第19話 噛み合わない二人
不穏な空気が満ちた無言のテーブルに一人分ずつ料理が運ばれ始めた当初は、周囲の客や従業員から興味本位な視線が向けられていたものの、健介がおとなしく食べ進めている為、次第にそんな不躾な視線も無くなっていった。
そしてメインの肉料理を切り分けながら、これまで無言を貫いていた健介が、押し殺した声で呟いた。
「……聞かないのか?」
「何をでしょう?」
「どうして今日ここに来たのか、その理由だ」
「フランス料理が食べたかったからですよね」
行儀良く彼と向かい合って座りながら、真紀が素っ気なく答えた為、健介は些か乱暴にフォークとナイフを更に置きながら、声を荒げた。
「違う! 君に食べて貰いたかったからだ!」
「職務中には食べないと、これまで何回口にしたでしょうね……。どうせなら、カウントしていれば良かった。あの名門、東成大法学部卒と言っても、実生活でまるで物の役に立たないなんて、小早川さんとはえらい違いだわ」
実にしみじみとした口調で真紀が言い出した内容を聞いて、健介が僅かに目を細めた。
「誰の事だ?」
「東成大法学部に現役合格して、卒業と同時に一回で司法試験に合格して、現在弁護士として活躍されている、友人のご主人の事です」
それを聞いた彼は、眉間にしわを寄せながら、問いを重ねた。
「俺が東成大法学部卒だと、知っているのか?」
「ええ、勿論です。護衛対象者の経歴は、一通り頭に入れておく事になっておりますので」
「それなら俺が大学卒業後、父の秘書になるまで何年間か無職だった事も、知っているわけだ」
「勿論、存じ上げています。それが何か?」
「……君はそれに関して、少しも不審を覚えなかったのか?」
「不審? 何に対してですか。卒業して気が抜けて、暫く親の金で遊んでいたんですよね。この前事務所に顔を出した、弟さんと同様」
「そんなわけあるか!」
真紀から侮蔑的な視線を向けられた途端、それをはっきりと認識した健介が再度声を荒げたが、先程の声で警戒して近くに控えていたらしい従業員がすぐに歩み寄り、健介に対して恭しく申し出た。
「お客様、他のお客様のご迷惑になりますので、できればお静かに願います」
「……申し訳ない。以後、気をつける」
さすがに気を取り直し、従業員に短く謝罪してから、健介は真紀に向き直った。
「克己を見たのか?」
「私では無くて、涼ですが。絡まれたので、からかって撃退したと言っていました」
「良く分かった……。十分だ。君が俺の事を欠片も覚えていないのは分かったし、これ以上、どうこうしようとも思わない……」
急に声量を落とし、俯いて呻くように呟き出した健介を見て、真紀は(何をブツブツ独り言言ってるの、こいつ?)と本気で呆れた。しかし急に顔を上げ、声高に言い出す。
「だが、これだけは言わせて貰う! 真紀、あんな職場は今すぐ辞めろ!」
「…………」
その一方的な物言いに、真紀は完全に呆れてそっぽを向きつつ、テーブルに頬杖をついた。それを見た健介が、本気で怒り出す。
「人が真面目に話しているのに、何だ、その態度は!?」
しかしその非難も一顧だにせず、真紀は彼と目を合わせないまま淡々と反論した。
「礼儀を弁えない人間相手に、礼儀正しく受け答えする義務はありません」
「はぁ? 俺のどこが礼儀を弁えていないと!?」
「一つ、職務上の理由で食べられない相手に、飲食を強要させようとした。二つ、許可を得ていないのに、厚かましく名前を呼び捨てにした。三つ、別にこちらは話を聞く義理は無いのに、勝手に真剣な話だから真面目に聞けと、わけがわからない主張をした。四つ、他人の職場と仕事内容について、ろくに知りもしないくせに一方的に罵倒した。五つ、公共の場で周囲の迷惑も考えず、みだりに大声を上げた」
「お客様、周りのお客様のご迷惑ですので、お静かに願います」
「……失礼した」
空いている右手で指折り数えながら、真紀が健介の非礼ぶりを列挙していると、その間に先程の従業員が再び歩み寄り、健介に険しい表情で訴えた。さすがにそれが分からない彼ではなく、おとなしく頭を下げてから、再び真紀に向き直る。
「それでは菅沼さん。これは一人の人間としての忠告だ」
「それにしては先程の言い方では、赤の他人にしては随分横暴な物言いでしたが?」
「これまで付いて貰っただけでも、良く分かった。君の仕事は危険じゃないか。普通じゃない」
そこで真紀は、意外な事を聞いたような顔付きで、健介に向き直った。
「はぁ? 危険? どこがです?」
「あれが危険じゃないなら、普段どれだけ危険な仕事をしてるんだ! やっぱりさっさと辞めろ! 女がする仕事じゃないだろう!?」
(『女がする仕事じゃない』ねぇ……。よし、その喧嘩買った!!)
