第5話 水面下での陰謀
「それでは、最後の議題ですが……。北郷議員からの依頼についてです。この間、防犯警備部門から両者に警護人員を派遣していましたが、並行して信用調査部門に調査を依頼した結果、やはり狂言の可能性が濃厚かと思われます」
桜査警公社幹部会議。
信用調査部門・防犯警備部門・開発解析部門の各部長と部長補佐が、副社長の指示で集められるそれは、社の最高決定機関であり、普通の社員ならその面子の物騒さに、開催中の会議室近辺に近付く事すら恐れる代物だった。
その会議を恐れ気もなく、淡々と進めていた司会を務める副社長秘書の寺島に、防犯警備部長の杉本が興味深そうに尋ねる。
「ほう? それを先方に報告するのか?」
「依頼されたわけではありませんから、こちらからは特に動かなくて良いかと。派遣期間が長引けば、それだけ余計に金を取れますので」
「それは道理だな」
そこで唐突に横から口を挟んできた、信用調査部門部長補佐の小野塚の台詞に、出席者全員が含み笑いを漏らした。
「それから今夜も、このビルに出入りする人員や車両を監視できる場所に、無断駐車している鼠がいると、報告が上がっています」
そこでついでのように行われた小野塚からの報告に、彼の上司である信用調査部門部長の吉川が、思わず渋い顔をする。
「お前、それを放置しているのか?」
「今日で五日目です。複数の場所から撮っていたデータを、一時間ほど前に所轄署に渡しましたから、最近この近辺で持ち上がったストーカー事件の容疑者として、今頃は引っ張って行かれている筈です」
「『持ち上がった』って、絶対でっち上げたよな?」
「全く、馬鹿がいたものだ」
「興信所の類でも、大手は俺達にわざわざ楯突く筈もないから、金に目がくらんだ弱小連中か?」
小野塚の説明に会議室内に再び失笑が漏れたが、それが落ち着いたところで、金田が静かに問いを発した。
「それで、今後の方針は?」
その問いに、寺島が落ち着き払って答える。
「この際、以前の借りを返して頂くのは当然としても、とことんからかってやろうかと。坂下部長。例の物を菅沼さんに渡して頂けましたか?」
ここで話の矛先を向けられた、開発解析部門部長の坂下は、老獪な笑みを見せながら頷いた。
「今日部下が、彼女に渡す事になっている。話に齟齬が生じない様に、上手く言い聞かせながらな」
「宜しくお願いします」
「しかし、奴はまだ、例の物を所持しているのか?」
「さあ、五分五分でしょうが、どちらにしても動揺するのでは?」
「それにカメラ機能は無いのか? 是非、その時の若造の間抜け面が見たいものだ」
「無茶を言わないで下さい」
そしてそのまま雑談に突入し、最後は全員の苦笑で幹部会議は終了した。
「戻りました」
真紀が無事に職場に戻った時には、二十一時を過ぎていたが、まだ残って仕事をしている人間がチラホラ存在していた。そして近辺の席に挨拶をすると、彼らが愛想良く挨拶を返してくる。
「おう、お疲れ」
「菅沼、お前暫く、専属になったんだってな?」
「ええ。いけ好かない、根性曲がりの所ですけど。予定外の外食に付き合わされた上、安全が確保されない飲食物を就業規則で口にできないと説明した直後に、人の目の前で中華のコース料理と酒をかっくらって、『美味い美味い』と放言する、アホが居る所ですが」
自分の机に鞄を置きながら手短に報告すると、彼女の先輩達は揃って顔付きを険しくした。
「……何だそれは?」
「うちの人員に対してそんな暴挙に及ぶとは、本当に頭が足りないらしいな」
「構いませんよ。単なる嫉妬からきている、セコい嫌がらせなんて」
椅子に座りながら淡々と告げた真紀を見て、男達は首を傾げた。
「どういう意味だ?」
「私の今の護衛対象者は男性なんですが、男が好きなので警備に支障が出るとして、私にお鉢が回って来たんです」
「……難儀だな」
「なんでまた、そんな面倒な奴に付くのやら」
「お前、この前まで面倒なオバサンに付いてたんだろ?」
「今度お祓いでもして貰ったらどうだ?」
「そうですね、それもちょっと考えてます。それでその護衛対象の人物には大して興味を持たれませんでしたが、同僚の男がやたらと絡んできて。大方、自分達の間に割って入る気なんじゃないかと、邪推しているんだと思います。一応こちらは、若い女ですし」
そう言いながら、報告書を作成する為にパソコンを起動させた彼女に、周りは益々心配そうな視線を向けた。
「菅沼……、お前、大丈夫なのか?」
「本当に、ろくでもないな」
「勿論、大丈夫ですよ? そんなセコい嫌がらせしかできない、堂々とカミングアウトもできない小さい男。そっちがその気なら、側にいる間に世間の目の厳しさと言う物を、たっぷり思い知らせてあげようじゃありませんか」
真紀が素っ気なく宣言すると、男達は感慨深げに呟いた。
「菅沼……、お前、すっかり逞しくなったな……」
「本当に。あの『防特一のカモ女』とか呼ばれていた頃とは、雲泥の差だぞ」
