機巧操兵アーカディアン

はじめに

リアルを砕け、『機巧操兵アーカディアン』

 かつて寺山修司てらやましゅうじ氏は、高い評価を得た俳句を幾つも残し、俳壇はいだんにその人ありと言われた時代がある。その時、彼が読んだ俳句の中に母の急死をんだものがあった。これまた素晴らしい俳句だったが、あまりの表現力に誰もが香典こうでんを持って氏に渡したという。

 しかし、

 創作なのである。

 そして、その後も何度か母が死んだ句を詠むのだった。

 母親が存命と知った周囲は怒ったが、創作は自由なのだった。


 さて、おわかりだろうか?

 これが『』と『』の違いだと自分は思っている。

 俳句を見た誰もが『ああ、寺山修司君の母上が……悲しい!』と香典を持ってくる。そうせざるを得ない作品だと思いこんでしまったのは、リアリティがあったからだ。逆に、リアルはというと『実は母親は死んでいない』という、身もふたもないものである。

 創作を楽しむ上では、リアルは必要ないどころか無用の長物でさえある。リアルはすなわち現実、虚構きょこうである創作物とは全く別物なのだ。例えば、リアルを持ち込めば『ミノフスキー粒子というリアリティで保たれているガンダムの世界観』は破綻はたんする。しかし、ミノフスキー粒子というリアリティが『なるほど、レーダーがお互いに効かないから目視の近接戦闘になるのか』『ミノフスキー粒子によって核融合炉の小型化が実現したのか』などと、物語が面白くなるように作用しているのだ。


 リアルそのものは決して見せてはいけない。

 リアルを忘れる程のリアリティをこめて、作品の全てで華麗にだませ。

 ここは難しい話だし、自分でも上手に説明できてる自信がない。ただ、リアルな物語を書けば面白いのではと、誰もが最初は考える。そして、大抵は失敗する。だが、それは終わりではない。創作は常にトライ&エラー、リアルな作品を書いてみなければ、本当に誰もが欲するリアリティはわからないものなのだ。


 さて、天城あまぎリョウ先生の『機巧操兵きこうそうへいアーカディアン』である。

 この物語は、先程言ったリアルとリアリティの関係性を、非常にたくみに物語へ取り込んでいるという印象がある。

 アーカディアンでこだわりを持って設定されているのは、操作だ。

 ロボットのデザインや作品の世界観、そしてSF考証や設定……それらのもの以上に、ロボットのコクピット、操縦方法、操作コンソール等が徹底して考え抜かれている。一見するとそれは作者の自己満足的なものに見えるかもしれない(自己満足そのものに対しては、自分は悪いことだとは思っていない)ただ、そうして氏の中に完璧にロボットの操縦方法が確立しているからだろうか? 作中の主人公が直面する全てがリアリティを持って見えてくるのだ。


 主人公はタイトルと同名の機巧操兵アーカディアンというネットゲームで、世界ランクのチャンピオンである。しかし、そのゲームは実際に秘密裏に開発されていた人型機動兵器のシミュレーターのようなものだった。

 そして、不幸な事故から主人公は本物のロボットに乗って戦争に巻き込まれるのだ。

 この導入、芳賀ほうが 概夢がいむ先生の『魔生機甲レムロイド ~ 異界のロボットデザイナー』にも共通する優れたものだ。読者層の誰もが知ってる『ゲーム』というオープナーを通じて、主人公が読者と同じ価値観の場所に立っていること、そしてそれが変わってしまった物語へと導いているのだ。因みに自分も『プロローグでゲームをしてたら、あら不思議! そのゲームは実はロボットの以下略』というのを書いたことがある。

 王道を陳腐化ちんぷかさせないだけの工夫があればこそ、王道は常に王道たりえるのだ。


 で、普通ならばゲームチャンプの主人公は、即座にエースパイロットになるのだが……ゲームと違い、実際のロボットには加速時のGジー(重力負荷)が存在する。そして、ゲームを熟知していながら、パイロットとしての訓練を受けていない主人公は上手く自分の技能をかしきれないのだ。

 ここで、天城リョウ先生が綿密に作り上げた操縦方法の設定が生きてくる。

 レバーとペダルといった、具体的なコクピットの仕様を事前に考え抜いていた。

 だから、それが同じロボット実機とゲームで、片方にしか存在しないGのドラマが光るのである。

 また、この操縦方法については前後左右やロール、ピッチといった氏のこだわりの設定が存在する。それを読むことができるが、読まなくても物語にはスムーズに入っていける。これで、氏が『物語のための設定』を作りこそすれ『設定のための設定』はないなと感じた。勿論『設定のための物語』などという本末転倒なものとも違う。

 これが、氏が作品に込めたリアリティであり、それは上手く機能している。

 ゲームチャンプがそのまま現実でも腕前を発揮してエースパイロットになる……それもまた、娯楽の正しいありかただろう。だが、それを最終的に描くために、この物語には操縦方法を元に徹底して描写されたリアリティがあるように思うのだ。


 さて、当たり前だが自分はアーカディアンが好きだ。

 作品もそうだし、日頃から親切に接してくださる天城リョウ先生には、とても感謝している。それはいわゆるTwitterツイッターでよく言われる(自分達でもたまに名乗ってる)という連帯感の中で、その全員に感じていることだ。

 創作者は人格者である必要はないし、人格が破綻してても名作は生まれてくる。

 作家性と作家の人間性は全く別のものである。

 でも、どっちも好ましいものだったら、それはラッキー! うーれしいー! としか言えないのではないだろうか。


 そんな訳で、アーカディアンの二次創作も容赦ようしゃなく書いたりしている。ここでは、作中のキャラクター達が実際に遊んでいたゲーム、機巧装兵アーカディアンの制作サイドという視点から作品世界を書いていた。勿論、メインプログラマーである嶋大悟シマダイゴ博士の近くに、拙作せっさくのキャラ達はいたことになる。

 ゲームという娯楽は、そのバランスが絶妙に、そして巧妙に調和していなければ成立しない。だから、ゲームと同時に存在していたことで、アーカディアンのロボット達は個性的な得手不得手えてふえてのある性能が細かく設定されているのだ。そこに『!』という、駄目な大人の見本市みほんいちみたいな美女が出る。きっと嶋大悟博士は毎回困っていたのではないだろうか。

 だが、作中のキャラを通じて自分が常に思っていることを代弁してもらった。

 ロボットでドンパチ戦争をする、そんなことは創作物の中で娯楽に閉じ込めておきたいものだ。奇しくも先日、国連で初めて『AIロボット兵器の規制に関する議論』が行われた。ゲームの世界からもう、ロボットは飛び出そうとしているのかもしれない。


・機巧操兵アーカディアン(天城リョウ)

https://kakuyomu.jp/works/1177354054882206044


敬称略

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