第12話 裏事情

「『確かに社内に真紀と言う名前の後輩はいますが、あなたとの接点は無い筈ですが?』と散々いたぶってから、『それにお話ではあなたの知り合いは『佐藤真紀さん』みたいですが、私の後輩の名前は『菅沼真紀』なので、どうして名字が変わっていると聞かれても、何の事やら。聞きたいのはこちらの方です』とすっとぼけてやりました」

「容赦ないな」

 思わず阿南が口を挟んだが、裕美は平然と話を続けた。


「それで挙げ句の果て、『彼女に謝罪したいので、引き合わせてくれ』とか恥ずかしげも無くぬかしやがったので、『別に菅原には、あなたに謝罪して頂くいわれは全くありませんが? まあ『菅沼真紀』を私の後任にする手配をして欲しいと言うなら、二百万で手を打ちますが』と申し出たら、あっさり払ってくれました。ちっ……、あんなに素直に払うなら、五百万位ふっかければ良かった」

 ここで盛大に舌打ちして、忌々しげに告げた裕美を、阿南が呆れ返った口調で窘めた。


「おいおい、岸田。お前陰で、何をやっているんだ」

「この事はちゃんと部長と副社長に報告して、了承して貰っています」

「……そうか」

 淡々と告げられた事実に、阿南は思わず遠い目をしてしまったが、裕美の容赦の無い話はそのまま続行された。


「それに『私にとってそれは、あくまでも後輩の『菅沼真紀』を後任にするべく骨を折った正当な対価です。あなたがお尋ねの『佐藤真紀』と彼女が同一人物で無くても、私に一切の責任はありませんので、そこはご了承下さい。勿論本人にこの取引の事も言いませんし、あなたも口外しないで下さい。私情で担当者を変えさせたなどと分かったら、公社はすぐに手を引いて護衛任務から引き上げさせますし、そんなストーカー紛いの言いがかりを付けられて指名されたと分かったら、彼女はこちらの仕事を拒否しますから』と暗に脅しをかけておきました」

 それを聞いた阿南は、素で感心した顔付きになった。


「なるほどな。だから奴は『君に会いたかったから岸田さんに頼んで後任にして貰った』とか、菅沼に向かって迂闊な事を言えなかったわけだ」

「まあ、それ以前に、あれは絶対『実際に顔を合わせれば、相手だって自分の事を分かってくれる筈。罵倒されるのは覚悟の上。彼女の気が済むまで謝罪してやり直そう』とか、自分に都合が良くて感動的な出会いを想像していましたね」

「で? 実際のところはどうだったんだ? その《感動の再会の場面》に、居合わせたんだろう?」

 当時のやり取りを思い出したのか、鼻で笑った裕美を見て、彼にしては珍しく、阿南が興味津々の表情で尋ねた。それに彼女が笑いを堪えながら詳細を告げる。


「ええ。彼女は全くの平常運転で『菅沼真紀です。宜しくお願いします』とやりましたよ。そしたら奴は、眼鏡で判別が付かなかったとでも思ったのか、さり気なくそれを外していましたが、それでも彼女が無表情だったので、呆然としていましたね。もう、あの間抜け面を間近で見て、笑いを堪えるのが本当に大変で」

 そこまで報告してから、堪えて切れなくなったのか「ぶはははははっ!」と豪快に笑い出した彼女を見て、阿南も失笑した。


「……それで奴は、“彼女”が菅沼と同一人物だと断定しかねて、余計に混乱していると言うわけか」

「加えてこの前、例の時に彼女が現金と一緒にかすめ取られた、祖母の形見のブローチの複製品を、これ見よがしに付けて行かせましたからね。思い当たる節がありありの奴は、さぞかし動揺して混乱したでしょうよ。その時の顔が見てみたかったです」

