第12話 変身したら山椒魚だった件

 魔術師のワンド

 数々の異世界もの,魔法もののネタにもなっているように,魔法使いの力の源ともいう物である.物によってははるばる世界中を訪れてその材料を集めなければいけないものもある.

 それを田中は,折った.

 ポッキーの様に,プリッツの様に,トッポの様に,ジャガポックルの様に折ってしまったのである.


 「ああーっ!!」

 「忘れなさい,忘れなさい.さあ,この胸で泣くんだ.悪い思い出は魔法とやらとともに忘れ去るがいい」


 ダナシンの胸中も知らず田中節全開であった.

 あわわ,と取り乱すダナシン.


 ホンゲー!


 鍾乳洞に巨大な声が響いた.

 にわかに慌て始めたダナシンは,田中を放り出して地底湖の方に身を乗り出した.

 「まずい!」

 おっとり刀で田中もダナシンの背中越しに地底湖を除く.

 そこには,暴れ狂うオオサンショウウオがいた.


 「ど,どうしたんですか!?」

 「コントロール不能だ!」

 

 オオサンショウウオは鍾乳石を叩き割り,地底湖を飛び出した.

 すっかり帰りかけていた勇者たち一行に襲いかかる.ダナシンのコントロールを受けていた時よりも狂暴であった.

 長年ダナシンに受けていた脳波コントロールの恨みもあるのかもしれない.

 ロキとクルセイデル,リューリューが必死の防戦を始めた.


 「急げ! リアム! 子供たちを連れて走るんだ!」

 「はいっ!」

 慌てて走るハーフリングたち.

 

 「いかん,こいつ地上に出る気だ.こんな化け物,外に出たら大惨事だぞ!」

 「何とかここで食い止めるアル!」

 「でも,もう,魔力が……」

 クルセイデルはかなり消耗していた.

 ロキとても,こうなると容易な相手でない.

 オオサンショウウオは壁に登り,鍾乳石を叩き壊した.

 尖った巨大な岩の塊が頭上から降り注ぐ.

 同時に巨体をロキに浴びせかけてきた.

 太い鰭のついた尾を振る.

 ロキは剣で払いのけたが,ジルベールが吹っ飛ばされた.

 「あうっ!」

 「ジルベール!」

 「僕は……ロキと一緒ならここで死んでも……本望だよ……」

 顔の周りに無数の花を浮かばせながら,がっくりと気を失うジルベールだった.もちろん死んでなどいない.

 だが,このままでは踏みつぶされてしまう.

 リューリューが慌てて隅に引っ張って行こうとしたが,その隙を見逃す野生の本能ではなかった.

 「あうっ!」

 怪力拳法娘は同じく尾ひれの一撃で吹き飛ばされた.


 「い,いかん! あそこまでやるつもりはなかったのだ!」


 暴走するマ・スージに一番慌てていたのはダナシンであった.

 

 「何か,止める方法はないんですか?」

 「お,お前がそれをへし折ったんじゃないか!」


 ダナシンは田中の胸倉をつかんで怒鳴ったが,すでに何ともならない.

 オオサンショウウオは後ろ足で立ち上がり,鎌首をもたげてロキとクルセイデルを狙っていた.

 だが,ロキには火傷させられた記憶が残っているのか,目はクルセイデルを狙っていた.明らかに消耗している小柄な相手.弱い獲物から狙うのは野生の掟,狩りの定石である.

 

 「あ! 魔女っ娘が危ない!」

 「ああっ! クルセイデル! うわあ! 食べられるところなんて,俺は見たくない!」

 ダナシンは自分の眼を覆った.

 「シンちゃん! 目を背けている場合ではありませんぞ! 今,このピンチこそ,まさに最大のチャンスの時! 彼女の心をゲットするのです!」

 「何っ!?」

 「自分の方を決して振り向いてくれない相手.それでも尚,その女性のために命をかける男の健気さ.今こそ,最大のアピールポイントではありませんか!」 そう言いながら田中はストレートでなみなみと注いだウイスキーのグラスを差し出した.

 「竹鶴に勇気をもらう時がやって来ました!」

 「おおっ! 男女の絆の酒! かたじけない!」


 田中節に酔ってしまったダナシンは,ウイスキーを一気飲みした.

 

 「プハーッ! よっしゃーっ!」


 ダナシンは勇躍,地底湖に飛び込んだ.

 まとわりつく魔法のローブも何のその,見事な抜き手を切って泳ぐダナシン. 妙に綺麗なクロールで,素早く地底湖を縦断した.


 ゴエエエ!


 吼えるオオサンショウウオは,まずロキめがけて首を振った.

 躱すロキ.しかし,これはフェイントであった.

 そのままスムースなフォームで体の位置を変換させ,中型トラックと見まがう体を翻してクルセイデルに突進した.

