第13話 あの日見た田中を君は覚えているか。いや、もう忘れたい。
「ありがとうございました! 勇者様!」
「ゆうしゃさまー! ありがとー!」
リアムとマリエル,そしてハーフリングの子供達をホルビタ村に送ると,ロキ一行は帰途についた.
と言ってもパパっと転移してしまうのだからこの世界も便利なのだか風情がないのか.
村人たちの歓声を背に魔法を発動させると,あっという間にエルフの森である.
森のはずれのパーキングスペース,いや転移スペースに出現した冒険者四人とオッサン一人.
この人数での転移魔法とやらは基本的に決まった場所に移動することに決まっていた.
確かに,そうでなければクルセイデル登場の時のように,転移者同士でぶつかってしまう,さらに言えば恐怖の
では複数の転移者で混じり合う可能性は……いや,止めておこう.魔法というのはこういうものらしい.これがファンタジーですな.
クエストを完了し,すっかり夕方になっていた.
太陽は西に傾き,森の木漏れ日も茜色である.
茜色に染まった道を一同はぞろぞろと歩き,ウィンディエル達エルフ三姉妹の店に向かっているのであった.
「あー,そーいえば,アーナンの事をすっかり忘れてるアルね」
「まあ,大丈夫でしょう.寝っ転がって風邪を引いているかもしれないけど」
薄情な女子の脳裏には哀れな大巨人はもちろん,ダナシンと愉快な仲間達,いや変態帝国の野望に燃える男たちは露ほども浮かばないのであった.
「ロキ,どうしたの? 何か悩みごと?」
ジルベールが
女子二人に比べ,ロキの足取りは遅れ気味なのだ.腕組みをしているので,クルセイデルは脇に潜り込むこともできない.
というか,MMA(総合格闘技)の試合でタックルのタイミングを読みあうような視線の送り合いをクルセイデルとリューリューはしているのである.二人が牽制し合うおかげでロキは無事一人で歩けているのであった.幸せと言うのか何と言うのか.
我らが(?)田中はフラフラと千鳥足でパーティーメンバーを追いかけているのであった.
良かったな,置いて行かれなくて.
しかも,お土産ウイスキー――竹鶴二十五年はちゃっかり風呂敷に包んで手にぶら下げているのである.我々から見れば,見事な酔っ払い振りであった.
「黒騎士のことなら,考えても仕方がないアル」
「そうよ,今後の奴の動きには,もちろん気をつけなければいけないけれど」
と,ロキの心中を案じるふりをしながらロキの隣を狙い合う女子二人.恐るべしである.
「うん……そうだね」
悩んでも絵になる爽やか青年ロキ.ずるいぞ爽やか.
「また,一緒に戦うアル!(できれば二人で)」
「そう,ずっと一緒にね!(ロキ以外は要らないから)」
女子二人の黒い笑い.
「心配事は何でも僕に相談してね.それが,聖職者の仕事だよ」
純粋かつそれゆえに魔性の世界に引き込まんとするジルベール.あいや,彼の場合は天然であるが.しかし,背後には花弁が乱れ散るのである.
「ふひゃひゃ,生まれ出づる悩み,若きウェルテルの悩み!」
意味のない田中の言葉.有島武郎もゲーテもさぞかし迷惑であろう.何と,今回田中の台詞はこれが初めてである.これでいいのか主人公?
ロキの顔は晴れない.
そうこうするうちに,ついに
「それじゃ,みんな,ありがとう……」
三人に別れを告げようとするロキ.
田中もヘロヘロと手を振る.
しかし,危険な雰囲気を察知した女子二人はまだ去ろうとしなかった.
「少し,お茶でも頂いて行こうかしら.ウィンディエルも懐かしいし,あー疲れた,疲れた」
「そうアルね,夕飯まだだし,なんだったら今晩は
危険を乗り越えての帰還.
身を案じる想い人との再会.
燃え上がる想い.
高ぶる心.
そんなロマンチックな物は断固として阻止する二人組である.
