第20話 急転直下

「……俺の話は、まだ終わってない」

「はあ、そうでございますか。どうぞご自由に」

 エレベーターに乗り込みながら、真紀は素っ気なくそう告げたが、それに既に乗り込んでいた人間がいたせいか、健介は無言でそれに乗った。しかし一階まで降りて歩道を歩き始めてから、健介は怒りを露わにしながら、叱りつける様に言い出す。


「俺は君の事を本当に心配して、忠告しているんだぞ! こんな危険な仕事は、一刻も早く辞めるべきだ! 命が惜しくは無いのか!?」

「勿論、命は惜しいですが」

「だったら!」

 真紀が同意した為、嬉々として更に訴えようとした健介だったが、その彼の主張を彼女は冷静にぶった切った。


「死んでも良いなんて自殺志願者が、この類の仕事で役に立つ筈がありません。とことん物事が分かっていない、頭でっかちで残念な方ですね。この程度の人間を後継者にしないといけないなんて、北郷議員に同情します」

 それを聞いた健介が、本気で腹を立てた。


「ふざけるな! またあの親父と俺を、比較する気か!?」

「仮にもお金を出している議員に対して、その物言いは失礼では」

「え!? 何?」

(しまった!! この馬鹿に気を取られている間に、すっかり囲まれてる!)

 言い返している途中で漸く異常に気づいた真紀は、僅かに顔色を変えた。それとほぼ同時に健介が横から腕を取られ、頸動脈の上に幅広のナイフを当てられる。


「痴話喧嘩してるところを悪いが、ちょっと俺達に付き合って貰おうか」

「まあ、今のところ、悪いようにするつもりは無いんだがな? 貴様がおとなしくしている限りは」

「何だ、お前達!? 何を!」

(ちっ! 素人っぽいけど結構場慣れしてる、一番厄介なパターン。それにこいつ、どこまで間抜けなの? 絶対、店の予約をした時に、事務所のスタッフとかにバレたわよね? そうでなきゃ、こんなにタイミング良く捕まるわけ無いもの)

 言い合いをしているうちに人通りの多い繁華街から道を外れ、二本ほど裏通りに入った駐車場に向かっていた為、周囲に人通りも監視カメラも殆ど無い状況に、真紀は小さく歯ぎしりした。しかしなんとか状況を改善させようと、相手の出方を見てみる事にする。


「付き合って頂くと言うのは、どういう意味でしょう。用があるのはこの人ですか? それとも私ですか?」

 自分達の周囲をぐるりと取り囲んでいる男達を、恐れげもなく見回しながら真紀が尋ねると、連中のリーダーらしい男が嫌らしく笑いながら答えた。


「主に用があるのはこいつだな。ついでにあんたにも付き合って貰いものだが」

「……そうでしょうね」

(十一人。だけど騒ぎになればなるだけ、周囲に気付かれやすい。道もそんなに広くないし、一度に飛びかかるなんて連携プレーを、素人のこいつらができるとは思えない。何とかできるか)

 予想通りの答えに、大して感銘を受けずに真紀が呟きながらこれからの方針を立てていると、健介が顔色を変えて男達を怒鳴りつけた。


「ふざけるな! 彼女は関係ないだろう! さっさと解放しろ!」

「うっせえぞ!」

「ぐあっ!」

 しかし一人に殴り倒されて、呆気なく道路に転がる。それを見た真紀は、本気で舌打ちしたくなった。


(ちっ! 護衛対象者に怪我させたら、査定減点対象だってのに! 大体、護衛対象者を放置して、護衛が逃げるわけ無いでしょうが。何を考えてるのよ?)

 真紀は周囲の様子を窺いながら屈み込み、健介に声をかけた。

「大丈夫ですか」

「ああ、大丈夫だ」

 そこで声を潜めて、彼だけに聞こえる様に囁く。


「見たところ、通りの向こうに見張りはいません。ここを突破できれば、人通りはあります。私が引きつけますので、駐車場を出たら大声で叫びながら、繁華街の方に」

「君を置いて逃げるなんて、そんな事するか!」

「っ、この馬鹿」

 勢い良く立ち上がりながら、真紀を庇うつもりなのか彼女と男達の前に身体を割り込ませた健介が腹立たし気に叫んだ為、真紀は小さく舌打ちし、周囲からは失笑が漏れた。


「へえぇ? 聞いてはいたが、本当にあんたがこいつの護衛なわけだ」

「おうおう、騎士道精神か? ご立派な事で」

「女とはベッドの上でやり合いたいもんだな」

「おいおい、油断するなよ? 噛まれるぞ」

(手の内を晒すなんて、やっぱり馬鹿だわ、こいつ。足手まとい以前の問題。こうなったら最後の手段。さっさと車に乗せられて移動させられたら、厄介だもの。背に腹は代えられないわ)

