第11話 二人の菅沼 

「さて、そろそろ来てくれないと、時間的に困るんだけどな……。あ、来たか」

 そのまま車内で十分程待っていると、乗っている車と同一種同色のセダンがすぐ後ろに停車し、真紀は健介を促して車道に降り立った。するともう一台の車からも、真紀とそう変わらない三十代前半の男が降り立ち、彼女に向かって気安く声をかけてくる。


「よう、真紀。待たせたな」

「…………」

 その物言いに、健介は無言のまま軽く目を見開いたが、当人は軽く顔を顰めながら苦言を呈した。


「今はまだ、勤務中だと思いましたが?」

「お前、相変わらず仕事中はガッチガチだな」

 その男は苦笑いしてから、顔付きと口調を改めて、乗って来た車のキーを差し出しつつ真紀に告げた。


「それでは菅沼さん。こちらを引き渡しますので、移乗して任務を続行して下さい」

「了解しました。それでは菅沼さん。こちらの移送をお願いします」

「了解しました」

「え? 菅沼?」

 互いに真顔での二人のやり取りを聞いて、健介は先程とは違った意味で驚愕の顔付きになったが、キーの受け渡しを済ませた真紀は、淡々と健介を促した。


「北郷さん。時間が押していますので、乗って下さい」

「……あ、ああ」

 そして真紀達が乗り込んだ車が軽快に走り去るのを眺めながら、残された男は皮肉げに口元を歪めた。


「へぇ? あれが例のホスト野郎か。直にお目にかかれるとは……。しかし本当に真紀の奴、完璧に記憶から消去しちまってるんだな。ある意味凄いぞ」

 そう呟いてひとしきり笑ってから、彼は車に乗り込んで職場へと戻って行った。

 一方で、事務所に向かって走行中の車内では、あまり友好的とは言えない空気が満ち満ちていた。


「その……、真紀?」

「確かに初対面の時に名前まで名乗りましたが、それは馴れ馴れしく呼び捨てにされる為に口にした訳ではありません」

「それじゃあ、佐藤さん」

「呼称は正確にお願いします」

「その……、菅沼さん?」

「何でしょうか?」

 何が何でも自分を「菅沼」以外で呼ばせる気はない真紀が素っ気なく応じると、健介は気になった疑問を解消するべく問いかけた。


「先程の男性は、同僚の方ですよね?」

「それが何か?」

「彼の名字も菅沼なんですか?」

「そうです。ですから社内では、配属部署名を付けて呼び分けて貰っています。私が特務一課で彼が特務二課ですので」

「それならあの人とあなたは、どういう関係ですか?」

「それは完全にプライベートですし、現時点で仕事に関しては微塵も関係がありません」

「…………」

 質問を容赦なくぶった切られた健介だったが、それに関しては文句を言わず、すぐに質問を変えた。


「それではあなたの仕事に関してお尋ねしますが、先程の様な事は頻繁にあるんですか?」

 その問いかけに、真紀ははっきりと苛立ちを含んだ声で答えた。


「私の仕事が、何だと思っていらっしゃるんですか? まさか大人しく立哨して、対象者に付いて歩くだけの、楽な仕事だとでも?」

「……分かりました」

 彼女の剣幕に恐れをなしたのか、健介はおとなしく引き下がり、真紀は運転を続けながら本気で腹を立てた。


(本当に馬鹿じゃないの、こいつ。ちょっと車をぶつけられた位でビビって、何言わずもがなの事を言ってるのよ)