さっきまでの熾烈なポジション争いはどこへやら,がっちりと心で手を組む同志クルセイデルと同志リューリュー.
まさに鬼,最強の女子タッグと言えよう.
「それじゃ,上がろう,上がろう!」
「お邪魔するアル―!」
二人はそそくさと店の前のウッドデッキに上がり,玄関のノブに手をかけた.
あえてロマンチックブチ壊しのため,ガンガンとドアノッカーを殴るリューリュー.店が軽く振動した.
ズイっとリューリューが店に入ると,カウンターでシルフィアが店番をしていた.シルフィアは突然の訪問に目を丸くした.店の隅で丸椅子に腰をおろしていたノルマルがピョンと飛んで立ち上がる.
「あら,シルフィア. 帰ったわよ」
「シルフィア,暫らくアルね!」
「あ,ああ……お帰りなさい,クルセイデル.お久しぶり,リューリュー.ところで,ロキはどうしたの?」
「え?」
「アイヤ?」
クルセイデルとリューリューは顔を見合わせた.
ロキがまだ外にいる.
「わたし,おねえさまを呼んでくるね」
パタパタとノルマルが店の奥に走って行く.
***
店の外で,ロキは腕を組んで立ちすくんでいた.
じっと地面を見つめ,考え込んでいる.
傍らでじっと見守るジルベール.
その周りをフラフラとふらつきながら蠢く田中.
酔拳か八卦掌,はたまた地功拳の演武(って,誰も分からんわな)をしているようであるが,ただ酔っ払っているだけなのである.はっきり言って鬱陶しいのだが,ロキはそれすら気にならないようで,じっと沈思黙考であった.
「ケーイチさん」
やわら口を開いたロキが発した名前は,田中恵一であった.
「は?」
これに一番衝撃を受けていたのは,実はジルベールであった.ロキに身も心も捧げられる
おお,何だか必殺技の名前みたいだ.
心配事はきっと自分に一番に打ち明けてくれる筈……嫉妬に狂う醜い女子どもでは,ありえない.
真実の愛.
誰にも負けない無償の愛.
どこかで固く信じていた.
それが,この酔っ払いオヤジに敗れ去った.
古典少女漫画的表現で言えばジルベールの目は全て白眼になり,バックには割れるガラス,散りゆく薔薇の花弁.
「ひっ,ひどいや!」
ジルベールは泣きながら走り出し,茂みの中に去った.涙が地面に落ち,赤い金に変わるのである……て,これは北欧のフレイヤ女神.こりゃ言い過ぎか.とにかく,再び古典少女漫画的表現を使えばジルベールの流れゆく涙の滞空時間は五分くらいであった.
ジ○リアニメ的表現で言えば,大粒の涙が特盛りでボットンボットンと地に流れ,足元を歩いていたノームが溺れた.
ほんの少しジルベールの方を見るが,追いかけないロキ.
これは非情なのではなく,鈍感主人公的キャラのせいである.
主人公はすごい.どんなにお姉さまやらロリキャラに迫られてハーレムになろうと,決して気付かないのだ.ちょっとアホなのではないかと思う時もあるが,どうしてだろう.
しかし,このままジルベールの後を追えば間違いなくBL的展開になるので,有難く思う作者である.
「ケーイチさん,昨夜仰ってましたよね」
「と,いいますと?」
田中にも敬語を使う礼儀正しいロキ.田中の方は何のことやらという顔をしている.
はて,
「あの……部下の人……キッカーとかいう人の話をして下さいました」
「おお,サッカーの話をしましたかな?」
「いや,キッカワでしたか?」
異世界の住人にしてはきちんと名前を覚える偉いロキである.恥ずかしいベタなボケを繰り返す田中は何であろうか.
「……出世してから女性に結婚を申し込もうとして……っていうお話です」
「おお,あれですな.そうそう,見事に失敗して振られ,待たせている間に彼女は結婚して,ヤケ酒三昧ですよ!」
カラカラと田中は笑った.
