第7話 地味な嫌がらせ
「菅沼さん、お願いします」
「分かりました。それでは郵便物のチェックに行ってきます」
「お願いします」
無事事務所に入ってからは、前日と同様、健介と宗則が詰めている部屋に入って、彼らが書類を捌いたり電話をかけたりしているのを眺めていた真紀だったが、昼前にスタッフの一人が呼びにきた為、鞄を手にして彼女に付いて廊下を歩き出した。
(時間を決めていたのに準備を済ませていないし、朝からわけの分からない事をほざくし。最近、変で面倒な人間ばかりに当たるわね)
「……やっぱり近いうちに、お祓いして貰おう」
無意識にそんな事を呟いてしまい、前を歩いていたスタッフが振り返る。
「え? 何か仰いました?」
「いえ、何でもありません。独り言です」
そう言って笑ってごまかした真紀は、事務スタッフが何人も入っている、広い部屋に入った。そこの隅にある机に案内されると、聞いていた通り、封書な小包が積み重なっている。
「それではお願いします」
「はい、お預かりします」
会釈して、鞄の中から白の木綿の手袋を出し、両手にそれを嵌めている真紀に、先程案内してきた女性スタッフが、申し訳無さそうに声をかけてきた。
「あの……、前任者の岸田さんにお伺いしましたが、こちらでお茶とかも出せないんですよね?」
それに真紀が、健介達には全く見せていない笑顔で応える。
「はい、そうなんです。就業規則が厳しいもので。お心遣いだけ、頂いておきます」
「本当に大変ですね。何かご入り用の物があれば、いつでも遠慮無く声をかけて下さい」
「ありがとうございます」
そんな風に極めて友好的に会話を終わらせてから、真紀は封書の山に向き直った。
「さて、パッパと終わらせますか」
その宣言通り、真紀は持参したハサミとカッターで、次々開封していき、慎重に中身を取り出しながら内容を確認していった。
「中田さん、こちらの確認は終わりました」
「ありがとうございます、頂きます」
「それから、これか」
女性スタッフに封書を手渡し、残った小包類の一つに目を向けた真紀は、他とは異なる点が気になった。
(ふぅん? これだけは北郷議員でも、事務所宛てでもなく、あいつ宛てか。それなのに、事務所に送りつけられている?)
まずこれからかと、縁に貼ってあるガムテープをカッターで切り裂き、箱の蓋を開けてみた真紀だったが、その表情が、すぐに微妙に歪んだ物に変化した。
「へえ? これはなかなか……」
立ったまま、箱の中を凝視している真紀を見て、先程封書を受け取った中田が、不思議そうに歩み寄ってそれを覗き込んでみた。
「菅沼さん、その荷物がどうか……、きゃあっ!! 何なんですか、これは!?」
「おい、どうした?」
「何かあったの?」
中田が思わず上げた悲鳴に、室内にいたスタッフ達が集まって来たが、真紀は彼らに向かって冷静に説明した。
「ああ、大丈夫ですよ。精巧な作り物ですから。シリコン製かな? 良くできていますね。本当に血まみれの人の手かと、勘違いしそうです」
「作り物!? こんなふざけた物をうちの事務所に送りつけてくるなんて、どこのどいつだ!?」
年長者の男性が、憤然としながら箱の中身に手を伸ばそうとしたが、その手首を真紀が素早く捕らえた。
「あ、触らないで下さい! 何か毒劇物の類を、この手に塗布している可能性もあります!」
「どっ、毒ぅっ!?」
ぎょっとして慌てて男性が手を引いた為、真紀はその手を放しながら、淡々と続けた。
「あくまでも、可能性ですが。経皮吸収される毒劇物は、限られていますし。ですがこれだけ、手の込んだ嫌がらせをする人物です。付着したら皮膚がかぶれる物質位は、塗布している可能性があります」
「あ、ああ……。そうですね」
毒気を抜かれて頷いた彼と、周囲のスタッフを均等に見回しながら、真紀は落ち着き払って告げた。
「取り敢えず、これはこちらで調べさせて頂きます。警察に届けるかどうかは、議員に付いている先輩や政策秘書の方に、判断して頂きますので。皆さんはどうぞ、仕事を進めていて下さい」
「は、はぁ……、分かりました。お願いします」
そして互いの顔を見合わせながら、スタッフ達が自分の席に戻ってから、真紀は鞄の中から必要な物を取り出した。
(さて、一応調べてみますか。特に物騒な物は、出ないとは思うけど)
そう思いながら真紀は小さなプラスチックケースを開け、親指の爪程のサイズの試験紙を、ピンセットで慎重に取り出した。それで軽く、問題の手の表面を擦ってみる。
(特に変な物は、塗っていないみたいね。単なる、こけおどしに過ぎないか……)
念の為、持参した試験紙五種類を全て試し、現物と特に変色していない試験紙の写真をスマホで撮影し、社内の開発解析部門の担当者へと送った。
「よし、送信、っと……。一応、本人にも知らせておきますか」
そして蓋を閉めてその箱を持ち上げた真紀は、恐ろしげな顔付きのスタッフに見送られて、部屋を出た。
「と言うわけで、こういう物が事務所宛てに、北郷さん個人名義で送りつけられて来ましたが、お心当たりはありますか?」
健介達がいる部屋に戻り、机に箱を置いてから真紀が簡潔に説明すると、健介は硬い表情で首を振った。
「……いや、心当たりは無い」
「そうでしょうね。一応、聞いてみただけです。取り敢えず、これは警告だと思いますので、これまで以上に身辺には留意して下さい」
「警告って?」
不思議そうに宗則が口を挟んできた為、真紀が彼に向き直って、淡々と告げる。