 本格的に頭痛がしてきたものの、実際に退路を開いても健介が自分の指示通りに動かないだろうと諦めた真紀は、身体が半分隠されているのを幸い、ポケットに手を突っ込んで緊急通報システムの端末を操作した。そして何食わぬ顔で立ち上がり、健介を押しのけるようにしてリーダー格の男に申し出る。


「本当でしたら、他者が護衛対象者に危害を加えるのを傍観するのは任務規定に反するのですが、条件次第ではそちらの話に乗っても宜しいですよ?」

「ほう? どういう意味だ?」

「そちらのボスから頂ける物を頂けたら、見逃しても良いと言っています」

「へえ?」

「真紀、正気か!?」

 途端に相手は面白そうな顔つきになり、健介は驚愕の顔付で振り返る。しかし真紀はそんな彼に、素っ気なく言い返した。


「さっきまで、私に散々危険な事はするなと言っていたじゃありませんか。金になるからこの仕事をしているだけです。金払いが良いスポンサーが別に付くなら、誰があんたみたいな面倒な男を護衛するのよ」

「やっぱり……、あんな所に入って、性格が歪んだんだな。以前はそんな、利己的な考え方なんかしなかったのに……」

 それを聞いた健介は愕然とした表情になって項垂れたが、そんな彼にはお構いなしに、真紀は相手と交渉を続けた。


「どうします? 一応仕事なので、あなた達を無傷で帰すわけにはいかないんですよ。全員は無理でも、何人かは病院送りになるかと思いますが。ベッドの上ではなく、ここで私の腕を試してみます?」

 そこで不敵に笑ってみせた真紀に、男も楽しげに笑い返した。


「なるほど。俺達のスポンサーと、直接話がしたいってわけだ」

「ええ、『浮き世の沙汰は金次第』。あなただってそうじゃないの?」

「どのみち、移動するつもりだったからな。おとなしく付いて来いよ?」

「分かったわ」

 そこであっさりと話が纏まり、その間に茫然自失状態の健介が、大人しく両手首を紐で縛られていたのを見て、真紀は密かに呆れ返った。


(さて、時間稼ぎはできたし、一気に一連の騒動の黒幕も判明しそうね。だけど私が注意を引いている間に少しは抵抗して、その隙にとも思ったけど、ボケっとしておとなしく縛り上げられてるなんて、こいつ、とことん馬鹿だわね。それに縛られない様に「大人しくしているから」と、自分で交渉位しなさいよ)

 そして更に健介に腹を立てながら、真紀は心底うんざりした。


(こっちの意図も、全然読めていないみたいだし。第一、『以前はそんなんじゃなかった』って何よ? こいつと以前には面識なんて無いのに、恐怖で錯乱してるとか? 本当に使えない奴。こんな奴の為に始末書確定だなんて、理不尽過ぎるわ……)

 そして面倒事が更に増えたと頭痛を覚えながら、真紀は着々と時間稼ぎをしながら、応援が来るのを大人しく待つ事にした。


「あら、地下駐車場? こんな所に入って良いの? 普通、監視カメラとかがあるんじゃない?」

「幸いな事にメンテナンス中で、あと一時間は録画できていなくてな」

「あらあら……、随分穴だらけのセキュリティーだこと。防犯面から考えると、なって無いわね」

 男達に同行し、ほど近いビルの地下駐車場に続くスロープを下りながら、真紀は密かにほくそ笑む。


(その方が、こっちとしても好都合だけどね。後で記録をごまかす手間が省けるし)

 そんな事を考えながらも、真紀は素知らぬ顔で歩き続けた。そして駐車場に入り、そこに停めてあった大型のバンに男達が歩み寄って、軽く窓を叩きながら声をかける。


「待たせたな。連れて来たぜ」

「ご苦労だったな。後で残りの金を払う」

 スモークガラスで車内が伺い知れなかったドアを開け、ふてぶてしい笑みを浮かべながら現れた人物を見て、健介は怒りを露わにして怒鳴りつけた。


「克己……。お前、何のつもりだ!」

「何って……、お前を排除して、親父の後継者に俺がなるに決まってるだろ?