社会的には田中の百倍くらい有能なので,田中にこんなことを言われる筋合いのない橘川君だ.しかし,ここは異世界なのでどんなに悪口を言おうと橘川には届かない.
全く,これだからバブル世代は……と言いたくなる読者諸兄,待ってくれ,携帯電話やスマホを放り投げないでくれ.
「女の人は……きっかけとか,出世とかでなく,言って欲しい時に……言って欲しいものだと……」
馬鹿笑いにもかかわらず,ロキは真剣な表情で田中の顔を見た.
僅かに頬が紅潮している.彼の透き通るような眼の奥に小さな炎が見えた.
「むむ? ロキさん?」
田中はずり落ちた眼鏡を押し上げ,ロキを見つめ返した.
ロキは小さく頷いた.
「ロキ!? ロキが帰って来たの? 無事なの?」
あわただしい声が店の中から聞こえてくる.
ウィンディエルの声だ.
バタバタと走る音の後,息せききったウィンディエルがドアを開けて飛びだして来た.
ロキを見つけると走り寄って来る.
後から慌ててリューリューとクルセイデル,シルフィアとノルマルがついて来た.
「ロキ? 無事? 怪我はない? ああ,どんなに心配したことでしょう!」
ウィンディエルは両の拳を胸に押し当て,想い人を見つめた.
そんなウィンディエルを黙ってロキは見つめている.口元にはあるかなしかの微笑が浮かんでいた.
二人の顔を夕日が赤く染める.
ウィンディエルの髪がきらきらと光る.
「どうしたの? どうして家の中に入ら……」
言葉を継ごうとするウィンディエル.
だが,その言葉を遮るようにロキはひざまずいて腰の鞄を探った.
何かを握りしめ,そっと大事そうに取り出す.
「これは,私の父が母に贈り,私に遺した大事な品です.どうか受け取ってください」
ロキはゆっくりと手を開いた.手には青い大粒のサファイヤが嵌った指輪が握られていた.台座の細工は質素だが,茜色の夕日を受けて宝玉の中央に星型の光が浮かぶ.スターサファイヤと言われる貴重品である.
「え……え?」
突然の言葉.驚きと次の言葉への期待,そして不安がウィンディエルの胸に去来する.ウィンディエルは言葉を失った.
「ウィンディエル,どうか私と結婚して下さい」
ロキは指輪を捧げ持ち,
じっと返事を待つ.
「あわわ……」
ロキの突然の行動に慌てふためくリューリューとクルセイデル.どうしていいか分からない.
「そ,その結婚ちょっと待った……」
クルセイデルは何とか声を絞り出そうとした.だが,茜色の光の中に照らし出された二人は神々しいばかりに美しい.思わず声を詰まらせた.
ウィンディエルは黙っている.
ロキは指輪を捧げ持ったまま頭を下げ,うつむいている.
「わ,私……」
ウィンディエルの声がロキの頭の上で聞こえた.声が震えている.ただの一人の若者と化した勇者は,不安に顔を曇らせ,眼を瞑った.
ポタ.ポタ.
水滴が地面に落ちる音がする.
若者は再び眼を開け,水滴が落ちてくる方向を眼で追った.
水滴はウィンディエルの頬を伝い,美しい両の目から流れ落ちていた.
「不安だった.私,ずっと.このまま永遠に結ばれることがないんじゃないかって……あなたと結ばれて,あなたに先立たれて,その後ずっと,永劫に近い時を生きなければならないとしても,あなたの子供や孫を見送っても,なおも生きていくのがどんなに辛いとしても……あなたと,結ばれないのは嫌だった……」
「ウィンディエル……」
ロキは想い人の顔を見上げた.涙でクシャクシャになっていてもなお,その顔は美しかった.
「ずっとあなたを待ち続けて……このままあなたが帰って来ないんじゃないかと……ずっと不安だった……」
「さ,ウィンディエルさん.返事を」
いつの間にか頭のネクタイを首に絞め直した田中が,バージンロードを先導する父親の様に,ウィンディエルの隣にそっと(ちゃっかり?)立っていた.