「最初に爆発物のレプリカ。次に切り落とされた手のレプリカ。そうなると次は、本物の爆発物を仕掛けた末に、本人に対して直接的に危害を加えると言う事ではないかと、推察します」
「ちょっと待て! そんなの有り得ないだろう!?」
声を荒げて否定した彼に、真紀は軽く眉を上げながら問い返した。
「それでは、襲撃などが有り得ないと断定する根拠は?」
「それは……」
「それは?」
「その……、何となく?」
真紀の鋭い視線に、宗則が冷や汗を流しながら口ごもると、彼女は話にならないと言った風情で、ジャケットのポケットを上から押さえながら、あっさりと会話を終わらせた。
「失礼します。会社からの連絡が入りましたので、少しこの場を離れます」
「あ、ああ、どうぞ……」
律儀に健介に断りを入れてから、真紀が箱を抱えて部屋を出て行くと、早速宗則が声をかけてきた。
「おい、健介。お前、あんな物を自分に送りつけたのか?」
「するわけ無いだろう!」
「そうだよな。桜査警公社に護衛を依頼して、漸く彼女を引っ張り出したのに、今更余計な騒ぎを起こす必要も無いし」
そこで考え込んだ宗則に、健介が自問自答する様に尋ねる。
「お前でも無いなら、一体誰だ?」
「そんな事、俺が知るか!」
そんな騒動が事務所で勃発したが、真紀の予想通り騒ぎはこれだけでは終わらなかった。
「すみません、健介さん。ピザの発注をされましたか?」
健介が後援会向けの政策説明会の案内状の作成や発送、宗則が後援会名簿の更新作業をしている所に、一人のスタッフが顔を出して尋ねてきたが、全く身に覚えの無い二人は、揃って怪訝な顔になった。
「ピザですか? いいえ、していませんが」
「私も覚えがありませんね」
「そうですよね。失礼しました」
そこで困り顔で頭を下げて出て行こうとした彼女に、真紀が幾分険しい表情で確認を入れる。
「北郷さんの名前で発注されて、こちらに大量に届きましたか?」
「……はい」
「おい……」
「それは……」
自分が悪い訳でも無いのに、幾分申し訳無さそうに彼女が頷くと、男二人が顔を強張らせる。
「それでは事務所としては、どうされるおつもりでしょうか?」
「どう、と仰られても……」
真紀の問いかけに、彼女は益々困った顔になったが、若い彼女にそれを決める権限など無い事が分かっていながら、真紀は冷静に指摘した。
「これは明らかにこちらの事務所、または北郷氏個人に対する嫌がらせだと思われます。安易に支払えば、同様の事が続く可能性があります」
「ですが……、選挙区内のお店で、これまで事務所から頼んだ事があるお店で」
「それならなおの事、一軒一軒の対応を曖昧に済ませずに、今後の対応について早急に議員本人に了承を取るべきかと。賭けても良いですが、これだけでは終わらないと思います」
そんな不吉な事を真紀が口にした瞬間、この事務所を預かっている重原が、すっかり薄くなった髪を振り乱して部屋に駆け込んで来た。
「健介さん! 二時間程前に京華寿司に、特上握り二十人前の出前を頼みましたか!?」
「……いえ、頼んでいません。今日は会合も集会もありませんし」
「…………」
顔を僅かに青ざめさせながら健介が答えると、室内に沈黙が漂った。そして真紀は溜め息を吐いてから、控え目に提案する。
「これまでお付き合いがある所なら、事情を話してお引き取り頂いて、今後は確かに発注しているかどうか、折り返し電話で確認して貰う様にお願いしてはどうですか?」
「しかし……、それでは今回の分は……」
重原が呻く様に言ってきた為、真紀は肩を竦めて淡々と述べた。
「先程もそちらの方にお話ししましたが、やはり早急に議員本人に報告して、ご意向を確認した方が良いでしょう」
「そうします」
真紀の意見に重原も真顔で頷き、女性スタッフを連れて慌ただしく出て行った。
「これも、例の嫌がらせの一環か?」
「おそらくは。ですが地味ながら、なかなか効果的なやり口ですね。事務所近辺の店舗に損害を与えれば、些細な物でも回り回って議員にダメージを与えられます」
神妙に口にした健介に、真紀が冷静に応じる。それを見た宗則が思わず食ってかかった。
「あんた、そんな他人事みたいに! 健介のボディーガードだろうが!」
「他人事です。加えて、大量発注は私の責任ではありませんし、防ぐ手立てもありません。直接的な攻撃を加えられた訳ではありませんので」
「止めろ、宗則」
「……っ!」
溜め息を吐いた健介に宥められて、宗則は悔しそうに口を噤んだ。するとここで、真紀が独り言の様に言い出す。
「あの小包と言い、先程の発注と言い……、あなたの個人名で送りつけられたり、注文されていますよね?」
「それが?」
「先日爆発物のレプリカを送りつけた人物は、北郷議員の名前をまず挙げていましたので、今回の犯人または団体とは、別口と考えるのが自然ですが……」
「…………」
思わせぶりな視線を向けられた健介が、思わず視線を逸らしながら黙り込むと、真紀が含み笑いで続ける。
「北郷議員がどう判断するのか、ある意味、見ものですね」
「今のはどういう意味だ?」
思わず口を挟んだ宗則だったが、真紀は一笑に付して踵を返した。
「恐らく、他の注文品も続々届いていると思いますので、一応チェックしてきます。不審行為として、全て職場に報告しなくてはいけませんので」
そして健介達が何か言う前に、真紀はさっさと部屋を出た。その直後に自分のスマホが着信を知らせてきた為、宗則が「なんなんだ、あの女!」と悪態を吐いているのを放置して、健介は電話に出た。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます