第23話 後始末

「……おはようございます」

「よう、菅沼! お前昨日、緊急通報でとんでもない面子を呼びつけたらしいな!」

「始末書だけでも面倒なのに、災難だったな!」

「うぅ……、皆、他人事だと思って……」

 緊急通報システムを使用した件は、朝と言うか前日のうちに噂が社員の間を駆け巡っているだろうと思ってはいたが、職場に足を踏み入れると同時に予想に違わず楽しげに声をかけられ、真紀はくじけそうになった。しかしなんとか気を取り直し、飯島の元に向かう。


「あの……、飯島先輩。おはようございます」

「……ああ」

「その……、昨日、一緒に居られたと言う彼女さんとは、その後、どうなりましたでしょうか?」

 恐る恐るお伺いを立てた真紀だったが、飯島は手元のファイルから目線を外さないまま、ぼそりと答えた。


「……ちゃんとテーブルで、待っていてくれた」

「え? あ、本当ですか!? ろくな説明もなしに中座して置き去りにしたのに、なんて良い人!! 私だったら帰ってますよ!」

「おい、菅沼!」

「飯島さんを刺激するな!」

 本気で驚いた真紀が思わず声を張り上げると、周りが焦って小声で窘める。すると飯島が、ボソボソと話を続けた。


「そして……、戻ってから、急に中座した事について、しどろもどろな説明をしたら……。『これまでにも時々、ドタキャンされたりすっぽかされたりしたけど、本当に大変なお仕事なのね。これからは私が支えてあげるから』って言われて……」

 最後は涙声になって飯島が口を閉ざすと、真紀は忽ち喜色を露わにして叫んだ。


「え!? それってまさかの、逆プロポーズ!? うっわ、なんて男前の彼女さん! 惚れそう! じゃなくて飯島先輩、おめでとうございます!!」

「ありがとう、菅沼」

 そこで漸く座ったまま身体を向けてきた飯島が、目に浮かべた涙を手の甲で拭うと、真紀は益々感極まった。


「うわぁ――ん! 本当に破局にならなくて、良かったぁあ――! 昨日のお詫びも含めてご祝儀は弾みますからね!!」

「いやぁ、本当にめでたい!」

「良かったな、飯島。この果報者が!」

 様子を窺っていた周りの同僚達も、口々に祝いの言葉を述べる中、如何にも残念そうな声で空気を読まない発言をした者がいた。


「つまらないですね……。今朝はてっきり、飯島さんの破局話が聞けるかと思っていたのに」

「なんだと? お前、無神経にも程が……、て、寺島さん!?」

 防犯警備部門の一人が気色ばんで叱りつけようとしたが、勢い良く振り返った視線の先にいた人物を認めて、声を上擦らせた。忽ち祝福ムードが消し飛び、周囲の者達の間に一気に緊張が走る中、寺島がのんびりと声をかける。


「すみません、菅沼さんに用事がありますので、通して貰えますか?」

 その途端、真紀を中心にして、人垣が勢い良く左右に分かれた。そして見通しが良くなったのを幸い、寺島が一見穏やかに声をかける。


「おはようございます、菅沼さん。昨日の件について、社長室への呼び出しです。各部門の部長と部長補佐も揃っているので、私と一緒に来て下さい」

 そう告げられた瞬間、周囲の空気がざわりと動き、真紀は盛大に顔を引き攣らせた。


「社長室……。副社長室では無くて、ですか?」

「今日は偶々朝から、社長が来社しているんです。午前中にこちらで用事を済ませてから、午後から本業での出張に出られるとか」

 滅多に出社しない社長の周囲と、普段開かずの間と化している社長室は、桜査警公社一の危険地帯である事は周知の事実であり、そこへの呼び出しに真紀は涙目で項垂れた。


「社長、いらしてたんですか……」

「菅沼……、本当に運が悪い……」

「不憫過ぎて、涙が出てきた」

「さあ、行きますよ」

「はっ、はい! 今行きます!」

 そして真紀は踵を返した寺島の後を追い、そんな彼女の背中に向かって、同僚達は憐憫の眼差しを送りつつ揃って合掌した。


「菅沼さんを連れて来ました」

「寺島、ご苦労だった」

 寺島に先導されて広い社長室に入ると、奥の机にいる社長の両側に、各部門の部長と部長補佐が全員顔を揃えていた。それに真紀が内心で動揺していると、副社長の金田が穏やかに声をかけてくる。


