐藤健介氏が悪感情を持っていたと言う事。もう一つはその健介氏が司法試験浪人中で、生活費を稼ぐ為に「タケル」の源氏名でホストクラブで働いていたという事」

「そこまで知っているとはな……」

(はい!? 『佐藤』って、『ホストクラブ』って、ちょっと待って! まさか!?)

 半ば観念している風情の田辺とは対照的に、真紀は声は出さないものの激しく動揺した。そんな真紀の様子に、徐々に周囲が笑いを堪える空気を醸し出し始める中、寺島の話が続く。


「健介氏の懐柔の方は、案外すんなり事が運びましたね。当時母親が病気で、多額の手術費用が必要だった。それを議員が肩代わりして、その代わり健介氏が後継者として対外的に私設秘書を務める事になったわけです。定職に就いていない若造に、どこも融資などしませんから、健介氏にしてみれば苦渋の決断だったと思いますが。仮にも元妻、しかも難癖を付けて離婚した相手ですから、金を貸すのではなく支払い位してやっても良いでしょうに」

「そんな事は、先生の勝手だろうが!」

「それから、議員の後継者たる健介氏が、ホストをしていたなど週刊誌の記者に嗅ぎ付けられたら厄介だ。そう考えた議員の側近のあなたは、隠蔽工作を行いましたね? 工作と言っても、健介氏は当時佐藤姓でしたから、ホストクラブにも連絡先を告げずに辞めて引っ越しをすれば、そうそう追跡できません。出身大学にも手を回して、在籍名簿の表記を佐藤から北郷に変えさせましたし」

「それの何が悪い! 正規の手続きで、何も犯罪行為はしていないぞ!」

 完全に開き直って叫んだ田辺だったが、ここで寺島が冷え切った声で指摘した。


「れっきとした犯罪行為を、しているじゃありませんか」

「……何の事だ?」

 微妙に空気が変化した事に、田辺が慎重に問い返すと、寺島がいよいよ核心に触れる。


「当時、健介氏が付き合っていた女性のマンションを荒らして、現金十二万円を盗りましたよね?

 健介氏が急に連絡もせずに姿を消したら、事件に巻き込まれたかもしれないと彼女が騒ぎ出す可能性があると考えて、彼が彼女から完全に愛想を尽かされる様に」

「…………」

(へえぇ? あぁ~、そういう事。このおじさんがねぇえ~)

 さすがに反論できなかった田辺は黙り込み、自分の黒歴史の黒幕が誰なのかをようやく知った真紀が、彼に冷え切った視線を向ける。そして周りが二人に向かって完全に面白がっている視線を向ける中、田辺が控え目に反論した。


「……当然の措置だ」

「そうですか『当然』ですか。それなら被害者の立場としては、『当然』慰謝料を請求して構いませんね?」

「は? 被害者?」

 弁解にもならない事を力無く主張し続ける田辺に、ここで寺島が楽しそうに真紀を指差しながら宣言した。


「ご紹介します。当時、健介氏とお付き合いしていた、旧姓『佐藤』真紀さん。現在『菅沼』真紀さんです」

「どうも。この前お会いしたのは確かに初めてでしたが、陰でそんな係わり合いがあったんですね。びっくりです」

「…………え?」

 笑顔の寺島と、表情を消した真紀を交互に見ながら、驚愕の事実を知らされた田辺は、真っ青になって固まった。それに薄ら笑いを浮かべながらの、公社幹部からの恫喝が重なる。


「うちの社員に手を出して、ただで済むとは思って無いよな?」

「この際六年分の利子を付けて、借りをまとめて返して貰いましょうか」

「あの健介氏もな……。未練たらたらで菅沼の消息を辿ってここを探ったりしなければ、俺達も放置しておいたんですがねぇ」

「事ここに至っては、仕方がありませんな」

(この前事務所で顔を合わせた時、私とどこかで顔を合わせた事が無かったかとこの人に聞かれたけど、多分当時、こっそり私の顔を見ていたか、調査結果の写真とかを目にして記憶に残っていたわけか……。納得)

 室内に険悪な空気が徐々に満ちてくる中、真紀が一人冷静に考えを巡らせていると、いきなり悲鳴じみた声が上がった。


「もっ、申し訳ございませんでした、お嬢様!! その節は、大変ご迷惑をおかけした上に、不快な思いをさせた事をお詫びいたしますので、何卒何卒ご容赦を!!」

「お嬢様って……」

 ソファーから飛び降りる勢いで床に座り、真っ青な顔で自分に向かって土下座した田辺を見て、真紀は正直面食らった。すると寺島が、笑いを堪える表情で、お伺いを立てる。


「さて、社長。この始末はどうしますか?」

「そうだな……」

 そして一瞬考え込む素振りを見せた藤宮だったが、すぐに淡々と意見を述べた。


「やはり社会通念上の観点からも、まず菅沼への謝罪と慰謝料の支払いが必須だな。気の毒に例の一件で、ホストに金をかすめ取られたと社内で散々笑い物になった挙げ句、『特防一のカモ女』とか『貢ぎ女のミツ子』とやらの不名誉な二つ名を付けられて、屈辱にまみれていたそうだし」

