#12 僕みたいなダメなやつは選べる立場にいないよ
「遅れて来た僕が言うのも何だが、遅いな」
腕時計をちらりと見ると、午後六時十五分を回ったところだ。
約束の時間は六時なのだが、一向に姿を現さない。
「連絡してみてよ。こっちも言っておくから」
如月の言葉に頷いて、携帯電話を取り出す。
通話を押すと、コールの音を待たずして、電話は繋がった。
『悪い、今メールしようと思っていたんだ』
浜見は焦った様子で言った。
「何時くらいになるんだ?」
『うーん、あと三十分くらいかかると思う。歩道橋でばあさんの手助けを……する気がする。悪いけど、先に行っていてくれ。んじゃ』
こちらの返答を待たずに電話は切れた。
ばあさん助ける予言かよ。恐らく、僕にこの嘘が通用しないことを言ってから判断したのだろう。助けたとしても三十分は遅れない。というか、三十分って今から家を出てもそんなにかからない。あいつは何をしているのだろうか。
「うん、ちょっと遅れそう。先入ってていいよ。じゃ、後でね」
如月も誰かと電話していたので、通話終了を待ってから、面倒な嘘を省いて、声をかける。
「あと三十分くらいかかるから、先行ってろってさ」
「相変わらずルーズね。今日は他に人がいるからまだいいけど、デートだったら有り得ないわ。来たら説教ね」
相変わらずと言われるあたり、遅刻は常習らしい。僕には浜見が遅刻なんて、そんなイメージはないのだが。
「じゃあ、先に行きましょう」
如月が歩き始めたので、僕はそれに続く。
しばらく無言で歩いていたのだが、突然如月が口を開いた。
「この前はごめんね」
多分、浜見を選んで。ということなのだろう。
「いいよ。別に」
良いご身分かもしれないが、選ばれていても断っていただろう。
わからないけど、それが如月のため、浜見のため、そして僕自身のためだと思うからだ。
「正直、浜見があんなこと言うとは思わなかった。でもね、あいつは私が思う以上に優しいやつなんだって再認識した。あいつは私のために、そして久波のためにああいう場を設けた。自分より、私たちのことを想ってさ」
それは僕もわかっていた。あいつは、僕の辛さをわかってくれていたのかもしれない。だからこそ、自分の幸せを犠牲にしてまでも、如月にもう一度選ばせた。
「――だけど、私はあのとき久波を選んじゃいけないと思った。浜見の優しさは痛いほど伝わったけど、あそこで久波を選んだら、浜見が辛くなるだけ。口では平気みたいなこと言ってたけど、あいつは――」
「へこむだろうな」
「でしょ。よしとか言っていたけど、内心は複雑だったかもね」
そこまで考えて浜見を選んだ如月の内心はどうなのだろうか。今になって気になっても仕方ないことだ。
「でもさ……それだけじゃないんだよ。正直、事情を知っている私にあなたを癒(いや)すことが出来るかわからない。浜見は出来ると思ったんでしょうけど、それはちょっと過大評価」
本音はこっちなのかもね、と恥ずかしそうに笑った。
僕だって、自分を客観的に見て、そういう状況になった人物を癒すことが出来るとは到底思えない。
もし、如月にそういった役目を担わせてしまったら、きっと想像を絶する負担になっていただろう。
浜見が余計なことをしたとは言わないが、これでよかったのだ。
「だからさ、事情を知らない人が一番いいよ」
「で、その結果が今日?」
いわゆる合コンというやつらしい。如月は大学の友達を誘って飲みに行こうと提案した。
浜見を紹介したいというのもあるかも知れないが、如月なりに僕を想ってのことと解釈した。
「そんなんじゃないよ。一緒に飲むだけじゃん。二対三だし、私と浜見を抜いたら好きなほうを厳選出来るってことだよ。まあ、その辺りはうまくやってよ」
紹介するから後は自分でどうにかしろということらしい。どうやら、如月は僕を過大評価している。
「僕みたいなダメなやつは選べる立場にいないよ」
「またまた。大丈夫、私がしっかりフォローするから」
なぜかやる気満々の如月を横目に、思わずため息が出た。
「お待たせー」
手を振って女の子二人組みのテーブルに急ぎ足で向かっていく如月。