「やあ、菅沼君。専任から解放されて清々しい気分のところを、朝から呼び立てて悪いね」

「いえ、お構いなく」

 するとここで、真紀が顔と名前だけ覚えている社長の藤宮秀明が、真顔で寺島に確認を入れる。


「するとこの女が、『特防一のカモ女』と言うわけだ」

「はい、社長。ですので今回、彼女にその不名誉な二つ名を、自ら払拭する機会を与えようかと思いまして」

「……なるほど、そういう事か。面白い時に居合わせたものだ」

 ニヤリと笑った寺島を見て、彼と十歳も違わない様に見える藤宮は、彼以上に邪悪に見える笑みを浮かべた。それを見た真紀が(それってどういう事よ!?)と内心で動揺していると、机上の内線電話が鳴り響く。


「社長室だ。……ああ、分かった」

 すかさず受話器を取り上げた藤宮が短く通話を終わらせ、寺島に声をかける。

「受付からだ。田辺とか言うのが、下に到着したらしい」

「それではもう一人の脇役も、そろそろ呼び出しましょう。こちらをお借りします」

「ああ」

 そして寺島がどこかに内線をかけ始めたが、他の幹部達は皆薄笑いを浮かべたり、素知らぬ顔をしているのみで、全く真紀に事の仔細を説明してはくれなかった。


(あの、私がどうしてここに呼ばれたか、理由が全然分からないんですけど……。しかも誰も私に、説明して下さらないんですか!?)

 心の中でそんな泣き言を言っているうちに、北郷代議士の政策秘書を務めている田辺がやってきて、彼にとっては悲劇の、寺島達にとっては喜劇の幕が上がった。


「田辺さん、わざわざお越し下さいまして、ありがとうございます」

 金田が穏やかな笑顔で手振りでソファーに座る様に促したが、田辺は正面の机にいる藤宮を始め、ずらりと並んでいる者達を見て、腰を下ろしながら微妙に強張った表情になった。


「はぁ、それは構わないのですが……、皆様は……」

「ああ、単にうちの幹部達が顔を揃えているだけですので、お気遣いなく。それではこの間の北郷議員の事務所に対する脅迫行為や嫌がらせ、及び講演会での襲撃事件ですが、全て議員の次男の健介氏と三男の克己氏が画策した物と判明致しました」

「はい!? 何ですか、それはっ!!」

 金田がさらりと口にした内容を聞いて、田辺は驚愕のあまり反射的に腰を浮かせかけたが、金田は淡々と報告を続けた。


「もっと正確に言えば、最初の爆発物のレプリカを事務所に送りつけたのは健介氏とご友人の城島氏ですが、その他は全部克己氏が、色々問題がある“お友達”に依頼したものです」

「なっ、何を証拠に、そんな誹謗中傷を!? それにどうしてお二人が、先生を攻撃する真似をするんですか!?」

「誤解の無いように申し上げますが、お二人とも議員本人に危害を加えたり、ダメージを与えるつもりはありませんでしたよ? 健介氏はとある理由から、桜査警公社とコンタクトを取りたかった為。克己氏は健介氏の評判を落としたり、大怪我を負わせて後継者の座から引きずり下ろして、自分が後釜に座ろうと画策しただけですし」

「何ですって?」

 そこでソファーの傍らに控えていた寺島が、抱えていたファイルから何枚かの用紙を抜き出し、目を丸くして固まっていた田辺の目の前に並べながら、説明を加えた。


「因みに健介氏の名前での大量発注をした時の、通話記録。本来なら電話会社は通信記録を第三者に漏らしませんが、こちらは色々と伝手がありますので。それとこちらは、“お仲間”とのLINEのやり取りをプリントアウトした物です。蛇の道は蛇と申しますから」

「これは……」

「あの襲撃も議員本人ではなく、側にいた健介氏を狙った物でした。しかし兄弟間で骨肉の争いとは、なかなか殺伐としたご関係ですな。これが表に出たら、議員の父親としての資質が問われそうです」

「あの穀潰し野郎……。どこまで先生の足を引っ張る気だ」

 寺島の説明に続いて金田が薄笑いで告げて来た為、相手がこれを北郷議員をゆするネタになりえると認識しているのを悟った田辺は、盛大に呻いて歯ぎしりした。するとここで唐突にドアが開き、台車を押しながら茂野が入室してくる。