 光る二つの大きな目は,まさにヘッドライトである.


 「危ない! クルセイデル!」


 ロキが叫んだが,咄嗟の動きにクルセイデルは身をすくませた.

 呪文を詠唱する暇などない.

 迫るトラック,いやマ・スージ.


 クルセイデルの前に,身を躍らせたのはダナシンだった.


 「僕は死にまっしぇーん!」


 叫びながら両手を大きく広げ,自らの体でマ・スージの突進を止めようとするダナシン.


 「ダナシン! 死ぬ気?」

 「僕は死にまっしぇーん!」


 迫るオオサンショウウオ.

 ダナシンはクルセイデルの方を振り返り,泣きながら叫んだ.


 「あなたが,好きだから! 僕は死にまっしぇーん!」

 「ダナシン……」


 オオサンショウウオが動きを止めた.

 やはり,かつての飼い主.長年の恩を思い出したのだろうか?


 鍾乳洞の時が止まる.

 調子よく,ジルベールが起きていた.

 「な……何て感動的な奇跡! これが真実の愛の力? これは……僕の霞んだ目にも見える……暖かい友愛の情が伝わってくる……その物,黒き衣をまとい,金色の野に降りたつべし……伝説は本当だった?」

 ジルベールはそう言い放つと,またがっくりと気を失った.


 「僕は死にまっしぇーん! 僕が幸せにしますから!」


 それは,男ダナシン一世一代,血を吐くような愛の告白であった.


 「僕は……」


 パクン.


 無情にも,そんなダナシンをオオサンショウウオは一口で飲み込んだ.

 ゴクリ,と喉が鳴る.

 自分を散々操ってきたダナシンを食べて満足したのか,オオサンショウウオは

 仰向けになってゲップを一つしたのだった.


 「はー,怖かった」

 「大丈夫か? クルセイデル」

 駆け寄るロキに,クルセイデルは飛び付いた.

 「すごく怖かった! 化け物も,ダナシンも!」

 「無事で良かった」


 「ああ,可愛そうに.シンちゃん,食べられちゃったんですな」

 田中が対岸にやって来た.地底湖の縁沿いに歩いてきたのだ.

 「ケーイチさん! 無事でしたか!」

 「ええ,まあ何とか.うーむ,哀れ.シンちゃん.これが世の中.努力が必ずしも報われるとは限らんのです」

 腹を出してゲップしているオオサンショウウオを見ながら田中は言った.

 自分の責任などどこへやら,まさに無責任一代男である.

  

 その時,オオサンショウウオの体が光った.

 「おおっ!?」

 「何?」

 オオサンショウウオの巨大な体が光る.

 両生類だからおかしいのだが,バリバリと背中が脱皮の様に剥けた.

 中から現れたのは,白い小さなオオサンショウウオだった.

 子犬くらいである.

 白いオオサンショウウオは,ヨチヨチと歩いて三人の足元にやって来た.


 「むむ?」

 クルセイデルがロキに抱きつきながら唸った.

 「どうしたんだ?」

 「これ,ダナシンだわ」

 「ええーっ! シンちゃん,こんな姿に?」

 「自分の魔法が逆流したのね.体内にため込んだ闇魔法が逆方向に働いたんだわ」

 「むう……悪事の果てとは言え,哀れだな」

 

 白いオオサンショウウオは,上目づかいに三人を見た.

 ロキの言う通り,少し哀れではある.

 ダナシンは何か言いたそうにじっとクルセイデルの顔を見ていた.

  口をパクパクと動かしている.


 「何か言いたいようだな……お別れだろうか」

 

  だが,ダナシンは地底湖に去るでもなく顔――というか,クルセイデルの口を見つめ続けているのだった.


 「あっ! これはもしかして!?」

 「何でしょう,ケーイチさん?」

 「真実のキスという奴では? トゥルー・ラブ・キス! 蛙の王子とかの童話で,愛する人の接吻で元に戻るというやつですよ!」」

 「ほう……異世界には,そんな魔法があるのですね.……ということは,クルセイデルだけが彼を救えるということに?」

 

 ロキは感心しながらクルセイデルの顔を見た.

 田中はサンショウウオを抱きかかえ,クルセイデルの顔の高さに持って行った.

 サンショウウオがムチューと口を伸ばす.

 クルセイデルの顔が真っ赤になった……怒りで.


 「だっ! 誰がこんなのに私の大事な唇を奪われなきゃいけないのよ! やなこった! 死んでもイヤ!」


 クルセイデルは田中の腕からオオサンショウウオを奪い取り,田中の顔に押し付けた.哀れダナシン,ダナシンの(オオサンショウウオだが)ファーストキスは田中に奪われてしまったのである.

 

 「うひゃっ!」

 

 ぬるりとした感触に,思わず田中はオオサンショウウオを放り投げた.