ウィンディエルは言葉を発しようとするとこみ上げる想いに,しゃくり上げた.
「あなたに涙は似合いません.さあ」
田中が促す.
見上げるロキは,はにかむような笑顔を見せた.
「は……はい,はい,はいっ!」
首を縦に振る.
返事と同時にウィンディエルは泣き崩れ,ロキの手を取った.
慌ててロキが立ちあがり,彼女の体を支える.それとともにウィンディエルの薬指に母の形見の指をそっとはめた.
ウィンディエルは涙を止められない.
そんな婚約者を,ロキはそっと優しく抱きしめた.
「わあっ! お姉さま!」
二人を見てもらい泣きしながら,シルフィアが手を叩いた.ノルマルも真似をして手を叩く.
田中も泣きながら手を叩いた.
「どんな悲しみも……過去の癒えない傷も……その涙で洗い流して……幸せに……おなり……」
酔っ払っているとはいえ,娘がいる田中にとっては他人事ではないのだった.
というのか,自分に酔っているのか?
完全にウィンディエルの父になった気分である.結婚式で花嫁に父への手紙を読まれた時のように号泣していた.
「あー,チクショ―,ロキから目を離したのが失敗だったアル!」
リューリューは悔し泣きしている.
「……」
クルセイデルは未だに眼の前で起こっていることが受け入れられない,と言うように呆然としていた.
***
「どうも今日は! アドナイオス商会です! おや,これはお取り込み中だったかな?」
ようやくウィンディエルが泣きやみ始めた頃,快活な男の声がかかった.
ウィンディエルは慌てて涙をぬぐい,振り返った.
「あ,これは……シングラエル様,いつもお世話になっております」
「こちらこそ.ウィンディエルさん.おや,勇者ロキも.いつも貴重な魔石をありがとうございます.」
やって来たのは髭を生やしたプラチナブロンドのエルフだった.
金糸の刺繍がついた軍隊の礼服の様な黒い服を着ている.グルジアの民族衣装の様に胸に弾帯飾りがついていた.
一目でそれ相応の地位に就いていることが分かる.顔も威厳に満ちていた.
問題は,シングラエルの後ろに隠れるようについて来ているエルフである.こちらは耳が長い以外はまるでエルフではないかのようにボロボロの恰好をしていた.
「あ……あなた,シンゴル様?」
殴られてパンパンに腫れた顔だが,やや飛び出た前歯は間違う事なきシンゴルであった.
おや,読者諸兄お忘れかな?この章の最初の方でウィンディエルに岡惚れしていたエルフである.興味があったら読み直ししてみてくれたまえ.
「あの,ウィンディエルさん,誠に申し訳ないのだが……うちの息子が,お宅に家宝の首飾りを持って来ていないだろうか? ブリーシンガメンという……あれは,その,人に贈ったりできるものではないんだ……」
シングラエルは言いにくそうに説明した.時々バカ息子――シンゴルの方を睨んでいる.シンゴルはきまり悪そうにウィンディエルを上目遣いで見た.
「ええ,少々お待ち下さい!」
ウィンディエルは走って店の中に戻ると,すぐに戻ってきた.手に宝石箱を持っている.
「おお,これだ」
シングラエルはすぐに蓋を開けて確かめる.中にはまばゆい光を放つ地上の星――ネックレスが納められていた.
「何だか前より光が増したようだが……」
「ええ,シンゴル様が私に手入れをするようにと,お預けになったんです.ちょうど質の良いタカラソウが手に入ったので,抽出液で磨いておきました」
「そ……そうか……ありがとう」
シングラエルは事情を全て悟ったというように,頷き,シンゴルを睨んだ.シンゴルがうなだれる.
