第6話 驚愕
普段、事務所には自分より遅く顔を出す宗則が、この日は朝早くから自宅マンションに押しかけて来た為、健介は心底呆れながら文句を言った。
「宗則……。何も朝から、部屋に押しかけて来る必要は無いだろう?」
「構わないだろう? 同じマンションに住んでいるから、大して時間はかからないし。お前、見張っていないと、一向に話を進めないし」
「今日はちゃんと、話を進めるから」
このまま事務所に行ける様に、スーツ姿でソファーでニヤニヤ笑っている彼に、健介が溜め息を吐いていると、インターフォンの呼び出し音が鳴った。
「はい、どちら様ですか?」
受話器を取って応答した健介が、モニターを確認してから淡々とパネルを操作し、相手に呼びかける。
「今開けます。上がって来て下さい」
そして受話器を戻して振り返った健介に、宗則が一応確認を入れた。
「彼女か?」
「ああ」
「それは楽しみだな。彼女がそれを見た時に、どんな反応を示すのか」
「完全に、面白がっているよな?」
思わず渋面になった健介だったが、ここで宗則が真顔になって付け加える。
「言っておくが、彼女に罵倒されて修羅場になっても、俺は止めないからな。それに関しては、どう考えてもお前に非があるし」
「それは分かっている」
上着のポケットに入れてある物を軽く握りながら、神妙に健介が応じ、室内に微妙な沈黙が漂ったが、少しして玄関に設置してあるチャイムの音が鳴り響いた。
「よし、来たな!」
そこで先程までの雰囲気をかなぐり捨てて、宗則が嬉々として玄関に向かった為、健介は慌てて彼を追いかけた。
「あ、おい、宗則! お前は下がっていてくれ!」
「何だよ、玄関を開ける位、良いだろう? あ、菅沼さん、おはよう。今日も朝からご苦労様で……」
「え?」
男二人で揉めながら玄関を開けると、当然そこには真紀がいたが、彼らはその姿を見て驚いた様に動きを止めた。
「おはようございます。城島さんも、いらしていたんですね。それでは事務所の方に、移動しましょうか」
ドアが開いた時に、健介だけでは無かった事に、真紀は一瞬驚いた表情になったものの、すぐに軽く会釈して二人を促した。しかしそんな彼女に、宗則が慌て気味に問いかける。
「菅沼さん、ちょっと待った」
「何でしょうか?」
「そのブローチ、フォーマル向けだと思うけど、どうして今日付けて来たのかな?」
スーツの襟に付けてある、パールをあしらったブローチを指さされながら言われた台詞に、真紀は内心でうんざりした。
(はぁ……、やっぱり難癖を付けて来たわね。「護衛任務にふさわしくない」とか、「そんなチャラチャラした女に命を預けられるか」とか、言うつもりかしら? こっちだって仕事じゃなかったら、誰があんた達の様な、面倒くさい男に付くかってのよ!)
心の中で、そんな盛大な悪態を吐いた真紀だったが、口に出しては神妙に、尤もらしい事を述べた。
「確かに普通、仕事中にこういうアクセサリーは身に付けませんが、今日はこれを形見分けに貰った祖母の命日なので」
「お祖母さんの形見……」
「命日……」
男二人がボソッと呟いたのを受けて、真紀が軽く頷いてから話を続ける。
「はい。凄く可愛がってくれた祖母なので、毎年の命日にはできるだけ休みを取って、お墓参りをしているんですが、今年は専属に付いて無理でしたので」
「それは……、申し訳ない」
反射的に健介が謝ったが、真紀は素っ気なく応じた。
「構いません、仕事ですし。現にこれまでにも何回か、命日に休めない時がありましたが、その時は祖母を偲んで、一日これを付けていましたから」
「……それで今日も、付けて来たんだ」
「はい。別に、仕事の邪魔にはなりませんし」
「その……、でもそれって……、仕事中に傷とか付いたのかな?」
宗則が恐る恐ると言った感じで、はっきり目視できる程度の傷を指さしてきた為、真紀は思わず渋面になりながら、説明を加えた。
「このパールの表面に付いた傷、やっぱり目立ちますよね? これは祖母が生前、私の母に貸した時に、母がどこかにぶつけて傷をつけてしまったそうなんです。結構、良い物なのに」
そのままブツブツと口の中で文句を言っている真紀に、宗則が控え目に声をかけた。
「その……、菅沼さん?」
「はい、何でしょうか?」
「そのブローチって、同じ物が他にもあるのかな?」
その質問に、真紀が怪訝な顔になった。
「はぁ? それは、オーダーメイドとかではありませんし、同時期に作られた同じデザインの物は、国内に何十何百と存在していると思いますが?」
「いや、そういう意味じゃなくて……、君のお祖母さんが同じブローチを幾つか持っていて、君が同じ物を幾つか貰ったなんて話は」
「どうして全く同じデザインの物を、複数持つ必要があるんですか? あれですか? 普段使い用と保管用に分けるとか、曜日ごとに使うのを分けるとか?」
益々変な顔になった真紀に、宗則は冷や汗をかきながら頷く。
「ええと……、そんなところで」
「全く意味が分かりません。馬鹿ですか? 取り敢えず私は一つしか貰っていませんし、祖母も常識的な人間でしたが?」
「…………」
如何にも呆れ果てたと言わんばかりの表情と口調の真紀に、男二人は黙り込んだ。そして微動だにしない彼らに対して、真紀が少々苛立たしげに催促する。
「ところで、そろそろ事務所に移動したいのですが?」
「あ、ああ、分かった。すぐ準備するから、待っていてくれ」
「それでは玄関の外で、お待ちしています」
僅かに顔を顰めたものの、真紀はすぐに頭を下げて玄関の扉を閉めた。
「全く、朝から何をわけが分からない事を言っているのかしら? しかも、まだ準備が終わっていないし」
通路で憮然として佇む真紀とは真逆に、室内では男二人が激しく狼狽していた。
「健介! お前、あれ、どういう事だよ!? どうして彼女が、全く同じ物を持っているんだ?」
「いや、俺にも、何が何だかさっぱり……。確かに祖母の形見で、母親が傷を付けたのを怒っていたが……」
問い質した宗則に、健介がポケットから先程真紀が付けていたのと、瓜二つのブローチを取り出しながら、困惑顔で応じる。しかしそれで宗則は、益々強い口調で続けた。
「彼女も言っていたが、普通同じ物を、複数手元に置かないだろう? お前そのブローチを、一体どこから持って来たんだよ!?」
「だから、以前彼女が暮らしていたマンションから」
「どう考えても、辻褄が合わないだろ!?」
宗則は声を荒げたが、ここで急に口を閉ざし、次いで健介を疑わしげに凝視してきた。
「……ひょっとして、あれか」
「何だ?」
「実はお前は、パラレルワールドの健介で、自分でも気が付かないうちに、こっちの健介と入れ替わっていたとか」
「……はぁ?」
完全に意表を衝かれて間抜けな声を上げた健介だったが、そんな彼の両肩を鷲掴みにしながら、宗則が叫んだ。
「おい! どこの健介かは知らないが、こっちの健介はどこに行った!?」
「錯乱した挙げ句に、真顔で馬鹿な事をほざくな!!」
そして宗則以上の声量で健介が怒鳴り返してから、再度玄関を開けて催促してきた真紀によって、不毛な論争は中止され、否応なく事務所へと連行された。
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