「遅かったね」と明るい茶髪でタイトなジーンズに黒いシャツといういかにも活発そうな女性。
「早かったね」と長い黒髪が肩まで届き、白いワンピースが清潔感を表している女性。
美人系と可愛い系でタイプ別け出来るほど、どちらも容姿はもったいないくらいだった。
二人は間逆のことを言いながら如月を迎え入れる。
「これ、彼氏?」
茶髪のほうが、これ扱いで僕を指差す。
「これは違う」
如月まで僕をこれ扱いだった。まあ、その場のノリでそれはいいとしよう。
茶髪のほうが榊加奈(さかきかな)で、黒髪のほうが清水優衣(しみずゆい)と紹介された。
偏見になってしまいそうだが、二人とも見た目通りで、榊さんはガツガツ来るタイプ、清水さんのほうは大人しく、前に出ないタイプ。二人だけを相手に見ると、バランスが取れているように見えるが、これに如月が入ると、清水さんの負担が大きいだろうと勝手に想像してしまう。
清水さんが席を移り、僕と如月のために反対側の榊さんと並んでくれたので、僕が奥に入り、通路側に如月が座る。
「わったし、ビール!」
如月が素面(しらふ)にも関わらず、すぐに右手を高く掲げる。
「私も、私も!」
それに続くように榊さんも手を伸ばす。
「うるさい。加奈はまだ残っているでしょう」
榊さんの前にある中ジョッキを指差しながら、囁くほどの声で清水さんが言うと、二人は同時に「すみません」と頭を下げた。
どうやらこれがお決まりのパターンらしい。
清水さんは大人しいというか、まとめ役みたいなものらしい。
あれから二十分ほどだろうか。驚異的なハイペースで飲み続ける如月と榊さんに僕はまったくついていけなかった。
しかし、アルコールの量が増えるに比例し、二人のテンションも徐々に上がって行き、ついに清水さんも抑える役目を放棄しだして、呆れ顔で梅酒をちびちびと口へと運んでいた。たった二十分で。
ついに如月が立ち上がって反対側の席に移ろうとしたので、清水さんも立ち上がる。
清水さんが席を退くと、如月はすぐにその席に座る。
「すみません」
非難するように清水さんは先ほどまで如月がいた席にグラスを移した。対面の二人は肩を組み始めた。
「いや、いいよ。いつもこんな感じ?」
「ええ。ああなったらもう止めるのも面倒なんで」
そりゃそうだろう。僕も弾けるほうではないので、飲み会では止める役だが、肩を組み始めたら終わりだと思っている。
それにしても、たった二十分でこの状況。浜見もまだ来ていないし、どうしたものか。
「どうかしましたか?」
「いや、別に。ああ、そんなかしこまらなくてもいいよ。気軽に行こうよ」
「あっ、はい。あっ、うん。わかった」
癒される存在だ。可愛い上に常識人というのは実は最高なのではないだろうか。
そういえば、最近は如月といい、一観祢といい、気の強い人とばかりだったから、こういう子の安らぎが身に染みる。
一観祢にこの子の爪の垢を煎じて飲ませるべきだ。そうすればあいつだって……なんで一観祢が出てくるんだ? もうあいつは――
「何ー? お二人さん仲良いじゃない。私は蚊帳の外ですか。ああ、もういい。如月の彼氏奪う。これ決定」
榊さんが雑に絡んでくる。
「あげる、あげる。じゃあ私は久波もらう」
如月は酔いに任せていい加減なことを言い出す。
「じゃあ、優衣は私がもらう」
榊さん名前を出された清水さんだが、完全に無視。
「じゃあ、榊は私がもらう」
如月が榊さんに抱きつく。
「もらって、もらってー。私はあんたのもんだよ」
榊さんがハグを返すと、「よしよし」と如月はその頭を撫でた。
その姿を見て、僕は清水さんに「いっ、いつもこんな感じ?」ともう一度聞くと、「えっ、あっ、うん」と少し歯切れの悪い返答をしながら俯いた。
多分、恥(は)じらいがあるのだろう。如月はまだしも、榊さんとは初対面だ。友達が初対面でこんな姿を見せたら僕も恥じらう。
「大丈夫だよ。こういうの」
慣れているから。と言おうとしたところで、携帯が鳴った。
「ごめん。ちょっと待って」
そう言い、腰を上げると、清水さんも立ち上がって通路を空けてくれた。
レジ付近の僅(わず)かに静かな場所で携帯の通話ボタンを押す。
