第14話 真相の末端
「いただきます。悪いな、真紀。休みの日に朝食を作らせて」
朝から妹の部屋に押しかけて朝食を食べさせて貰った事に対して涼が礼を述べると、真紀は笑って軽く手を振った。
「構わないわよ。最近夕飯をご馳走になる事が多かったし。それに、あの不愉快な人間と顔を合わせなくて済むと思っただけで嬉しくて、いつもより早く起きちゃったのよね」
「お前は昔から、休みの日ほど早く起きてたしな」
「涼は起こすまで寝てたわよね。今でもそうなの?」
「ノーコメント」
そして世間話をしながら朝食を食べ進めたが、涼は(しかしあいつも、徹底的に嫌われたものだな)と密かに笑いを堪えていた。
「ところで今日一日、どうするつもりだ?
「午前中は公社で野暮用を済ませて、午後は美実さんの所に行ってくるわ」
「午後はともかく、午前中は休みじゃないな」
妹の多忙ぶりに、涼は僅かに顔を顰めながら溜め息を吐いたが、真紀は事も無げに言い返す。
「久し振りに、目一杯身体を動かしたい気分なのよ。ストレス発散してくるわ」
「そうか。じゃあ目一杯やってこい」
もう笑うしかなかった涼は、そんな妹に付き合わされるであろう人間に心の中で詫びを入れ、綺麗に平らげてマンションを出て行った。
「おはようございます、城島さん」
「ああ、おはよう……。あれ?」
健介を自宅に迎えに行ってから、彼と共に事務所にやって来た涼は、仕事場の部屋に入って宗則に挨拶したが、何故か彼に怪訝な顔をされた。
「どうかしましたか?」
「菅沼さんは外に居るんですか?」
同様に健介も怪訝な顔をしている事に気付いた涼は、すっかり説明を省いていた事を思い出し、さらりと答えを口にした。
「ああ、真紀なら今日は休みですよ」
「休み?」
「…………」
その気安げな口調に、健介が無表情になったのを横目で見ながら、涼は宗則に向かって説明を加えた。
「本来専属と言っても、通常は交代で任務に就くものですが、この間色々バタバタしていたもので。あいつここのところ、日曜にしか休みが取れなかったんですよ。それだとちょっと支障が有りまして」
「支障?」
「防犯警備部門所属する者は、最低週一回の二時間以上の武道訓練を受ける事を義務付けられているんです。それで真紀は、それを休みの日曜に入れていたんですよ」
「なるほど、そういう事でしたか。それなら実質的な休みが無くなるな」
宗則が納得して頷き、涼は更に話を続けた。
「加えて、細々とした報告書や申請書など事務処理の類も纏めて済ませる事にしていて、ほぼ一日潰れていましたので。取り敢えず複数人体制になった事だし、溜まっている代休を消化しろと、上から言われたそうです」
それを聞いた健介は、思わず口を挟んだ。
「そうでしたか……。それは菅沼さんには、色々申し訳無い」
「別に代休が溜まってても、俺は構わないんですがね? また纏まった休みにして、一緒に旅行しようかと考えていましたし」
「…………」
自分の台詞を遮り、カラカラと笑った涼を、健介は再び無表情で見詰めた。するとあっさり笑いを収めた涼が、真顔で健介達に断りを入れる。
「それでは外で警戒に当たりますので、失礼します」
そしてさっさと涼が廊下に出て行ってから、宗則は溜め息を吐いて健介に声をかけた。
「健介、もう諦めろ。お前だって分かってるだろ?」
「……ああ」
そして沈鬱な空気を纏わせながら、健介は仕事に取りかかった。
朝からさり気なく健介に精神的ダメージを負わせられた事に気分を良くしながら、涼は仕事をこなしていたが、昼近くになっていつも通り配達された郵便物のチェックをしていると、事務所に見慣れない男がやって来た。
「やあ、重原さん。ご苦労様」
遠慮なく大部屋に入り込んだその男に、スタッフの何人かは無言で迷惑そうな視線を向けたが、責任者の男は慌てて椅子から立ち上がって出迎えた。
「これは克己さん、お久しぶりです。今日はどうかされましたか?」
「いやぁ、ちょっと事務所の様子を見に来たんだけどさ?」
「はぁ、そうですか……」