スッと両目を細めて臨戦態勢になった真紀は、薄笑いしながら口を開いた。
「そうですね。間違ってもズブの素人の女性に務まる仕事ではありませんし、頭でっかちで苦労知らずなボンボンには、もっと務まる仕事ではありませんね。でも幸い私は、どちらにも該当しませんから」
それを聞いた健介は、はっきりと顔を顰めた。
「……それは俺の事か?」
「一般論として、述べただけですが。何か思い当たるところがおありですか?」
そう言って鼻で笑ってから、真紀は真剣な表情で言葉を継いだ。
「確かに国会議員を目指している、崇高な考えをお持ちの方々の中には、こういう身体を張った仕事が馬鹿馬鹿しい下っ端のやる事だと思っていらっしゃる方は存在していますが、それはそれとして、皆さん上手く私どもの様な人間を使っていらっしゃいます。あなたはもう少し、お父様を見習ったらどうですか?」
その慇懃無礼な物言いで余計に神経を逆撫でされたのか、健介は思わず立ち上がりながら真紀に怒声を浴びせた。
「俺に、あの下素野郎を見習えって言うのか!?」
「北郷議員の人格については全く存じ上げませんが、少なくとも私達を信頼して、現場を任せて下さっております。一方的に『仕事を辞めろ』などと、侮辱されたりはしません」
「侮辱なんかしていないだろうが!!」
「それではどうして、私に仕事を辞めろと仰ったんですか?」
「それは……、君の身を心配して……。家族だってこの仕事に就く時は、かなり反対しただろう?」
幾分語気を弱めて、同意を求める様に尋ねた健介だったが、真紀は真顔で事も無げに答えた。
「いいえ、全く。皆、『桜査警公社に採用されるなんて凄い。頑張れ』と大喜びして激励してくれました。公社は武道家達の間では、結構有名ですから」
「嘘だ! 真っ当な家族なら、そんな事を言う筈が無い!」
「あなたは今、私の仕事を全否定しただけでは無く、私の家族まで『真っ当な家族では無い』と侮辱したに等しい発言をしたのですが。それを分かった上での発言ですか?」
「…………」
口を閉ざした健介を白けきった目で見上げてから、真紀は心底疲れた様に溜め息を吐いた。
「やっぱり頭は良くても馬鹿の類だわ。本当に美実さんのご主人とは、月とスッポン。大体、家族でもあるまいし、何の権利があって他人の仕事に口出しするんだか」
「権利はある!」
「はぁ? 一体、どんな権利だと仰るんですか?」
「それは!」
しかしそこで、このテーブル担当者らしき従業員の他に、注文時に顔を見せた彼の上役まで揃って現れ、健介に対して厳しい表情と口調で宣言した。
「お客様。お代は結構ですので、今すぐお引き取り願います」
その声で我に返った健介は反射的に周囲に目をやり、そこかしこから非難めいた冷たい視線を向けられている事に、漸く気が付いた。
「あ……、いや、すまない。これからは静かに」
「お代は結構ですので、直ちにお引き取り願います」
「…………」
慌てて謝罪した健介だったが、時既に遅く、相手は厳しい口調で先程口にした台詞を繰り返した。それを聞いた健介は憮然とした表情になり、真紀は音もなく椅子から立ち上がる。
「お騒がせして、誠に申し訳ございませんでした。失礼します」
そう言って一礼した後、何事も無かった様に出入り口に向かって歩き出した真紀を、健介は慌てて引き止め様とした。
「おい、真紀! うっ!?」
腕を掴もうと伸ばした手を払いのけられた上、くるりと半回転しながら臑を本気で蹴りつけられて、痛みで健介は蹲った。そんな彼を忌々しげに見下ろしながら、仕事上ではいつもなら口にしない乱暴な口調で、真紀が言いつける。
「名字を呼べって言ってんだろ? それに出る時位、店に迷惑かけんな。てめぇはガキか?」
そして無言で再度従業員達に一礼してから、真紀はさっさと店の外に出た。
(本当に、他人の迷惑を考えない馬鹿ね。もう本当に、担当を替えて貰おうかしら。……あ、ひょっとしてこれも、私から男の担当者に戻す手の一つ? あの野郎……、店に迷惑かけながら小細工を。交代するにしても、絶対女性にしてやる! 誰が良いかな……。面倒をかける事になっちゃうけど、早坂さんとか、麻生さんかな?)
そんな見当違いの事を考えながら、真紀が怒りをたぎらせていると、すぐに健介が店を出て来た。それを見た真紀は、当然内心の怒りを押し隠しつつ、冷静に声をかける。
「それでは、マンションに戻ります」
ぐずぐずして自分では歩き出さない気配を醸し出している健介を見て、それなら勝手にしろとばかりに真紀はさっさと歩き出し、普段は自分の斜め後ろしか歩かない彼女を、健介が慌てて追いかけた。
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