「失礼します。お客人を連れて来ました」

「ああ、茂野。ちょうど良いところに。田辺さん、ご本人がいらっしゃいましたので、ご不明な点がありましたら直接お尋ね下さい。ああ、それでは会話ができませんね。茂野、それを取って差し上げろ」

「了解しました」

 金田が笑顔で指さした“ご本人”の克己は、どうやら手足を縛られている状態で袋詰めにされており、更にさるぐつわをかけられた状態で台車に乗せられて運ばれて来た為、真紀は盛大に顔を引き攣らせた。しかし自分の周囲が全く動じていない為、(皆さん、本当に慣れていらっしゃる)と諦めて溜め息を吐く中、茂野が克己のさるぐつわを外した瞬間、室内に怒声が響き渡る。


「田辺!! なんなんだこいつらは! 親父に言って、全員刑務所にぶち込め!」

 憤怒の形相でそう叫んだ克己を見て、金田達は不思議そうな顔つきになった。


「ほう? まだこれだけ喚く元気があるとは」

「茂野、お前、手を抜いたのか?」

「すみません、他の連中に色々試していまして。そいつにはまだ一時間位しか、お仕置きして無いんですよ」

「……ひょっとして徹夜か?」

「はい! 一度に色々なデータが取れました! こいつはどうせ大して保たないと思ったので、後回しにしていまして」

 うきうきと報告してくる茂野を見て、他の面々は思わず遠い目をしてしまう。


(本当に色々やったらしいな……)

(凄く楽しそうだ)

(他の連中、命はあっても再起不能じゃないのか?)

 そんな微妙な空気の中、田辺がみのむし状態の克己に歩み寄り、冷たい目で見下ろしながら恫喝する様に問いを発した。 


「あんた……、本当にごろつきを金で雇って、健介さんを襲わせたのか?」

「それがどうした! 追い払ったのに舞い戻ってきやがって! あいつがいなきゃ、俺が跡取り」

「ふざけるな!」

「げはっ! た、田辺?」

 文字通り手も足も出ない状態の克己の顔を、田辺は渾身の力を込めて殴りつけた。そして台車から転がり落ちた彼に向かって、忌々しげに吐き捨てる。


「健介さんに危害を加えようとした挙げ句、公社の人間にその証拠を掴まれるとは何事だ! お前がそんな愚鈍だから、先生が後継者に指名しなかったんだろうが! この愚図が!! そこで黙ってろ!! もう一言も余計な事をぬかすな!!」

「ぐあっ……、た、田辺……」

 ついでとばかりに克己を蹴りつけてから金田に向き直った田辺は、卑屈な笑みを浮かべながら申し出た。


「大変お見苦しい所をお見せしました。この件は何卒、内密にお願いしたいのですが……」

 それに対して、金田は当初と変わらない笑顔で応じる。


「もとより、私達も依頼人との間に、波風を立てたくはありません。今回ご子息の事を明らかにしたのは、今後先生が責任を持ってご子息に対しての措置をして頂く事で、警護契約の終了としたいと考えた故です」

「ありがとうございます。先生に代わって、お礼申し上げます」

「つきましては、本来の警護費用の他に、各種調査費用を上乗せして徴収させて頂きたいのですが」

「はい、それ位お安いご用です」

 面倒な事にならずに済んだと、田辺が安堵しながら笑顔でソファーに戻ると同時に、金田が側に控えている秘書に声をかけた。


「寺島」

「それではこちらが請求書になります。内容をご確認下さい」

「はい、こちらですね。それでは、振り込みはいつまで……」

 しかし寺島が差し出された用紙を受け取り、それに視線を落とした田辺は固まった。

(あら? どうしたのかしら?)

 不審に思ったのは真紀のみで、他の者は理由を察して苦笑いする中、田辺から押し殺した声が発せられる。


「……金田さん。この請求書の金額は、間違っているようだが?」

 その問いかけに、金田は素知らぬ顔で傍らの秘書を振り返った。

「寺島。お前、どんな金額で請求書を作成した?」

「警護費用諸々に関しては七百八十万飛んで十五円で、調査費用諸々の総額は三千九百六十五万八千円ちょうどで記載しました」

「それなら間違いないな。何かご不審な点でも?」

 淡々とやり取りをしてから、再度田辺に視線を向けた金田を見て、真紀は心底呆れた。


(うわぁ……、幾ら何でもぼったくり過ぎでしょう? そして周りが全然動じて無いって……。はい、そうですね。うちではこれが平常運転なんですね)

 すると田辺が怒りを露わにして、テーブルを叩きながら金田に食ってかかった。


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