困惑している重原とその男を見ながら、涼は予め頭の中に叩き込んでおいたデータの中から、該当する人物を探し当てた。
(北郷稔代議士の三男、北郷克己。秘書になった次男の健介氏とは異母兄弟。つうか、健介氏の母親を子供ごと追い出して、克己を産んで認知させていた愛人が後釜に座ったんだよな。だけどその息子も、結婚後に生まれた娘も出来が悪くて、代議士の頭痛の種、と。本当に、頭悪そうだよなぁ)
そんな容赦の無い事を涼が考えていると、克己は嫌らしく笑い、声を潜めながら言い出した。
「そういえば最近後援会の方で、何だか健介に関しての変な噂が流れるって聞いたんだけどなぁ。何だか健介が、女より男の方が好みだとかなんとか」
「いえ、変な噂と言われましても……」
「へえ? あんたが健介のボディーガード? 顔は優男風だけど、さすがになかなかいい身体してるみたいだな。こういうのが健介の好みなのか?」
重原がハンカチで汗を拭きながら弁解しようとしたが、克己はそれを無視して涼に絡んできた。(こちらをからかった方が面白いと思ったわけか)と、相手の判断力の無さを心の中で笑ってから、涼はそ知らぬ顔で重原に声をかけた。
「重原さん、すみません。職務上、こちらの事務所に出入りされる方の身元を確認する必要があるのですが、こちらは排除しても構わない方ですか?」
「え? あ、それは……」
「何で俺が排除されなきゃならないんだよ!? ここはうちの事務所だぞ!!」
「うちと仰られても……、ここは北郷稔代議士の事務所です。北郷代議士を名乗るにしては、随分お若いのでは?」
涼が惚けて首を傾げると、スタッフの中から失笑が漏れた。それで頭に血が上ったのか、克己が涼が作業をしているテーブルを激しく叩きながら喚く。
「ふざけるな! 表に出ろ!」
「克己さん!!」
「ほう? 格闘術の専門家相手に、なかなか勇ましい事ですね。よほど腕に自信がおありの様なので、そういう事なら業務妨害の名目で、全力でお相手をさせて頂きます」
そこで(素人相手に、ちょっと大人げないかもしれんな)と内心で思いながらも、涼は本物の闘気を放ちつつ、不気味な微笑みを見せながら立ち上がる。座っていれば一見そこら辺のサラリーマンと変わらない様に見えた涼も、立ち上がればその上背と肩幅の広さは一目瞭然で、その鋭い視線も併せてあっさりと克己を圧倒した。
「あ、い、いや……、その、さっきのは言葉のあやだ! 本気にするな!!」
本気で相手をされたら堪らないと、慌てて克己が弁解したが、涼は別に気にした素振りも見せずにあっさりと話題を変えた。
「おや、そうでしたか。それは無粋な事を申し上げて失礼しました。ところで、あなたはどなたですか?」
「北郷克己。北郷稔の息子だ」
「そうでしたか。それでは貴重な平日のお休みを利用して、事務所のお手伝いにいらしたのですね? ご苦労様です」
「は? 手伝い?」
にこやかにそんな事を言われた克己は、本気で戸惑った表情になった。しかし相手の戸惑いなど構わずに、涼がしみじみとした口調で話を続ける。
「仕事柄、これまでに何人もの代議士の方に付きましたが、皆さんご家族一致団結して、代議士を支えていらっしゃいました。小学生のお嬢さんが『私にはこれ位しかできませんから』と、出してくれたお茶を就業規則に反する為に断った時は、本当に申し訳無い気持ちで一杯になったものです」
そう涼が口にすると、それまで黙ってやり取りを聞いていたスタッフ達の間から、非難めいた声が上がった。
「菅沼さん! 幾ら何でもそういう時は、こっそり飲みましょうよ! 幾ら何でも、その子が可哀想じゃないですか!」
「いえ、そういう訳には参りません」
「うわぁ、融通きかないなぁ!」
「中田さん、菅沼さんに失礼ですよ?」
「そうですよ。菅沼さんだって、断りたくて断ったわけでは無いんですから」
「しかし本当に、厳格なお仕事なのですね」
重原が感心した様に述べると、涼は苦笑いしてから話を続けた。
