#13 こんなの嘘じゃないですか


 医者が言うには、奇跡というたった二文字に表すことしか出来ないらしい。

 大型ではないにしろ、トラックに跳ねられ、気を失ったものの、外傷はほとんどなく、擦り傷程度。気を失ったので、精密検査もしたが、結果は異常なし。次の日にはあっさりと退院出来た。もちろん、通院はするが。

 正直、親への対応は面倒だったが、そこは神職が話しをしてくれたらしい。

 我が家の両親は息子が言うのも何だが、絵に描いたような普通の親で、一観祢神社の神職というだけで圧倒されてしまったのだろう。

 そんなわけで、神職との隔たりも無くなり、僕は今、一観祢家客室で麦茶をすすっている。


「すまないね」

 冷えたグラスをテーブルに置きながら、何度聞いたかわからない謝罪の言葉を僕に向ける。

「いえ、もういいんですよ。それに僕も神社の前で事故なんて起こしてしまって……」

 本来、一観祢神社鳥居前は事故が起こるような場所ではない。人が十分に歩ける歩道もあり、ガードレールも備え付けられている――にも関わらず、僕は道の真ん中で自業自得に轢かれた。

 そんな安全な場所で事故を起こしてしまったのだから、神社自体のイメージを落としかねない。

「確かに。現場を見たときは騒然としたね」

「すみません……それより、娘さんのことを聞かせてください。なぜ助けを求めたのか、なぜ助かったのか」

 僕が目を覚ましたのは、当日の夜だった。気を失っていた時間も二時間ほどだ。その短い時間に何があったのか。

「それに関しては、私にも非がある。直接ではないが、あの子を止められなかったという意味でね」

 神職は苦悩の表情で語り始めた。


 あの子が巫女を辞めたのは、あの日の昼のことだ。私が君を叩いた日。覚えているよね? あの日、君がいなくなった後、はっきりと言われたよ。『巫女を辞める』って。それがどういう意味なのか。もちろん、巫女は、異性関係が絶対に禁止というわけではない。それでも、あの子のプライド、決意がそういうことなんだろうと理解を示した。元よりあの子が好きでやっていたことだからね。

 でも、あの子は少しずつ暗くなっていった。元から明るい子とは言い難(がた)いけど、見るからに辛そうな表情に変わっていった。

 そんなあの子に私は声をかけることが出来なかった。これが私の非だ。

 そして、あの日、神社に宮野というやつが迎えに来た。

 そうそう、先にその宮野という男の話をしておこう。

 宮野慶吾(けいご)。娘を庇って息を引き取ったと聞いていたが、正直、真相がわからなくてね。あの事故の後、私も謝罪をしようと思ったが、彼の家族は誰にも言わず何処かへ引っ越したらしい。当然、葬儀も行われていなかった。誰も何も知らずにいなくなったわけだから、噂が先行する。それでも、私たちは責任を負わなければならない。公共機関に家族の居場所を説いたが、困ったことに彼の両親はそういった事務処理もしていなかった。当時は精神的ショックでそういうことに手も回らないのだと思ったが、今となってはただ呆れるね。何しろ、あの時は彼が生きているという確信を持てる証拠が一つもなかった。だから、私も娘も、周囲の人間も、彼は死んだと思ってしまった。

 彼がどうやって娘とコンタクトを取ったのかはわからない。それでも、私は彼が生きていることに安心してしまってね。君を殴ってしまったのはそういった理由があったからだ。

 私は、あの子の自主性に任せていたからね。もう一度付き合うということに異論は無かった。もちろん、私が何を言おうと聞かないだろうがね。

だから、私は、何も言わずに二人の背を見送ったよ。過ぎたことだが、悔やまれる。

 そして、君が来た。正直、驚いたよ。もう二度と会うことは無いと思っていたからね。

 あの時の私は大人気なかった。君の話を真剣に聞いてやることが出来なかった。改めて謝罪しよう。

 君がトラックに轢かれた後、私も娘に連絡を取ろうとしたけど、電話には出ないし、メールの返事も来ない。

 そんな状態になって、君の言葉に信憑性を持つようになってね。

 バイトの巫女とかあの子の手帳を勝手に拝借して、娘の行方を捜した。

 それでも何の手がかりもなくてね。いても経ってもいられず、私は警察に駆け込んだよ。

 娘はもう二十歳だ。そのまま話しても捜索願いは受理されないと思ったから嘘までついたよ。ちょっと強引だったけどね。こういう時、家の知名度が高いと誘拐の可能性も否定できなくなるからね。おっと、それはいいか。

 そして、宮野という男の部屋で軟禁されている娘が保護された。脅されていたらしい。結果として、捜索願は間違っていなかった。やつは昔の事故を利用して、娘を自分のものにしようとしていたらしい。

 あの子も責任感が強いからね。あの事故のことをぶり返されると何も言えなかったのだろう。好きだからと言ったのも責任を感じ、君と距離を置くためだったのかも知れない。それに、思い出は美化されるからね。

 裏切られた思いだっただろうね。あの子は震えた手で、必死に携帯電話を取り出し、他の誰でもなく、君に連絡したと推測される。多分、リダイヤルだったんじゃないかな。電話帳から君を選んだとは考えにくい。通話ボタンを押して、すぐに切ってもリダイヤルには表示されるからね。

あんなことになる前に、何度も君に助けを求めようとしたが、それが出来なかった。

 話がそれてしまったね。

 保護された娘は衰弱していたが、私が君のことを話すと、すぐに駆け出して行ったよ。よほど心配だったんだろうね。こんなことを言うのも何だが、自分もひどい目にあっていたのに、君のことを思える優しい子で私は嬉しかったよ。

