#11 お前いいやつだな


 一日が経っても放心状態は続いた。夏休みだったのは救いとしか言いようが無い。外の日差しは強いというのに、暑さすら感じない。胸に詰め込まれていた何かが無くなってしまって、気持ちが安定しない。

 僕は部屋にこもっていた。事情を知ったであろう、浜見から幾度となくメールや電話が着たが、全て無視した。

 暗い部屋の中で、絶望に押しつぶされていた。

 僕の右手にはいつから持ったかわからないカッターの刃がレースのカーテンから漏れる日差しによって眩しく光る。

 死ねば楽になれるんだろうか。僕が死んだらあいつはどう思うのだろうか。

 そう思った結果だ。

 いざ、刃を左手に近づけると、震えが止まらなかった。

 怖いのか? 死ぬことが怖いのか?

 何を恐れているのだろうか。ただ、この刃を振りぬけばいいだけなのに。

 なんで、こんなに追い込まれているんだろうか。

『逃げるなよ』

 いつだかこんなことを口にした気がする。

 今、僕は何から逃げているんだ? 

 生きること? それとも死ぬこと? どちらにしても逃げているのか。

 僕はなんであんな偉そうなこと言えたんだろう?

 生きることも、死ぬことも逃げになる今、この瞬間を前にして、その意味の重さがやっとわかった。

 もうどっちでもいいや。

 右手にぐっと力を入れて、汗ばんだ手のひらでカッターを強く握り締めた。


 もう……いいか。

 要らない覚悟を決めた瞬間、部屋の扉が開いた。

「おーい、生きてるかー?」

 重い首を上げて、扉を開いた人物を見る。

「……」

「……」

 そこには、この状況に唖然とする浜見が立っていた。

「何してんだよ? ……何してんだよ!」

 浜見は僕に飛び掛り、カッターを取り上げてから胸倉(むなぐら)を掴んだ。

「もう、いい」

 これしか言えなかった。これが答えだった。

「てめえが死んでどうすんだよ!」

僕が死ねば、一観祢からまた『好き』という感情を奪うかもしれない。あいつが拒絶していたその言葉を。やっと取り戻したその言葉を。

でも、僕がいなくなって、あいつは悲しむのだろうか。それどころか、僕の死など知らずに、宮野君とやらとのうのうと生きていくんじゃないだろうか。

知ることの出来ない答えだけど、知りたかった。

「……どうもしないだろ」

 僕が死んでも誰もどうにもならない。あいつだってきっとそうだ。

 両親とお前くらいは悲しんでくれるか? なあ浜見。

「っざけんじゃねえ! お前がいなくなってどうすんだよ。失恋くらいでめそめそしてんじゃねえよ!」

 この感じ……この虚しさを知っているにも関わらず、お前はそんなことを言えるのか。人間って強いな。

「――いいか。世の中には男と女しかいねえ。だから、その、なんだ」

 なんだよ……。

「……逃げんなよ」

 そう囁いた。囁いてくれた。

 僕が一番聞きたかった言葉かもしれない。生きることと死ぬこと、僕の中ではどちらも逃げているという結論だったが、浜見は死ぬことが逃げだと言ってくれた。生きることが前に進むことを示してくれた。

「……悪い」

「おうよ」

 前に如月に言ったときは軽いフォローだったが、今ならしっかり言える。

「お前いいやつだな」

「今更気がついてんじゃねえよ」

 なぜか誇らしげに浜見は手を出した。

 僕は自然と微笑み、その手を掴んで立ち上がった。


 たった一日、部屋にこもっていただけなのに、外の空気が新鮮だった。

 外に出ると浜見が空気の読めない惚気話しをしながら先導し、喫茶店に行き着いた。

 先払いのチェーン店で、浜見はアイスコーヒーを二人分頼み、何も言わず奢ってくれた。

「連れてきた」

 一番奥の席に如月の姿があった。ちょこんと座りながら文庫本を読む姿が風景とマッチしていて、なんだかいつもより知的に見えた。

 如月はしおりを挟み、パタンと本を閉じて僕のみすぼらしい姿に苦笑した。

 一応、シャワーを浴びて、服も着替えたのだが、一日死んだようになっていた僕の衰弱した顔は戻しきれていないらしい。

「この度はご愁傷様で」

 如月の嫌味な台詞が胸を締め付けるほど痛い。もちらん如月はこの数分前に僕がどういう行動を取ろうとしていたかは知らない。本当にご愁傷様になるところだったなんて、口が裂けても言えない。

「まあまあ、終わったことはいいじゃねえか」

 浜見に気を使われた。

 とりあえず、浜見の隣、如月の対面席に座る。

「で、話って何よ?」

 如月は文庫本をカバンに仕舞う。どうやらこの舞台をセッティングしたのは浜見の独断らしい。

「えーとだな、まあ、いろいろあって心の整理もついていないだろうが、過去のことをうだうだ言っても仕方ない。こうやって久波も独り身になったわけだ」

 ものすごく言い返したかったが、そんな気力はなかった。言っていることも間違ってはいないし。

「――そこでだ、如月に今一度選んでほしい」

「は?」

「何をよ?」

 僕と如月は浜見の言葉に首を傾げた。

「もともと、如月が好きだったのは久波だろ? あの時はこいつには好きなやつがいたから妥協して俺ってことになったが、今は別だ。あれから時間も経った。如月が俺を本気で好きになってくれたか、それともまだ俺より久波のほうがいいか、それを選んでもらいたい」

「ちょ、ちょっと待て」

 どう考えてもおかしい。現時点でこの二人は付き合っているわけだ。僕はそこに分け入る気はまったくない。

「――うるさい。俺はどうであろうと納得する。お前は俺を良いやつと言ったが、俺もお前が良いやつっていうのは知っている。だから、お前ならいい。こんな現状だ。お前にも支えが必要だろう」

 なんかすごく格好良いことを言っている気がする。というか、聞いているとすでに負けを宣言しているような言い方だ。

「いいの?」

 如月が浜見に確認を取ると、浜見は無言で頷いた。

 僕がとやかく言う前に、如月は言葉を続けた。

「――じゃあ、言うわよ。後悔しても知らないからね」



「ごめん、ちょい遅れた」

 約束の時間を五分ほど過ぎて、待ち合わせの場所に着いた。

「大丈夫。私も今来たところだから」

 如月は笑顔でそう答えた。遠目から見えたときに腕時計で時間を何度も確認する如月が見えたことから、今来たというのは嘘だろうが、明るくそう接してくれるのは嬉しかった。

「で?」

 僕の一言に、如月は呆れ顔で「まだ」と呟いた。



「じゃあ、言うわよ。後悔しても知らないからね」

 僕は心底どうでも良かったのだが、浜見がごくりと生唾(なまつば)を飲む音が若干聞こえた気がする。

 本来あり得ない状況なのだが、これも浜見の優しさなのだろう。でも、僕にとって如月は大切な『友人』だ。そして浜見は親友。どんな答えが来ようと僕は――

「浜見」

 えっ?

 どんな答えが出ても平然としていようと思っていたのだが、反射的に肩がピクリと動いた。

「うっし!」

 ガッツポーズを取る浜見を横目に釈然としない僕。

 あれだけの想像をしておきながら、まさかの選ばれず。さすがに自信を無くす。

「ごめんね」

 如月が両手を合わせて僕に謝罪する。

「当然だろう」

 クールを装(よそお)いながら、少し震えた手でアイスコーヒーを口に運ぶ。

 苦いな……。

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