「いえいえ、私は仕事上の事ですから。そのお子さん達の様に自主的にお茶を出したり袋詰めをしたり、文書の整理をしたりとかしているわけではありませんし。やはり何期も連続当選されている方のご家族は、心構えからして違いますね。華々しい先生方の活躍は、陰でのご家族の支えがあってこそです」
「…………」
笑顔で涼が話を締めくくったが、何故か室内に沈黙が漂い、スタッフからは物言いたげな視線が克己に突き刺さった。それに気がつかないふりで、涼が重原を促す。
「すみません、重原さん達のお話を中断させてしまいましたね。さあ、重原さん。克己さんにお仕事を割り振って下さい。講演会も近いと伺っていますし、やる事は山ほど有るでしょうから」
「え、ええと……。克己さん?」
恐る恐る重原が声をかけると、克己は小さく舌打ちして踵を返した。
「用事を思い出した。帰る」
そう言い捨てて出て行った克己の背中を見送ってから、涼はわざとらしく呟く。
「おや、よほど大事な用事を思い出したのでしょうか?」
そしてスタッフ達も中断していた仕事に取りかかったが、中田がさり気なく椅子を寄せて囁いた。
「さっさと消えてくれて、せいせいしました。あの人、ここの手伝いなんかした事ありませんよ?」
「おや、そうでしたか?」
「ええ。大方、お金でも借りに来たか、何かつまらない用事でも言い付けるつもりで来たんじゃないですか? でも菅沼さんの話を聞いてさすがに第三者がいる前で、そんな事を口に出せなくなったんじゃありません? いい気味ですよ」
「なるほど。そういう事ですか」
そこで頷いて話を終わらせてから、涼は一人ほくそ笑んでいた。
(後援会で広まってる噂云々も、どうやら奴が広めているっぽいな。しかし実際に目にしてみると、写真よりも小物臭プンプンだったな)
そして今日の事を、上にどう報告しようかと考えながら、涼は黙々と配達物のチェックを進めた。
一方の真紀は、宣言通り午前中に職場でしっかり汗を流してから一度マンションに戻り、着替えて午後から友人宅へと向かった。
「真紀さん、いらっしゃい。さあ、入って」
「美実さん、お邪魔します。これはお土産。また違うケーキ屋さんを開拓しちゃった」
「ありがとう」
以前、仕事で彼女の護衛に就いて以来、それが終了した後も友人付き合いをしている小早川美実が、玄関先で笑顔で出迎えてくれたが、その背後から彼女の三歳になる息子の淳志(きよし)が、ひょっこり顔を出す。
「まきさん、こんにちは」
その途端、笑顔と共に真紀のテンションが五割上昇した。
「やぁあ~ん、淳志君、相変わらずぷにぷにのすべすべで可愛い~! おばさん、ほっぺなでなでしたくなる~!」
「まきおねえちゃんだったら、なでなでしてもいいよ? いつもおいしいケーキ、おみやげにくれるし」
「くうっ……、さり気なく『おねえちゃん』と呼んでくれる、この気配り。淳志くん、お願い。いつまでも可愛いままでいてね!」
「うん、がんばるね」
「あら、ミミとハナまで来たわね」
上がり口に膝を付いて笑み崩れている真紀を見て、美実は笑いを堪えていたが、その騒ぎを聞きつけたのか、奥から猫までやって来た。
「ミミ様、ハナ様! 今回も高級ネコ缶を持参いたしました! 謹んでお納め下さいませ!」
「にゃお~ん」
「のあぁ~ん」
真紀が恭しくキャットフードを猫達に差し出すと、彼女達は満足げに声を上げた。それを見た淳志が、真紀に向き直って通訳する。
「ミミ、だっこしていいって。ハナ、あとからなでなでさせてくれるよ?」
「ありがとうございます!」
「じゃあ真紀さん、バッグは預かるわ」
苦笑した美実にバッグを渡し、真紀は自分から歩み寄って来たミミを満足そうに抱え上げた。それを見て美実が促す。
「じゃあ早速、ケーキを頂きましょうか。淳志、準備をしているから、真紀さんのエスコートをお願いね?」
「りょうかい。まきさん、おてをどうぞ」
「や~ん、淳志君ったら、小さいのに紳士過ぎる!」
笑顔で小さな手を差し出された真紀は、片手で猫を抱え、もう片方の手を淳志に引いて貰って、仕事中のテンションとは雲泥の差のまま奥へと進んだ。