「いや,ウィンディエルさんは本当に素晴らしい女性だな.全く……」
その後,うちのバカ息子の嫁になってくれたら……と続けたかったシングラエルだったが,息子と違って分別のある大人だったのでその言葉を飲み込んだ.
ふと,ウィンディエルの左の薬指に光る指輪に目を止めた.
「おお? おや? これは,もしかして?」
シングラエルはロキとウィンディエルの顔を見比べた.
「ええ,そうです.私達,婚約したんです」
「おお! それはおめでたい! 我が商会からもお祝いの品を送らねば!」
エルフと人間の,種族違いの恋は決して祝福されるものではない.
しかし,ナイスミドルであるシングラエルは髭を撫でて頷いた.
ロキはいつもクエストで貴重な魔石や魔獣の素材,アイテムを手に入れては売ってくれる大得意,そしてウィンディエルも大事な取引先である.
二人とも良く知っている上に,商売人で理性的な大人となれば,反対する理由はないのだった.
問題はその横に立っているバカ息子,いやシンゴルだった.
魔獣もかくやと言わんばかりに大口を開け,突如自分を襲った巨大なショックに耐えている.
「お,おお……」
「いつもありがとうございます.シンゴル様.これからも宜しくお願い致します」
営業スマイルとロキにプロポーズされたばかりの喜びが入り混じり,満面の笑みをシンゴルに贈るウィンディエルである.当然こんなウィンディエルの美しい表情,輝かんばかりのスマイルを見るのは初めてのシンゴルであった.
「い……」
「い?」
シンゴルは突然後ろ向きになって走りだした.
「いい夢見させてもらったぜ! ありがとよ! あばよ!」
シュタッと右手を挙げて一度だけ振り返り,シンゴルは森の向こうへと走り去って行くのであった.本当は半ベソなのだが,一応男の矜持である.
「い,一体何を考えているんだ,あいつは……? 失礼しました,ウィンディエルさん.それでは御挨拶はまた改めて.首飾りの件もありがとうございました.料金は……」
「サービスにしておきます.今後もうちの店を御贔屓に」
ウィンディエルは美しい笑みを浮かべ,シングラエルに会釈した.
シングラエルは首を振り振り,宝石箱を小脇に抱えて息子の走り去った方に歩いて行った.
***
「それじゃ,みんな.遅くなったから今晩はうちに泊まっていって」
ウィンディエルはロキと腕を組んで言った.
もう片時も離れたくないという気持ちが伝わってくる.
「あー,いや,私突然用事を思い出したアル.老師から稽古の続きを命じられてたアルよ」
リューリューは慌てて手を振って辞退した.
こんなラブラブを見せつけられては目の毒というものであろう.
「えーと,私も魔法院の講義を放ったらかしにしたままだったわ」
クルセイデルは帽子を眼深に被り直して言った.
「ケーイチは?」
「ケーイチ,一緒にご飯食べようよ!」
「食べよう!」
シルフィアとノルマルも声をそろえて言った.
だが,ウィンディエルを見ていた田中は,無性に娘に会いたくなっていた.
「いや,私も御遠慮します.またの機会に.おっとそうだ」
田中は風呂敷を解いて,ウイスキーを取り出した.
まだ三分の二ほど残っている.
天下の高級品,竹鶴二十五年である.
どうせ家に持って帰っても,妻に取り上げられるに決まっていた.隠していてもどういうわけかすぐに発見される.
ならば……
「ロキさん,これを差し上げましょう.お祝いです」
「え,貴重な物じゃないんですか? でも,本当にいいんですか?」
ロキは田中に近づいて受け取った.田中はゴニョゴニョとウイスキーの解説をする.ロキは頷いた.
「なるほど……そういう
「ふっふっふ,伊達に長生きしてませんよ.失恋レストランのマスター,恋愛相談室ですよ」
「??」
何だかよく分からないので,ロキは苦笑を浮かべて田中から琥珀色の液体が入った瓶を受け取った.
エルフの三人姉妹とロキは手を振って店の中に入っていった.
リューリューとクルセイデル,田中は背を向けて歩きだす.