俺は優しいから、殺しはしないぜ。せいぜい内臓が一つか二つ、使い物にならなくなる位だ。感謝しろ」

「それで自分では慈悲深いつもりか? 相変わらず勝手な事を」

「五月蠅いぞ! 大体、母親共々追い出したくせに、戻って来やがって目障りなんだよ!」

「好きで戻ったわけじゃない! お前の出来が悪すぎたのが、そもそもの原因だろうが! そうでなかったらあの女が、とっくにお前を跡取りにさせていた筈だしな!」

「うっせえぞ、黙れ!!」

「ぐあっ!」

 いきなり勃発した兄弟喧嘩の挙げ句、両手を縛られたままの健介を容赦なく殴り倒したのを見て、真紀は克己への制裁と捕獲を決心した。


(涼が言っていた通り、本当に頭が悪いみたいね。これで一連の事件は、この異母弟が主犯で決定かな? 他の雑魚はともかく、こいつは確実に身柄を押さえないと)

 すると克己はここで漸く真紀に気付き、周りに尋ねた。


「うん? 何だ、その女は」

「一応、これの護衛よ。正直言ってこんなのどうでも良いけど、護衛対象者に危害を加えられるのを黙って見ていると、こっちの経歴に傷が付くのよ。そこの所を考えて欲しいんだけど」

「は? お前、何言ってんだ?」

(うわ、こいつ本当に頭が悪っ!!)

 自分としては結構はっきり賄賂を寄越せと演技したつもりが、相手に全く通じなかった為、本気で呆れ返った。そのやり取りを見た周囲の男達が、困惑顔の克己に説明してやる。


「要は見逃してやるから、金を寄越せって事だよ」

「素直に付いて来たんだし、騒がれるのも面倒だ。分け前をやっても良いだろう?」

「こんな女、お前達で好きにすれば良いだろうが」

 どうやら余計な金を払うのが惜しいらしく、克己が周りの男達に横柄に言い放ったが、彼らはその提案に乗るどころか、馬鹿にした顔付きで反論した。


「護衛に付いてる位だから、女でも一応腕は立つんだろ? 荒事になったら怪我するのは、俺達なんだぜ?」

「そうそう。その後この女を好きにして画像を撮って黙らせるにしても、その手間賃は必要だよな? 元々の仕事に含まれていないわけだし」

「どのみち、俺らに追加料金を払うか、この女に口止め料を払うかの違いだろ?」

「ちっ! 人の足下を見やがって。それで? 幾ら欲しいって?」

 盛大に舌打ちした克己が顔を向けて尋ねてきた為、真紀は黙って右手を広げて彼の前に突き出した。それを見た克己が、機嫌良く答える。


「何だ、五万か。結構安いな。それなら今、払ってやる」

「あんたどこまで馬鹿なの? それじゃあ親があんたを跡継ぎにしないのも、無理ないわね」

「何だと!?」

 如何にもつまらなさそうに真紀が述べると、克己は忽ち怒気を露わにしたが、周囲からは哄笑が沸き起こった。


「ぶふっ。うわはははっ!」

「確かに、五万はねぇよな!」

「だが、五千と言わなかっただけ、誉めてやるべきじゃないのか?」

「ガキの使いでもあるまいし!」

「うるせぇぞ!! 五十万欲しいなら、はっきりそう言いやがれ!」

「五十万? はっ! 冗談でしょ? 五億に決まってるじゃない」

「……は?」

 八つ当たり気味に叫んだ克己の台詞もあっさり否定し、当然の如く真紀が口にした内容に、周囲が一気に静まり返った。しかし彼女だけは平然と、話を続ける。


「何? 頭が悪い上に、耳まで悪いの? 本当にどうしようも無いわね」

(さて、移動してきた時間も含めて、十分な時間稼ぎはできたと思うけど、誰か来てくれたかしら? まさかあの駐車場から移動して来たから、居場所の特定に手間取ってるとか言わないわよね?)

 真紀がこの窮地を脱する方法を、比較的冷静に考えていると、漸く我に返った克己が盛大に怒鳴り返してきた。


「ふざけるな!! なんで口止めで、お前に五億も払わなけりゃならないんだ!!」

「あら、だって実行犯のこの人達には、少なくとも十億は払うでしょうし、そうなると黙認と口止め料として、五億は妥当でしょう? 爆発物のレプリカを事務所に送りつけたり、襲撃犯を送り込む様な派手な事をする位するなら」

「爆発物は俺じゃない! あの騒ぎに便乗して、色々やっただけだ!」

(それなら、一番最初のあれは違う? まだ別口がいるって事? 面倒くさいなぁ。どれだけ変な恨みを買ってるのよ、こいつ)

 完全に八つ当たりしながら真紀が横目で健介を睨んだ時、広い駐車場に場違いな声が響き渡った。


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