#10 たった二文字でこんなにも辛いのかよ
〈ごめんなさい。あなたとはもう会えない。今までありがとう〉
僕は家を飛び出した。
時間は午前二時を回ったところだ。夏休みということで、健全な大学生ならまだまだ活発時間なのだが、僕の場合、連日の疲労でそういった常識は当てはまらない。
深い眠りに陥っていたのだが、寝る直前にマナーモードにし忘れた携帯電話がうるさく受信したメールで目を覚まし、半開きの目でそれを確認する。
あて先は一観祢鈴となっていた。完全に開いていない目をこすり、文章を確認するとそう映し出されていた。一瞬で瞳孔が開き、再度メールを確認するが、どうやら読み間違いではないらしい。
〈どういうこと〉、と?マークも忘れ、返信を出すが、メールは自分のもとへ戻ってきた。アドレスを変更したらしい。ならば、と電話をかけるが、出る気配は無い。
気がついたらベッドから飛び上がっていた。
時計が三時になる前には、一観祢神社の鳥居の前に立っていた。
来たのはいいが、どうするのが得策なのかわからなかった。
家の場所はもちろん把握しているが、時間も時間なので、行くのは憚る。かと言ってこのまま引き返すわけにもいかない。
鳥居の前で右往左往している時間も惜しいが、以前、電話も繋がらない。
どうすることも出来ずに、鳥居を抜けてすぐのベンチに腰を下ろし、そのまま朝日が昇るのを待った。
鳥が囀りだしたころ、眩しさと睡魔のあまり、ろくに開かない視線に神職の姿を捉えた。
「あっ、あの」
「うわっ、久波君じゃないか。どうしたんだい? 死にそうな顔して」
話す気力もなかった僕は、黙ってメールを見せた。
「なかなかショッキングなメールだね。ってこれ二時のメールじゃない!? まさか君はずっとここにいたのかい?」
首を縦に振って返事をする。
「――その感じだと、娘から連絡はないみたいだね。ちょっと待っていなさい。私の言うことを聞くとは思えないけど、呼んでくる」
そう言って、早足で家のほうに向かっていく神職。その後ろ姿に少し安心して肩の荷が軽くなった。
どれほど時間が経っただろうか。一観祢どころか、神職すら姿を現さない。携帯電話で時間を確認すると、あれから二十分が経過していた。辺りは完全に明るくなっていて、通行人も増えてきた。
ベンチにぐったりと腰を下ろし、全身の力を預けると、ずるずると崩れ落ちていくように身体がくの字に曲がった。
「久波君、生きているかい?」
目を開けると神職が立っていた、どうやら意識を失っていたらしい。
「なんとか……」
足に力を入れて、どうにか視線の高さを合わせる。
「――それで、一観祢……娘さんはなんて?」
僕の問いかけに、神職は顔を背けながら唇を少し噛んだ。
「私が言われたことをそのまま言うけど、いい?」
胸が痛んだ。最悪の結果であることは間違いない。それでも、聞かないわけにはいかない。
「……はい」
息を呑んだ。
「私は、久波君が鳥居に来ていると言った。そうしたら娘は、
『もう会えない。あの人が、宮野君が生きていたから。私が好きになった人はいなくなっていなかった。私は巫女をやめる』
と、真っ赤な目で言われたよ。正直、私も驚いたね。宮野君っていうのは――」
「わかり、ます」
一観祢が初めて好きになった人。一観祢を庇って死んだとされる人。そして、巫女をやめるという意味。これがどういうことなのか。
もう何がなんだかわからなくなっていた。だって……そいつは……
「死んだんじゃないのかよ……」
涙が零れた。
「死んだんじゃねえのかよ!」
神職の袴を掴んだ。
「――そいつは一観祢庇って死んだんだろ! なんで……なんで生きてんだよ! 死んでろ――」
その時、頬に強い衝撃が走った。我に戻ると、僕は神職を見上げていた。
「それ以上言うな! 私の前でそれ以上言うな」
荒い息を吐きながら、神職は僕を睨んでいた。
なんだよ……なんだよ、その目。あんたは僕の味方じゃなかったのかよ。
悲しかった。寂しかった。辛かった。虚しかった。
僕は走った。逃げるようにその場を立ち去った。
もう二度とこんな神社見たくない。
何が縁結びだ。何が神様だ。
これじゃ、僕だけが不幸じゃないか。なんだよ。あんなに真剣に考えて、真剣に向き合ったのに、僕は一観祢の過程にしか過ぎないんじゃないか。死んだと思っていた人間が生きていて、そいつがまだ『好き』だなんてさ。そもそも人を『好き』にならないんじゃなかったのかよ。いなくならないなら『好き』になってもいいのかよ。だったら僕だってあいつに『好き』って言えたじゃないか。僕だってここにいるじゃないか。あいつに『好き』って……好き……好き……。
なんだよこの言葉……これだけで人生変わっちまうのかよ。たった二文字でこんなにも辛いのかよ。敵うわけねえよ。何が新しい言葉を作るだ! 何が神だ!
「゛あ゛あ゛あああぁぁーーー」
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