その呟きを耳にした瞬間、真紀は顔を引き攣らせて座ったまま振り返る。
「……先輩? いい加減、それは止めて欲しいと何度も」
「悪い。でも誉めてるんだからな? 取り敢えず、これを持っていけ」
斜め向かい側から手を伸ばされ、反射的に受け取った小さな紙袋のロゴを見て、真紀は少し驚いた。
「え? でも秋月先輩。このチョコレート、高いですよね?」
「出先から帰りがけに、カミさんに買ったんだがな。頑張ってるお前にやる。その代わり、あいつと顔を合わせた時に礼なんか言うなよ? ばれるからな?」
笑って念を入れた相手に、真紀は満面の笑顔で頭を下げた。
「分かりました! ありがたくいただきます!」
「よし、じゃあ俺からは、グレードが下がるがこれだ。気合いいれてけ」
「はい、頑張ります! 諏訪先輩、ありがとうございます!」
続けて背後からも細いドリンク剤の瓶を差し出され、真紀は笑顔のまま受け取った。そして相手が再び机に戻って事務処理を再開したのを見て、真紀はホクホクしながら貰った物を鞄にしまい込む。
(やった! このブランドのチョコ、美味しいんだよね! 値段もそれなりだし)
しかし一気に上昇した真紀の機嫌を、一気に下げる人物が登場した。
「ああ、ちょうど良かった、『ミツ子』ちゃん! ちょっと、頼みたい事があるんだけど!」
その室内に響き渡るハイテンションな声に、真紀は思わず机に突っ伏してしまった。しかしまっすぐ自分に歩み寄って来る気配を感じた彼女は、嫌々ながら上半身を起こして背後を振り返った。
「こんばんは、茂野さん。どうかしましたか?」
「今度小型の、特殊発信機を試作してね。その感度を確認する為に、明日一日これを、スーツに付けていて欲しいんだ」
自分より若干年上なだけの彼が、にこやかにポケットから取り出した物を見て、真紀は盛大に顔を引き攣らせた。
「これって……。どうして、このデザインなんですか?」
それは割と大粒のパールを五個を使い、花をイメージして周囲をプラチナであしらってあるブローチであり、真紀にとっては見覚えがありすぎる代物に酷似していた。その彼女の疑問に対して、茂野が全く悪びれない笑顔で答える。
「いやぁ、普段興味が無いものだから、宝飾品のデザインなんかには疎くて。そういえばあの報告書の中に、適当なデザインがあったなぁと思い出したものだから」
「わざわざ何年も前のデータを探す位なら、ネットを漁れば、好きなだけ宝飾品の写真は出ていますよね!?」
「ああ、そうか。それは全然気が付かなかったな」
真顔で頷いた相手を見て、真紀はがっくりと肩を落として項垂れた。
「やっぱり開発解析部門って、オタクとメカキチとマッドサイエンティストの集団だわ……」
「まあまあ、そう言わずに」
「へえ? そうするとこれが、あの事件の時、お前がちょろまかされた物のレプリカなのか?」
真紀の手の中のブローチを覗き込みながら、再び同僚達が集まって来た為、彼女はその一部を指さしながら、忌々しげに答えた。
「ええ。嫌みな位、寸分違わずそっくりですよ。残っているのは身に付けていた時に撮った写真だけなのに、傷までしっかり再現しているなんて」
「例の写真を高度解析にかけて、寸法や材質は勿論、傷や磨耗度まで、完璧に再現したからな」
そう言ってドヤ顔になった茂野を、真紀は本気で叱りつけた。
「本当に、無駄な手間暇をかけてますよね! デザインだけ真似れば良いのに、一体何をやってるんですか!?」
「とにかく、菅沼さんは暫く川崎通いだろう? ここからの距離を考えると、実験するにはちょうど良いんだよ。確かに護衛任務中、ちょっと浮くかも知れないけど、そこはお祖母さんの命日だからとかなんとか言ってさ。実際、お祖母さんの形見だったんだろう?」
しかし全く堪えた様子を見せない茂野に笑顔で促され、真紀は色々諦めながら頷いた。
「……分かりました。それなら明日、これを一日身に着けて、勤務終了後にお返しすれば良いんですね?」
「ああ、宜しく」
そして機嫌良く去って行く茂野を見送りながら、真紀は深い溜め息を吐いた。
「全く。今日は最後の最後で、ろくでもない……」
「まあ、そう言うな」
「明日もしっかりな」
「頑張れ、今度奢ってやる」
周りから苦笑気味に宥められた真紀は、気持ちを切り替えて椅子に座り直した。そこで、社内メールが来ている事に気が付く。
「あれ?」
そして真紀がそれを開くと、同僚からのメッセージが届いていた。
〔お疲れ。ちょっと面白い仕事が入ったんだってな。今日は早上がりだったから、ビーフシチューをしっかり煮込んであるぞ。食いに来い。笑える話で、スープとサラダも付けてやる〕
「はいはい。それじゃあ遠慮無く、今日はご馳走になりましょうか」
そこで幾らか機嫌を直した真紀は手早くその日の報告書を纏め、公社が丸ごと一棟保有して独身寮として使用している、職場に隣接した自宅マンションへと向かった。
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