「アーン,もう泣きたいアルよ.帰ったら虎を五匹くらい屠らないと気がすまないね.そうじゃなきゃ湯麺を十杯くらいやけ食いするアル!」
泣くという割には,通りがかりの駄賃に次々と樹齢数十年の貴重な古木を粉砕し,焚き木にしている自然破壊娘リューリューであった.
「うう……ロキ.幸せになってね.ずっと祈ってるから……いつでも僕のところに帰って来て良いから……」
木陰からジルベールが帰って来た.ずっとロキとウィンディエルを見ていたらしい.さめざめと泣いている.
「……」
クルセイデルは黙っていた.帽子を深くかぶって顔を見せない.
「おや,チビッ子魔女君,泣いているのかね?」
大人げなく田中は冷やかした.
「……黙りなさいよ……」
「男女の仲とは,時の運.そんな悲しい思いをすることもあるさ.そして君はまた一つ大人の階段を上るのだよ」
「黙りなさい」
「恋,それは試練.その試練をくぐりぬけてこそ,人は優しくなれるというものでしょう」
「黙れ,黙れって言ってるの! 田中恵一! 課長補佐代理め!」
クルセイデルは泣くのではなく,怒っていた.
「だいたい,何が『幸せにおなり』よ.この自己陶酔男め! あんたが余計なことをロキに吹き込まなければこんなことにならなかったのに!」
「あー,もう,こうなったらもっといい男を捕まえてやる! ぐおおお!」
「そういう態度が良くない.飢えている感ですな.だからダナシン,シンちゃんとかにばかり好かれるのでは.そもそも内面を磨くということから始めて,そのブリッコをやめ……」
「えーい,もう,うるさい!」
田中に至極真っ当なことを言われたクルセイデルは杖を振った.
まさに,会心の一撃.
巨大な竜をも倒すという至高の雷撃は,田中に直撃したのである.
「ふんぎゃー!……」
***
気づくと田中は虹色の雲に囲まれた空間を漂っていた.
温泉に浸かっているように何とも暖かく,寒くもなく心地よい限りである.
「はて……まさか,ここは極楽浄土?」
田中は平泳ぎのフォームで空間を移動してみようとしたが,雲の流れに逆らうことはできず漂うのみであった.平泳ぎでは破れたズボンからパンツが見えて非常に格好悪い.
……田中さん
……田中さん
「はっ! どちらさまでしょう?」
田中は辺りを見回した.
見ると,雲の上に黒い猫が座っていた.目の色が両目で違う.右が青,左が緑である.
「あっ! いつぞやの猫だ! おお,喋る猫! やはり極楽浄土だったか.南無阿弥陀仏,南無阿弥陀仏」
漱石の小説ならこれで終わってしまいそうな台詞である.が,猫の姿はゆらりと陽炎のように揺らいで人型に変わった.
「おおっ!?」
現れたのは白い服を着た金髪のナイスミドルである.オールバックにした金髪の間から長い耳が覗く.エルフであった.
……私はフィルナル.ウィンディエルの父です.
「おお,やはり極楽浄土! 南無妙法蓮華経,おん あぼきゃ べいろしゃのうまかぼだらまに はんどまじんばら はらばりたやうん」
何故か浄土宗・日蓮宗・真言宗が合体した祈りをささげる田中であった.
エルフ父というと,ウルトラの父のようだが,霊体となったフィルナルは苦笑を浮かべる.
……えー,あなたは,まだ死んでいませんよ.
「はっ? いや,これは失礼しました.名刺を……」
何故か習性で名刺を差し出そうとする田中であった.
……色々とありがとうございました.あなたならあの子達を助けてくれると思っていました.
「おお,そういうことでしたか.無念でこの世を去った心残りを晴らさんと,化け猫になって私を異世界に飛ばしたのですな?」
……いや,化け猫ではありませんが……
もうちょっと何か言い方があるかもしれないが,純和風オヤジ田中のボキャブラリーではこの程度なのである.これではまるで怨霊となって化け猫になった,佐賀鍋島藩の化け猫騒動の様だ.哀れエルフ父フィルナル.