「お嬢様、本当に申し訳ございません!!」

「いえ……、なんかもうあまりのバカバカしさと、上層部の秘密主義に呆れて、もうどうでも良い気になってきましたし」

 床に頭をこすりつけた田辺を見て、真紀は本気でうんざりしてきたが、それを見た藤宮はわざとらしく曲解した。


「ほうぅ? 北郷議員サイドからの謝罪などどうでも良い。この際、議員もその周囲も丸ごと破滅してしまえば良いと、そういうわけだ。確かに菅沼がそういう心境に至っても、全くおかしくは無いな。むしろ自然だ」

「……いえ、そうは言っておりませんが」

 控え目に訂正しようとした真紀だったが、ここで藤宮が机の上に置いてあった書類の束を取り上げ、わざとらしく田辺にかざして見せた。


「お誂え向きに、ここにちょっとした資料がある。北郷議員が所属している厚労省関連の某委員会が、外部に委託している事業先を調査した結果報告書だが、これによると、そこと北郷議員と昵懇にしているのが明白だな」

「……なんですって?」

「ええと、それは……、ひょっとして利益誘導や受注に関わる、贈収賄の証拠と言う物では……」

 田辺が弾かれた様に頭を上げたが、その顔は青を通り越して白に近くなり、真紀は恐る恐る推察を述べた。それに藤宮が真顔で頷く。


「そうとも言うな。正直俺はどうでも良いが、当事者のお前が『慰謝料なんか必要ない。徹底的に北郷議員一味を叩き潰して欲しい』と主張するなら、これを然るべきところに出してしまっても」

「おっ、お嬢様! 後生です! お願いですから慰謝料を受け取って下さい!」

 藤宮の台詞の途中で、田辺が凄い勢いで真紀ににじり寄り、パンツスーツの足首を掴みながら必死の形相で懇願してきた。


「いや、別に本当にどうでも良いし、足を離して欲しい」

「百万ですか? 二百万ですか!? 誠心誠意、お詫びしますので」

「ですから、それは私の中ではもうとっくに終わった事で、今更どうこうするつもりは」

 しかし田辺も藤宮も、当事者の真紀の言い分など完全に無視しながら、それぞれの主張を続ける。


「そうか。百万二百万のはした金で事が片付く安い女と見られるのは、噴飯もので屈辱以外の何物でもないか。やはり菅沼は後腐れが無いように、この際完全に終わりにしたいと」

「五百万お支払いします! これで勘弁して下さい、私の権限ですぐに動かせる金額はその程度ですので! お願いします、お嬢様!」

(そう言われてもね……。社長、悪乗りして金額を釣り上げないで下さいよ……。あ、そう言えば)

 心底うんざりしながらも、ここで重要な事を思い出した真紀は、足元の田辺を見下ろしながら条件を出した。


「お金はともかく、あの時一緒に盗られたブローチは返して欲しいんですけど。あれは祖母の形見ですから」

「は? ブローチ? 何の事ですか?」

 しかし田辺は、きょとんとした顔になって真紀を見上げる。その反応を見た真紀は、即座に両目を細めた。


「……この期に及んで、しらを切るつもりですか?」

「滅相もございません!! 本当に何の事だか、皆目見当が!!」

「それは恐らく、健介氏が秘匿しているのではないですか?」

「え?」

「健介さんが?」

 必死に弁解する田辺の台詞に重ねる様に、唐突に寺島が口を挟んできた為、二人は面食らった。そんな二人に、彼がしみじみとした口調で告げる。


「心ならずも、誤解させたまま別れる事になった彼女を、その後も密かに忍ぶ為に。……いじらしいですよね」

 声だけ聞けばしんみりする台詞も、寺島の表情が完全にその場の空気を裏切っており、真紀は溜め息を吐いてから、軽く彼を睨み付けた。


「寺島さん……、絶対馬鹿にしてますよね?」

「そう見えますか?」

「その薄ら笑い。そうとしか思えません」

 そう断定された寺島は、笑みを深めながらファイルの中から一枚の拡大写真を取り出し、田辺に差し出した。


「因みに、彼女が盗られたブローチの画像はこれです。頑張って家捜しして、健介氏から取り上げて来て下さい」

「それでは公社が請求する警護報酬と調査費用の全額支払いと、菅沼への慰謝料の支払いとブローチ返却で、北郷議員と貴様に対する制裁はチャラにしてやるが、事を大きくした馬鹿息子二人への制裁がまだだな。どうするつもりだ?」