「何やってんだよ。早く来いよ」
電話を耳に当てるや否や、先手必勝とばかりに口を切る。
『……』
電話口から返答は無い。
清水さんとの会話を断ち切られた上、何も話さない浜見に少し苛立(いらだ)ちを覚える。
「今何処にいるんだよ?」
『……』
やはり何も言わない。何かあったのかと少し心配になる。
「どうし――」
『助けて……』
プツッと電話が切れる音がした。そのか細い声を聞いて、僕は心臓が破裂しそうになった。
慌てて、着信履歴を確認し、名前を見ると、僕の足はすでに店の出口へと向かっていた。
一観祢鈴。そう表示された携帯をバトンのように握り、全力で走った。
店を出たところで、「おい、どうした?」と声をかけられた。
そこには、少し息を切らした浜見がいた。
「ああ、浜見。悪い、急用が出来た。如月に謝っといてくれ」
返事を待たずに走り出そうとすると、浜見は僕の腕を掴んだ。
「待て、待て」
「一観祢が危ねえんだよ!」
そう吐き捨てると、浜見は手を離し、「行け」と首だけ動かし、僕を促(うなが)した。
「悪い」
もう一度走り出す。
走りながら着信履歴から通話を押すが、出る気配は無い。
「なんなんだよ。何があったんだよ」
思わず口に出してしまう。
走ってみたものの、行くべき場所がわからない。
必死に知恵を絞った結果、僕は電車に乗った。時間も時間なので、座ることは出来ない。それでも、少しでも体力を回復しようと、扉を背を預けて肩で息をした。周囲の目線など関係ない。
息は戻ったが、心拍数は戻らない。痛い胸を押さえながら、今か今かと目的地の到着を待った。
電車から降りると、すぐにまた走り出した。
目的地が近づくと、周囲に人も多くなってくる。
人ごみを掻き分けながら、走った。
目的地に着くと、一旦息を整える。一観祢神社、鳥居前。七時を過ぎても明るいこの時期だ。当然参拝客もまだ多い。
一人で来たときより注目されているかも知れないな。
そんなことを思いながら、早足で鳥居を抜けた。
周囲を見渡す。探している人物は一人。ここに一観祢がいるとは思っていない。
「あれ? 久波さんじゃないですか」
巫女服を着た少女に声をかけられた。顔は覚えているけど、名前までは覚えていないし、聞いている暇も無い。
「神職は? 神職は何処にいる!?」
少女の肩を掴み、揺らしながら尋ねた。
「えっ、神職なら本殿……拝殿の広場のほうにいると思い――」
少女の言葉を待たずにまた走り出す。
ここはいつ来ても人が多すぎる。途中、柄の悪いお兄さんにぶつかって怒鳴りつけられたが、相手をしている暇は無かった。
拝殿に着いて、辺りを見回すと、おばあさんと談笑する神職の姿を捉えた。
早足で近づくと、神職も僕に気がついたようだ。
目つきが変わった。多分、僕の目つきのせいだ。
「何しに来た?」
威圧するように言われた。
「何してんだ?」
そう言い返した。
「――何処にいる? あいつは何処にいる?」
「君には関係ないだろう」
関係ない? ふざけるな。
「あいつが助けを求めてきたんだよ! 俺の携帯に電話してきて、『助けて』って言ったんだよ!」
神職の胸倉を掴んだ。
俺なんて何年ぶりに使った? そんなことはどうでもいい。
「どういうことだい?」
「わかんねえから何処にいるか聞いているんだよ! 電話しても出ないし……頼むよ。教えてくれよ……あいつが助け求めているんだよ……」
胸倉を掴んだまま、崩れ落ちた。
「事情はわからないが、私が知っているのは、例の宮野君と一緒にいるということだけだ。昼ごろに出かけた。あの子はもう巫女じゃないからね。行動を制限しているわけではない。何をしようと、娘の自主性に任せている」
本気で言っているのかこの親は……。
だから……だから、僕なのか。親がこんなだったら誰があいつを助けてやれるんだ……。
宮野とかいうやつは何やっているんだよ。死ぬ勢いで一観祢を助けたんじゃないのかよ。今度も助けてやれよ。
それとも、宮野ってやつがなんかしてんのか? だったら……。
「くそっ」
神職の胸倉を突き放し、背を向け、走り始めた。
何処に行けばいい? 何処にいる?