「いや,お互い人の子の親同士.気持ちは分かるというものですよ.はっはっは,今度どうですか? 一杯? パーッと,綺麗どころのいる店にでも行って」
……
田中のせいで調子を狂わされるエルフ父であった.
……私がこの姿でいられるのも,そう長くはありません.その前に,貴方に是非お礼をしたいのですが……
「おおっ! そんな,お気遣いなく」
……いや,是非,何でも私のできる限りで……
「まーまーまー,気にすんなっ! て奴ですよ!」
……いや,是非……
人選を少し誤ったと後悔するフィルナルである.さっきもうこの姿では長くいられないと言ったばかりなのに,本気か本気でないのかよく分からない遠慮のせいで話が進まない.
だんだんあからさまに焦れてきたフィルナルであった.
……いや,だから早くしろって.何か希望を言えってば!
「え? 本当に? ……いいんですか?」
田中は少し考え込んだ.
「おお,じゃあ住宅ローンを減免してください.即時一括払いで肩代わりでも結構です」
……いや,ちょっとそういうのは……
「えーっ! だって,さっき何でもいいって言ったじゃないですか」
……えー,私にもできることとできないことが……
「ちょっと誰かに相談したいですねえ.家に電話かけるとか,オーディエンスとか使えないんですか?」
……時間がない.ファイナルアンサー.
「え,もう? いや,えーと,えーと」
……それではお時間です.田中恵一さん,さようなら!
「あー,ちょっと待って,それなら,娘と仲良くなりたい……」
田中の視界に映る景色がぐるぐると回った.
***
「はっ!」
気づくと田中は立ち飲み屋のカウンターに立っていた.
目の前には氷だけになった焼酎のグラスが置いてある.
「えーと?」
振り返ると橘川と奈緒が肩を組んで乾杯していた.どうやら橘川は奈緒に励まされ,元気を取り戻しているようだ.
「ふっ……認めたくないものだな.自分自身の若さゆえの過ちというものを.フッフッフ.オヤジさん,宝山の綾紫印をロックで下さい」
全く意味が分からない,赤い彗星な台詞を呟く田中.
店長から焼酎のグラスを受け取り,格好良くあおるのであった.
「あーっ! オッサン,どこに行ってたのよ!」
奈緒が田中を指差し,叫ぶ.
「フッ……ちょっと異世界まで」
「馬鹿じゃない!」
***
「ロキ,これは何のお酒?」
「ケーイチさんのお祝いの品だよ」
ロキはウィンディエルと一緒に,
ノルマルとシルフィアはもう自室に行って休んでいる.
窓の外からは夜闇を明るく照らす月の光が射し込んでいた.
遠くでフクロウの鳴く声がする.
静かな夜であった.
ロキはショットグラスに,琥珀色の酒を注ぐ.
二つのグラスにランプの軟らかい光が揺れた.
「素敵な色ね.……香りも.森と大地の臭いがする……」
「君も少しなら飲めるだろう?」
「ええ,ありがとう」
二人は小さな音を立てて乾杯した.
ウィンディエルはそっと美しい唇をグラスに寄せる.
「まあ……これは……深い味わいなのに,軟らかい感じがする……」
ウィンディエルは少し頬を染め,隣に座る婚約者の肩にもたれかかった.
ロキは自分もグラスの酒を口に運び,囁くように語り始めた.
「この酒にまつわる,絆の物語があるんだそうだ……」
「絆?」
「遠い遠い異世界の,北の国の物語……お酒造りに情熱を傾けた,夫婦の愛の物語……」
ウィンディエルはそっと目を閉じ,愛する人の声に耳を傾けるのだった.
異世界サラリーマン田中 目覚めたらそこはエルフ三姉妹の営む店の中だった! くりはら檸檬・蜂須賀こぐま @HH8
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