 その後、私は君の両親、警察への説明、検査結果の報告をトラックの運転手に、と結構忙しかったよ。

 その後の娘の動向は、

「君が知る通りだ」

 検査結果が出ているとはいえ、いつ目覚めるかわからない、もしかしたらもう目覚めないかもしれないという恐怖と戦いながら、僕の手を握ってくれていたわけか。

 僕は無言で神職の話を聞いた。衝撃だった。

 一観祢がそんな目に会っているにも関わらず、僕は何をしていた……? 悔やまれる。

「大丈夫なんですか?」

 そんなことがあって、一観祢は……。

「心に負ったダメージは大きいだろう。でも、それ以上に得たものが大きかったのかもね。あの子なりのジンクスも吹っ切れたみたいだし、何より、また巫女として働くと言ってくれたことが、あの子にとっても君にとっても大きなことなんじゃないかな」

 一観祢は今、神社のほうに出ていて、ここにはいない。前と変わらず、またあの装束を着て、鏡内の清掃に勤しんでいるころだろう。

「ええ、確かに」

 始めに戻ったとは言えないが、また一から始められる。

「不安要素があると言えば、一つだね」

「なんですか?」

「宮野慶吾だ。彼はその日のうちに釈放されている。娘に被害を与えたわけではないし、誘拐したわけでもない。事件にはなっていない。それに困ったことがあってね」

 神職はテーブルの下から二枚の紙を取り出し、僕に渡した。

 その紙には、『縁結びで有名な一観祢神社の真相』と大々的に書かれていた。

「――今朝、うちに届いた。マスコミに配るってさ」

そこには、一観祢神社の評判を下げるための嘘がびっしりと書かれていた。

「……こんなの嘘じゃないですか」

「困ったことに世間に信じられそうなのもあるんだよ」

 そう言われ、もう一度、紙を見る。

『一人娘の一観祢鈴が呼んだ悲劇、六年前、彼女のせいで一人の男性が死亡。それを隠蔽した神職』

 こんなのやっぱり……

「嘘、じゃないですか……」

「でも、世間的、いや、地域的には宮野慶吾は死んだことになっている。それに真相がまったくわからないんだ。その理由が隠蔽なんて言われたら信じるしかないだろう? それに二枚目の最初も困る」

 言われた通り、二枚目の紙を上から見ると、『ご利益の無い縁結びおみくじ』と書かれていた。

「詳細を記載することで、意思を操作し、先入観を与える。これは心理学的に見ても、マインドコントロールの一種であり、とてもおみくじとは言えない操作である」

「まったく、感心するね。おみくじなんていうのはもっと気軽に考えてもらわないと困るのにさ。おみくじっていうのは目安に過ぎないんだよ。今、読んだのはよく胡散臭い占い師に言われることなんだけど、バーナム効果って知っている?」

「ええ、まあ」

 バーナム効果。誰にでも当てはまり、考え方によって捕らえ方が変わる効果。

例えば、あなたには人に言えない将来への悩みがありますね。みたいなこと。誰だって未来は不安であり、それに対しての悩みもある。それに、それを全て人に話している人なんてほぼいないだろう。

「それと同じって言いたいんだろう。現に間違ってはいない。結果から意思を強く持つ人が大半だからね。おみくじに、明日運命の人と出会うって書いてあったら、次の日会った人を意識してしまうだろう?」

「ええ、まあ」

「そういうことなんだよ。ただ、おみくじというのはうちで作っているわけではなくてね。業者に依頼して作ってもらっているんだよ。でもこれは相手にとっては関係ない。うちがそれを販売しているわけだからね」

 内容に不満があるなら、業者に言えばいいことだ。しかし、今更変えることは出来ないだろう。その内容こそが、この一観祢神社の売りだ。中途半端な結果しか出ないおみくじなら、すぐに過疎化するだろう。

「どうするんですか?」

「おみくじの件はどうしようもない。それは参拝する人たちの理解を信じるしかない。でも、最初のほう。娘の事件はどうにかなる」

「どうにかって?」

「よく考えてごらんよ。宮野は生きているんだ。それが証明出来るだけで、この記事は破綻(はたん)する。むしろ、宮野のほうに注目がいくだろうね。何せ死んだはずの人間がリークしたというあり得ない状況になるんだからさ」

 確かにそうなるのだが、わからないことが多すぎる。

 なぜ宮野は今更一観祢の前に姿を見せたのだろうか。

なぜ宮野は誰にも気がつかれずに姿を消せたのだろうか。役所に手続きをしていないというのもおかしな話だ。神職の行動を否定するわけではないが、生きている人間の消息が絶つなんて、それこそあり得ないことではないのだろうか。

こういったことは、僕なんかが考えたところで、その理由も方法も検討がつかない。

それに、それは宮野慶吾自身が行ったことではないだろう。

だとすれば、そうしなければならない理由が何かあったはずだ。宮野の両親は何を考えて息子を隠したのだろうか。

「宮野に関しては謎が多すぎますよ。それなら楽に偽造も出来るこの記事を面白おかしく編集するほうがマスコミにとってもおいしいんじゃないですか?」

 宮野がこの記事を本名で投稿するとは思えない。匿名で出された情報でも、それなりの裏が取れれば記事として成り立つ。

「だろうね。それに、私たちはどうすることも出来ないんだよ。何せ、これをマスコミに配るとしか書かれていないんだからね。止める術がない。お手上げなんだよ」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

瞳、音の色 東広 @azuma_hiro

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

フォローしてこの作品の続きを読もう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