 それからは無言のまま車を走らせたが、気詰まりな時間はそれほど長くかからず、ほどなく事務所に戻る事ができた。


「戻りました」

 帰り着いてすぐに、健介が事務所責任者の重原に挨拶すると、相手は笑顔で言葉を返してきた。


「お帰りなさい。健介さん、少し遅かったですね」

「ええ、すみません。何やら事故があったらしくて、渋滞に巻き込まれまして。運悪く迂回路も無くて、本当に参りました。ですが一々、連絡を入れる程の事でも無かったので」

「そうでしたか。それなら良かったです。ひょっとしたら事故にでも巻き込まれたのでは無いかと、心配していました」

「いえ、そんな事は。ご心配おかけしてすみません」

 主だったスタッフが集まっている大部屋で、二人が笑顔でそんな会話を交わしている中、真紀はさり気なく室内の人間の様子を観察していた。


(ふぅん? 大抵の人は聞き流しているけど、変な顔をしているのは……。大方、重原さんに『健介さんが事故に巻き込まれたかも』とか言って、さり気なく不安を煽っていたのはあいつかしらね。後は帰社してから報告して、調査結果を確認しないと)

 それから真紀は事務所内外の巡回を始め、健介は大人しく仕事部屋に戻った。すると出迎えた宗則が、座ったまま少し不思議そうに声をかけてくる。


「おう、健介。戻ったか。結構時間がかかったな」

「……ああ。良く分かった」

「分かったって、何が?」

 噛み合わない会話に、宗則が益々怪訝な顔付きになると、健介が独り言の様に話を続けた。


「やっぱり彼女は、真紀だと思う」

「はぁ? それならどうしてお前の話と色々食い違うし、お前と顔を合わせても、彼女が微塵も動揺したり反応しないんだ?」

 何を今更という口調で言い返したが宗則に、健介は真顔で主張を繰り出す。


「彼女の仕事は危険と隣り合わせだから、おそらくこれまでに仕事中に事故に巻き込まれたり、襲撃されて重傷を負って、記憶喪失になったんだ」

 そんな事をきっぱりと断言されて、宗則は呆気に取られた表情になってから、呻く様に言い出した。


「おい……、一言言って良いか?」

「ああ、何だ?」

「お前、俺がこの前、パラレルワールドの健介とお前が入れ替わった云々を言った時に、馬鹿だの阿呆だの好き放題言ってくれたが、その言葉、そっくりそのままお前に返してやる」

「違う! 例の話は根拠の無い与太話だが、これは観察に基づく明確な推理で!」

「そんな事を大真面目に主張する事自体、どうかしていると自覚しろ!! お前って奴は本当に、頭は良いかもしれないが、トコトン阿呆だよな!?」

 そんな不毛な言い合いは、戻った真紀が騒々しさに気が付いてドアを開けて詳細を尋ねて来るまで、暫く続いた。



「お疲れ様です。阿南主任」

 所属班は違えど同じ特務一課所属の為、外から戻って来た裕美が人影がまばらな室内で挨拶すると、阿南は苦笑いで返した。


「遅くまで御苦労だな、岸田。休日には旦那と子供にサービスしろよ?」

「この勤務は明日までなので、明後日からはそうするつもりです」

「そうだな。ところで支障が無ければ教えて貰いたいんだが、例の北郷議員の息子にはお前の名前と、菅沼がお前の後輩だという事はバレているんだよな? どうしてそうなったのか、詳しい情報が上から下りてこないんだが?」

 不思議そうな顔でのその問いに、今度は裕美が苦笑いの表情になった。


「例の事件の後、彼女は当時住んでいたマンションを引き払いましたが、その少し後に奴が連絡を取ろうとしたみたいです。ですが電話番号もメルアドも変更して、繋がる筈もなし。それで彼女から聞いていた勤務先を、興信所に調べさせたそうです」

 それを聞いた阿南は、少し驚いた様に応じた。


「神林総合システムズにか? 確かにあそこには今も『佐藤真紀』の名前で、菅沼は登録されている筈だが、実在しない社員の事など他の社員に聞き込んでも無駄だし、出入りを張っても現れる筈が無いだろう?」

「ええ。あそこはうちの完全子会社ですから、どうとでも名簿、所属、その他諸々の記録をでっち上げられますからね。そもそもそこに探りを入れ始めた段階で、そこからうちの上層部に連絡が入って、北郷氏の事は把握していたそうです」