「本当にうちの上層部は、容赦ないな」

 もう笑うしか無い阿南に、裕美が真顔で確認を入れる。


「上は彼女に裏事情を伏せたまま、この際徹底的に奴で遊ぶつもりですよね?」

「その腹積もりだろうが、菅沼も別な意味で容赦ないな」

 様々な要因が重なった上での事だが、過去に因縁のあった人物との再会に、未だに微塵も気が付いていない部下について阿南が言及すると、裕美が茶化す様に言い出す。


「それはまあ、なにしろ彼女はこの五年の間に、自称『クールビューティー』に変貌を遂げましたし?」

 それを聞いた阿南は一瞬何を言われたのか分からない顔付きになってから、微妙に頬を引き攣らせて応じた。


「……岸田。顔が笑っているぞ?」

「阿南主任こそ、苦み走った端正なお顔が、緩んでいらっしゃいますよ?」

 そこでとうとう笑いを堪えるのが限界に達した二人は、人気のない室内で、揃って楽しげな笑い声を上げた。


 上司と先輩にそんな笑い話のネタにされているなど、夢にも思っていない真紀は、先程阿南と別れてから社屋ビルの地下三階までエレベーターで下り、いつも通りエレベーターの扉と連絡通路の扉を指紋と光彩認証で通って、一度も外部に出ることなく隣接しているマンションへと到達した。

 棟内丸ごと公社社員の寮と化しているそこで、真紀は自分の部屋では無く、夕飯を作ってくれていると言う兄の部屋に直行する。


「お疲れ、真紀。さっさと上がって食え」

「ありがと、涼。今度は私が作るから」

 すぐにドアを開けてくれた涼に礼を言いながら上がり込んだ真紀は、手際良く自分の前に並べられていく料理を見ながら首を傾げる。


「それで? 食べながら聞けと言われたけど、そんな片手間で良い報告なの?」

「確かに、その程度の報告だからな」

 苦笑いした同僚兼兄に、手振りで食べる様に促され、真紀はそれに従いながら食べ始めた。


「例の車が盗難車だって事は、もう聞いているだろう?」

「うん、運転中に。解析班って本当に仕事が速いわね」

「それで乗っていた二人組だが、顔は警察のデータベースに無かった」

 その端的な報告を聞いて、真紀は箸の動きを止めて考え込む。


「すると前科が無いし、指名手配されている容疑者でも無い、目立った組織の構成員でも無い、チンピラ風情?」

「推定年齢二十代半ばだしな。金で雇われていると考えれば納得なんだが……」

「逆に、背後関係は追いにくい?」

「そういう事だ」

 あっさり頷いた兄を見て、真紀は僅かに顔を顰めた。


「う~ん、やっぱりあそこで捕まえて、吐かせておくべきだったかしら?」

「それをやってる間に、仲間を呼ばれる可能性があるだろう? 俺達は警護対象者の安全確保が第一だ。捜査は警察の、調査は信用調査部門の仕事だ。そこを忘れるな?」

「分かってるわよ」

 そこで軽く涼が窘めたが、妹が一応口にしてみただけだと分かっていた為、それ以上は言わなかった。その代わりに、微妙に話題を変える。


「と言うわけで、明日から俺も北郷氏の護衛任務に就く事になったから」

「はい? 何で?」

 本気で戸惑った表情になった真紀に、涼が平然と言い聞かせる。


「単なる嫌がらせや脅しじゃない、れっきとした襲撃事件が今日起きたんだから、警備を増強するのは自然な流れだろう?」

「だってそれにしたって、普通はまず同じ課内で人員を補充する筈でしょう?」

「確かにお前は一課だから、普通だったら特務二課所属の俺の名前が、補充要員として真っ先に上がる事は無い。現時点で手が空いているのは確かだが、他にちょっとした理由がある」

「どんな理由よ?」

「俺が菅原姓で、口が達者だからだ」

 至極当然の事を言われて、真紀は本気で面食らった。


「……はい? だから何?」

「だから色々な意味で効果的だろうとの、上層部の判断だ」

「だからどうして、涼が護衛に就くのが効果的なの?」

「上層部から『奴の神経をゴリゴリこそぎ落とせ』との厳命が下った」

 話が通じている様で通じていない様にしか思えなかった真紀は、軽く兄を睨み付ける。


「全く意味不明。涼の毒舌っぷりは私が一番理解しているけど、勤務中に余計な事は御法度の筈でしょう?」

「大丈夫だ。そこの所は上手くやる」

「ふぅん? まあ、こっちの仕事の邪魔をしないなら構わないけど」

 思わせぶりな物言いに、少々腹を立てたものの、頑として明確な所を語らない兄をそれ以上追及せず、真紀は憮然としたまま食事を食べ終えた。それから幾つかの情報を自分から提供してから、彼女は同じ棟内の自分の部屋へと戻った。

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