鳥居の前まで戻った。
右に行けばいいか、左に行けばいいか。そんなことを迷う時間も惜しい。
右に何がある? 左に何がある? わからない……わからないけど……
僕は一歩を踏み出した。右でも、左でも無く、ただ、まっすぐ一観祢の元へ行きたい一心だった。
「危ない!」
後ろから、中年のおじさんが叫ぶ声が聞こえた。
「えっ?」
振り向き様に迫り来るトラックがクラクションを鳴らした。
暗い。真っ暗だ。何も見えない。ほのかに甘い匂いがするけど、なんの匂いだろう? 真っ暗で何も見えない。これが死後の世界っていうやつなのかな? こんな真っ暗な中でどうすればいいんだろう…………ああ、目を閉じているだけだった。
目を開けると、辺りは暗かったが、月明かりで真っ白であろうタイルの天上が見えた。
ふかふかの布団が心地良い。何も考えず、もう一度目を瞑ろうとした時、右手の暖かい感触に気がついた。
自由の利かぬ体で首だけ傾けると、ベッドに伏す一観祢の姿があった。
寝息を立ててはいるが、苦痛の表情を浮かべている。
左手を持ち上げようとすると、一瞬激痛が走った。
それでも強引に体を捻り、左手で甘い匂いのするすらりと伸びた髪を撫でた。
「うっ、うーん」
一観祢の頭が少しずつ上がり、小さく開いた目が僕を見つめる。
ハッとした様子で僕を握っていた右手を解き、目を擦る。
もう一度、僕を見つめてくれる。
「よう」
何を言っていいかわからなかったので、格好つけるように言ってしまった。
一観祢は唇を噛んだ。
瞳から零れる涙。一瞬にして可愛い顔がぐしゃぐしゃになっていった。
「大丈夫か?」
「こっちの台詞よ!」
バカ! と軽く右手を叩かれた。
「僕は……そうか、轢かれたんだよな」
トラックが目の前でクラクションを鳴らしたところまで覚えている。でも、その後どうなったかはわからない。
「ごめんなさい……ひっ、く、ごめん、なさい……ごめんなさい……」
泣きながら必死に謝る一観祢の頭をもう一度撫でた。
「僕こそごめん。助けに行けなかった。ごめん」
一観祢がなぜ助けを求めたのか、なぜここにいるのか、それすらもわからず、ただひたすら謝られている自分が情けなくて仕方なかった。
「ごめんなさい……私が、バカすぎた……ごめんなさ……」
もう、謝らないでくれ。謝るのは僕のほうなんだから。
「もう……私は……」
これ以上言わせてはいけない。直感的にそう思った。
「何も言うなよ。黙って……そばにいてくれ」
「……」
「僕は一観祢鈴が好きだからさ」
お前が好きになった人が絶対いなくなるわけじゃない。お前がいなくなったら、僕も人を好きになれなくなってしまう――。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます