神坂一『日帰りクエスト』を読む(3)

 もう少しだけ、技術の話をしておこう。本作の文体、「一人称を織り交ぜた三人称」にもきちんと理由があるからだ。どこまで意図的かは作者のみぞ知る話だが、一人称だけで語りづらい内容なのは説明可能だ。


 まず、一人称の利点とは何だろう。たとえば同著者の『スレイヤーズ!』は、客観的に見ると極めて陰惨である。冒頭の展開からして、主役が私利私欲で犯罪者を殺害し金品を強奪、悪びれる様子も一切ない……と、こうして行動だけを書いてみれば本来、愛されるキャラクターとは言い難い。


 そんな本来の陰惨さを上手く中和しているのが一人称、リナ・インバースによる語りだ。客観的にはともかく、内心の筋道、つまり主観的に描けば共感の余地は出し得る。


 そして一人称の短所もまた、その長所と背中合わせだ。たとえば「双方に理がある」話となると、一人称だけではむずかしくなる。個性的な、一方の陣営に属する人物の視点となればなおのこと。


 主観は必要以上に視点を歪め得る上、度が過ぎると単なる勧善懲悪となる。非常に困ったことに、キャラクターを立たせるのが上手ければ上手いほど、一人称だけで語れないことも増えて行くのである。それを避けたいなら、少なくともある程度は視点を変える必要がある。単独人物の一人称では、語りづらい話もあるのだ。


 仮定の話をしてみよう。仮に誰かの一人称固定で語られていたら、『日帰りクエスト』はどうなっていたか。恐らくはずいぶんと違った作品になっていたのではないか。主役・エリがいないシーンの描写は、奇しくもそれを裏付けている。


    ランプの芯が、小さな音を立てた。

   「……私は……」

    ぽつり、とレックスはつぶやいた。

   「……私は……」

    しかし、そこからさきのことばが、どうしても出てこない。

    いつもこうだ。

    レックスは、ファインネルの城が竜人ギオラムたちにとされた、その日のことを思い出していた。

    うずまく人々の悲鳴と怒号、あちこちで炎の手が挙がる。(中略)

    そのあとを、レックスは知らない。

    あの時、自分はただ、おろおろしているだけだった。

    むろん、いくら彼ひとりが活躍しようと、事態が変わったわけではないだろう。しかし彼が自己嫌悪に陥っているのは、何もできなかったからではなく、何もしようとしなかったから、である。

      『日帰りクエスト』1巻p71-72


 できれば、前回引用したエリの視点と比べてみて欲しい。この作品には竜人ギオラムたちのそれも含め、複数の視点が必要と分かるはずだ。


   ・


 コメディをメインにしつつ、同時にその裏側をも描くために。『スレイヤーズ!』とは逆に本作『日帰りクエスト』は、一人称を混じえた三人称である必要があったのではないだろうか。


 今、当時から20年以上を経て読み返してみて。

 その効果は十分、発揮されているように思う。


    ((4)に続く)

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90年代ライトノベル不完全ガイド 祭谷 一斗 @maturiyaitto

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