「ど、どうすると言われましても……」

 サクサクと話を進めた藤宮に、田辺が動揺しながら口ごもると、藤宮は冷え切った視線を未だに床に転がっている克己に向けた。


「特にその三男。このまま飼っておいても、無駄飯食いの上、ろくでもない事しかしないぞ。母親共々、無一文で放り出す位の事はするんだろうな?」

「それはさすがに……、奥様に責任はありませんし……」

「こんな無能な息子を生んだ上、後継者にしろとごり押ししていたんだろう? 有害この上無いだろうが。貴様は馬鹿か」

「…………」

 藤宮に鼻で笑われた田辺は、反論もできずに憮然として黙り込んだ。すると続けて藤宮が、とんでもない事を言い出す。


「お前が思い付かないなら、上手く事を収める方法を教えてやる。その女房と次男が、不貞を働いていた事にすれば良い」

「は、はいぃ? 奥様と健介さんがですか!?」

(うえぇ!? 社長、あんた何を言い出すの!?)

 田辺はもとより、真紀を初めとした公社の面々も目を見開いて絶句したが、藤宮は事も無げに話を続けた。


「そうすれば議員は息子に妻を寝取られたと、周囲から同情して貰えるだろう。それに、さすがにその息子を後継者にはできずに勘当する事にしたものの、やはり親子の情を断ちがたく、五千万ほど生前贈与して身の立つ様にしてやれば、さすが議員は情が篤く懐が深いと、支持者や周囲からは拍手喝采間違い無しだ」

「いえ、あの……、ちょっと待って下さい」

「その分、妻を憎悪して無一文で叩き出しても、当然だと納得する者はいても大っぴらに非難する者はいないだろう。議員には全く非が無いわけだし、すぐに再婚相手も決まるだろうな。これで万事、めでたしめでたしだ。今なら大サービスで、妻と次男の密会現場やヤバい写真の合成位、うちの開発解析部門でタダで請け負ってやるが?」

「いえっ……、そっ、それはっ……」

 既に血の気のない顔中から脂汗を流し、今にも倒れそうになっている田辺を見ながら、公社の幹部達が囁き合った。


「社長、なんつうゲスい提案を……」

「幾らなんでも、普通、そこまでのシナリオは書きませんよ」

「俺達もまだまだと言う事だな」

「これ位じゃないと、ここの社長は務まらないんですね……。うちのブラックぶりが、今回のこれで良く分かりました」

「今更だぞ、菅沼」

 そんな事を言っているうちに、藤宮はあっさりと最後通牒を田辺に突きつけた。


「さて、それでは振り込みは所定の口座に五日以内に済ませる事にして、菅沼へのブローチ返却と慰謝料五百万の現金支払いは、五時間以内に済ませて貰おうか。一秒でも遅れたら、これが表沙汰になると思え」

「あっ、いえっ! しかし、それはっ!」

 もはやまともに喋れない程狼狽している田辺を半ば無視して、藤宮が寺島に尋ねる。


「寺島、何時までになる?」

「十四時三十二分十八秒がタイムリミットになります」

「だそうだ。健介氏が、素直にちょろまかしたブローチを出せば良いがな。手間取ったら大変だ。こことの往復の移動時間を考えると、あとどれだけ時間があるか」

「少々お待ち下さい! すぐに揃えて持って参りますので!!」

 そして蒼白な顔付きで立ち上がった田辺は、脇目も振らずに廊下に向かって駆け出して行った。当然克己の存在は無視されて、その場に取り残される。


「あ、おい、田辺! 俺を置いて行くな!! ここから出せ!!」

 そう叫びながら克己は必死に袋の中でもがいたが、藤宮は如何にもつまらなさそうに手を振って、追い払う真似をした。


「茂野。その目障りな奴は、取り敢えず必要が無いらしい。また奴が来るまで、好きに遊んでいて構わん」

「そうですか! それなら遠慮なく!」

「おっ、おい! 冗談だろ!? これ以上……、ちょっと待て! 離せぇぇっ!」

 そこで満面の笑顔になった茂野によって、克己は嬉々として元通り猿ぐつわを噛まされ、台車に引きずり上げられてどこかへと運ばれて行き、再び静寂が戻った室内で、藤宮がおかしそうに真紀に声をかけた。



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