「そうだったのか?」

 そこで素で驚いた表情になった阿南に、裕美は重々しく頷いてみせた。


「はい。それで如何にも今でも勤務している様な中途半端な情報を、わざと漏洩させたとか。今回の事を上に報告した時に、そう説明されました」

 そこまで聞いて、阿南は深い溜め息を吐いた。

「それを菅沼自身に全く教えていなかった辺り、上層部の底意地の悪さと本格的な悪意を感じるぞ」

「その感想、今更ですよね?」

 裕美は小さく笑ってから、平然と説明を続けた。


「それで幾ら調べても実際の所が分からなかった北郷氏は、違う方向から当たってみたんです」

「違う方向とは?」

「彼女がマンションを引き払った時の引っ越し業者を調べて、転居先を知ろうとしたわけですね」

 それを聞いた阿南は、難しい顔になって考え込んだ。


「目の付け所は良いと思うが……、その時点で結構な時間が経過していたと思うし、どこの業者を頼んだかを調べるのも大変だったんじゃないか? それにこのご時世、どこの業者もそうそう顧客情報を外部に流さないだろうし」

「確かにそうでしょうね。それについては奴は逐一説明などはしませんでしたか、片端から当たって結構な時間と費用がかかった筈ですよ? しかもそれで分かった結果が……」

 そこで裕美が含み笑いで言葉を途切れさせた為、阿南が同様の人の悪い笑みを浮かべながら後を引き取った。


「『佐藤真紀』ではなく『菅沼真紀』の名前で、実家があると聞いていた山梨ではなく、埼玉に転居していたわけか。それは奴でなくても、混乱するだろうな」

「ですが埼玉の住所を当たってみても、彼女らしき人物が出入りしている様子を掴めない。そうこうしているうちに、興信所の調査員が『菅沼道場の娘さんが、桜査警公社の防犯警備部門で働いているらしい』と言う噂話を聞きつけまして」

「それで今度は、調査対象をここに変えたのか?」

「はっきり言って、時間とお金の無駄遣いですよね?」

 ここで二人揃って苦笑いしてから、裕美が説明を再開した。


「それで全く調査の進展が得られない事に業を煮やした北郷氏が、あの自作自演爆弾騒ぎを引き起こした訳です」

「自分からはっきりそう口にしたのか?」

 その裕美の断定口調に、それを明かしたらこの依頼が成り立たなくなるだろうと思いながら阿南が確認を入れると、彼女は笑って推論を述べた。


「いえ、直接口にしてはいませんが、父親かその秘書辺りから、うちが政治家御用達だと聞かされて、物騒な騒ぎを起こせば警護を依頼すると踏んだんでしょう。不審がられずに上手く誘導できたみたいですから、底無しの馬鹿では無さそうですが」

「辛辣だな。しかし飯島を派遣した時の騒ぎは何だ?」

「公社から女性を派遣して貰う為の、苦肉の策ですよ。首尾良く女性に替えて貰っても、私や彼女じゃ無かったら、どうするつもりだったんでしょうね?」

 そう言って肩を竦めて見せた裕美に、阿南も呆れ気味の表情で応じる。


「捨て身の作戦の割には、詰めが甘いな。それで例の件の時、面識があったお前は、奴に何と言ったんだ?」

「私の顔を見て驚愕した後、すぐにこれまで彼女の消息を調べていた事を告げてから、『あなたと真紀が、何故か桜査警公社の社員になっている事は分かりましたが、どういう事ですか?』と尋ねられましたが、『その質問に答える義理はありませんし、この仕事に関する内容でもありませんので、答える必要性を感じません』と突っぱねました」

 当然の如く報告した裕美に、阿南は苦笑せざるを得なかった。


「それで、相手が納得するわけ無いよな?」

「執念深く、五年近くかけて調べた結果ですからね」

「取り敢えずここまでたどり着けたのなら、誉めてやるべきかな? それで?」

 そう言って阿南が話の続きを促してきた為、裕美が冷静に説明を続けた。


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