 ダナシンはバレーボールのトスの様に空中を飛び,そのまま地底湖にボチャリと落ちた.


 「……まったく,やってらんないわ!」


 踵を返し立ち去るクルセイデル.

 オオサンショウウオはスイーッと湖を泳いでいった.


 「まあ……いつかメスに出会えるかもしれないし,もう悪事もできないだろう.これでいいか」

 ロキが去りゆくダナシンを見送る.

 「古池や魔道士飛び込む水の音……うむ,これが‘もののあわれ’,ああ無情,侘び寂びというやつですなぁ……」


 一句も何も,松尾芭蕉のパクリである.ひねりも何もない.

 何故かしみじみしている田中であった.


 「ロキ! 早く行こう! 帰るアル!」

 「ロキ! 早く!」

 「勇者様!」

 湖の果てを見つめているロキに,メンバーとリアム,子供達の声がかかる.

 リアム達は様子を見に戻ってきたのであった.

 だが,ロキの表情は険しかった.

 それに気づいた田中――こういうところはマメな男である.

 「どうかしましたか? ロキさん.あのオオサンショウウオが心配なんですか? 復活するとか?」

 「いえ……それよりも,ケーイチさんがいなくなった後……」


 黒騎士とケロナックが剣を引き,姿を消したのだという.

 黒騎士の剣は鋭く,特に劣勢であったというわけでもなかったらしい.


 「彼らは,あまりに危険な存在です.この洞窟のどこかで,もしかして恐ろしい企みを抱いているのだと思うと……」

 「気にし過ぎでしょう」

 田中は根拠のない自信に満ちた口調で言った.

 「はあ……」

 「それよりも,あなたはウィンディエルさんをどうするか,早く考えた方がいいですな」

 「うわっ!」

 ロキは意表を突かれて真っ赤になった.

 「……そ,それは……今回,いろいろ考えさせられました……」

 「ダーハハ! 青春の悩みですな! さあ,この恋愛マスターに何でも訊きなさい」

 田中はそんなロキの背中をバシバシと叩いた.まだ酒が残っているのである.

 二人は列の最後尾で鍾乳洞の出口へと向かって行った.


 ***


 さて,その頃.

 鍾乳洞の出口――といっても,モードレットの屋敷でない方――の近くで,渓流に糸を垂らして釣りをしている男がいた.

 緑の服に白いタイツ,ケロナックである.


 「おお! 釣れた! 釣れた! 飯が釣れましたぞ! 黒騎士卿!」

 

 ケロナックは慌てて釣り竿を引き上げた.


 「うわ,何だこりゃ? 魚じゃないぞ?」


 吊りあげたのは,白いオオサンショウウオであった.釣り針をバックリとくわえ込んで,短い手足をジタバタしている.


 「うーむ,これは食えるんだろうか? キャッチ・アンド・リリースの方がよいのだろうか」


 なかなか環境に優しい男であるが,外来種は屠るべきである.

 ケロナックがサンショウウオの眼を見ると,サンショウウオもケロナックを見つめ返した.

 気持ち悪くなったケロナックがリリースしようとしたとき,後ろから声がかかった.


 「待て.ケロナック」

 黒づくめの甲冑に黒い仮面,黒騎士である.鍾乳洞の中はともかく,熱中症は大丈夫なのだろうか,と少し心配してしまう恰好であった.

 「その生き物に,暗黒面ダークサイド力場フォースを感じる」


 「何と?」


 ケロナックは恭しく変わり果てたダナシンを黒騎士に差し出した.


 「ふむ……これは,思わぬ収穫物かもしれん.こやつ,俺たちが捜していたダナシンだな.魔法が暴走したのだ」

 「ということは?」

 「これは持って帰ろう.我々の計画の良い材料になる.フフ,紅蓮の勇者ロキめ.彼奴の知らぬところで,暗黒の企みが進んでいるとは,まさか思うまい.フハハハハハハハハ!」

 森の中に黒騎士の邪悪な高笑いが響いた.


 ぐう.


 「あっ! 黒騎士様,今腹が鳴りましたよね」

 「知らん.多分この生き物の声だろう」

 「えーっ?」


 黒騎士はケロナックに右手をかざした.

 見えない手がケロナックの首を絞めるのである. 


 「うぐぐ……お許しください……何と恐ろしい方……」

 「フフ,恐れは暗黒面への道だ……」

 黒騎士はそう言うと,右手を振り下ろした.

 ケロナックは足元に崩れ落ち,ゲホゲホと咳をした.

 「くだらん,行くぞ!

 黒騎士はマントを翻して歩き出した.

 「ゲホゲホ,ああーっ,待ってくださいよ!」

 ケロナックはダナシンを魚籠に入れ,慌てて追いかけた.


 こいつら,マジで悪…… 

 魚籠の中,山椒魚となったダナシンは震え上がるのだった.

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