「真紀さん、このケーキ美味しい」
「うん! れきだい、ごいにはいる!」
「喜んで貰えて嬉しいわ」
にこにことケーキの感想を述べた親子を見て、真紀は膝の上で寝そべっている猫の重みを心地よく感じながら、うっとりとした表情で思うまま口にした。
「それにしても、本当に癒されるなぁ~。きちんと整理整頓されているけど、モデルルームなんかとは違う、生活感溢れる落ち着いた空間。もふもふふわふわ触り放題。キラキラでぷにぷにの淳志君。もう見ているだけで最高ぅ~」
どこか恍惚とした表情を浮かべている真紀を見て、美実と淳志は一瞬顔を見合わせてから、真紀に声をかけた。
「まきおねえちゃん、だいじょうぶ?」
「真紀さん、なんか結構疲れてない? 最近、何か面倒な人に付いてるの? ……あ、依頼人がどんな人か、外部の人に話すのは厳禁だったっけ?」
そんな事を言われて、自分の気の抜けっぷりが余計な心配をかけてしまったと察した真紀は、困ったように言い出した。
「あぁ~、うん、確かにそうなんだけど……。その派遣先で神経を逆撫でされた内容位なら、別に喋っても構わないかな? 美実さん、聞いてくれる?」
「何? 真紀さんはもう何年も公社で働いているから、それなりに耐性はあると思うけど、最近そんなに腹立たしい事があったの?」
「大あり。護衛任務中は自分が用意した物以外、口に入れてはいけないって就業規則がある事は、以前に話した事があるでしょう?」
「ええ、現に私に付いてくれていた時は、カフェでも何も注文しなかったし」
「それがあの野郎……。親睦を深める為とか言って中華料理屋で無理やり同席させた挙げ句、きちんと食べられない旨を説明した私の前で、あてつけがましく料理を食いまくったのよ」
真紀が憤然としながら説明した内容を聞いて、親子は揃って渋面になった。
「ひどいいじわる」
「そうね、その人の人間性を疑うわ。でもそんな人の護衛に付いて、大丈夫なの? そんな人間的にどうかと思う人を庇って真紀さんが怪我をしたりしたら、私がそいつを襲撃してやるわ」
どうやら本気で怒っているらしい美実に、真紀は嬉しくなりながら礼を述べた。
「ありがとう、美実さん。でも護衛に付いているのは、そいつじゃないの。同じ同僚の秘書で、年齢も近いからつるんでいるみたいで。要は、急に自分達に纏わりつく事になった私を、牽制したいのね」
その台詞に引っ掛かりを覚えた美実が、怪訝な顔で問い返す。
「え? 牽制って……、護衛に付いた人は男性で、さっきの食べまくった人は女性って事?」
「どっちも男」
「え? 何それ? そんなおもしろい話、もっと詳しく聞かせて!?」
途端にケーキ皿から手を離し、身を乗り出して食いついて来た美実に、真紀は思わず苦笑いした。
「美実さん……、確かにBL小説家としてデビューしたけど、最近はエッセーやライトノベルでも書いて、だいぶ作品の幅を広げているのに……」
「何と言われようとも、BLは私の原点だもの! それで? 邪魔者認定された真紀さんは、他にどんな嫌がらせをされたわけ!?」
「嫌がらせと言うか……、たびたび『菅沼』じゃなくて『佐藤』と呼ばれる事がムカつくかな。よほど人の名前を覚えられない馬鹿なのか、私の外見に良く似た『佐藤さん』がいるのかもしれないけど」
ウキウキしながら尋ねた美実だったが、その真紀の話した内容を聞いて、本気で首を傾げた。
「ごめん、真紀さん。意味が分からない。どうして『佐藤』と呼ばれるのが、嫌がらせになるの?」
「実は、私の旧姓が『佐藤』なの」
そんな予想外の話を聞かされた美実は、本気で驚愕した。
「はあぁ? だって真紀さん、独身よね? どうして旧姓なんて話になるわけ?」
「ええと、ちょっと面倒くさい話になるから、順を追って説明するわね」
そして真紀は、効率よく話せるように頭の中で流れを纏めてから、徐に話し始めた。
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