左腕部戦線異常ナシ!?

城は命に燃えて

 その声は、高らかに響く。

 なげきの絶叫にも似て、獣の咆哮ほうこうのように雄々しい。

 そして、耳にする全ての人間を戦いへ、その先の生と死へ放り込む。

 再度、声は繰り返し叫ばれた。


攻城戦シージっ! 攻城戦を開始するっ! 全部署、各員奮起せよ! 攻城戦っ!」


 荘厳な宮殿にも似た尖塔群せんとうぐんが、まるで巨竜の背ビレのように動き出す。

 グラン・ソラスが変形を始めたのだ。

 その姿は、あと数秒でそびえ立つ巨神へと変わるだろう。

 左腕部第二機関士レビン・ケストナーは息を呑んだ。既に敗走に次ぐ敗走で、第一機関士のベテランは死んでしまった。民の中から僅かでも知識や技術のある者を募っての、息も絶え絶えの攻城戦である。

 だが、大きく動き出す城の中でレビンは叫んだ。


「お前らっ! 教えた通りにやればいい! 安全帯あんぜんたいを確認、手近なパイプでもフックでもなんでもいい、とにかく安全帯を忘れるな!」


 レビンの叫びに返事を返す声は、若い。

 レビンより三つか四つか、それとももっと幼いか。

 十代の少年ばかりが、震えた目で指示を待っている。

 大きくうねって波打つ鋼鉄はがねの構造物は、あっという間に今までの姿を変えてしまった。今、レビンたちが立っている場所は左腕部の二の腕ということになる。

 すぐさま、攻城戦は始まった。

 伝声管を通して様々な部署が怒鳴り始める。

 そして、声での指示と同時に、各部署に張り巡らされた鋼線に色が走った。

 この細い糸は決して切れない鋼の糸で、木の色札が上から下へと滑り降りてくるのだ。その色の配列と枚数で、即座に機関士は操作を行う。


「防御だっ! 左腕部、ガードに上げる! ……おいっ、お前! なにやってんだ!」


 わたわたと頼りない子供たちは、それでもよくやっている。もとは街の技師とか職人、そういう場所で働いていた見習いたちだ。

 しかし、その中で一人だけ、すっ転んでる小柄な影があった。

 よく見れば、ズボンのすそが変形時に床と床の継ぎ目に挟まったのだ。

 そして、彼のいる場所はこれから、左肘ひだりひじの稼働で大きく変形する。頭上にはもう、数百の油圧ピストンで動く天井が迫っていた。

 迷わずレビンは走り出す。


「俺に掴まれ、ズボンを破くぞ!」

「は、はいぃ! す、すみません。あの、わたしは」

「いいから黙って! 舌を噛む!」


 強引に布地を引き裂き、少年を抱えて気付いた。

 少年は、男ではなかった。

 見れば、顔立ちは可憐な少女で髪も長い緑髪だ。

 可動部の伸縮と挿抜そうばつが唸る中、レビンは迷わず彼女を抱えたまま奥へと転がり込んだ。

 持ち上がった前腕部の方へと、二人は孤立した。

 肘を挟んで向こう側では、多分子供たちが教えたとおりにやっているだろう。しかし、巨大な前腕部もそれ自体が律動する機械のかたまりだ。拳を支えるヒンジと、無数のパイピングが熱を放っている。

 ここには人間の安全な場所など、どこにもない。

 レビンは自分の安全帯を近くのフレームに繋ぎ、少女のものも同様にした。


「す、すみません」

「危なかったな、時々いるんだ。両腕の部署はただでさえ戦闘可動が大きいからな。……動かしてる城の中ですり潰されるなんて、ぞっとしない」

「そう、ですが……本当にごめんなさい」

「なに、無理を言って民にも協力してもらってる。不慣れは承知の上さ。むしろありがたいよ。ボインちゃんは歓迎だしな」


 轟音を響かせ、衝撃と振動が二人を揺さぶった。

 鼻と鼻とを突き合わせるような距離で、狭い通路の中で自然と抱き合う形になる。見下ろす華奢きゃしゃな少女は、目を逸して頬を赤らめた。

 この距離でも、大声を叫ばなければ言葉は通じない。

 そして、レビンは悟る。

 熱してゆく蒸し風呂のような前腕部が上がりっぱなしだ。つまり、ガードを固めて押し込まれているということ。そして、それが続けば各部の負荷は限界を超える。

 どうにかして、もう一度肘の向こう側に戻らなければ……そう思っていた、その時だった。


「リアン、です……リアン・ターミス」

「ん? ああ」

「戦いに参加すれば、市民権が得られると聞いて。母と二人、このグラン・ソラスへ逃げてきたんです。でも、この国ももう――」

「難民か、なるほど。前はなにを?」

「竜騎兵の装具を作る工房にいました。父の工房は小さくても、沢山の常連さんがいたのに……故郷ごと」


 震えるリアンの細い腰を支えて、レビンは周囲を見渡す。

 激しい振動の中で、どこかのボルトが緩んでいるのだろう。そこかしこで黒い油がしたたり始める。そして、巨大な質量が擦れ合ってきしむ不快な音が鼓膜をでた。

 話してる方が気が紛れる、だからレビンは黙ってリアンに言葉をうながした。

 彼女も、必死で自分を律して正気を保っているのだろう。


「父は故郷が燃えた日に亡くなりました。必死で母と逃げてきて……あ、あの、レビンさん? ……ごめんなさい、そうですよね。わたし、自分の話ばかり」

「いいんだ、もっと話して。俺も気が紛れる。けど……まずいな、


 不意にリアンは、耳まで真っ赤になって両手をレビンの胸に当ててくる。遠ざけるように押してくるので、慌ててレビンは揺れる床の上に踏ん張った。


「わたしったら、一週間もお風呂なんて……は、恥ずかしいです!」

「違う! 違うんだ、俺だってろくに風呂なんざ入っちゃいない!」


 汗が滴る熱気の中で、レビンは涙目のリアンを見下ろした。

 その間もずっと、危機を知らせるけた臭いが充満してゆく。常人ならば、このオイルの臭いに満ちた密閉空間の空気など同じだろう。だが、レビンはこれでもグラン・ソラスに努めて八年の熟練工だ。空気の温度と臭いには敏感なのだ。


「腕の負荷が高すぎるんだ! オイルが熱をもってきている……この灼けた臭い、限界も近い。早く肘の向こうにもどらなきゃならんが」

「他に道はないんですか?」

「あそこのハッチを明けて外殻の上を走るかい? 滑り落ちるのがオチだけどな」

「そんな」

「今は耐えるしかない……姫様も城も、耐えてる。この瞬間、誰もが忍耐を強いられているんだ。でも」

「でも?」

「城はそれ自体が巨大なイキモノだからな。俺達はその血であり肉であり、腱であり骨だ。誰かの心が折れてしまえば、絶望は連鎖する。だから……姫様は今、踏ん張ってる」


 レビンにはわかる。

 グラン・ソラスは今、脚を止めて耐えている。

 左腕のガードが下がらないということは、劣勢なのだ。

 だが、絶望してはいけない。

 絶望してやらない。

 それは、彼が信じる全てが等しく掲げた、この城の総意にして覚悟なのだから。


「とにかく、温度の上昇を抑えないと……おい! そっちはどうだ! 木札の色は読めるよな! よろしくやれよ、ボウズたち!」


 肘の向こうへと叫んで、周囲をレビンは見渡す。

 その時、小さなバルブが目に入った。

 その間もずっと、支えるリアンごと彼の立つ床は傾いていく。少しずつガードが下がっているのだ。この左腕部の動きが排熱で鈍っている証拠である。

 だが、諦めない。

 そして、チャンスを信じてベストを尽くす。


「リアン、頼みがある!」

「は、はいっ!」

「あそこのバルブが見えるか? 君の細い手なら、配管の奥に届くと思う……あの青いバルブだ」

「見えます! あ、あれは……でも」

「いいんだ、明日のうるおいより今日の勝利だ。平時の際は離宮りきゅうへと上水道を繋ぐパイプが通ってる訳さ。その根っこが、あれだ」

「水が? じゃあ」

「閉鎖されたバルブを開ければ、ガタが来てる左腕部はあちこちで浸水する。水が少しでも温度を下げてくれる。頼めるかい?」


 無言で頷き、リアンは手を伸ばす。レビンも激震の中で、彼女をバルブの方へと抱きかかえて押し出した。


「と、届きました!」

「回してくれ! ……こういう形じゃなく抱きたかったなあ、全く」

「同感、です。でもっ、男の人ってこういう時、いやらしく、ない、です、か? ……あと、少し!」

「死は感じてるし、生存本能というやつだろう? 我慢してくれ」


 その時、あちこちでミシミシと亀裂が歌う。

 一拍の間をおいて、天井や床から水が吹き出した。

 下がってゆく室内の気温に、レビンはほっとする。そして、右腕一本で抱えたリアンを引き戻した。

 そして、一際激しい衝撃を受けた左腕部が、大きく揺れる。

 金属がこそげ落ちる音がして、それが鉄床かなとこをひっかくように耳に痛い。

 だが、レビンは確信した。

 左腕部の反応が僅かに戻ったことで、攻撃をガードしつつ受け流せたのだ。


「よし、いいぞ! この戦い、勝つ! 勝つしかないだろ! なあ、リアン」

「は、はい」

「左腕部が伸びる、肘の上に戻ろう。はは、びしょ濡れにしてしまったな」

「……いい、です、けど。……少し、濡れちゃい、ました、けど」


 以前として、激しい揺れの中で劣勢は続いている。

 だが、レビンは安心させるようにリアンの背をポンと叩いた。吹き出す水の中で濡れて、互いの服は汚れを浮かべたまま透け始める。髪をしきりに気にしながらも、レビンの視線に気付いて……リアンは唇を尖らせた。


「レビンさん、そういうのあとにしてください!」

「そうかい? じゃあ、あとで。約束ってことでいいかな?」

「ええ!」

「俺の嫁さんでも市民権は得られるけど?」

「まあ、呆れた……でも、そういうのも後程考えさせてもらいます! あ……肘のブロックが」

「よし、戻るぞ!」


 安全帯を外して、急な斜面に近い床を駆け上がる。レビンは機械の出っ張りや取っ手にしがみついて、リアンの大きなお尻を押し上げてやった。

 戦いは終わらない……そして、まだグラン・ソラスは負けていない。

 レビンは目の前にある自分の使命を果たし、最後まで最善を尽くすことを選んだ。

 その先に、あとで、があるなら。

 あとで考えるべき明日があるとしたら、まだ動けるから。

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